第18話 セイヤーは女子供に弱かった。

 ヒルデは、お茶を注いだティーカップを手に取ると、まずは香りを確認した。


「へぇ~、いい葉ですねぇ~」


 無骨な首から下の見た目と違って、顔は間の抜けた声が似合う、まるですべてを許す慈悲の女神のような雰囲気を醸している。


 褐色の肌ではあるが、セイヤーの知識にある黒色人種系の顔立ちではなく、やはり西欧系白色人種の顔立ちで、南米にいそうな雰囲気がある。


 この異世界に来てから、アフリカ系黒色人種やアジア系黄色人種には出くわしたことがない。


 これだけ多くの人々を一年も見ていれば、大概美醜に関しても理解できるようになった。


 セイヤーから見てもヒルデは美女だ。エーヴァやエカテリーナとはまた違う系統だが、美しいのは間違いない。


 ただ、顔と肉体のギャップが半端ないだけのことだ。


「あ、あの………ダ、ダークエルフですよね?」


 エカテリーナがおずおずと尋ねる。エーヴァは全く気にせず茶菓子を口に運んでいるし、セイヤーは「甘いものは好きではない」と愚痴るくらい、堂々と普段通りだった。


「そうですよぉ~。私はこの先にあるトレシ砦の管理者で魔王軍の将軍なんですぅ~」


「へ、へぇ~、そ、そ、そうですかぁ~」


 エカテリーナは白目を剥きそうになっている。


 人間からするとダークエルフは、高次元生命体の成れの果てである「魔族」ではないので、まだ戦って殺すことができる相手だが「敵」をこれほど間近にして、冷静でいられる者はなかなかいないだろう。


 ましてやこの「敵」は素手で人間の頭など粉砕できそうな筋肉ダルマだ。武器の類を携帯していないだけ救いがあるが、その肉体自体が凶器とも言える。


「ところで、どうしてこんな所にいるんですかぁ~?」


 ヒルデは普通のお茶話をしているかのように問いかけてくる。


 しかし、ティーカップを持つ腕の筋肉がピクピクと隆起するので、エカテリーナは目が離せないでいる。


「ピクニックですわ」


 エーヴァは全く緊張も恐怖もなく、しらっと言い放った。


 今から魔王をぶち殺しに行くところです、と正直に言わないだけマシだが、こんなところでピクニックする道理もない。


「ふぅ~ん。この塔を壊したのは、みなさんですかぁ~?」


「いいえ、こちらのお方です」


 エーヴァはセイヤーを指差した。


 いきなり裏切られて敵の供物にされたことでセイヤーは思わず「え?」とこぼしてしまった。


 エーヴァは『ご自身の実力を確認しないと!』と目で訴えてくる。


 確かにこの場に留まったのは、セイヤーがどれほど敵に通用するかの実証をするためだ。


 しかし、もっと悪魔か化物のようなものが出てくるかと思っていたセイヤーは、自分たちと同じ人間体が出てきたので戦闘意欲が低下していた。しかも女だ。


 冷徹な経営者にして、目的以外に興味を示さないセイヤーでも「女子供」に対しては弱い。


 昔はそうではなかった。相手が女性であっても敵対するのなら容赦しない采配を奮ってきたし、理知が通らない子供は苦手だった。


 だが、歳のせいで丸くなったのか、女子供が多少自分に対して不利益なことをしても「はいはい」と許せるだけの包容力が生まれたのだ。


「あらぁ~。同じテーブルに座っているから執事ではないとは思ってたけどぉ~。あなたがやったんですかぁ~?」


「ふふふ、怯えるがいい魔王軍! このおっさんは、我らがディレ帝国第二王女であらせられるエーヴァ様が、御自らご召喚なされた異世界の『勇者』にして【魔法を統べる天才】セイヤー様です!」


 エカテリーナが胸を張る。


「バカ………」


 エーヴァが頭を抱える。


「え、なにかしくじりましたか、私」


「ディレの王女とか勇者とか……私達の正体まで言う必要はないでしょ……」


「え、えー? 王女様が自慢気におっさんを突き出したから私も言っていいのかと………」


 セイヤーは溜息をつきながら手を上げて、二人の応酬を制した。


 ヒルデはニコニコしながら見守っている。


「ディレ帝国ですかぁ~。勇者って本当にいるんですねぇ~」


「そうらしい」


「つまりこの三人で攻めてきた、ってことですかぁ~?」


「そうだな」


「すごいですねぇ~。それじゃ~私も部下の命を守るために戦わないといけませんねぇ~。けどあなた、素人にしか見えませんけどぉ~」


 ヒルデは丁寧にティーカップをテーブルに戻し、椅子からゆっくり立ち上がり、しかもちゃんと椅子をテーブルの方に戻した。


 王城ではそういった雑事は侍女か執事がやっていた。ある意味日本式のテーブルマナーに見える。


「その立ち振舞い、筋肉のつき方、本当に戦えるんですかぁ?」


「初陣だ」


「あらぁ~。本当に勇者なのかわかりませんけどぉ~、象牙の塔を壊したのがあなたなら、相当な実力ですよねぇ~? 全然そう見えないんですけどぉ~」


「………」


 殴り合いの喧嘩一つしたことがないセイヤーに、戦いの気配がないのは当然だ。


 セイヤーもヒルデに続いて立ち上がり、亜空間から勇者の杖を取り出した。


 二人はテーブルから少し離れた。


「ではるか」


 一瞬で莫大な魔力を杖に込める。


 エーヴァは王女らしからぬ俊足で魔力の濁流から逃げ出し、逃げ遅れたエカテリーナは魔力に当てられて気を失った。


「自分の力がどこまで通用するのか測るためだ。遠慮なく最大の魔力で………」


「あ、待ってぇ~」


「?」


 ヒルデは両手をあわせて「拝む」ように頭を下げた。


「お願いがございます」


 突然口調が変わったので、セイヤーは顔をしかめた。


「貴方様ほどの魔力であれば私など瞬殺でございましょう。むしろ、その魔力を放てば魔王領どころかこの世界が滅ぶ気が致します」


「そうなのか?」


「はい。どうか死に行く者への情けとして、魔力を抑えていただき私だけを殺すに留めて頂けませんか。魔王領には戦いに参じないただの民も多くいるのです、どうか罪なき者たちを巻き込まず私だけを!」


「いや………戦………え、なんだこの流れ」


「私の命を賭しますので、どうか民や部下たちの命は助けてはもらえないでしょうか。奴隷でもなんでも構いません。どうか命だけは」


「………勝負しないのか?」


「ご冗談を。貴方様に勝てる気がしません」


 ヒルデはわかっていた。


 勝てない。


 この化け物じみた魔力と比べたら、たしかに魔王など毛穴のフケだ。


「では、私の力が魔王軍にどの程度通用するのか、尋ねてもいいか?」


「………アリの巣穴に大海を注ぎ込むようなものかと」


「女王アリが魔王というわけか?」


「はい。戦う以前の問題です。アリが海原相手にどうすれば勝てるというのでしょうか。これは勝負になりません………私など貴方様にとっては羽虫以下です」


 ヒルデにとってそれは本気の言葉だった。


 全身から汗が吹き出て、額からも雫が垂れ落ちていく。今までどんな苦境に立たされても流れる事などなかった涙が、ボロボロと瞳から落ちる。


 恐怖などという簡単なものではない。


 今まで感じたことのない圧倒的な脅威を前にした………それはまるで、神の前で膝を折り許しを請う矮小な虫けらの気分だった。


「………だ、そうだ」


 セイヤーは少し離れた瓦礫の影からこちらを見守っていたエーヴァに向き直って言うと、集めた魔力を消し去った。


「話にならないレベルで私は強いらしい。よかったな王女。実力の検証はできた」


「え、ええ? なんで魔力を消したんですか!?」


「ん?」


 セイヤーは杖も亜空間に引っ込めてしまった。


「敵将を前にして、なにをしてるんですか! 実力が上だというのなら問答無用で勝ってくださいまし!」


 弱肉強食の教育を受けているディレ帝国ならではの考え方だ。弱者に慈悲など与えない。弱者は強者の糧になることで国は強くなる、という考え方なのだ。


「では、魔法を使わなければどの程度の強さなのか、確認したい」


 亜空間から呼び出した白い外套を身にまとわせたセイヤーは、見よう見まねでファイティングポーズを取った。


「はぁ!? なに言ってるんですか!!」


 エーヴァ王女が叫ぶ。


「あなたは魔法の申し子ですよ! 剣や格闘での戦いなんてできるはずないでしょう!!」


「………だ、そうだ。れるか?」


 ヒルデを挑発したが、頭を上げない。


「魔法を使わないなどと言っておきながら、全身に張り巡らせた強化魔法と数百の魔法障壁………私が何千年かけても貴方様に一撃たりとも入れることはできないでしょうし、貴方様の拳の一撃で、私など数億回死んでも余りあるダメージを受けるでしょう。どうか、いたぶるような真似はせず戦士としての死を与えてください………いえ、私が懇願するのは民と部下の命だけ。いたぶられようと、どんな陵辱を受けようと甘んじて………」


「ヒルデ様ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 森の方から七戦士たちが走竜で駆け寄ってくる。


 走竜のスピードではもどかしかったのか、走りながら飛び降り、手にした武器や盾を放り投げて、必死の形相で走ってくる。


「どうか! どうか私達の首でヒルデ様のお命だけは!!」

「ヒルデ様だけはどうかお助けを!」

「我らは奴隷でもなんでも下ります! どうかヒルデ様だけは!!」


「あなたたち……」


 七戦士はひざまずくヒルデに抱きついて、必死に懇願してくる。


「………なぁ王女。私が悪者みたいな気分になってきたんだが」


 セイヤーは完全に戦闘意欲を無くした。


 そして思った。


 まさか、このまま一度も戦闘経験をしないまま、魔王討伐に行くことになるのではないか、と。

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