第17話 セイヤーは痴女を見た。
「ヒルデ様のために!!」
砦から放たれた怒号のようなダークエルフたちの歓声は、廃墟化した象牙の塔の近くでキャンプを始めたセイヤーの耳にも届いた。
キャンプ道具を亜空間から取り出し、スモークサーモンのような何かを作るところだったセイヤーは「………」と地平の先を見た。
延々と続く鬱蒼とした森の先。地平線を越えた所にある砦で起きた声だ。本来聞こえる距離ではない。
だが、周辺索敵魔法をかなり強めに展開していたので、セイヤーの耳はそれを拾ってしまったのだ。
「おっさ………いえ、セイヤー様、どうされました?」
治癒魔法で二日酔いから醒めたエカテリーナは、横にいたエーヴァ王女に睨まれたので、即座に呼び方を変えた。
今はエカテリーナとエーヴァ王女が、ディレ帝国国家を歌いながら、1メートルもある川魚をさばいているところだ。
身分関係なしに調理をする姿は微笑ましいが、この川魚がひどく血潮が多いようで、包丁を突き入れるたびに血飛沫を飛ばし、それを避けようと二人がキャッキャしているのは、随分と凄惨な光景でもあった。
「この先になにかある。魔族の拠点のようだ」
「敵が来るまでに食事できそうですか?」
エーヴァ王女は少し心配そうにしてみせた。
敵が来るのが心配なのではない。食事の支度ができる前だと困る、というだけの心配だ。
「問題ない。敵が来ても食事はできる」
「それは無理じゃないですかね!」
何言ってんだおっさん、という眼差しでエカテリーナは睨んできたが、冗談抜きで可能だとセイヤーは思っていたし、実際、そうなった。
「あら、良い匂いですねぇ~」
ダークエルフの女将軍ヒルデは、走竜と呼ばれる小型の騎乗ドラゴンの手綱を引き絞って静止させる。
同行しているダークエルフの女戦士たちも鼻をひくつかせて、匂いの元を辿っている。
「ヒルデ様、煙が見えます」
森の木々の先、風のない青空に向かって灰色の煙が伸びている。
「あらあら、こんなところで野営かしらぁ~?」
「そんな阿呆は魔族にはいないでしょう」
ヒルデ付きの女戦士たちは、甲の面当てを引き下ろして戦闘態勢になった。
彼女たちはヒルデの側近で、古くから仕えている屈強な戦士だ。
誰も彼も鍛え上げられた筋肉を、わずかばかりの鉄甲で覆っているにすぎない扇情的な格好をしているが、どんなダークエルフの男戦士よりも身軽で、強い。
ヒルデ将軍の七戦士と称される彼女たちは、魔王軍の中でも一騎当千。一人一人が将軍クラスの戦闘力を持っているとも噂され、ヒルデを含むこの八人であれば、人間側の三大国家連合軍の数個師団分の働きをする。
ゆっくり走竜の歩を進めると、呑気にテーブルを囲んで昼食を摂っている者たちがいた。
ダークエルフの視力はかなりいい。
人間であれば米粒程度にしか見えなくても、ダークエルフはしっかり視認できる。
その結果、昼食中の者達は男一人に女が二人。どれも武装していない平民だとわかった。
いや、平民ではない。
女のうち、一人は豪奢なドレスを着ているし、一人は侍女服を着ている。
男の方は遠目ではあるが、そのあたりにいる者たちと何ら変わりのない格好だから従者であろうか。
「異様ですね」
七戦士の一人は警戒を強めた。
魔王領の境である辺境の、倒壊した塔の横で、のうのうとテントやテーブルを出してランチを楽しむなど、いくら魔族の行いだとしても狂気的だ。
「魔族ではないですね。魔力がそれほど………それほ……ど………え、なにこれ」
七戦士の一人、魔法担当の女は相手の魔力量を読み取るのに長けている。その女が突然言葉を失った。
「どうしましたぁ~?」
「ば、ばけものです」
「え~?」
「ヒルデ様、あれはなんですか! 魔王などアレに比べたら毛穴のフケみたいなものです!!」
「あらあら、凄い例えねぇ~」
ダークエルフは総じて魔法が得意だが、ヒルデは魔法を得意としていないのでよくわかっていなかった。
「とりあえず接近しましょ~。相手の出方を見ますねぇ~」
「危険です。私が先行します!」
「いえ、私が!」
「私が死にます!」
「死ぬのなら私が!」
「はいは~い、みんな死に急がないで~。私が行くからみんなはいつでも離脱出来るようにしておいてね~」
ヒルデは走竜を降りて、手綱を引きながら森を抜けた。
ヒルデたちの接近はとっくの昔に察知していたが、森から現れたその姿を見たセイヤーは、飲みかけていた紅茶を『ゴフッ』と吐いてしまった。
女が現れた。
しかしとんでもない筋肉ダルマで、しかも乳房や臀部の脂肪は圧倒的なボリューム。なのに体を隠しているのは極小の緑色の鎧(?)だけ、という「痴女」が現れたからだ。
エーヴァ王女とエカテリーナも、森から現れた黒光りする筋肉の女に呆然としている。
セイヤーは慌てて対象を魔法で鑑定する。
着ている鎧(?)は防御の意味をなしていない、ただの秘部隠しだ。
が、その緑色は「パリグリーン」という毒で染めてある。着たらヒ素中毒になる呪いの無機顔料だ。
硫化ヒ素の
無知ゆえのことだが、これらを用いた顔料の中でも際立って毒性が高いものがパリ・グリーンと呼ばれる鮮やかな緑色顔料だ。
このパリ・グリーンは有害なヒ素を多く含み、除虫剤としても利用されていたほどである。
それを着込んで平然としている筋肉女は、並の生命体ではない。
ヒルデ。
ダークエルフ族。
魔王軍の将軍。
義に熱く、とにかく強い。
大雑把にヒルデを鑑定し、その精神に警戒はあるものの敵意はないと判断したセイヤーは、席を立つでもなく茶のおかわりをエカテリーナに頼んだ。
「い、いいんですか? すごいセクシーダイナマイトが来てますけど」
「敵意は感じない」
「しりませんからね! 王女様には絶対触れさせないでくださいよ!」
「わかってる」
その王女様は川魚を食し、口の周りをナプキンでトントンと拭った。
何事にも動揺していない、という風で構えているが、内心は「なんですかあの破廉恥な女は」とドキドキしていた。
女将軍は走竜を置き、単身で近寄ってきた。
最大限こちらに警戒されないように「礼を尽くしている」と言ってもいい。
いきなり攻撃してくる様子はないが、何を言われるか。
セイヤーですら僅かに緊張した。
「すいませぇ~ん、お邪魔してよろしいですかぁ~」
ヒルデの
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