第16話 セイヤーは魔王領を尋ねた。
魔王領。
人の住む世界と違いはあまりない。
魔素が濃く、人間では立ち向かえないほどの魔物が多い、というくらいだ。
魔族は人間より優れた上位種族であり、元が堕天使ということもあって、大概の魔物を駆逐できる。
人間では難しい相手でも、彼らにとっては害虫駆除の感覚で排除できてしまうのだ。
この魔王領は、人間の侵入を防ぐバリアが全体に張り巡らされている。
広大な領地の境界線に均等に置かれた象牙の塔。そこに設置された「魔石」を媒介に、バリアは作られていた。
もし人間の攻撃を受けたとしても、このバリアを突破するのは魔族でも難しい。魔王が本気のフルパワーで全魔力を叩きつけてようやく………というほどのものである。
それが、いとも簡単に砕け散り、バリアを発生させていた象牙の塔は瓦礫の山と化した。
瓦礫の山の上に陽炎のように現れたるは、男が一人と女が二人。
「今なにか障壁があったようだ」
空間転移を邪魔されて実体化したセイヤーは、一緒に転移してきたエーヴァ王女とエカテリーナを見て無事を確認した。
「あら。ここはどこでしょう?」
「どれ………」
セイヤーは眼前に魔法の地図を広げた。
この世界にあるどんな地図よりもリアルで、完璧な、まるで衛星写真のような立体地図だ。
「魔王領との境だな。障壁で領地を守っていたらしい」
「障壁………だから魔王城まで一気に辿り着けなかったんですね。恐ろしいわ魔王軍」
恐ろしいと言いつつも、エーヴァ王女は平然としている。
その恐ろしいものを、いとも簡単に破壊してしまったおっさん勇者のほうが、数万倍恐ろしいとわかっているのだ。
「おろろろろ…………」
転移させられても、まだ吐瀉を続けているエカテリーナを尻目に、エーヴァ王女は「良いことを思いつきました!」と手を叩いた。エカテリーナのことは無視するつもりのようだ。
「セイヤー様。ものはついでに力試しされてみてはいかがですか?」
「力試し?」
「はい。このあたりなら魔物とか魔族がうようよいるでしょうし、一度手合わせしてご自身の力が呆れ返るほど凄いことに気付かれるべきです」
「ふむ、まぁ確かに」
実戦ともなれば恐怖や緊張もあるだろう。うまく魔法が使えなくなったら困る。
エーヴァ王女の言うとおりなので、あたりに何かいないか魔力探知してみたが、大きな生体反応はないようだ。
「これほど立派な塔を破壊したのですから、いずれ魔族が来ると思います。待ちましょうか。遠征セットはお持ちですわね?」
「ああ」
「ではお茶にしましょう」
王女の余裕が凄い。それはセイヤーに全幅の信頼を置いているから出てくる余裕だ。
そこまで信頼されると、会社経営とは違う緊張感がある。
あの頃はいつも誰かが「失敗しろ」という目で見ていた。だが今は「この人がしくじるはずがない」という目だ。逆に失敗できない。
セイヤーは亜空間からテントやテーブルを取り出しながら、思考を巡らせた。
帝国の世継ぎの王女、という「身分」。
まだ18歳という「若さ」。
女の子であるという「性別」。
すべてにおいて「自分の身に代えてでも守らなければならない相手」だと再認識できた。
「おろろろろ…………」
まだ吐瀉を続けているエカテリーナは別に守らなくてもよさそうだ。
その頃、魔王城ではなく、セイヤーが破壊した地区の象牙の塔を管轄している「トレシ砦」では、動揺と喧騒が広がっていた。
そこに勤めている者たちは、誰もがその報を聞いて同じことを言った。
「まさか」
と。
魔王ですら全魔力と引き換えにしなければ破れない、究極の
しかも、象牙の塔が一つ倒壊し、その塔が発生させていたバリア域が完全な無防備になっているらしい。
「え? 塔が崩れたんですかぁ~?」
露出の高い緑色の鎧で、女性の胸やら股間の秘部だけ隠したような戦士が、間延びした声で問うた。
体は黒光りした筋肉の塊で、古傷だらけだ。男でもここまでの肉体を持つ者は少ないだろう。
だが、乳房や臀部の大きさは女性のそれであり、長い黒髪で半分隠した顔は、まったくゴツゴツしていないどころか、まるで慈愛に満ちた聖母のような、おっとりした落ち着きすら感じさせる。
口調はおっとり。体はがっちり。まるで体と顔のバランスが取れていない女性だ。
トレシ砦を預かっている女将軍「ヒルデ」
魔王軍の中でもその人ありと言われる名将にして、武人である。
人間の領地に一番近いこの砦を守っているのは、彼女とその指揮下にある部隊が極めて優秀だからである。
彼女たちは魔族ではない。エルフ族だ。但し、ダークエルフ族と呼ばれている亜種である。
エルフ族との違いは肌の色以外にない。耳も尖っているし、魔法と弓の扱いに長け、長身痩躯だ。
しかし、肌色の違いから太古の昔にエルフ族から迫害され、今では魔王領で暮らし、力ある者たちは魔王軍として従属している。
女将軍ヒルデも元は他のダークエルフと同じような長身痩躯だった。
しかし「痩せっぽっちの体で戦場はきついのよねぇ~」と言って、様々な方法で体を鍛え、剣で貫くことも許さない筋肉の鎧を身にまとった。
「本当に塔が崩れたんですかぁ~?」
ヒルデが問い直すと、部下のダークエルフは「はっ! 物見も確認いたしました!」と返した。
ダークエルフは女性上位の社会であり、ダークエルフの男は女に従ってこそ、という風潮がある。
この部下もその傾向が強く、ヒルデに対しては「将軍だから」というだけでなく、女性だからという点でも全面的に従っている
「ん~。敵かしら~?」
「敵兵は確認できておりません。魔法や火薬による攻撃を受けた様子もありません。突然、自然と倒壊したようです」
「象牙の塔が自然に倒壊しますかねぇ~?」
「………ありえないかと」
「そうですよねぇ~。しかしあれを崩すなんて人間の仕業とも思えませんしぃ~。魔王が腕試しで倒したんじゃないんですかぁ~?」
丁寧で落ち着いた、そして間延びした感のある言葉使いと、春風駘蕩な表情。そして黒光りする筋肉………とにかく筋肉の存在がヒルデという女性をアンバランスにしていた。
部下の男たちは、椅子に腰掛けて足を組むヒルデの、秘部が隠れていると言っていいのかわからないほど極小な緑鎧に包まれた体を見て、生唾を飲んでいる。
だが、厭らしい目線ではなく、畏怖の目線だ。
ヒルデは魔王軍の中でも特に部下思いの将軍である。
数ある魔族同士の内乱では、たとえ負け戦になってもダークエルフの部下を絶対見捨てたりしない将だった。
その戦いのすべてで傷を負い、その筋肉には数限りない痕が残っているが、一つ一つが部下の命を救った勲章でもある。
だから、この砦でヒルデに欲情して襲いかかる阿呆はいない。
その体のあちこちに残された傷を見て、将の強さに陶酔する者の眼差しを送るだけだ。
「斥候は準備できていますかぁ~?」
「はっ、直ちに」
「私も推参します~。魔術師達と救護班もスタンバイさせておいてくださいね~」
「ヒルデ様の仰せのままに」
「ふふふ。みなさんの主は魔王ですから、そんなにひれ伏さないでいいんですからねぇ~」
「いいえ。我々ダークエルフの戦士は、命すべてをヒルデ様に差し上げております!」
「そうだ! ヒルデのために!」
「ヒルデ様のために!!」
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