第2話 セイヤーは困惑した。

 渡部わたべ聖也せいやは状況の理解に努めた。


 ここはどこだ。


 彼が知るどこの海外の様式にも当てはまらないが、西洋風の建物の中だとわかる。


 自分を取り囲む西洋人の格好は、一言で表すなら「古い」だ。まるで西洋の古典舞台の役者を見ているような気にさせられる。


 足元の大理石は凸凹していて、ちゃんとした加工技術がないことがわかる。その大理石の上にはなにで描かれたのかわからないが、奇っ怪な紋様があった。


 なんでこんなところに自分がいるのか、とんと記憶にない。


 いつの間にか金目当てに拉致でもされたか?


 よくよく見ると自分を取り囲む者たちの中には、中世風の騎士然とした武具を装備している者たちもいた。その者達は抜き身の剣の柄に手をかけている。


 聖也は運動音痴であるが、天才である。


 自分がどう動けば相手がどのように反応をするのか瞬時に察する「高次予測」とも呼べる思考力を元に、つたない体を動かせば、敵の攻撃を回避することは可能だろう。


 が、並の人間以下の体力しかない聖也に反撃は出来ないし、持続力もない。つまりこの状況で勝ち目はない。


 なにをされるのかと息を潜めているが、聖也を取り囲む西洋人たちは全く話しかけてこない。それどころか逆に怯えているようにも見えた。


『心理学も勉強しておくべきだったな』


 「働かずに生きていくために必要なこと」しかインプットしてこなかったことを悔やみつつ、自分を囲む人々の様子を観察していると、意を決したように一人の女性が前に進み出てきた。


 金髪碧眼。


 白い肌は透明かと思うほど澄んでいて、サテン生地に似た質感のドレスは実に高価そうな宝石が散りばめられている。


 おそらく美女だ。


 西洋人の顔の美醜に興味がない聖也にはわからないが、多分、美女だ。


 人付き合いがない=彼女もいなかった=聖也は、「なんという乳か」と思わず口に出かかった。それほどに豊満な胸部は、ドレスに抑圧されていても尚、たゆんたゆんしていた。


「ようこそいらっしゃいました、勇者様」


 金髪碧眼の美女が軽く頭を下げる。


 姿勢は正しく、すべてに品格が伺える。


「私は────「状況を説明してもらいたい」


 聖也は美女の言葉を遮って静かな声で言った。


「は、はい。そのつもりですが、まずは名乗らせて頂ければ………」


 これが人付き合いの悪さの最たる例だろう。


 人と話をするのに相手のことを知ろうとはしない。必要なことは純然たる客観的データだけ………これでは人がついてこない。クーデターにも似た状況になって会社を追い出されるのも当然だろう。


「すまん。名乗っていただこう」


「は、はい」


 女性は安堵したように顔に笑みを浮かべると、スカートを少し持ち上げて一礼した。


「私はディレ帝国第ニ王女、エヴゲニーヤと申します。どうか親しみと共にエーヴァと及びください、勇者様」


「………」


 聖也は「そんな国はない」と口ごもった。


 聖也の知識では、ディレ帝国という国名は地球上にない。


 それなのに、この女性の名前はロシア方面の単語だし、完全に西洋顔をしている女性が流暢に日本語を喋っているところにも違和感があった。


 口の動きを凝視したが、誰かがアテレコしているわけでもなく、完全に自分の口で日本語を話している。


 ここは一体なんなのか。それを知るためにも聖也は早く名乗り、早く状況説明してもらうことにした。


「私は渡部わたべ聖也せいやだ」


 です。ます。といった敬語が使えないのは聖也の悪い癖だった。


 誰にでも対等に付き合おうとすると両親と話すように、常にこういう言い方になってしまうのだ。


「ワトァベェーセイヤー………」


「そこは西洋訛なのか」


「セイヨウというものはわかりませんが、私達の発音では勇者様のお名前をお呼びしにくく………無作法をお許し下さい」


「好きに呼んでくれていいから状況の説明を………」


「で、では、僭越ながらセイヤー様とお呼び致します」


「わかった。で、状況の────」


「まずは落ち着かれたほうがよろしいかと思いますので、お茶を準備させますわ。それと、セイヤー様」


「?」


 お茶はいいから説明を、と言おうとした聖也………セイヤーは、エーヴァという女性が少し顔を赤くしていることに気がついた。


「どうかお召し物を」


『思い出した。私は家で風呂に入っていたな。目の前が真っ暗になったので、湯あたりでもして気を失ったのかと思っていたが、そのままここに来たということか。なるほど………なるほど………』


 セイヤーは偉そうに仁王立ちになっていたことを恥じ入るように、徐々に内股になっていった。











 天才にも人並みの羞恥心があることを晒したセイヤーは、別室でガウンを羽織り、エーヴァと一対一で状況確認することになった。


 もちろん部屋の隅には護衛のような男たちやメイドが立ち並んでいるが、物音一つ立てず、人形のように虚空を見つめて存在感を消している。かなり訓練されている。


『こういうハウスキーパーが欲しい。うちのはいろいろやかましい』


 セイヤーはふむふむと部屋の中を確認し、早速状況説明を受けた。


 どこかの国に呼ばれた別の勇者は、状況把握にかなりの時間を要したが、セイヤーはいくつかの質問を交わしただけで理解する。まさに一を聞いて十を知る感じだ。


 エーヴァは何週間も掛けて納得させようと構えていたが、実に3時間もかからずセイヤーは状況を把握できていた。


 ここが異世界であること。


 人間側の三大国家が魔族の魔王軍と戦争していること。


 三大国家が時期を合わせてそれぞれの王家に伝わる儀式で勇者召喚を行った事。


 その結果、この国ではセイヤーが魔王討伐の勇者として召喚されたこと。


 しかし勇者としての特殊能力は個々によって違うので、根気よく調べなければならないこと。


 魔王を倒したとしても元の世界には帰れないこと。


 文化、文明、価値観、制度………この世界で生きていくのに今必要なことで、今重要だと思えることはすべて確認できた。


「セイヤー様は飲み込みが早くて、私はびっくりしてしまいました」


 エーヴァは本気で驚いていた。もし自分が異世界に強制的に召喚されたとしたら、セイヤーほど冷静に物事を捉えることなど出来ないだろう、と。


「理解はしたが、不本意ながら言わなければならないことがある」


 セイヤーはエーヴァの碧眼を覗き込むようにして、真剣な顔で言った。


「私は若くない。世間一般にいうただのおっさんだ。培った武力もないし、武術の経験もない。戦うための天性の才能とやらも見込みはない。そして自分で言うのも何だが、私は人付き合いが苦手で、経営以外のことについては無能な………人格破綻者だと言う者もいた」


「………」


「次は若く逞しい正義感溢れる勇者を召喚したほうがいい」


「次はありません。異世界から勇者を召喚するには星のタイミングがあるのです」


「………そうか」


「それに、セイヤー様」


「ん?」


「私は若くて性欲持て余し気味な青二才より、枯れかけた男性の方が素敵だと思います。あ、すいません。私【枯れ専】なので」


「今なんて言った?」


 セイヤーは異世界の西洋人顔から、とんでもないパワーワードが飛び出してきたので自分の耳を疑った。

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