第16話 ジューンは旧神と戦う。

『では、かかってくるがよい』


 テミスに促され、ジューンは少し曲がってしまった愛剣を構えた。


 目の前には巨人のスネがある。


 この女巨人、いや、旧神は、乳房と股間、両腕の肘から先、膝から下に黄金色の鎧を付けている。


 スネの装甲に一撃与えてどれくらい通じるのか確かめ、もし通用しなかったら生身部分を攻撃してみよう────ジューンは短く息を吐いて全力を出した。


 真紅の衣が赤光を放つほどの空気抵抗を受ける。


 空気の壁が粘着くように全身を絡め取るが、それでもジューンは空気の層を切り飛ばすようにして走った。


 クシャナやエリゴスから見るとワープと変わらないほどの超高速移動で、ジューンが動いた後に遅れて衝撃波が玄室を満たした。


 そして空間すら叩き割ってしまう一撃が女神のスネに当たるや、愛剣は炭でも叩き割ったかのように粉々に砕け散った。


 テミスは動じない。


「効かないか!?」


 初めてジューンが焦りを感じるや否や、玄室中にテミスの悲鳴がこだました。


 黄金のすね当ては氷を砕いたようにパァンと音を立てて飛び散り、女巨人のスネがみるみる真っ赤に腫れ上がる。


 スネを抱え、大股広げて転がりまわるテミスのあられもない姿を見ないようにしてジューンは退いた。


 人間も「弁慶の泣き所」を強く打たれたらこうなる。神に通じるとは思わなかったが。


『痛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!』


 テミスはボロボロと泣きながら転げ回っている。


 自慢の愛刀などそのあたりに放り投げているが、それほどの痛みに襲われているのだろう。


 むしろ、空間も叩き割るような一撃を受けてそれで済んでいるのが「さすが神」なのだが、クシャナとエリゴスはその様子を見て「あのおっさん、神も倒した」と唖然となっていた。


「クシャナ、なんか可愛そうだから治癒魔法かけてやってくれないか」


「神にかわいそうとか………というより魔法が神に効くかしら………」


 言いながら、おずおずと前に出てテミスに治癒魔法をかけると、泣きながら転げ回っていた女神様は『ふーふーふー』と肩で息をしながら上体を起こした。


『ありがとう。ほんと痛かった』


 急に喋り方が俗っぽくなるところはエリゴスみたいだった。


『これ絶対ヒビとか入ったわ』


「すいません、本気でやりました」


 ジューンは少し頭を下げた。


『剣がまともなやつだっらた私の足切り飛ばされていたわね。なんなの、あなた』


「テミス様! 私からご説明申し上げます!!」


 クシャナが片膝をついて低頭する。


「この男は我々リンド王朝が魔王討伐のために異世界から呼び出した【勇者】でございます」


『ほう。勇者………神々の戦いの時にもそういう輩がいたせいで我々ティターン族は大敗して地の底に幽閉されてしまった』


「た、大変な失礼をお詫びいたします! しかしながらこの男は世界のために必要でして、どうか寛大な御慈悲を!!」


『私が罰でも与える前提で話しているようだが、何もせぬよ。むしろ挑ませたのは私だ』


 テミスはあぐらをかき、長い髪を掻き上げるようにして背に回した。


『近くにおいで』


 手招きされたジューンは近寄ろうとする以前に、ひょいと片手で持ち上げられて、あぐらの間に突っ込まれた。


「………」


 女のあぐらの上に座るような姿勢にされた。しかも対面座位風に。


 いい年したおっさんがされる行為ではない。それにテミスは巨人とは言え、見た目は20代前半くらいのうら若き美女なのだ。これはかなり恥ずかしい。


『気に入ったぞ。名は?』


「ジューンです」


真名まなを聞いている』


 本名のことだろうか。


「小野淳之介ですが………」


『なるほど。ではそなたにテミスの名を授けよう。今後はジューン・テミスと名乗るがよい。真名でいうと小野・テミス・淳之介かな?』


「…………」


 なんでこの女神様は日本名の苗字と名前の区切りがわかっているのだろうか。


 それよりも、そのミドルネームが恥かしい。


 海外の血など一滴たりとも入っていないのに急にハーフ感がでてしまう。


「「女神様!?」」


 ジューンが眉間に皺を寄せながら唸っていると、クシャナとエリゴスが悲鳴を上げた。


「あ、貴女様の名を人間に授けると言うのですか!!」


『私の加護を与えるのだから当然だろう?』


「う、嘘でしょ……」


 クシャナはへなへなとしゃがみこんで白目を剥いた。


 その横でエリゴスは放心し、同じように白目を剥いて立ち尽くしている。


 ただ加護をもらっただけで随分と過剰な反応だな、とジューンは眉を寄せて二人を見下ろす。


『なんだ。お前たちもこの男を狙っていたのか?』


 テミスは見せつけるように自分の膝の上に座らせたジューンを抱きしめた。


 胸を隠す鎧との間に押しつぶされるかと思いきや、豊満な胸の柔らかな肉に埋没して痛くなかった。むしろ肉の中に埋もれていく感覚は、まるで胎児に戻って母体に還る解脱のような気分にさせた。


 これが母性に癒されたい男にとっての究極系なのだろうが、おっさんであるジューンは「バブみを感じてオギャる」というパワーワードを知らなかった。


『私の名を与えたということが、どういうことか分かるか?』


 テミスはどこか悪戯者のような表情を浮かべながら尋ねてきた。


「加護がもらえると今聞きましたが」


 もちろんどんな加護なのかは知らない。


『それもあるが────私とお主は夫婦になったということだ』


「 」


 ジューンは白目を剥いた。

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