第17話 ジューンは人生の辛みを知っている。

「ちょっと待ってください。結婚ですか!?」


『私では不満か? 幽閉されているが女神だぞ?』


 テミスは悪戯っぽく笑う。


「いえ、そういうことではなく………」


『ははぁん。この穴蔵で暮らすのが嫌なのか。それは理解している。ここをついの棲み家として、たまに戻ってきてくれればいい。私は健気な女だからいつまででも待つぞ』


「いや、そういうことでもなく………」


『ははぁん。わかったわかった。アレだな? 夜の営みが不安なんだろう? 安心していい。私はサイズ変更が可能だ』


 シュルシュルとテミスは小さくなり、ジューンより小柄な背丈になった。どういうわけか鎧も全部小さくなっている。


 これが神の御業ってやつか………。


 物理法則とかガン無視するその能力に、真っ当に戦っても勝ち目などないだろう。


 初見でなんとか出来たのはまさに奇跡なのかもしれない。


 そんな小柄な背丈になったテミスのあぐらをかいた足の上に、対面座位でジューンは座っている。図的には男と女の立ち位置が逆だが、完全にアウトだった。


 慌てて離れようとしたが、凄まじい力で抱き止められて動けない。


 あのジューンが、だ。


「というわけで旦那様よ。さっさと魔王とやらを倒して戻って来るがいい」


 先程から頭に直接響いてくるような喋り方だったのが、普通の声として耳に入ってくる。


「結婚の話はちょっと考えさせてください。いきなり過ぎて」


「では婚約ということにしよう」


「女神様! それは困ります! 私が正妻なのですから!」


 クシャナが真っ青な顔で叫ぶ。


「ほう。旧神などと呼ばれて蔑まれているようだが、それでも私は神だぞ。その神を前にして抗うというのか、人間の女よ」


「はい。殺されても将来のため! 私は正妻の座を譲るつもりはございません!」


「いや、正妻にした覚えはないぞ」


 ジューンはいつの間にか既成事実を作られそうになっていたので、はっきりと否定した。


「私は第二婦人ですから……あの、女神様は第三婦人ということに」


 エリゴスが余計なことを言い加えたので、テミスはキッとジューンを睨みつけた。


「この私が三番手だとか許しがたいことを言っているあの魔族は消し飛ばしていいな? なに、あんなものよりのほうがいいから安心せい」


「なんのの話をしているのかしりませんが、消し飛ばすとかやめてください。あと離してください。って、なんだこのモテ期……」


 40過ぎて、異世界で突然やってきたモテ期。


 しかし、残念ながら女神テミスを含め、クシャナもエリゴスも、見た目が若すぎて恋愛対象にするには罪悪感すらある。


 年齢がジューンに近しかったとしても「なんで今更そんな年食った女と結婚しなきゃならないんだ」という気持ちもあり、矛盾しているとは思っているが要するに言い訳だ。


 若かろうが年を食っていようが「惚れる」女がいないのだ。


 長年独り身だったせいで「好いた惚れた」という感覚は消失していたし、性欲も枯渇している。


 家庭に対するあこがれも、結婚していった男たちから聞かされる愚痴の数々によって打ち砕かれている。


 やれ、小遣いを減らされた。


 やれ、付き合いで飲みに行ったら怒られた。


 やれ、専業主婦なのに家事を半々にしようとする。


 やれ、権利を主張するが義務は果たさない。


 やれ、付き合い長くて営む気力もない。


 そんな愚痴を言う奴らは、どいつもこいつも文句は言いながらも、どこか嬉しそうに見えた。実際嫌なら離婚でもすればいいのにと思うが、誰もそんな極端なことはしない。


 結婚とはそういう不思議な「なにか」なのだろう。


 その不安要素をジューンは自分に受け入れられなかった。


 独り身は自由だ。


 家の中に他人がいない。相手のことを気にする必要もない。


 稼いだ金を自分の好きなように使えるし、ハプニングはなにもない。


 だから、単調で平和な日々。


 ────ちょっと聞いて聞いて。今日こんなことがあってね………


 ────近くに新しい店ができたら行ってみない?


 ────これ、欲しそうにしてたから買ってきたけど、どう?


 ────ごめーん、お皿割っちゃったから新しいの買ってきたけど見てくれる?


 若い頃、同棲までした彼女がいたことがある。


 あのときは彼女の存在は、自分の家の中で煩わしくも思え、しかし毎日が新鮮だった。


 自分では起きないハプニングがもたらされ、話題は尽きなかった。


 最大のハプニングは、そんな自分の家の自分たちのベッドで、裸の彼女が知らない男と抱き合っていたのを目撃したことだが。


 ジューンは歳のせいでただ枯れているわけではない。


 女性を避けるようになった理由があるのだ。


 あの時、血の涙が流れそうだった辛さは、もういらない。


『魔王倒したら面倒事になる前にどこか遠くの山の中にでも行って、木こりでもしながら細々と暮らそう………それがきっと俺の幸せだ』

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