第9話 ジューンは魔族とサシで戦う。

 女魔族は、黒と赤紫色のドレスを金魚の尾びれのようにゆらゆらとさせながら、コウモリのような皮膜の翼をゆったり動かしている。


 羽ばたいて空中に停止しているわけではなさそうだ。飛ぶための魔法だろう。


 下から見上げると、スカートの中のドロワーズが丸見えなので、ジューンは少し目を背けた。


「フハハハハハ! 恐れているな! 我が名はエリゴス! その真紅の衣を餞別に、ここで死ぬがいい!!」


 別に恐れているわけではないジューンは「うーん?」と唸った。


「なんでこの鎧を着る前に来なかったんだ?」


「フハハハハハ! 間に合わなかっただけだ!!」


「俺が来る時の罠でも張ってたのか?」


「フハハハハハ! 普段はここを【マジック・アイ】という魔法生物で監視しているのだが、丁度昼食を摂っていたので気付くのが遅れたのだ!!」


「で、ワープしてきた、と?」


「フハハハハハ! 我にそのような血統魔法はない! 飛んできてやったわ!!」


『なんか、こいつ面白いな』


 以前、王都に攻めてきた魔王軍にも当然魔族が何人もいたはずだが、一閃のもとに蹴散らしてしまったので、こうして話までするのは初めてだ。


「フハハハハハ! 伝説の鎧という仮初かりそめの力を手にしても、決して貴様は私に勝てない! 絶望しろ! 泣け! 喚け! 叫べ!」


「こんなテンプレ的な悪役のセリフ、初めて生で聞いた」


 ジューンは苦笑しながらクシャナの前に立った。


 ジューンと違ってクシャナは震え、本気で恐怖していた。


 ジューンにとっては猫の首を掴んで放り投げるくらい簡単な相手でも、クシャナにとって魔族は高次元生体体の成れの果て…………堕天した天使の子孫なのだ。


 実際、とても人間が敵うような相手ではない。


 尋常ならざる運動能力と身体能力で、剣を振れば鎧ごと真っ二つにし、剣を当てても肌に毛先ほどの傷一つ入れることも適わない。さらに高い魔法防御能力でほとんどの魔法が防がれる………魔族一人を倒すのに、王朝の精鋭騎士が数百人命を掛けてもまだ危険だと言われている。


 そんな化物を相手に、ジューンは足元にあった小石を手にした。


「フハハハハハ! 飛ぶことも出来ぬ矮小な人間風情が────え、ちょっ」


 ガラスが割れるような音がして、女魔族エリゴスの顔の横を小石が掠めていった。


 それは洞窟の天井に当たり、いくつかの岩盤に穴を開けて粉々になった。


「外したか」


 投石はまだ。コントロール不足なのは致し方ないことだった。


「ち、ちょっと待って。今何をしたの!? 私の魔法障壁が全部吹っ飛んだんだけど!!」


 女魔族エリゴスは焦っているせいか、口調が変わっていた。いや、こちらが素の口調なのだろう。


 ジューンは次の手頃な石ころを探しながら、恐怖で固まっていたクシャナに小声で問いかけた。


『クシャナ、魔法障壁ってなんだ?』


『ま、魔族は魔力が多いので、その魔力を使って魔法や物理攻撃を防ぐ結界を張ってるのよ………なんで石ころ一つでそれを吹っ飛ばせたのかわかんないけど』


 圧倒的な力を見せられ、幾分かクシャナの恐怖は和らいでいた。


 ただ単に尋常ならざる力で石を投げたので、魔法障壁が耐えられなかっただけだが、その答えを知る者はここにいない。


「とりあえず殺すか」


 敵は殺す。例え若い女であろうとも。


 普通の現代日本人は、そう簡単に割り切れたものではない。


 だが、ジューンはこの世界に来て半年くらいで割り切ることに成功した。剣術を教えてくれた師範に、考え方を叩き直されたからだ。


 ここは平和ボケした現代日本ではない。


 殺るか殺られるかという点では戦国時代に近い。


 王都でも王侯貴族たちが、たかだかちょっとした利権のために、平気で同国の者を毒殺や暗殺する。人の命が軽い世界だから、敵に情を持つなんて言語道断。そんな甘いことをしているとこちらが殺される────ここはゲームのように甘い世界ではないのだ。


「よし、これで────あれ?」


 手頃な小石を拾って向き直ると、女魔族エリゴスは地面に降りて土下座敢行中だった。


「い、命だけは、どうか! お許しを!!」


「弱すぎじゃないか」


 白けてしまったジューンが言うと、クシャナは「あなたが異常なのよ」と呟いた。

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