第7話 ジューンはまだ枯れていない。

「しくじった」


 ジューンは異世界に来て、初めて自分の短慮さに落ち込んだ。


 クシャナとの二人旅。


 それはまだ若く、そしてハリウッド女優だと言われても頷けるほど魅力的な外見をした女性と、40過ぎたくたびれたおっさんとの二人旅ということだ。


 しかも現代日本と違って交通機関が発達していたり宿がそこらじゅうにあるような世界ではない。何日も歩き、野宿を繰り返すなんてだ。


 そんな過酷な旅路でジューンは「このは俺の加齢臭に耐えられるんだろうか」とビクビクしていた。


 一度会社で若い女性スタッフに「小野さんの加齢臭が……」と陰で悪口を言われていると知ってからというもの、トラウマになっているのだ。


「暑いわね」


 クシャナはローブの前を開けて、首から胸元にかけてのボタンを外し、胸の谷間を伝う汗を無造作に拭い始めた。


 ジューンに加齢臭があるとしたら、クシャナには男を惑わすフェロモンがある。


 いくら西洋人に欲情しないジューンでも、露骨にそういう部位を見せられたら鼻息が荒くなってしまう程度には男の性が残っている。


「こらこら。男の前で谷間見せるんじゃない」


「エロい?」


「自分で言うなよ。俺が思春期だったり性欲もてあまし気味だったら、今頃お前、とんでもない目にあってるぞ」


「あら? うちの国の淡白な勇者様に、そーんな精力的な一面が?」


 クシャナは小馬鹿にするように言う。


 確かにジューンはこの一年、アホの子のように反復練習を繰り返す努力の人ではあったが、勇者という特殊な立ち位置や己の力を誇示することもなく、金や権力や女に一切関心を示さなかった。


 むしろ、ジューンの力や立ち位置からして、尊大にならないほうがおかしい。欲にまったく溺れない聖人君子ならともなく、ジューンは別の世界では「ただの人」だったはずだ。


 それがクシャナとしては不思議で仕方ない。


 ジューンがこの一年間で唯一わがままを言ったのは「武器を探す旅に出る」と言い出して、こうやって旅していることくらいのものだ。


 しかも旅路でも酒や女に溺れたりすることは一度もないし、クシャナに対しても紳士的に、いや、まるで親戚の姪っ子に接するかのような「大人」の対応だった。


「と言うか、ジューンは私のような女はタイプではないみたいね」


「ん? どうしてそう思うんだ」


「だって、全然私をエロ目線で見ないじゃない。なにそのお父さん的な圧倒的保護者感は」


「あのな。俺、40過ぎたおっさんだぞ。若い女の子を見ただけでハアハア言うほど若くないんだ」


「私じゃ勃起しないってこと!?」


「うおい! 他に人がいないからって、そんなはしたないことを言うな!」


「…………不能?」


「俺の股間に向かって言うな! てか、まだもうちょっとは頑張れる」


「へー。ふーん。ふふん。なら、いいけどー」


 なにが言いたいんだよと思いながら、ジューンは道なき道を進む。


 ここはリンド王朝南西部にある霊峰ヴァーリ。


 活火山だ。


 冒険者によって探索された結果、この火山には勇者しか扱えない「真紅の衣」がある………ということでジューンとクシャナは馬車を乗り継いで、王都から5日も掛けてやってきた。


 さすがに火山というだけあって、あちこちに硫黄の匂いは立ち込めているし、地熱で暑い。


 木々が少ない代わりにゴツゴツした岩場ばかりで足場も悪い。


『ゲームだと固定のレアアイテムの前には、ガードマン的なモンスターがいたりするんだが』


 ジューンは腰に刺した最高級品の剣の柄に手をかけた。


 本気で振ればこの剣も一発でただの鉄くずになるのだが、今は相棒だ。


「きゃっ」


 岩場に足を取られたクシャナが倒れ込んでくる。


「おっと」


 クシャナに指摘されたとおり「親戚の娘っ子を預かってる気分」という保護感覚が強いジューンは、例え躓いたクシャナを抱き止めた時に案外大きな乳房を鷲掴みにしていたとしても「あ、すまんすまん」と言うだけで気にも止めなかった。


「えー、それだけ!?」


「え、もっと謝ったほうがいいのか? てか………ブラしてないのか?」


「ブラ?」


「………こっちの世界にはないのか」


「ブラ?とかどうでもいい! 魔法局の男連中とか王都の騎士達は、私の大きな胸を見てにやにやするくらい人気なのよ!? 直接触った人なんて誰もいないというのに、その栄光を、もっと、こう、なんか、あるでしょ! 男だったらあるでしょ!!」


 クシャナは手をわきわきと動かしながら吠えた。


 魔法局のエリートだと言うだけあって、いろいろプライドが高い。


 男から女として迫られるのを嫌い、かといって女として見られないのも沽券に関わる。だが仕事では性別など関係なしに活躍したい。そんな矛盾を抱えているようだ。


「いや、すまん。おっぱいさわったくらいでアタフタウキウキするほど若くないんだ」


「枯れすぎじゃない? 私のじゃダメってこと?」


 ジューンの手は大きい方だ。


 クシャナの乳房を掴んでしまった時、その手から余りある肉塊がはみ出したのはわかった。


 ボリューム感からすると、ロケット型ではなく巨大な肉まんのようなしたおっぱいだろう。


「お前は俺に何を求めているんだ。まさか抱いてくれとか言い出すんじゃないだろうな」


「あら。あなたが魔王を倒すのはもう確定路線だし………そんな勇者様の血筋を残せるとなったら、そこから生じる利権はとてつもないでしょうね。きっと国の女たちが、砂糖水に集まるアリのように集まってくるわよ」


「アリ………」


「もしくは魔王を倒せる男を放置するのは怖いってことになって、人知れず殺されるか………」


「怖いこと言うなよ」


「させないわよ、そんなこと」


 クシャナはグッと拳を握りしめた。


 真紅の衣があると言われている洞窟までもう少しだ。


 ジューンは「魔王を倒したら俺、人知れずどこかに消えよう」と思いながら、歩を進めた。

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