#037 囚われのヒトミ

「お待たせ、ヒトミさん。ちょっと、うしろをから失礼するね」


 意気揚々と迷宮ラビリンスゾーンから帰ってきたためすくんが、”ビホルダー”のフレンドの後方に立つ。手には資材置き場から持ってきた何かを下げていた。


「あ、あら! マスター。いやですわ、わたくしったら……。年甲斐もなくドキドキしてしまいますわね」

「これなら風に流されることもなく、ゆっくり休めるはずだ」


 そう語って手にした清掃用の青いバケツを逆さまにする。上から被せるようにゆっくりと、ヒトミさんを容器の中に収めた。


「な、なんですの、マスター! 前がよく見えませんわよ。い、いけませんわ! 急に視界を奪って、何をなされるおつもりですの?」


 勘違いしているヒトミさんを無視して、背もたれに結んでいる糸を解く。

 それから、”ビホルダー”のフレンドを中に入れたまま、バケツの口をレンガの床で塞いだ。


「ああ、暗い! 暗いですわ! こんな大胆なプレイ、わたくし初めてですのよ……」


 なんだかすっかりひとりで盛り上がっているヒトミさん。

 けれど、バケツの内側から聞こえてくる、くぐもった声が時間とともに小さくなっていった。

 やがて、その声も途絶えゴンゴンとバケツを打ち付ける鈍い音だけが散発的に聞こえてくる


「あれ?」


 完全に音が消えたとき、試くんがなにやら不思議そうな表情を浮かべた。


「寝ちゃったのかな、ヒトミさん……」


 男の子がのんきな声で見当違いな感想を口にする。

 さすがに放おっておけなくなったのか、アイちゃんがバケツを両手でつかみ、一息に高く持ち上げた。

 親があんなのでも里心はつくものなのね。


「…………ハァ、ハァ、ハァ」


 激しい息遣いを見せながら、まるでガスが減ったバルーンのようにしなびているヒトミさん。さすがにその姿は少しばかり同情を覚えた。


「ど、どうだったかな?」

「マスター。わたくし、こういうのも決して嫌いではありません。ですけれども……」

「けれども?」

「……すごく息苦しいですわ」


 まあ、そうだねよ。

 結局、すべて仕切り直しである。


 あらためて椅子に腰掛けた試くん。

 わたしたちの前には片手に風船のヒモを握りしめたアイちゃんがいる。

 ようやくと元気を取り戻したヒトミさんが使い魔の頭上でふわふわ浮いていた。


「ひとつ、わたくしから提案がございますの」

「何かな? ヒトミさん」

「わたくしたちがナワバリとしている場所に網をかけていただけませんこと?」

「網ですか……」

「ええ、それでしたら、わたしくも風に流されて遠くに行くことがないと思いますわ」

「うーん……」


 ヒトミさんの提案に、ふたつ返事で答えることが出来ない試くん。

 どうかしたのかしら?

 彼女にしては結構、まともな意見だとわたしでも思ったのに……。


「意見としては真っ当で、おれも賛成なんだけど……」

「何か、問題でもあるの?」

「それを実行する業者がいないんだ。なにせ、地上ではミノタさんたちが連日の突貫工事を進めている。いま人間をダンジョンへ入れるわけにはいかない」

「ダンジョン内部に潜って網を張る人材か……あ!」

「どうした、由乃?」

「ひとり、心当たりがあるじゃない」


 ◇◇◇


 初めて入ったダンジョンの内部はどこか埃っぽく感じられた。


「いまは工事中で、地上付近からたくさん砂埃が舞い込んでいるからな。本当はもっと落ち着いた雰囲気なんだよ」

「あ、そうなんだね」

「もう少し深い階層なら影響は微塵もないさ」


 わたしたちは現場を確かめるため、地上にある出入り口のひとつからダンジョンにやってきた。ここは普段、ヒトミさんとアイちゃんがナワバリとしている場所であるらしい。


「それで、ぼくが呼ばれた理由はなんだい?」


 いまはわたしと試くん、ヒトミさんとアイちゃんのほかに、もうひとりフレンドが現場に来ている。

 頭には大きく膨らんだ濃紺のキャスケット帽。背中には同じような色合いのリュックサック。”蜘蛛女アラクネ”のフレンドであるタラちゃんこと、タランテラさんであった。


「ここから風が抜けていく方向に、糸で網を張ってもらいたいんだ」

「ふーん……。流れを読むと、必要なのは数箇所くらいだね」

「突然の話で悪いけど頼めるかな?」


 わたしたちはヒトミさんのナワバリのうち、工事現場へ繋がりそうな場所を蜘蛛の巣で塞ぐよう、タラちゃんに依頼した。


「マスターにはライムを助けてもらったからね。この程度の協力なら、たやすいことさ。あとはぼくの方でやっておくから、心配しなくていいよ」


 要請を快く受け入れてくれたタラちゃんが、さっそく通路のいたるところで蜘蛛の巣を張り巡らせる。その職人技をわたしたちは安心しながら見守っていた。


「これで大丈夫だろう。風や振動でヒトミさんが流されても、タランテラの張った網で捕まえられるはずだ。あとは起きたあとにアイちゃんが回収すればいい。糸は二週間くらい持つだろうから、それまでには工事も完了しているさ」

「ありがとうございます、マスター。これで今日からは安心して休めますわ……」


 ヒトミさんも自らの提案が受け入れられたとあって、今回ばかりは嬉しそうにしている。

 まあ、わたし的にはこれ以上、面倒くさい展開が続かなければ、それでいいのだ。早く、研究所に戻ってゆっくりしたい。


 ◇◇◇


 次の日、わたしたちは午前中の視察のため、迷宮ラビリンスゾーンへとおもむいた。

 陽光まぶしい工事現場では、昨日と同じくミノタさんの指揮の下、たくさんのモビルタロスが働いている。


「ご苦労様、ミノタさん。工事の進み具合はどう?」

「おはよう、マスター。今日もいい天気だね。工事以外のことをマスターがすばやく対応してくれたおかげで万事、滞りなく進んでいるよ」

「それを聞いて、安心したよ。納期は命よりも重いからね」

「イヤだな、マスター。そんな風にプレッシャーかけないでよ。また悪いことが起きちゃうよ」

「おっと、それだけは勘弁だな」


 ハッハッハ!

 爽やかな春の陽気にいざなわれ、ふたりは予定調和な会話を繰り広げていく。

 そのとき、ミノタさんの耳元へ一匹のウィリーウィリーが何かを告げるように飛来した。


「えっ……。それ、本当なの?」

「どうした、ミノタさん」

「あの、その……。き、昨日のフレンドがまた相談したいことがあるから、マスターに会わせてほしいって連絡が」


 試くんの表情が一瞬で曇天どんてんの空よりも暗くなった。


 ◇◇◇


 またしても迷宮庭園に臨時で設けられた相談室。その中でヒトミさんを待つわたしたち。隣にいる男の子は、明らかにイライラとした様子で不満を抱えていた。


「少しは落ち着いてよ。もしかしたら、昨日のお礼を言いにきただけかもしれないじゃない」

「そ、そうだな……。ちょっと神経質になりすぎているのかもしれない」

「落ち着きましょう。何事も平常心で当たるのが大切なんだからね」

「お、おう……」


 大きく深呼吸をした試くんがいつもの調子を取り戻す。

 そのタイミングで垣根の向こうからアイちゃんに引っ張られた、”ビホルダー”のフレンドが姿を現した。


「ヒトミさん、今日は何が……」


 視界に見えた相手の状態に驚き、思わず声を失う。

 宙に浮いているヒトミさんにはべっとりと蜘蛛の糸が張り付き、大きな眼球を網目状の糸が覆っていた。

 さらにひどいのが使い魔のアイちゃんで、女の子は頭や体、手足に至るまでたくさんの蜘蛛の巣を絡ませていた。


「あ、あの……。その姿は?」

「とりあえず、助けていただけます?」

「あ! は、はい! いますぐに」


 慌てて駆け寄り、ふたりで蜘蛛の巣を取り払うべく悪戦苦闘を繰り広げる。

 すべての糸を除くまで、ゆうに五分以上が経過した。


「どうしてこんなことに……」


 ようやく元通りとなったヒトミさんたちを目の前に、疲れた声で試くんがつぶやく。こんなはずではなかったという、落胆の気配がありありとうかがえた。


「今日は目が覚めたら、わたくしの体に糸が絡まっておりましたの」

「じゃあ、タランテラはキチンと仕事をしてくれたんだな」

「それを助けようとして、この子が蜘蛛の糸に近寄った途端、今度は自分自身が網にかかるという有様で……」


 よく考えれば、アイちゃんはフレンドではなく、ただの使い魔である。

 そんなに難しい動きが出来るわけではないのだ。


「絡まった糸を避けようとして動き回り、今度は別の糸に捕まるという悪循環が始まりましたの……」


 それがこの大量の蜘蛛の糸の真実というわけね……。

 部屋の隅に片付けられた、ひとかたまりの糸を見ながら事件のあらましを理解した。


「申し訳ない、ヒトミさん。おれの考えが甘かった……」


 事情を汲んだ試くんが大きく頭を下げる。

 これはあれだよね。『発注ミス』と言うやつだわ。

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