#036 マダム・ヒトミの事情
「ヒトミさん……。今日はどういった用件でここに?」
「その前に少しよろしいかしら」
試くんの声を遮って、ヒトミさんがわたしに視線を向ける。
やばい。すっごく睨まれている。
「先程もお尋ねいたしましたが、そこのあなた。もしかすると新人さん?」
「あ! は、はい。この春から勤務している”
慌てて自己紹介を済ませた。
「そうなの。まあ、入って間もないのでは、致し方ないのかもしれないけど……」
「あの……。なにか失礼でも?」
「あなた、お客様を迎えて、お茶のひとつも出さないおつもり?」
うわー……。
「ヒ、ヒトミさん。これは決して、あなたをないがしろにしたんじゃなくて」
「わかっておりますわよ、マスター。でも、わたくしはそちらのお嬢さんに答えをお聞かせ願いたいのです」
助力もむなしくヒトミさんは眼光を一層、鋭くしてわたしを責め立てる。
「……えっと。こ、ここは臨時の応接室で、お茶の用意が出来ないと言うか……」
「でしたら、ペットボトルの一本でも置いておくというのが、細やかな心づもりではありませんこと?」
「あ! は、はあ……。あの、申し訳ありません」
まるで蛇の生殺しである。とにかく眼力がすごい。
「ヒトミさん! 由乃は悪くないんだ……。その、おれがちゃんとしていないから」
「あらあら、顔をお上げくださいな、マスター。なんだか、わたくしが女の子をいじめているみたいじゃありませんこと? ねえ、由乃さん」
駄目だわ。このフレンド、めちゃくちゃ苦手かも……。
それにしたって、どうせお茶なんか出しても自分は飲めないじゃない。
「いま、どうやって飲むのかと思いましたわね」
「え! ど、どうして……。あ、いや、そんなことは決して」
「お顔を見れば、すぐわかりますわよ。わたくし、魔物のときから相手の顔色をうかがうことには定評がございましたから。目玉だけに」
やばい。なんなのよ、このフレンド!
さすがはゲームやTRPGでも中級者の壁と呼ばれるくらい上位のモンスターである。スペックが高い。
「たとえ飲めなくても、漂うお茶の香気で精神をほぐし、落ち着いた雰囲気で相手をリラックスさせる。そうした、ひとつひとつの積み重ねが話し合いを円滑に進める上での心がけというもの。ちがいまして、娘さん?」
茶道の『一期一会』みたいな教えを説き始めるヒトミさん。
語りに圧倒されたわたしが面食らっていると、いよいよ試くんが放っておけない感じで口を挟む。
「ヒ、ヒトミさん! スタッフの応対は今後の研修課題として真摯に取り込んでいくから、とりあえず今日のところはダンジョンの修復工事の問題を……ね?」
「ん……。マスターからそのようにお願いされますと、しょうがありませんわね。これ以上は控えさせていただきますわ」
「あ、ありがとうございます!」
ふたたび深々とお辞儀をする試くん。
彼の気持ちを無駄にしないため、わたしも感情を押し沈めながら頭を下げた。
ぐぬぬ……。これは天敵。
◇◇◇
ひと悶着をようやく終わらせ、わたしたちも席についた。
ここまでのやりとりですでに精神はクタクタとなっている。
「それで、ヒトミさん。相談内容というのは?」
「その前に、アイちゃん……。前に出てきなさい」
ヒトミさんが椅子のうしろに控えていた使い魔のアイちゃんをわたしたちの前に引き出す。
女の子は無表情な顔色を変えることもなく、言われるままに場所を移した。
「なぜ、この子が必要なのかと申しますと、わたくしの場合、ひとりでは移動が大変だからです」
まあ、そうでしょうね。見ればわかる。
「そして、疲れてくると、この子と一緒にダンジョンの片隅で眠りにつくわけですわ」
「あ……。寝るんだ、一応」
「眼精疲労は美貌の敵ですから! 若い頃のように無茶は出来ませんことよ!」
つい漏らした一言に、キッとした視線を投げかけられる。
確信したわ。わたしはなぜだか、ヒトミさんから嫌われている。
「で、いまのように起きていれば、アイちゃんもしっかりわたしを捕まえておいてくれるのですが、寝ている合間になぜだかいつも手を離してしまいますの」
まあ、子供なんだし、しょうがないよね。
「えっと、それが工事となんの関係が?」
「いつもはそれでもダンジョンの天井にぶつかり、何事もなく目が覚めるまで同じ場所に留まっております。ですが、いまは工事のせいで微弱な振動が壁に伝わり、そのまま体が流されてしまいますのよ」
「あー……。気圧のせいで風も出口に向かって吹くからか」
「気がつくと、この子とはぐれてしまって、前回などはダンジョンに開いた大穴から外に出てしまいました」
よく戻って来れたわね。意外にしぶとい
「そ、それは災難だったね。で、どうすればいいの?」
事情を考慮した上で試くんが対応策を訊いた。
「わたくしどもが寝ている間は工事を止めていただきたいのですわ」
「え! いや、それは……。いまはみんなが一丸となって、あの場所を元に戻そうと頑張っているので」
「あ、あの……」
恐る恐るに手を挙げてみる。
「寝ているときは、アイちゃんの腕に糸を巻き付けておけばいいんじゃないかしら?」
小声でそう提案してみた。
途端に注がれる厳しい視線。
「そのようなことはとっくに行っておりますわよ! でもなぜだか、この子が寝ている間にむずがって、いつもヒモを解いてしまうのです!」
ヒトミさん。微妙にアイちゃんからも嫌われておりませんかね……。
それにしても、宙に浮いている彼女の姿は実家の田んぼでよく見かける、鳥よけのバルーンにそっくりだった。多分、創造主である
「あ! そうだわ」
よせばいいのに、このようなときに限って気まぐれな天使が天啓を振りまく。
冷静になれば、落とし穴の前で墓穴を掘る行為に違いないのだけど、そのときのわたしは妙に舞い上がっていて、思いついたことをつい口にしてしまった。
「田んぼの鳥よけって、中に生米を入れておくのよ。それが重しになって遠くへ飛ばされるの防いでいるの。しかも、風で揺れると大きな音がして、余計に鳥が近づかないようになっている…………んですけど……」
すべてを語るよりも早く、ヒトミさんが血走った
その迫力にわたしは言いかけた言葉を思わず飲み込んだ。
「あなた、そう思うのなら、ご自身のまぶたに炊く前の生米を入れてご覧なさい? そのまま一晩、過ごせるかしら?」
「い、いえ、その……」
ヒトミさんが限界までヒモを延ばし、わたしの目の前に迫ってくる。
「もし、それで水晶体に傷でもついたら、どう責任を取るおつもり?」
近い近い近い。
圧が半端ないわね、このフレンド。
”目玉おやじ”って、あのサイズだからこそ、愛嬌が感じられるわけよ。
人の頭より大きい眼球とか、怖い以外の何者でもないわ。
「わかったよ、ヒトミさん。おれにひとついい考えがある」
わたしとヒトミさんのやり取りを横で見ていた試くんが、いきなり立ち上がった。それから足早に迷宮庭園を出て、工事現場の片隅にある資材管理場で何かを探している。
経験上、このパターンでうまくいった
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