#032 ボーン・アイデンティティ
「なにあれ……」
驚きに声を隠せなかった。
巨人の内側には、まるで壁に飾られたような状態で上半身のみを人の体にしたライムちゃんがいる。両腕と下半身の部分は薄く壁に張り付いたまま。緑色の膜は大きく広がり、魔物の両手足の方向へと伸びている。
「答えろ、キリ子。お前はどうやって、あの子を怪物の中に誘い込んだんだ!」
試くんはさらに語気を強めながら、理由を
その言葉にキリ子ちゃんは憂さを晴らすような勢いで声を荒げた。
「ふはははは! あいつは『自分の体で動けるようにしてやる』と言ったら、大喜びでわたしの計画に参加してくれたぞ! わたしは何も嘘はついていない。お前に代わって、あのフレンドの夢を叶えてみせただけだ。違うか、
「ああ、そうだな……」
「なんだ? わたしの言うことを認めるつもりか」
「認めるもクソもあるものか。ライムは自分の夢を叶えたかっただけだ。グズでノロマなおれの力を当てにはしないで……。おれには彼女を責める資格なんて有りはしないんだ」
少年の怒りは自分自身に向けられているものだった。
誰にだって夢はある。その夢を叶える自由も……。
ライムちゃんはただ自らの望みをキリ子ちゃんに託しただけなのだ。それはまだ寒い冬の日、試くんと約束を交わしたのと何も変わらない。
「だからこそ、おれは今日、ライムの願いを実現する……」
「はは、どうやってだ? あいつの体は、お前よりも遥かに優秀な
キリ子ちゃんは残酷な現実を男の子に突きつける。
だけど、試くんはもう
「当たり前だ! フレンドが埋さんの手によって安全な存在へと変えられたのなら、その代わりにこのおれがお前たちの夢や希望を叶えて見せる。それをやり遂げたとき、本当の意味でおれは
「ならば、いますぐにでもこいつに自由を与えてみろ! わたしのまやかしに過ぎない言葉へすがるような思いをぶつけてきた、この哀れな生き物にだ!」
「言われるまでもなく、いますぐ駆けつけてやる! そこで待っていろ!」
激情に駆られるまま、思いの丈を互いにぶつけ合うふたり。
どちらが本当に正しいかなど、自分にはわかるはずもない。
ただ、確実なことはひとつだけ。わたしは最後まで試くんを信じていく。
「バジー。お前たちを連れてきた、あの大きい使い魔を借りていいか?」
「好きにしろ。目的地さえ最初に決めておけば、おれ様の指示がなくても勝手に進んでいく」
「
「ん? そうだな。一〇〇キロ程度まではなんとか……」
「ふたりが限界か……。由乃、体重は四十五キロ以下か?」
いきなり、女の子には絶対、訊いてはいけないような質問を大声で尋ねてくる。
信じられない!
「どうなんだ? 大丈夫なら、おれに同行して欲しいんだが……。正直に答えてくれ。大事なことなんだ」
「え、えっと……。ギリギリ、セーフな感じで……」
「そうか。念の為におれの方の数字を二キロほど増やしておいたが、この感じなら問題なさそうだな」
ぶっとばすわよ!
しかも、密かにわたしがサバを読む前提で質問しているじゃない!
もう、絶対にやさしくなんてしてあげないからね!
「急いでくれ。ひとりでは無理なんだ」
わたしが
しぶしぶと庭園の方に向かい、相手を探した。そうすると試くんは早々にドラバーンへまたがり、いまにも飛び出さんとしている。
あー……。これはあれだな。絶対に自分が乗ってみたかっただけだよね……。
「いくぞ、由乃」
「もうわかったから、そんなにあせらないでよ……」
投げやりな気分で彼の後ろにまたがった。
どこにつかまろうかと一瞬、迷ったが、目の前にある男の子の背中に手を回すしかない。
普通ならドキドキのシチュエーションなんだけど、これから起こることを考えたら到底、ロマンチックな気分に浸れない。
「そういえば由乃、こいつの名前は?」
「あ! え、えっと……。ド、ドラバーン」
さっきまで普通に感じていたのに、あらためて声に出すと、なぜだかものすごく気恥ずかしい。これが中二感というやつなのね……。
「よし、いくぞドラバーン! テイクオフだ!」
試くんがてらいも迷いもなしに使い魔の名を大きく叫ぶ。
男の子って、とことん無邪気だわ。
騎乗者の命令を受け、ドラバーンがふたたび翼をはためかせる。
しばらく、ホバリングの状態でゆっくりと上昇を続けていき、ようやくと風を受けてわたしたちは大空に舞い上がった。
「すごいな! 本当に飛んでいる!」
「さっきもわたしたちが飛んでくるのを見てたでしょ?」
「実際に飛んでみるまでは信じられなかった」
面倒くさい性格ね……。
ドラバーンは巨人の近くまで飛んでいき、その周辺をぐるぐると飛んでいる。
ライムちゃんがいる場所はすぐ目の前だけど、なかなか降りようとしなかった。
「なんだ? 勝手に着陸してくれるんじゃないのか」
「多分、止まれる場所がないのよ。最初に来たときも結構、広い場所が必要だったわ」
「失速できないからか……。まいったな、このままじゃ、飛び降りるしかないぞ」
「無茶、言わないでよ」
「マスター、こっちだ! 可能な限り近づいて!」
わたしたちが対応を決めあぐねていると、どこからか声が聞こえた。
正体を求めると、巨人の背中から”
先んじて、ここを登ってきたのだろう。
「タランテラ! どうして?」
「ライムが心配で様子を見に来たんだ。そこに君たちが近づいてくるのが見えた。内部に巣を張っておいたから、できるだけ速度を落として飛び込んで!」
それから、ドラバーンの体に束ねた蜘蛛の糸を絡ませる。
失速して墜落を防ぐための命綱というわけね……。
糸の片方は巨人の首に繋がれていて、使い魔が周囲を旋回するうちに段々とテンションが張り詰めていった。
糸の長さと内部に仕掛けられた三重の蜘蛛の巣を確認して、試くんがいよいよ覚悟を決めたようにつぶやく。
「海軍方式かよ。突入しろ、ドラバーン!」
号令に使い魔が巨人の胸をめがけて降下を開始する。
内部に飛び込む瞬間、後ろ足を前方に伸ばし、翼を大きく広げて可能な限りに減速した。
束ねた糸が支えとなってドラバーンを巨人の胸の中に誘導していく。張られた蜘蛛の巣が勢いを受け止めるが、二番目までは衝撃を緩和しきれず糸は引きちぎられた。
最後の蜘蛛の巣でようやく使い魔の体は停止する。
「無事か? 由乃」
「な、なんとか大丈夫。それよりもドラバーンは?」
「問題ない。いまは糸が絡んでいるだけだ」
「この子がいないと、わたしたちここから脱出できないものね」
「ああ、そうだな。早いところ、ライムを助けてここを出よう」
ドラバーンから離れて、壁際に進む。そこには巨人に囚われた格好のライムちゃんがいた。上からはひとかたまりとなった蜘蛛の糸が通され、床には体の各所へつながるように細い糸がずっと延びていた。きっとライムちゃんの肉体も細く薄く伸ばされて、巨人の体の隅々に行き渡っているのだろう。
「マスター、ごめんなさい……」
「もういい。もういいんだ、ライム」
「でも、わたしは」
「悪いのは君じゃない。すべては自分だけで何かをできると思い込んでいた、おれの過ちだ。誰かと一緒に誰かのためを思って悩む。そんな当たり前のことすら知らなかった自分の無知が招いた失敗だ」
ライムちゃんが言いかけた言葉を試くんがすぐに遮る。
彼はズルい大人たちに囲まれて、他の誰かを信じることが出来なくなっていた。
それは罪ではない。けれど、自らの夢をただの少年に過ぎない試くんへ託した
その意味に試くんはようやく気づいたのだろう。
人はひとりでは生きていけないという、単純で明快な真実に……。
「おれはいまこそ、ライムと交わしたあの日の約束を果たす。だから、許してくれ」
「マスターはわたしとのやくそくをおぼえていてくれた。それだけでうれしい……」
「由乃、手伝ってくれ。二人同時で行わないといけないオペレーションなんだ」
そう言って、わたしに中身が白いリキッドで満たされた注射器を手渡す。
さらに担いでいたナップサックから集積器を取り出し、グリップの端から別のインジェクションキットを取り出した。そこにも同じように濃縮されたエクトプラズマが液状で満たされている。
「こいつをライムの胸部と腰部の中心へ同時に打ち込む。深く差し込んでくれ。容積の関係上、一本だけでは全骨格を形成することが無理なんだ」
「う、うん……。わかったわ。とにかく、タイミングを合わせて中身を投入すればいいのね。でも……」
「どうした?」
「聞いていた話だと、ライムちゃんにこれ以上、エクトプラズマを加えても全身が硬化するだけなんだよね。これは大丈夫なの?」
「だからこその新デバイスだ。これは集積器がエアーを排出する機構を利用して、フィンを回転させる。連動した二枚のプロペラによって、さらに大量の空気を集積器へ送り込むんだ。それによって、従来よりも高濃度のエクトプラズマ溶液を精製する」
試くんがなにやら難しい機構的な解説を行っているが、これはわたしもなんとなく知っている。お父さんがいまよりもヤンチャしていた若い頃、子守唄代わりに車高を落とした自家用車の自慢話をずっと聞かされていたからだ。
その中に出てくる”ターボチャージャー”というやつに原理が同じだった。
「えっと……。高濃度ってどれくらい?」
「従来より、約五パーセントの上昇」
「五パーって……。それで、どうにかなるものなのかしら」
「論より証拠だな。とにかく、やってみよう」
わたしと試くんが手にした注射器をライムちゃんの体に当てる。
試くんが前面から胸の中へ、わたしが背面から腰の位置まで注射器を深く差し込んだ。
中心部を想定して溶液を注ぎ込む。
内容物をすべて押し出し、静かに注射器を引き抜いた。
やがて、ライムちゃんの体に変化の兆しが訪れる。
薄く色づいた緑色の部分。透き通った肉体に白く濁った不透明な中心軸が生成されていく。まず背骨の部分が作られ、そこから伸びるように両腕、両足へと広がっていった。
「これでいい……。さあ、ライム。足を動かしてみろ」
「う、うん……」
ライムちゃんがおそるおそる硬さを保持した足の骨を動かす。
その周囲に肉となって張り付いたゼリー状の物質。
しっかりと石の床を踏みしめる。突端部が自重によって少しだけ潰れ、まるで足の甲みたいに膨らんだ。
さらにもう片方の足を動かし、張り付いていた壁際を離れる。
両腕も同じように骨と肉によって作り出され、ライムちゃんは自分の足でしっかりと地面に立っていた。
「うまくいった。硬さが異なる二層のエクトプラズマを用いることで、体を支える骨組みの部分と肉体を形取る外側を別々に形成する。いまは単純な棒状の骨組みだけだが、いずれはキチンとした骨格と関節で自由に歩けるようにしてみせるさ」
「マスター、ありがとう……」
ライムちゃんが腕を伸ばしたままヨチヨチ歩きで前に進み、男の子を見上げた。
試くんは膝を曲げて、おぼつかない足取りで近づいてくるフレンドの腕を取る。
「よかったな、ライム……。でも、これが最後じゃない。これからもおれが君たちの夢を実現して見せる。だから、どんな願いだって君は声にしていいんだ」
埋さんとの約束を果たした男の子は、やさしい表情で語りかけていく。
これは最初の一歩。フレンドたちの創造主たる万条目埋博士が築き上げた夢の楽園。その中で生きることを余儀なくされた人形のような少女たち。
彼女たちの夢と希望を果たすため、少年が歩んでいく長い道のりの始まりなのだ。
「マスター、大変だ! 急いでここを離れたほうがいい!」
「タランテラ? 何かあったのか!」
巨人の外側から、大慌てでタラちゃんが飛び込んできた。
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