#029 石のゴリアテ

 地面の揺れはまたたく間に激しくなっていき、もはや立っていることさえ困難になる。


「さあ目覚めよ! わたしの怪物フランケンシュタイン!」


 突発的に地面が跳ねた。

 冷静に考えれば、そのようなことはありえないのだが、あまりにも大きな振動にわたしはあっけなく姿勢を崩す。


「由乃!」


 斜めになった視界でためすくんがわたしの名前を叫んだ。

 声もむなしく、体はバランスを失って後方へと倒れ込んでいく。

 このままでは硬い石の地面に体を打ちつけてしまう。そう考えて全身を思いっきり強張らせ、固く目を閉じた。


「あ、あれ?」


 衝撃に備えていたわたしを包み込んだのは、まるで羽根布団のようなやさしい感触。


「大丈夫かい、由乃さん……」

「タ、タランテラちゃん?」


 まぶたを開けると、目の前にひとりのフレンドが居た。

 頭には大きく膨らんだキャスケット帽。背中に担いだ四対の足が付いた濃紺のリュックサック。”蜘蛛女アラクネ”のフレンドである、『タラちゃん』こと、タランテラさんだ。


「なんだか、地上でおかしなことが起こっていると思い、急いで出てきたんだ。間に合ってよかったよ……」

「そ、そういえば、わたし……。どうして?」


 何かに抱きかかえられるような不思議な感覚。

 うしろを見ると、わたしの体はタラちゃんによって急遽、張られた広い蜘蛛の巣に絡め取られていた。


「今日の獲物はキレイな蝶ならぬ、人間の女の子だね。フレンドの力で人ひとりを支えられるかどうか不安だったけど、うまくいってよかったよ」

「あ、ありがとう……。おかげで助かったわ」

「いやいや、きみが無事でなによりだ。それに、ぼくの巣を壊していた犯人もどうやらわかったみたいだね」


 あ、これ。ベクトルは違うけど、ミノタさんと同じラインのモテ系男子だわ。

 少しばかりドキドキしながら、地面に足をつける。

 体を真っ直ぐにして立ち上がると、実にあっさりと糸は体から離れた。

 滑りやすい縦糸のみで出来ていたのね。


「それしても、あれは一体、なんだ……?」


 タラちゃんが遠くを見上げて、あきれたようにつぶやいた。

 その声に導かれ、わたしも視線をキリ子ちゃんがいる方へ向ける。


「え? なによ、これは……」


 視界に映し出されたのは、いまにも起き上がろうと両腕を支えにして、上半身を浮かべている石造りの巨人だった。さらに立ち上がる準備なのか、片膝を曲げているのが確認できた。

 頭頂部、まるであつらえた王冠のように載せられているのは、タロスくんが中に入った円筒形のオブジェだ。

 キリ子ちゃんの姿がどこにも見当たらない。きっとタロスくんが、とらえられている円筒形のオブジェヘ一緒に入っていったのだろう。

 問題だった三角形のオブジェクトは、ちょうど巨人の胸の位置に張り付いている。

 まるで心臓を護る分厚い胸板のように思えた。

 あれ、こっちが操縦席じゃないのね?


「さあ、立ち上がれ! フランケン壱号! この地にふたたび魔物の恐怖を思い出させるのだ! おびえよ、人類! この魔界医師”ドクターキリ子”が撒き散らす恐怖の前に!」


 巨人の頭から大音量でキリ子ちゃんの楽しそうな声が聞こえてくる。

 もはや完全に悪役の台詞であった。満喫しているなあ……。


「由乃、大丈夫か?」

「あ、うん。平気だよ……。タランテラちゃんが守ってくれたから」

「そうか。とにかく、ここから離れよう。あの化物の近くにいるのは危険過ぎる」


 試くんが近くに駆け寄り、わたしの無事を確かめた。

 それから、緊急退避を呼びかける。確かに相手があのような規格外の存在を持ち出したのでは、容易に対処することは難しい。


「う、うん……。あんなの、わたしたちだけじゃどうしようもないよね」

「端末から地下迷宮の地図を手に入れて、石の壁組を使ってあの化物を創り上げたんだな。神経接続には蜘蛛の糸。小脳代わりの制御器官にはタロスを代用か……。コマンドをあの端末から入力して操作しているんだ。でも、まだ何か足りないな。それだけで、あの巨大な人型がああも自在に動けるわけが……」


 男の子が感慨深げな様子で、目の前の巨躯きょくを分析する。

 その声には単なる興味以上の羨望せんぼうが含まれているように聞こえた。

 どうしてこう男の子というのは大きい、強い、格好いいみたいなものに無条件で憧れるのだろうか。いま、そんな場合じゃないでしょうに……。


「ウソだろ……。あいつ、立ち上がるのか?」


 巨人の動きに驚いた様子を見せる。

 逃げる間もなく、石造りの魔物は二本の足で雄々しく大地を踏みしめた。

 見上げた角度は大きく、裏山の若い杉の木と似たような感じなので、高さは二〇メートル弱という印象を覚える。


「あの重さでよく足元がつぶれないな……。地面の方はさすがミノタさんという感じだが、化物の方はどうやって自重を支えている? まさかな……」

「感心している場合じゃないでしょ!」


 すっかり呆けている男の子に、わたしは大声で注意をうながした。

 理由は巨人が大きく腕を振り上げていたから。


「逃がすものか! 喰らえ、万条目試まんじょうめためす!」

「なんだ? この距離で届くわけが……」


 相互の距離を測って、巨人の拳が当たるわけないと判断している試くん。

 でも、その予想は魔物の想定外な動きによってあっさりくつがえされた。

 右手を振り上げたあと、今度は左足を浮かして大きく前方に踏み込む。

 一瞬にして巨人とわたしたちの距離は縮まり、放たれた右の拳が迫ってくる。

 

「やばい! この速さは……」


 避けようにも、すでに拳はスピードを増して目前に迫ってきていた。

 次の瞬間、わたしたちの横をすり抜け、ひとりの人物が敵の攻撃の前に立ちふさがる。

 なぞの人影は両腕を前方に伸ばし、手のひらを重ねて力強く石の拳を受け止めた。


「試様! ご無事で?」

千田河原せんだがわら、助かった!」


 わたしと試くんの危機を救ってくれたのは、このセンターの警備主任を務める千田河原さんだった。そして、最強クラスの退魔師という呼び声にふさわしく、巨人の一撃をその身ひとつで防いで見せる。


「なにやら、ただ事ならぬ気配を感じまして、馳せ参じました! すでに多くのフレンドがこの事態に気づいております」

「まあ、気づくよな……。影響が大きすぎる。それに、あの運動性は驚異だ」

「試様、取り急ぎ退避を。ここはわたくしめが支えます」

「いや、千田河原。いくらお前でもひとりでは無理だ。相手が巨大過ぎる」

「結界は生きております。あなたさえ無事なら、どれだけの犠牲を払おうと、また童呼原どこはらの再建は可能です」

「あいにくと、やつの狙いはこのおれのようだ。逃げれば追いかけてくる。それでは被害が余計に広がるだけさ」


 千田河原さんの懸命な説得にも試くんは応じなかった。

 確かにあれだけの巨体でありながら、高い機動性を見せる化物が相手では、戦禍が広がるばかりだろう。


「ここでやつを食い止める。センターにこれ以上の被害は許さない」

「試様……。了解いたしました! この千田河原宗久、命を賭けてあの魔物を打ち倒してみせましょう!」

「と言っても、この状況であいつを倒すのはさすがに至難の業だな。なんとかして弱体化させないと……。手ぶらで来たのは間違いだった」


 千田河原さんの参戦によって、戦況はにわかに持久戦へと変わりつつあった。

 巨人の攻撃は千田河原さんの防御を破ることが出来ない。でも、試くんの予想に従えば、いまのまま巨人を相手に戦うのはかなり不利であるという判断……。

 事実、両雄は互いに牽制しあったまま、しばらく睨み合っている。

 わたしがいま出来ることは何もない。そう感じていたとき。


「由乃、頼みがある」

「え? な、なに!」

「女の子をこんな危険な戦いに巻き込むのは気が引けるが……」

「そんなことない! わたしもみんなの力になりたいわよ!」

「だったら、研究所にもどって必要なものを取ってきてくれ」

「必要なもの?」


 試くんの言葉にわたしは思わずとまどった。

 いまこの場所を離れて研究所へ引き返すという選択に、どのような意味があるのかわからなかったからだ。


「おれはここを離れられない。フレンドは自由に動けず、他の一般職員は許可なしで建物に入ることは不可能な状態だ。だから、由乃に行ってもらうしかない」

「わかったわ。それで、何が必要なの?」

「ここへ来る前に組み上げた新デバイスと、携帯型のエクトプラズマ集積器。それとあとひとつ、机の引き出しの中に青写真ブループリントが入った円筒型のペーパーホルダーがある。その三つを持ってきてくれ」


 え? ちょっと待ってよ……。


「新しいデバイスと集積器は見ているからわかるけど、もうひとつの青写真ブループリントって……?」

「ああ、知らないのか。中の用紙に図面が引いてあって、紙自体が青みがかってる。ふたを開けて紙の色だけ確認してくれたらそれでいい」

「う、うん……。了解したわ、それじゃあ、行ってくる!」


 そして、わたしはただひとりきりで戦場を離れ、研究所へと一目散に走り出した。

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