#027 ホームワークが終わらない

「ライム……。きみがどうして?」

「マスター。やくそく、おぼえている?」

「あ、ああ……当たり前だ。だが、すまない。いまはまだ時間に余裕がなくて……」


 ためすくんの態度がおかしい。

 ”ライム”と呼ばれたフレンドが現れた瞬間から、なぜだか慌てたような表情をしている。


「あらあら。あちらは”スライム”のライムさんですわね……」

「知ってるの? バンシーちゃん」

うめる様がたびたび話題にしておりましたから。姿形程度は存じております」


 埋さんが?

 となると、わたしがまだ知らない問題なのかもしれない。


「忘れていたわけじゃないんだ。ただ、本当に時間がなくて。いや、ごめん……。そんなのはおれの身勝手な言い訳に過ぎないな」

「だいじょうぶ、マスター。わたしはもうへいき」

「すまない。出来る限る早く、きみが自由に歩けるよう問題をきっと解決してみせる」


 試くんは懸命な様子でライムちゃんに訴えかけている。

 それにしては相手の反応のほうが、やけにさばさばしている感じなのよね……?


「マスターにそれをつたえたかったの……」

 

 ライムちゃんは静かに語り終えて不意に人の姿を失う。

 用件は終わったとばかりに、緑色のゼリーのかたまりがゆっくりと地面に降ろされていた袋の中へ戻っていった。

 蜘蛛女アラクネのフレンドであるタラちゃんは、中身がスライムで満たされたリュックサックをもう一度、軽々と背負ってみせる。見た目以上にパワー系のようね。


「マスター。次はぼくの用件を聞いてもらえるかな?」

「ああ……そうだな。何かあったのか」

「実は、ぼくがナワバリで張っている”巣”が何者かによってここ数日、破壊されているんだ」


 巣と言うのは言葉通りであるとすれば、『蜘蛛くもの巣』のことかしら?


「巣を破壊? 一体、誰が」

「それはわからない。だから、こうしてマスターのところへ来たんだよ」

「しかし、よそのフレンドのナワバリに入ってきて、そこにある構造物を破壊するとはかなり大胆な犯人だな」

「二週間に一度は巣を張り替えるけれど、最近は一日で壊されてしまう。容易には切れないぼくの糸をこうもたやすく切断してしまうのは、おそらく人間ではないね……」

「やったのはフレンドのうちのひとりか?」


 驚いたような声で犯人の素性を求める。

 その声に同調して、タラちゃんが言葉を続けた。


「このところ、ダンジョンの上層部がなんだか騒がしい感じだね」

「例の新しいオブジェクトが関係しているのかな」

「どうかな。ぼくにはそこまでわからない……」

「わかったよ。とにかく調査を早めに開始する。その過程でタランテラの巣を壊しているのが誰なのかも多分、判明するだろう」

「よろしくお願いするよ、マスター。それじゃ、ぼくたちはそろそろダンジョンに戻るとしよう。最近はなかなか落ち着いて休めない。そのせいか、地上にいるとポカポカで急に眠たくなるんだ」


 だったら、ここで休めばいいのでは? とも思ったけど、きっとライムちゃんが強い日差しの下では乾燥してしまうのだろう。

 蜘蛛女アラクネのフレンドはわたしたちに背を向けて、やってきた庭園の出入り口に引き返していく。その背中が遠ざかっていく途中、またしても機械合成音が庭園の外側から聴こえてくる。


「侵入者、撃退! オールウエポンフリー! 射出準備用意……ガガガガッ!」

「あわわわ! タ、タロスくーーーーん!」


 性懲りもなくちょっかいを出そうして手痛い反撃を受けたのだろう。

 タロスくんとそれを助け出そうと奮闘するミノタさんの叫び声が耳に届いた。

 表向きは冷静そのものだけど、内心では結構、イライラとしている模様のタランテラちゃん。それが態度となって、つい出てしまったのかしら……。


「おれたちも一旦、研究所へ戻るとするか……」


 そうした喧騒をよそに試くんが引き上げを示唆した。


「あ……。うん、そうだね。でも大丈夫なの?」

「何がだ? いずれにしたって、詳しいことは調査をするまでわからない。だったら、早くもどって検査項目を仕上げるほうが優先だよ」


 わたしの質問を軽く受け流す。

 あえて、ライムちゃんに言及しないのは、わざとなのか訊かれたくないのか。

 いずれにしても試くんから話してくれるまで、この件はそっとしておいたほうがいいのだと考えた。


 ◇◇◇


「エコー検査、赤外線走査、空気成分分析……。まあ、とりあえずはこんなところかな」


 研究室に着いてから試くんが検討すべき主要項目をチェックしつつ、必要な調査内容を指示してくる。

 わたしはそれを聞きながら、担当部署へのオーダー表を作成していく。

 こんな風に語るとなんだかえらそうだけど、やっている内容はテンプレートな様式に沿って必要な項目を埋めているだけ。

 IT化様様である。アナログでこれをやれと言われたら、とっくの昔にお手上げなのである。

 一通りの作業が終了したところで、休憩を入れることにした。

 ここしばらくはわたしが街で買ってきた午後のおやつをいただきながら、しばし頭を休めるというのが定番の流れになっている。

 本日は購入してきた和菓子に合わせて、濃い目の緑茶を淹れた。

 それらを二人分用意して、一組を試くんの前に置く。


「……聞きたいんじゃないのか? おれとライムのことを」

「え?」


 突然、近くに立ったわたしへ向かい、男の子が問いかけてくる。

 わずかに躊躇したあと、思い切って口を開いた。


「いいの? わたしなんかが聞いてしまっても……」

「別に隠すようなことじゃないさ。むしろ、そんな風に知りたそうな顔をされている方が困る」


 バレバレだった。そんなに興味津々な表情をしていたのかしら。

 我ながら情けなくなる。


「……だったら、聞かせて」


 隣の席に腰を下ろし、間近でわたしがまだ知らない物語に耳を傾ける。

 ゆっくりと時間が流れていった。


 ◇◇◇


「埋さんが残していった宿題ホームワークか……」

「言い訳のつもりじゃないけれど、時間がないというのは本当だった。だからって、そのまま放置していいわけじゃないのは自分でも承知している」


 身内びいきは別として、試くんが時間に追われていたのは本当だった。

 わたしがここへ来るまで、先程のような作業をひとりで全部、こなしていたのだ。 その状況では、いまのように休み時間を設けることさえ困難だったろう。

 ましてや、ほぼ伝説的な存在と言える埋さんですら解決できない問題に、ひとり腰を落ち着けて挑むなど不可能に決まっている。

 ん? でも、それって……。


「埋さんには、問題を解くための十分な時間があったのかしら?」

「あの人はおれとちがって、本物の天才だから時間の有無は関係ないよ」


 いやいやいや、それはおかしい。

 埋さんのことは間接的にしか知らないけれど、凡人のわたしから見れば、ふたりはどちらも雲の上のような人間である。そこに決定的な差異があるとは到底、思えなかった。


「じゃあ時間さえあれば、試くんにはライムちゃんを救うことが可能なの?」

「わからない。いまはまだ、解決のためのアイディアさえ思いつかない段階なんだ」


 つまりはひらめきが必要と言うわけね。

 きっかけさえあれば、あとは才能で突っ走れるのかもしれない。


「ところで……ひとつ訊いていいか? これはなんだ」

「なにって? 今日のおやつだけど……」


 試くんが目の前にある、わたしが買ってきた『水まんじゅう』を指して、怪訝けげんそうな顔をしている。

 夏の定番和菓子で、ぷるんとした透明な皮の中にあんのタネが透けて見えるという、清涼感あふれる一品。

 昼の気温がぐんぐんと上がっているこの季節には、実にぴったりなおやつである。


「このスケルトンカバーの正体は?」

「ス、スケルトン……。確かに透明だけど、別にプラスチックみたいに硬いわけじゃないわよ。えっと、葛粉くずこや、わらび粉をお湯で溶かして冷やしたものだったかしら?」

「植物由来の凝固剤? ゼラチンと同じか」

「あれは海藻を煮詰めて出て来るゼラチン質を使ったもの……。まあ、でもいまは、どれもデンプンや科学凝固剤を使っているから、それほどの差異があるわけじゃないわね」

「日本の菓子はいろいろバリエーションが豊かだな」

「そうなの? 海外にだってたくさんの種類があるじゃない」

「基本がけばけばしいな色合いで、極端な味わいのものばかりなんだよ」


 試くんがそう答えて、辟易へきえきしたような顔をしてみせる。

 テレビで見たNYで大流行したという、串に刺したマフィンにカラフルなホイップクリームをごてごてとデコレートしたカップケーキを思い出した。

 それから業務にもどって、施設の営繕管理に関するスケジュールをチェックする。

 先程、発注をかけた各種の調査と時間をずらす必要があるからだ。

 工程管理表にこれからの工事予定がずらずらと並んだ。

 ここから空いている時間帯に調査の予定を組み込んでいく。

 ふと、工事の完了報告のお知らせが目に入った。さして面白くもない杓子定規しゃくしじょうぎな文面の繰り返しだ。


 ――附記 遺失物届一通。場所、工区Dー44。対象、業務用情報端末一台。追記、バッテリー残量わずか。内部電源消失後、データ初期化。外部への情報漏洩ろうえいの可能性は無し。


 ついでのように付け加えられていた文章がなぜだかとても気にかかった。

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