#026 木枯らしに抱かれて

 初めてここを訪れた時、それまで聞かされていたものとは、まったくかけ離れた光景が目の前に広がっていた。

 恐ろしい魔物たちは、みな人形のような女の子の姿になっていて自分の前に現れている。


「う、うめるさん……。これはどういうことなんだ?」

「ん? 見てのとおりよ。もう、ここには人に害を為す魔物はいないの。ここにいるのはみな、あなたと友達になるための存在なのよ、ためす君……」


 自らの隣に立つ女の人は、そう語っておれの頭に手を置いた。

 目の前には、二体の”フレンド”と呼ばれる少女たちが不思議そうにこちらを見上げている。


「そう緊張しないの。この子たち相手にこのざまじゃ、いつか本当に好きな子が現れても告白なんて出来ないわよ。もっと堂々としていなさい」


 無茶を言うな。

 こちらは物心つく前から、「いつかは万条目家の男として、童呼原どこはらの地を生涯かけて魔物たちから護る覚悟を持ちなさい」と言われ続けてきたのだ。

 それなのに、ある日いきなり日本へ連れてこられ、訳のわからぬままに万条目本家へと籍を移された。心の準備をする余裕もなく、挙句にいまの状況なのだ。

 ちゃんとしろと言われても、どう反応していいのか皆目、見当がつかない。


「きみがぼくたちの新しいマスターなの? ぼくの名前はミノタ。”ミノタウロス”のフレンドだよ。よろしくね」


 差し出された小さな手を腰をかがめて握り返した。

 その温もりは人のものと少しも変わりない。

 こうしておれの新たなる生活が始まった。


 この場所に今年、初めての木枯らしが吹いた日の出来事だった。


 ◇◇◇


 なぜ、いきなり過ぎるほど唐突に、おれは万条目家の次期当主などという地位を与えられたのか?

 答えはほどなく判明した。 

 万条目家、真の天才と謳われた埋さんがほぼ独断的に進めていた『イマジナリー・モンスターフレンド』計画。この地の魔物を無害化して、人との共存を目指した彼女の理想は悲しいほど周囲の人間からは無理解だった。


『童呼原の地は、危険であるからこそ万条目の一族に代々、守護する役割が与えられている』


 そのようにうそぶく人間は、万条目家本体に腐るほど居た。

 結局、そうした旧態依然のやり方に固執する連中が埋さんを現場から遠ざけ、童呼原の地についてまだ何も知らない子供のおれを後継に据えたのだ。

 大人たちの大半は、この新しい人事が失敗することを期待している。

 ほどなく真相をつかんだおれは、埋さんのすべてを引き継ぐと決意した。


 ◇◇◇


りきんだって、いいことなんてひとつもないわよ」

「でも、埋さんは何も間違ってない」

「別にわたしは正しいかどうかでフレンドを創ったわけじゃないのよ」

「じゃあ、どうして……」


 センター責任者の座を自分に譲るのか?

 その答えが知りたかった。


「わたしはやりたいことのほとんどをやれた。しかもやりたいようにね。だから悔いはないのよ」

「本当に?」

「……最初にここを離れるって決めた日の夜は寝れなかった。それでもいまは結構、せいせいしてるわ」

「どうして? ここまで童呼原の地を自分の力で変えられたのに」

「君がわたしのやり方を引き継いでくれると言ったからよ。だったら、それでいいやって思えるようになったわ」


 それはウソだ。

 ここまで何もかもを周りの反対を押し切り、自分の力で変えてみせた。

 その努力と成果をおれのような子供に奪われて、心穏やかでいられるわけがない。

 でも、埋さんは怒りをぶつけて当然な相手を前にして、何ひとつ不満を漏らさなかった。

 おれが想像以上に子供であったからだろう。

 大人たちがそうなるように仕組んだのは当然であって、結局おれは彼らが期待するような立場と見た目を有した、ただの道化に過ぎない……。


 ◇◇◇


「助かったわ。君が思っていたよりもずっと物覚えが早い子で……」


 ここへ来てしばらくが経ったある日、埋さんに連れられて初めて迷宮ラビリンスゾーンへ足を踏み入れる。

 この頃には、あらかたのフレンドたちと面通しは終わっていて、引き継ぎは順調に進んでいた。あとは恒常的にダンジョン内部をナワバリとしている、一部のフレンドたちと顔合わせを済ませる程度である。


「いろいろ必死なだけですよ」

「そうね。時間は限られているわけだし……」

「……埋さんは、いつここを離れるつもりですか?」


 彼女はいずれここから去っていく。

 その事実はいまさら変えようがない。

 おれがいま優先すべきは、それまでに可能な限り多くのことを学んでおくことだ。


「荷物の整理はあらかた終わったわ。年が明けて、しばらくしたら多分、雲の上にいると思う」

「それって……。まさか、日本を離れるつもりですか?」

「そうね。しばらくはたくさんの場所を巡ってみたいわ」


 彼女の声には、決して口に出せない悔しさが込められていた。

 きっと、これ以上は日本に留まることが辛かったのだろう。

 そして、前任者である埋さんが童呼原の地を離れれば、フレンドとして安定している現在の魔物たちを安易にいじることは危険を伴う。

 その程度の計算はしているはずだ。


「ここにはどんなフレンドがいるんですか?」


 石造りの寺院のような入り口から階段を下っていく。

 天井付近に這わされた電源ケーブルから等間隔に照明が吊るされていた。

 やがて人ふたりが並んで歩けるほどの広さを持った空間にたどり着く。


「ライム、出ておいて……」

「ライム?」


 埋さんがまだおれの知らないフレンドの名前を呼ぶと、組み上がった石のすき間から緑色をしたゼリー状の物質がいきなりみ出してくる。


「な、なんだ……?」

「そんなに驚かないの。結構、有名な魔物じゃない。あの子は”スライム”のフレンドよ」

「”スライム”……。それでライムか」


 驚いているおれの前で緑色の水たまりが丸い円を作った。

 その中から、ライトグリーンの色をした女の子のシルエットが起ち上がる。


「こんにちは。あなたはだれ……?」

「この子は試君。わたしに変わって、あなたたちフレンドのお世話をする新しいマスターよ」

「あなたがあたらしいマスター?」

「そうだよ。よろしくな、ライム」


 挨拶あいさつをして右手を差し出す。でも、肝心のフレンドは自分の立っている場所から少しも動こうとはしなかった。


「試君、ライムは動けないのよ」

「え?」

「……ごめんなさい」

「正確に言うと、人間体を維持したままでの歩行が不可能なの。どうしてだと思う?」


 突然の口述試験にとまどいながらも、一応の推論を立ててみる。


「もしかして、自重が支えられないんですか? 二足歩行のためには、上半身を保持するための骨盤と膝関節が必要になる。エクトプラズマをさらに注入すれば、人体が強化されるのでは……」

「観察力はさすがね。でも、その解決方法は使えないの。これ以上、エクトプラズマの量を増やすと、人間の形態に近くなるけれど全身が硬質化してしまうのよ。翡翠ひすいの像が出来上がりよ」

「単結晶化ですか?」

「そう。だからこの子は移動時に全身を溶解させて蠕動ぜんどう運動の繰り返しで進んでいるの。フレンドの状態になれるのは、止まっているときだけよ」

「そういうことですか……」


 説明を受けると合点がいった。

 スライムは本来、不定形の魔物であるから他のフレンドのように人間の女の子とはならない。『骨格』がないのだ。せめて体を包む外骨格でもあればなんとかできそうだが……。


「試君、あなたに宿題を残していくわ」

「はい?」

「ライムを自分で歩けるようにしてあげて。本来はわたしが解決する問題だけど、残念ながら時間切れ。悪いけど、君に以後を任せるわ」

「おれが……」


 埋さんでも解決できなかった案件を自分のような子供がどうにか出来るのだろうか?

 不安よりも心細さが邪魔をして踏ん切りがつかない。

 迷いを断ち切れずにいると、いつの間にかライムが場所を移動していた。

 自分の足元のすぐ近くに広がった緑色の水たまり。

 そこからふたたび、ライトグリーンの人影が起ち上がる。


「わたしはあるきたい、じぶんで……」


 彼女がそういった時、おれはようやく気がついた。

 これは人間側の責務であると。

 望むと望まぬとも関わらず、この地に封印され、次には人の姿へと変えられたフレンドたち。

 ならば、その希望を叶えてあげるのは埋さんのあとに続く、自分の役割なのだ。


「わかったよ。きみの夢はおれが必ず叶えてあげる。その時まで少しだけ待っていてくれ」


 ライムが小さくうなづいて、また床へ広がるゲル状に戻った。

 そのまま石のすき間に吸い込まれ、いつの間にか姿を消す。


「どうしたんだ?」

「ふふ……。きっと恥ずかしくなったのよ。あなたがやさしいから」

「意味がわかりません」

「本気で言ってる?」

「はい」


 真顔で答えると、埋さんが片手で自分の顔を押さえた。


「その見た目なら、別に自分から積極的に動かなくても、女の子の方から言い寄って来るでしょうに……」


 何を嘆いているのか、よくわからなかったが、こちらを案じているのは間違いなさそうだった。


 ◇◇◇


 年が明け、童呼原に冷たい風が吹き付ける日、旅立ちの準備を終えた埋さんが最後にセンターを訪れた。

 私物はすでに整理済みであったが、彼女は最後に自分が使っていた白衣だけはそのままにしておいて欲しいと願った。


「でも、女性用ですねよ? ここでは誰も使いませんよ」

「これから誰かが使うかもしれないでしょ」

「そんなことないですよ。埋さんだってひとりでセンターの管理をしてきたわけだし、おれだって……」

「わたしは自分がやりたいようにやっただけよ。でも、君はこれからたくさんの女の子を相手にしないといけないの。きっと、ほかの誰かの助けが必要になるわ」

「誰かって、誰ですか?」

「さあ、それはまだわからないわ。でも、出来るなら普通の子がいいわね。ここにいるたくさんのフレンドたちと、自然に打ち解けるような屈託のない女の子が望ましいかな」


 そんな風に言われても、おれにはこれ以上、外部から無関係な人間を迎え入れるつもりはなかった。

 なにより、万条目家自体が形の上では万全のサポートを約束していたが、実際にはおれが失敗することを期待している。

 魔物のフレンド化によっていちじるしく危険度が下がったこの地に、”千田河原宗久せんだがわらそうきゅう”と言う当代、最強と目された退魔師をおれよりも早くここへ寄越したのはそのときのための布石だろう。


「またいつか、童呼原に戻ってきてくれますか?」


 帰りのバスを待つ間、隣に立つおれが投げかけた質問。彼女は首を左右に振った。

 その答えをおれはなぜだか当然のように受け止める。


「また会えますか?」


 言葉を変えた再度の質問に彼女は空を見上げた。

 冬空に太陽は大きく傾き、気の早い星たちが姿を見せ始めている。


「わたしを思い出したくなったら、空を見なさい。たとえどんなに離れていても、見上げた星空はどこも同じよ」

「南半球だと、そうもいかないですよね……」

「いい話をしている最中なんだから黙って聞きなさい」

「…………はい」

「でもね。本当に誰かを頼りたくなった時は、遠くにいるわたしなんかじゃなくて、すぐ隣にいる誰かを見なさい。その人はきっと、あなたの声を待っているはずよ」

「なんで、そんな……」

「わかるわよ。そのために人は誰かのそばにいるのだから」


 埋さんが最後に語った言葉の意味をその時のおれは理解できなかった。

 実のところ、いまでもよくわからない。

 そして、万条目埋博士は小さなキャリーケースひとつだけを片手に童呼原の地を去った。

 おれはただひとりきりで次の春を待つ。

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