#023 既成事実は作られる

 カーテンのすき間から差し込んでくるまぶしい朝日。

 光に気がついたわたしが目を覚ますと、ベットから抜け出すには早く、まだしばらくはまどろみに身を委ねていても問題はなかった。

 けれど、じっとしているのが何だかもったいなくて、すぐに布団から体を起こす。

 まだ夢の中にいる試くんを起こさないように気をつけながら階下へとおりていった。

 窓を開け、光が広がる庭に寝間着姿のままで足を下ろす。

 爽やかな朝の日差しを浴びていると、実家の裏山を思い出した。


「いい気持ち。今日は家に帰って、久しぶりに自分の部屋で泊まろうかな?」


 大きく腕を広げて、新鮮な山の空気を吸い込む。

 わたしは上機嫌のまま、しばしの時間をそこで過ごした。

 多分、これが失敗だったと思う……。


 ◇◇◇


 午前中にセンターを退出し、まずは自分のアパートへ戻る。

 簡単に荷物を整理して、実家に連絡を入れた。

 それから駅前をぶらぶらしつつ、お土産を物色して乗客の少ないローカル線に乗り込んでいく。

 代り映えがしない車窓の風景を楽しみながら、目的の駅で列車を降りた。

 無人駅の改札を抜けると、見慣れた祖父の軽トラが目の前に駐車していた。

 家までのなだらかな道のりをひととき楽しみ、実家の門をくぐる。

 玄関を開け、出迎えてくれたおばあちゃんの顔を見ると、自然と涙があふれてきた。

 結局、わたしは寂しさで泣き出すような人間ではなく、懐かしさに心を揺さぶられる存在なのだ。


「帰ってくるなら、せめて前の日に連絡を入れてきなさい」


 夕餉ゆうげの席で娘のセンシティヴな心情を一切、無視する冷めた反応の母親。

 それでも、ひさしぶりに手料理を堪能していると、父親が不思議そうな顔をして、わたしに問いかけてきた。


「昼間、万条目の使いの人がお酒を届けてくれたぞ」

「ん、万条目……?」


 そう言えば、まだ童呼原どこはらの仕事内容を実家に知らせていなかった。

 身元保証の書類には署名捺印をしてもらったけどさ。


「どんなお仕事なんだ?」

「希少生物の管理をお手伝いしているの」


 ウソはついてない。詳しく説明していないだけだ。


「それでなのか? なんだか立派な贈り物で驚いたぞ。随分と気に入られているんだな……」


 嬉しそうな父が居間に続いた応接間の一画を示す。

 そこに一斗樽いっとたるが鎮座していた。まさかの樽酒である。

 正面には、朱色で筆入れされた『祝』という大きな文字と、その下に立派な文字で『万条目家』と書き記された熨斗のしが張られていた。


「な、何事かしら……?」


 あまりの大仰さに思わず引いてしまった。

 これだから、名家と呼ばれる人たちのやることは意味がわからない。

 などと、のんきに考えていたわけなのよ……この時は。


 食事とお風呂を済ませて、懐かしき自室へとおもむいた。

 引っ越したときとそのままに何も変わらない室内の様子。

 窓を開け、晴れた夜の空を確かめる。童呼原の地で見上げたときと同様に星のパノラマが広がっていた。


 ◇◇◇


 翌日はお昼過ぎまで実家でのんびりと過ごし、夕刻前にアパートの自室へ戻ってきた。ひとりで軽い食事を済ませ、夕闇に浮かび始めた気の早い星たちを窓から見上げる。

 ここにひとりでいることのわびしさはまるでない。

 明日になれば、また童呼原に出かけ、試くんやたくさんのフレンドたちと顔を見合わせるのだ。その時を思えば、自分が孤独であるなどとは微塵も感じられなかった。

 やっぱり、わたしはいま幸せなのだと実感する。


 翌日、いつもと同じように午前中のバスへ乗り込んだ。

 貸切状態のまま、終点であるセンター前にバスは到着する。

 ただひとりの乗客であったわたしを残し、車は登ってきた道をふたたび引き返していった。


「おはようございます、由乃様」


 ゲートを抜けて施設へと進んでいく途中、白髪混じりの豊かな髪を持つ背の高い男性が、わたしのもとに駆け寄って丁寧な挨拶をしてくれた。

 この人は”千田河原せんだがわら”さんと言って、このセンターの警備主任を担当している。と同時に、この地の結界を護る最後の砦であり、高名な退魔師の一族であるのだ。

 千田河原さんはわたしの前で深々を頭を下げていた。


「お、おはようございます。千田河原さん……。えっと、どうしたんですか?」

「いえ、これからも試様のことをどうか末永く、お願い致します」

「は、はあ……?」


 なんだかおかしい。

 常に折り目正しい人ではあるのだけど、いまのようにわたしの前で慇懃いんぎんに声をかけてくるような人物ではない。普段はもっと気さくでおおらかな人なのだ。


「取り急ぎ、ご実家の方にはご挨拶代わりとして、ささやかな品を送らせていただきました。いずれ、万条目家のものが正式な使者としておうかがいさせていただきます」


 その言葉を聞いて、わたしの中で不可思議だった出来事が一本の線で繋がった。

 ああ、これは壮大な勘違いが巻き起こっているのだなと……。

 きっかけは土曜日の朝にパジャマのまま、脳天気に人目がある場所をうろついていた、わたしのせいだろう。

 そこから誤解が生じて、あっという間に現在の状況というところかしら。

 まあ、若い男女が同じ屋根の下でふたりきり、ともに一夜を過ごしたら誤解も何もあったものではないと思うけど、事実が誤認されているのは間違いないのだ。

 尾ひれはひれがくっついて、満艦飾まんかんしょくとなった結果があの一斗樽なのだと、いまさらながらに理解した。


 取り急ぎ、適当にその場を言い繕って試くんがいるであろう研究所へ向かう。

 大慌てで白衣を引っ掛け、更衣室からメインの研究室へ滑り込むように足を急がせた。


「お、おはよう試くん! あのね、さっき……」

「わかってるさ。全部、言わなくていい」


 そこには、わたしよりもずっと参った顔をしている男の子が居た。


「誤解はタイミングを見て、おれの方から解いておくよ。おかしな眼で見られるのはイヤだろうけど、少しの間だけ我慢してくれ。いろいろと面倒くさい一族なんだ……」


 ほとほと困ったような表情を見せている試くんに、それ以上は求められない。


「いや、まあ。わたしとしてはこれ以上、おかしな方向に話が進まなければ、それでいいんだけどね」


 ただでさえ、いまはお菊ちゃんの問題に頭を悩ませているのだ。

 わたしの軽率な行動で、さらにわずらわしらを加速してしまっては本末転倒である。

 ここは大人しくしていよう。


 それからしばらくは、黙って日々の業務に勤しんだ。

 悩み事は尽きないけれど、こなさなければならない仕事はいくらでもあるのだ。

 人手が足りないのは確かな事実。

 わたしがここへ来るまで、センターの主な業務は試くんがひとりで何もかもを背負い込んでいたらしい。その煩雑はんざつさを想像すると、千田河原さんが初めて会った時、彼のことを心配していたのは妥当な判断だといまなら思える。


「そう言えば、お菊ちゃんの件はいまどんな感じなの?」


 一段落ついたところで目下の懸案けんあんを尋ねてみる。

 人間関係のいざこざよりは、彼にとって真摯に向き合うべきフレンドの問題を話題にしたほうが有意義であると考えたからだ。


「うん? まあ、よく言えば現状維持かな……」

「つまり、いまだ解決のいとぐちは見えていないってこと?」


 一日二日でそうやすやすと物事が進捗しんちょくするはずもないのだ。

 ふたりともその辺は最初からわかっている。

 なので、変にギスギスした雰囲気とはならない。


「手の出しようがない、というのが正直なところだな」

「うん……。わたしもあれから、ひとりで考えてはみたんだけど、何をしてあげればいいのか具体的にはわからないわ」

「子供の気持ちがわかったからと言って、それをどう扱えば正解なのかは別問題だからな……」


 会話の中身は、ほとんど子育てに悩む若い夫婦のようだった。

 こんなだから、おかしな誤解を受けるのよ……。

 ふたりだけで煮詰まっていると、研究室の外から奇妙な物音が響いてくる。

 硬い金属の扉を叩く、カリカリとした高い音。


「この音って……」

権之助ごんのすけか?」

「な、なにかあったのかな……」

「行ってみよう。まずはそれからだ」


 そろって研究室を飛び出し、出入り口の前に到着する。

 扉を開け、外の様子を確かめると予想通り、そこには魚の着ぐるみに全身を包んだ”ダゴン”のフレンドがいた。


「おはようございます、親分。それに由乃ねえさんも……」

「どうした、権之助? もしかして泉で何かあったのか」

「いえ、自分はリヴァイア姐さんの言付ことづけをお伝えに来ただけッス」

「リヴァイアさんが?」

「はい。時間があれば、午後にでも泉の方へ遊びに来て下さいとのことッス」

「遊び……」

「見てもらいたいものがあるらしいッスね。自分はよくわからないッスけれども」

「そうか、わかったよ。今日にでも行くと伝えておいてくれ……」

「了解ッス。それじゃあ、自分はこれで失礼します、親分」


 そう言って、権之助ちゃんはおしりをフリフリしながら、泉へと帰っていった。

 わたしと試くんは何が起きているのか、まるでわからないまま、時が過ぎるのただ待ちわびた。

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