#022 ときには星を見上げて

 宿舎となっている建物は研究所から少し離れた場所にある。

 二階建ての小さな宿舎で、一階には応接間、キッチン、シャワー室・トイレがあり、二階が寝室となっていた。

 すでに食事はここへ来る前に、わたしが街で買ってきたケータリングをふたりで平らげた。なので、あとは体を休めるだけ……であるが。


「先にシャワーを浴びてきてくれ」


 いくら年下でも、男の子にそう言われた瞬間の心のあせりは尋常ではなかった。

 けれども、森の中に長らく身を潜めて土埃つちぼこりに髪が汚れた。

 夜とは言え、外を歩き回ったせいなのか肌の汗臭さが気になる。

 結局、わたしは勧められるままにシャワールームへと足を運んだ。


 ◇◇◇


 体の汚れを落とし、生乾きの髪をタオルでケアしながらわたしは応接間へと戻ってきた。身を包んでいるのは、自分の部屋から持参してきたパジャマである。

 下、下着は一応、卸たてのものを着用してきた。

 見せるつもりも、それ以上のことも許すつもりは毛頭なかったけど、女の子として最低限の気配りである。

 ひとり暮らしを始める前、おばあちゃんから教わった言葉を思い出す。


「男なんて生き物は、大方おおかたしつけの出来ていない犬と同じ。気をつけなさい」と……。


 つまりはおいしそうなエサを前にして、”待て”と言われても辛抱が効かない存在であるらしい。

 いや、まあ、そんなに大した骨付き肉じゃないのは自覚しているけどさ……。


「あれ?」


 音のない応接間に足をかけると、ソファは無人のままだった。

 置いてあるテレビのリモコンには手を付けられた形跡けいせきもない。


「……試くん」


 姿を求めて辺りを見渡すと、男の子は窓の外にいた。

 大きな窓ガラスのサッシを出入り口とした裏庭。

 芝生が敷き詰められている地面にひとりたたずんでいる。


「何をしているの?」


 窓を横に開いて、男の子に声をかける。

 少しだけ冷たい空気が外から流れ込んできて、内側の白いカーテンを揺らした。


「別に何も。星を見ていただけだ」

「あ……。そうなんだ。シャワールーム空いたよ」

「そうか。もう少ししたら、おれも浴びるよ」


 どことなくぎこちない会話。

 言葉が噛み合わないのはいつものことなので、もう慣れている。

 だけど、いまは気持ちが離れているような感じがした。


「好きなの、星?」

「いや、別に……。星なんてありふれているからな」

「じゃあ、どうして」

「いつ見ても、同じように広がっている。だから、つい見てしまうだけだ」


 まるで意味がわからない。

 ジェネレーションギャップじゃないよね?


「別にいいんだ。誰かにわかってもらいたいわけじゃない。それより……」

「ん?」


 試くんがこちらを向いて、なんだか困った顔をしている。


「意外と子供っぽいんだな」


 わたしの寝間着姿を見て、小さく感想を漏らした。

 女の子が普段、決して見せることのないプライベートをのぞいた感想がこれである……。

 うん、まあ。”可愛い”とか言われても、それはそれで反応に迷ってしまうんだけどさ。


「寒くなってきた。今夜は二階の寝室を由乃が使ってくれ。おれはここのソファで一晩、過ごすよ」

「は? そんなの駄目だよ。万一にもそれで試くんが体調を崩したら、センターの管理はどうなるの。ここで夜を明かすなら、わたしの方だよ」

「そんなことはさせられない」


 お互いに強情を張っていてはキリがない。とは言え、わたし自身の考えとしては、こちらに気を使ってもらって試くんに何かあっては、そのほうが困るのだ。

 なので妥協点を提示する。


「わかったわ。どうせ布団は二組以上あるんでしょ。だったら、同じ部屋で別々に寝ましょう。その程度の広さはあるんだよね?」

「まあ、ベットはひとつでも十分にふたりで眠れるから、由乃がそれでもいいなら寝室で泊まるとしようか……」


 え?

 大胆な返答に声が詰まった。

 フランクな国で育てられると、男女の関係までこうも自由なのかと、自分の浅はかさを恨みたくなる。それでも庭から屋内に戻り、率先して二階へと進む彼のあとを黙って着いていった。

 階段を登り切り、間仕切りのない寝室を視界に収める。

 そこには、ひとつの二段ベットがしつらえられていた。


「どちらか好きな方を選んでくれ」

「あ……うん。だったら、下でいいわ」

「そっか、なら先に休んでいてくれ。おれも汗を流してくる」


 言い残し、ふたたび階下へと消えていく。

 単身、残されたわたしは勝手に妄想し勝手に盛り上がった挙句、ひとりで顔を赤く染め上げていた。


「駄目だわ。今日のわたしは何かおかしい」


 浮ついた気持ちを沈めるように、部屋の明かりを落として早々に下段のベットへ潜り込んだ。肩まで布団をかぶり、じっと目をつぶる。だけど、高ぶった精神は容易に治まらず、ただただ悶々もんもんと時が過ぎていくばかりだった。

 そうしていると、また誰かが階段を上がってくる気配がした。

 顔が見えなくとも、歩調と雰囲気でわかる。試くんだ。

 

「なんだ、もう休んでるのか……」


 暗がりに足を踏み込み、意外そうにつぶやいた。それからベッドに架けられた梯子を使い、二段ベットの上に姿を消していく。


「由乃、もう寝たのか?」

「え! う、ううん。まだ……起きてる」


 しばらくの間、彼が寝返りを打つたびにどぎまぎしていると、ふとした拍子で話しかけてきた。すぐに返事が聴こえたのは、相手もちょっと驚いたのだろう。

 少しの合間を置いて、もう一度、試くんが声をかけてくる。


「あのフレンドの元ネタの話を知っているか?」

「お菊ちゃんのこと? 確か落語のはなしにもなってるよね……」

「いや、そっちじゃない」


 ややこしいわね……。

 ホラー映画の方か。確か、キャンプ場へ遊びに来た男女のグループをひとりづつ血祭りに上げていく、とかだったはず。


「あれ? 殺人犯が有名すぎて、内容はよく知らないわ」

「よくある話だ。キャラクター人気が独り歩きして、ストーリーの理解がおざなりになってしまってる」

「まあ、ホラー映画なんて、怖ければそれだけで満足しちゃうし……」

「あの映画の真相は、事故で最愛の息子を無くした母親が不憫ふびんな息子の魂を慰めるため、キャンプ場に来た人々を手当り次第にあやめるという話だ」

「へ、へえ……。そういう設定なんだ」

「まあ、続編でその息子は生きていたことが判明するんだけどな……」


 ひどいネタバレを聞いたわ。


「で、みんながよく知っている、例のスタイルが固まるのはシリーズも中盤からなんだよ」

「あ……そうなのね」

「ナンバリングが進むたび、当初の設定はうやむやになっていくわけだけど、実のところ犯人の生い立ちには、見ている側にも同情できる部分がかなりある」


 それにしてもよく語るわね。

 これはあれかな?

 いわゆる”フリークス”という人たちの一種なのかしら……。


「あの子はきっと寂しいんだ」

「はい?」

「だから、鉄の斧を投げ込めばキチンと相手をしてくれる泉の精の元へ通いつめた。それが真相かな……」


 かなり唐突な結論に驚きを隠せなかった。

 なぜ、そうなるのか。

 話の元ネタを細部まで熟知していないわたしには、いまひとつ理解しがたい。

 ただ、試くんがそう感じたということは、あながち的はずれな感想というわけではないのだろう。

 ナイアスちゃんの不在を知ったとき、お菊ちゃんが見せた動揺とやり場のない怒りの声。あの子にとって、それは”裏切り”にも等しい行為だったのかもしれない。


「ねえ、映画の中で実は生きていた犯人の子供って、どんな人なの?」


 ついつい興味が沸いてきて尋ねる。

 なのに返事を持てども、いつまで経っても答えが聴こえてこなかった。


「試くん?」


 変だと思って寝床から抜け出し、梯子に足をかけて上段ベットの様子を確かめる。

 すると、男の子は布団の中で早々と寝息を立てていた。


「言いたいことだけ話して、さっさと寝てしまうのは一体、どういうつもりなのよ……」


 小声で苦言をつぶやいた。それでも、すでに寝入りばなとなっている相手を起こすつもりにはなれない。

 しかたなく梯子から足を下ろし、念のために持ってきた薄い上着を肩にかけて、わたしは目的もなく階下へ向かった。

 応接間のサッシを開け、一組だけ置いてあるサンダルに足を通し、夜の庭へと降り立つ。


「きれいな星空だわ……」


 見上げた夜空に月は遥か遠く、その周りで数多あまたの星々がきらめいていた。

 けれど、そこに孤独は感じない。

 わたしにとって満点の星空は、生まれ育った実家で小さな頃から慣れ親しんでいたものだ。なので思い出は家族とともにあり、独りの寂しさはわからない。


「知らないものはしょうがないわ……」


 結局、自分にはお菊ちゃんがどんな気持ちで泉に鉄の斧を投げ込んでいたのか、具体的に想像することは適わなかった。

 きっと、試くんにはあの子の気持ちが痛いほどわかるのだろう。

 それは、あえて孤独を楽しむバジリスクのフレンド、”バジー様”の行為を自然のうちに理解していたことからもうかがえる。

 問題は、だからと言って『人恋しさ』にぐずつく子供のようなフレンドを、彼がどうあやしたらいいのか知らないことだ。


「なんの役にも立てていないじゃない……。いまのわたしは」


 恋する女の子の気持ちはわかっても、それ以外のことはサッパリだ。

 こんな中途半端な立場では、試くんを手助けするどころではない。


「寒くなってきたわ。戻ろう」


 風が冷たいのを感じて、宿舎へ引き返す。

 二階へ上がり、下段のベットへとふたたび潜り込んだ。

 熱が引いた体を白いシーツで包み込むと、じんわりとした暖かさが全身に広がる。

 心地のいい温もりに、いつの間にかわたしは深い眠りへと落ちていった。

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