#021 静かな湖畔の森の影から

 空には大きな月が浮かんでいた。

 月明かりの泉の下は他に照明となるものがなくても十分に見通しがよく、ここへ現れる人影がいれば、その姿は容易に見て取れるだろう。

 わたしたちは木々の間に身を潜め、訪れるものが出てこないか息を殺して待っていた。


「寒くはないか?」

「ん……。まあ平気だよ。白衣の上にこれを着ているからね」


 すぐ隣にいるためすくんヘ一番上に羽織った暗灰色のジャンパーを示した。

 これは施設の管理や整備を担当するスタッフが昼間、敷地内を移動する際に着用を義務付けられている制服らしい。理由は、景色に溶け込むことでフレンドを刺激しないようにするとのこと。

 昼間から目立つ白衣で堂々とセンター内を闊歩かっぽしているわたしなどは、例外中の例外なのだ。


「でも、この季節は夜だと意外に冷え込むんだな……」

「そう? この時間でも身体が震える感覚はないから、気温としては普通だと思うけど」

「でも、泉の周りに霧が出ている。急速に冷えた空気中で、まだ暖かい土壌の水分が水蒸気となって見えてきているんだ。そんなわけは……」


 試くんが周囲の自然現象から、起こっている事態を推測する。

 でも、生まれてこの方、田舎暮らしが長いわたしには経験的にそんなわけがないと感じていた。

 こよみはまだ春。昼夜の寒暖差が少ないこの季節で、こんなにもハッキリとした霧霞きりかすみが浮かび上がるはずが無かった。


「何かがいるぞ」

「え? 何かって……」

「おれが間違っていた。条件が合わない。この霧はフレンドの能力だ」

「フレンドが霧を……どうして?」

「さあな。考えられることは濃い霧にまぎれて、自分の姿を気取られないようにするため。あるいは、逃げる標的から方向間隔を奪うつもりか?」

「まさか、わたしたち狙われているの?」

「いや、そんなわけが……フレンドに限って」

「待って、何かが動いてる!」

「どこだ? 全然、見えないぞ……」

「来るときに獣道けものみちが見えたの。きっとそこを通ってる……。目じゃなくて、耳で追いかけて。こずえの音を聞いて」

「わかるかよ、そんな特殊スキル」


 まあ、そうだよね。

 中学生の時に、犬とイタチとタヌキの足音の違いを街に住む級友に話して、本気で引かれた苦い過去がよみがえる。


「あ。でも、もうじき森から出るわ」


 そして、わたしたちは月の光の元に正体を現したフレンドの姿を確認する。

 左右で三つ編みにしたオレンジ色の髪。青い瞳にソバカスが残る可愛らしい表情。

 身に着けているのは、白地に赤の横縞ボーダー模様が入った長袖のシャツ。そして、下半身と胸のあたりまで隠したデニム地のオーバーオール。頭には斜めに被った白いホッケーのフェイスマスクと手には小ぶりな鉄の斧が握りしめられていた。


「あれが問題のフレンドなの?」

「やっぱりか……。予想したとおりだ」

「それじゃあ、彼女が」

「間違いないな」

「濃い霧に包まれた夜の湖畔に出没するなぞの怪人。手にした凶器は斧。頭にはホッケーのマスク。このキャラは有名だから、わたしでも知っているわ。あの子の正体は十三日の……」

「あれは”番町皿屋敷”のフレンド、『お菊』だ」


 ………………………はい?


「え。でもあれって、どうみてもジェイソ……」

「知らないのか? 古くは播州皿屋敷と言って、それを江戸の話とする際に牛込御門五番町という架空の地名を舞台とした怪談話にしたのさ。お菊はその主人公で悲劇のヒロインとなった少女だよ」

「いや、皿屋敷ぐらい知ってるわよ。あるじが持つ家宝のお皿を割ってしまって、井戸に投げ込まれた女の人が夜毎よごと、皿を数えては『一枚足りない』となげくお話でしょ? わたしが言いたいのは、あの子はどう見ても『十三日○金曜日』に出てくる怪人で猟奇殺人犯の……」

「はは……。由乃、『怪人』はヒトであって、”魔物”じゃない。そんなものがフレンドになるわけないだろ」

「いや、だって……。あの姿はどうしても有名なジ○イソンだよね? よく見たら、『チ○イルド・プレイ』のチ○ッキーも混じってる……」


 そこまで口にした途端、試くんが真剣な表情でわたしの肩をつかんでくる。

 な、なによ? 急に真剣な顔して……。


「人形が魔物に成るわけがないだろ」


 付喪神つくもがみ、全否定である。さらに試くんはわたしに言い含めるよう、真顔で声を続けていく。


「いいか、由乃。権利はみんながきちんと護ることで、世の中は平和に保たれるんだ。ここにはハリウッド由来のフレンドなんて存在しない。あの子はあくまで、皿屋敷のフレンドである。あー・ゆー・おけい?」


 あー……。なるほどね。

 まあわたしだって、現実世界で一番怖い魔物はミ○キーやピカチ○ウだってことくらい、しっかり理解しているわよ。なので、彼女のことは『お菊ちゃん』と呼称しましょう。


「でも、どうして彼女が泉に斧を投げ込んだのかしら?」

「それは、まだわからない。しばらく経過を観察しよう」


 引き続き、お菊ちゃんの行動を見守っていると、彼女はおもむろに斧を構えて勢い良く泉へと投げ放った。

 ボチャンと大きな音がして、鉄の斧は水底みなそこへと沈んでいく。

 少女はしばらくそのままの姿勢で泉の様子を見守っていた。

 しかし、いつまで経っても水面には何の変化も訪れない。

 らちが明かないと判断したのか、それから続けて何処いずこから取り出した、たくさんの鉄の斧を次々に投げ込んでいく。

 やがて放たれた斧の数が両手で足りなくなった頃。


「はよ、出てこんかい! ぼけぇ!」


 開口一番、大声で叫んだ。

 米国生まれ、大江戸城下町育ちのお菊ちゃんはなぜだか、流暢りゅうちょうな関西弁で泉の精の出現を激しく催促さいそくする。


「毎度、毎度、居留守使いおってからに! うちは半年、家賃が溜まったアパートの大家さんとこの可愛い可愛い娘さんか!」


 妙に細かい設定でノリノリのツッコミをかますお菊ちゃん。

 若干、ボケが入っているあたりがとても現代的ではある。


「ど、どうするのよ試くん? ナイアスちゃんはここにはいないのよ」

「わかってる。そのために昼間、用意しておいたこいつを使う」


 試くんがポケットから何かの道具を取り出した。おもむろに取り付けられていたスイッチのボタンを親指で押す。

 すると、泉の近くに植えられている一本の大きな樹木。水面へ張り出すように伸びている枝から機械の駆動音が聴こえてきた。

 それと同時に、若葉で隠されていた木の茂みから、細いチェーンに吊るされた白いアクリルの板が下りてくる。


「な、なに?」

「こういうケースを想定しておいたんだ……。これで泉の精の不在を正当化できるはずだ」

「看板?」


 なにやら、出てきた板には箇条書きで文字が記されてあった。

 目を凝らして、書かれている文章を読んでいく。


『営業時間の変更。本日より、下記の通りに営業日を変更いたします。

 毎週金曜日……定休日。

 毎週土曜日……公休日。

 毎週日曜日……神が定めた休日。

 毎週月曜日〜木曜日 気分次第。


 以上のようになります。泉の精より』


「あほかあああああ!」


 わたしが内容を確かめるのとほぼ同時に、お菊ちゃんの放った手斧がプラカードを直撃した。看板は粉々に砕かれ、破片が泉の表面にバラバラと落ちていく。


「ナイスヒット……」


 思わず感嘆してしまった。


「いまどきの人手が足りへん田舎のスーパーかて、もうちょっとやる気を見せとるがな! お前はアレか? 野球シーズン始まったら、店ほっぽって甲子園に足繁く通い詰める虎キチか! しかもチームが夏の長期遠征中は、鳴尾浜に行ったほうがベテランようけ見られて面白いてか? ふざけるなや!」


 微妙な関西人あるあるを披露するお菊ちゃん。

 そのまま、さらに怒りの矛先をふざけた案内板の設置主にぶつけていくのかと思ったが、すぐにその様子が一変する。

 肩を震わせるように下を向き、じっと何かをこらえているようだった。


「なんでや……。うちは……いっつも……ひとりで…………」


 その姿にはどこか寂しさを感じさせる。

 そして、少女は不意に月明かりの夜空を見上げた。


「あほんだらぁぁぁ!」


 最後に上を向いたのは、零れそうになる涙を止められなかったから……。

 そして、お菊ちゃんはもう何も言わないで来た道を引き返し、林の中へと帰っていった。

 彼女が最後に見せた涙の意味をわたしは考えた。でも、よくはわからない。


「もういい。帰ろう、由乃」

「え? でも、いいの……。お菊ちゃんをあのままにしちゃって」

「いまのおれたちが彼女に何かしてやれることがあるのか?」

「そ、それは……」

「わからないなら、思い込みで動くよりも相手をそっとしておいたほうがいい。解決する方法が見つからないなら……。慰めの言葉なんてかけないほうがいいんだ」


 やけに達観した気配で語る試くん。

 わたしたちふたりは、どこかやるせない気分を引きずりながら、今日の寝床となっている宿舎に戻っていった。

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