#019 精霊ナイアスの苦悩
投げ出された鉄の斧が水面に大きな音を立てる。
「な、何をしているの、
驚いたわたしは大きな声でその行動をたしなめた。
みんなが困っているというのに、そこへまた斧を投げ込むなんて……。
「出会うための条件設定が難しいフレンドもいる」
「え! なんのこと?」
「存在していることはデータで知っていた。でも、その姿を見るのは、おれも初めてなんだよ……」
「だから、なにが……」
意味不明な独り言をつぶやいている。
その視線は泉の一点に注がれていた。
たどるようにわたしも視界を移す。
すると、水の中からいきなりまぶしい光の波があふれてきた。
「これはどういうこと?」
「出てくるぞ。こいつが”泉の精”のフレンド、『ナイアス』だ」
「泉の精……。あ、だから斧を投げ込んだの?」
「そういうことだ」
イソップ童話の一遍、『金の斧』
ある日、木こりが鉄の斧を誤って水に落とした。そうすると水の中から精霊が現われ、「落としたのは金の斧か、銀の斧か?」と尋ねる。しかし、木こりは自分が落としたのは鉄の斧であると正直に告げた。正直な木こりに精霊は褒美として、金の斧と銀の斧も渡した……。と言うお話。
「だけど、その話には続きがある」
「強欲な木こりがわざと鉄の斧を落として、精霊に『失くしたのは金の斧だ』って
ウソをついて、鉄の斧も没収されてしまうパターンでしょ?」
「さらに後日談がある。以降、村の中で欲深な木こりの姿を見たものはない。不思議に思った村人が森へ探しに行くと、泉の底に横たわる木こりの姿が……」
「それはもう、ホラーだよね」
「おれが読んだ本にはそう書いてあったぞ?」
蛇足に過ぎる出処も怪しい経典をこれみよがしに
この子も情報を
なんでもかんでもごちゃまぜにしてしまうのは、
「それにしてもさあ……」
「ああ、そうだな」
「なかなか出てこないね、泉の精。どうしちゃったのかな?」
「…………石でも投げ込んでみるか」
発想がまるっきり小学生である。
さっそく、近くの石を物色して手頃な大きさの塊を手に取り、いざ投入しようとした矢先。
「ちょ、待って! 待って下さい! いま出ますから! すぐに行きますから!」
泉の中から必死に
まるでお昼時の蕎麦屋さんのような対応を見せつつ、ようやくと湖面からひとりのフレンドが光の波をかき分けるように姿を現す。
出てきたのは、薄い布地を幾重にも組み合わせた、真っ白いフレアの衣装を身にまとう少女だった。指先には布地につながる糸が巻き付いていて、大きく両手を広げた彼女の姿はまるで翼を広げた白鳥のように優雅である。
ふわふわとした栗毛色の長い髪。女の子はまさに”妖精”と呼ばれるにふさわしい存在感だった。
――で……。おかしいのはこれからだ。
まず両手に掲げた金の斧と銀の斧。設定上、しょうがないとは言え、二本の斧を左右の手に握ったまま人前に立つフレンドの様子は、どう見ても『山賊』である。
さらには、どうも挙動不審気味に体が震えていた。
「あれが泉の精なの?」
「なんだか、いまにも泣き出しそうだな。様子がおかしい」
「え、えっと……。あ、あなたが落としたのは、この金の斧ですか? そ、それともこちらの銀の斧ですか……?」
「きみが”泉の精”のフレンド、ナイアスだな? おれはここの責任者でセンターを管理する……」
試くんが自己紹介を始めようとする。
その声を遮り、ナイアスちゃんは半分、ヤケクソ気味に大きく叫んだ。
「い、いま、金の斧をお選びいただきますと、特典として銀の斧が一本おまけで付いてきます! この機会を見逃さず、ぜひ金の斧のご購入をお考え下さい! って言うか選んで下さい、お願いします!」
切羽詰まったような口調で、金の斧を選ぶように強く勧めてくる。
さらにはおまけで銀の斧を付けてくれるという、深夜の通販番組も真っ青の豪華特典内容である。いやいや、何があったのよ?
設定を全部、投げ出しているわよ。泉の精霊……。
「もう鉄の斧は在庫がないんです! お願いですから、ほかの代替品で我慢して下さい! 大体、何度も何度も泉までやって来て、わざと斧を投げ込むなんて、ひどい環境破壊ですよ。一体、わたしにどのような恨みがあるんですか? もう、いい加減にして下さい!」
感情を爆発させながら訴えてくるナイアスちゃん。
その表情は固く目をつぶり、いまにも……。いや、すでに泣き出していた。
「落ち着け。おれは今日、初めてお前と顔を合わせたんだぞ。誰かと間違えていないか?」
「ふぇ? あ、あれ、よく見ると、この方は
「このセンターの新しい責任者を務めている”
「よろしくね、ナイアスちゃん。由乃朋美よ」
軽く手を振りながら相手を落ち着かせようと
とにかく、あの子がいまの状態では、ゆっくりと話も出来ない。
やさしく対応して、まずは害がないことを示さねば……。
「あ……う。ご、ごめんなさい。いつもの方と勘違いしちゃって……」
「いつもの?」
「はい。ここ最近、定期的な間隔で夜になると泉へ来て、何本も鉄の斧を投げ込んでくる方がいるんです。一応、こちらも業務としてお付き合いするんですけど、いつも途中から無理難題を言い出して、最後は怒りながら帰ってしまうんです。もうわたし、どのように対応していいのか、サッパリわからなくて……」
それで、さっきのような態度を取ってしまったというわけね。
なんだか、大変そう。
しかし、投げ込まれた斧に反応して毎回、登場するのを『業務』と言い切ってしまうあたり、根が真面目な子なんだと感心してしまった。
「なるほどな。そいつが不法投棄の犯人か……」
「でも、そんなにたくさんの手斧をどうやって用意したのかしら?」
「フレンドならそう難しいことじゃないさ」
「え? 犯人はフレンドなの」
「他には考えられないな……こうなると」
「でも、誰が?」
わたしの疑問に、試くんはふたたび目の前のフレンドへ声をかけた。
「ナイアス、相手の顔は憶えているのか?」
「いえ、この辺りは光も乏しく、なにぶん夜のことなので相手の顔や格好はまるでわかりません。ただ……」
「何かあるのか?」
「随分と特徴的な話し方をされる方でした。なんというか、迫力がある感じで。わたし、それが怖くてお相手するのが辛いんです……」
「迫力か……」
両手を組んで何かを思い起こすような表情。
それから男の子はおもむろに顔を上げ、ナイアスちゃんに助言を与えた。
「了解した。そいつの正体が誰なのか、まだおれにもわからない。けれど、次にいつ来るのかは、きっと予想できるはずだ。とりあえず一時的に避難をしよう」
「そんなの、どうやってわかるの?」
「おれが研究所で見ていたデータだ。特定の時間をおいて数値が変化していた。ようするに、ある程度の間隔で水中に異物が投げ込まれていたんだよ」
「い、異物……。それが例の”鉄の斧”?」
「いや、検出されたのはエクトプラズマだ。つまり、あの斧はフレンドによって創り出されたものだな」
「フレンドが斧を」
「別に彼女らが
フレンドの能力の万能性に驚く。
「それで、ナイアスちゃんの問題はどうやって解決するの?」
「さっきも言ったろ、とりあえずの応急策だ。彼女には一時的にここを離れてもらう。誰もいなければ、そいつも黙って帰るしかないだろう」
まさかの居留守作戦。
悪質クレーマーへの初歩的対応を見ているようだわ。
「それだけ?」
「一応、筋が通るような言い訳も考えておくさ。おれだけじゃどうしようもないから、
なんだか良くはわからないけど、自身有りげな表情を浮かべている。
でも、わたしは知っているのだ。試くんがこういう顔をするときは大抵、その場しのぎの小手先なやり方を模索しているに過ぎない。
悪い結果にならなければいいんだけど……。
「でも、ナワバリを離れて行くところなんて、どこにもありません……」
わたしたちの声を聞いて、ナイアスちゃんが不安げに訴えてくる。
「水棲のフレンドじゃ、ミノタさんを頼るのは無理か」
さっそく不安が的中してしまった。
本当に行き当たりばったりなんだから……。
あきれているわたしは、白衣のポケットに入っていた一枚の名刺を思い出す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます