CASE #03 金曜日のお菊ちゃん

#017 泉の使者

 春の日差しは少しだけ強くなり、ガラス越しに感じる陽光は日毎ひごと、勢いを増していく。

 時間は緩やかに、でも確実にちょっとづつ新たなるシーズンへ移り変わる準備を進めていた。

 ここ、『童呼原どこはら野生生物管理センター』の木々にも、ようやく芽吹きの季節が巡ってきていた。山肌は冬の焦げ茶色から若々しい萌黄もえぎ色へと姿を変えていく。


「今日はすごくいい天気だね、ためすくん」

「天気なんて気圧の配置で季節ごとに移り変わるものだ。いまどきは大気が安定して、湿度がちょうどいい頃合いだから、人間にとっては過ごしやすいだけだよ」

「ねえ、お天気の話ってさ、単なる会話のきっかけに過ぎないことがほとんどなのよ……」

「だから、こうして答えているんじゃないか」

「会話はキャッチボールすることが重要で、試くんみたいにクレー射撃じゃはずむどころか破壊してるんだけど」

「おれの話、面白くなかったのか?」

「それを面白いと感じられるには、わたしの知的レベルが足りないみたいだわ」


 わたしが諦めてそう告げると、男の子は見入っていたモニタから不意に視線を外し、驚いたような顔でこちらを向いた。


「じゃあ、しょうがないな……」


 この、ク・ソ・ガ・キ!

 憐れむような一瞥いちべつをわたしにくれたあと、ふたたびモニタの画面に吸い込まれていく男の子の表情。

 態度と同じく、いくぶん子供っぽさを残しているが、よく整った目鼻立ちは強く人目を惹いた。

 彼の名前は万条目試まんじょうめためす。このセンターの最高責任者を務める若き俊英である。

 わたし、由乃朋美よしのともみはこの春から同センター内で彼の助手となっていた。

 それにしたって、女の子に声をかけられて、そんなつれない態度を取っていると十数年後に後悔するわよ……。


「で、試くんはさっきから何をそんな熱心にのぞき込んでいるわけ? わたしより優先しないといけない理由があるのかしら」

「悪いとは思ってるよ。由乃より先に対応しないといけない事案なんて、フレンドに関する問題だけだ……」

「え? あ……うん。だ、だったらしょうがないんだけどさ」


 相当にチョロいわね、わたし。

 彼の言葉を勝手に勘違いして喜んでいる。


「水質管理のデータがここ数週間、おかしなグラフを描いているんだ。なんだか、気になる……」

「水質ってどこの?」

「由乃だって知ってるだろ。センターの中央にある大きな泉だよ」

「え? あれって自然に出来たものじゃなかったの」

「自然形成されたものではあるけど、放っておくと土砂が流れ込んで、沼地化するんだ。なので、定期的な浚渫しゅんせつと水の循環はセンターで管理しているのさ」

「なんだかすごいね。土木工事までやっちゃうなんて……」

「もちろん、工事は万条目家の息がかかった企業だけで済ませているけどな」


 この童呼原の地の奥底には、魔界に通じる”風穴”が存在している。

 それを発見したのが、試くんのご先祖である万条目創まんじょうめつくる博士。いまも残る万条目家の創始者であり、以後代々の当主たちが童呼原に張り巡らされた結界を守り続けているのだ。

 

「それで泉の水がどうおかしいの?」

「簡単に言うと、汚濁が進んでいる。考えられるのは、誰かが何かを『不法投棄』しているのかもしれないな」

「外部の人間の犯行かしら?」


 取りあえず、一番もっともらしい推察を口にしてみる。


「いや、それはない」

「どうしてよ?」

「たとえ物理的な障害を乗り越え、センターの内側に入れたとしても、この地に張られた結界が人払いをする。それに逆らってまで、中心地である泉へたどり着くのは至難の業だ」

「結界って、そんなにすごいんだ?」

「おれも由乃も結界を無効化する、この白衣に守られているから平気なだけだ」

「じゃあ、”千田河原せんだがわら”さんは?」


 千田河原さんは、このセンターの警備主任でロマンスグレーの紳士的な人物である。

 見た目こそ厳しそうな印象ではあるが、実際は料理も得意な気のいいおじさまなのだ。


「まあ、あれは半ば人間をやめているからな……」

「ひどい、言いようだわ」

「とにかく、外からやって来た人間が童呼原の地で何かしようと考えても、それは無理という話だ。だとすれば、内部の犯行説が有力なんだが」

「あれ? そうなると、わたしも容疑者なの……」


 導き出された結論に思いがけずショックを受けた。

 なんて落ち込んでいると……。


「どうしておれが由乃を疑うんだ? 意味がわからない」

「え、で、でもさ……。内部の人間でセンターにいつでも出入り可能なのは試くんと千田河原さん以外は、わたしだけじゃない」

「犯人は”人間”とは限らないだろ」

「ん? どういう意味」


 察しの悪いわたしは質問を繰り返し、相手の真意をうかがおうとした。

 そのタイミングで突如、異変が起こる。

 外へと直接につながる廊下の通用口。そこから激しい金属音が流れてきた。


「何、いまの音は……」

「外に誰かいる。由乃、三番のモニター画像を確かめてくれ」

「わかったわ! んん? なによ、これ……。魚が扉の前にいる?」

「魚が陸に上がるわけ無いだろ」

「で、でも、どうみても魚の形よ。ほかにも両腕と両足があって、片手に三叉みつまたのモリを持ってる。この音はそれで扉を叩いてるからよ」

「両手両足……。ちょっと見せてくれ」


 試くんがわたしの近くまで寄って、外部カメラの映像を確認する。

 画面に映っているのは、手足の飛び出た一匹の大きな魚が、手にしたモリでガシガシと研究所の扉を叩いている様子だった。


「なんだ……。あいつか」

「知ってるの? あの生き物!」

「知っているも何も”フレンド”だよ」

「え?」

「出迎えに行こう。インターフォンに手が届かないんだ」


 実にあっさりと来訪者の正体に言及し、男の子は部屋を出ていこうとする。

 フレンドというのは、風穴を通して出現した魔物に、童呼原の大気を凝縮して作られたエクトプラズマを大量に注入することで生み出される、まるで人形のような女の子たちの総称だ。

 彼女たちを安全に管理することが、このセンターの最優先事項である。

 わたしは試くんの背中を追いかけるように、急ぎ足で部屋をあとにした。


「でも、なんの用があってフレンドがここに来るの?」

「もしかして、泉で問題が起こっているのかもしれない」

「例の不法投棄?」

「どうだろう……。とにかく、話を聞いてみるだけだ」


 扉に近づくと、さらに金属音は大きくなっていく。

 試くんは内側のロックを外し、少しだけドアを押し広げた。

 それで向こう側の相手にも意図が通じたのだろう。扉を叩く音が急に消えた。

 フレンドが避けてくれたことを確信し、大きくドアを開く。

 そこには魚の着ぐるみが立っていた。

 第一印象は、どう見てもなにかのゆるキャラである。

 大きく開いた口の内側に、可愛らしい女の子の顔が見えた。

 着ぐるみからは小さな両手足が飛び出している。これは、間違いなくフレンド……。


「あ。おひさぶりッス。親分……」

「よう、権之助ごんのすけ。何か用事であるのか?」

「あ、はい。実はあねさんから伝言を言付かってまいりました。えっと、そちらの方は……」


 正体不明のフレンドがわたしを見て、不思議そうに尋ねてきた。

 どうやら、まだまだ知名度不足な感じ。


「ああ、君たちはまだ知らないのか。この人は、”由乃朋美”さん。おれを手伝って、フレンドのお世話をしてくれている。安心してくれ、仲間だよ」

「あ、そうなんすか! 自分は”ダゴン”のフレンドで権之助ごんのすけって言います。どうか、よろしくお願いするッス」


 ダゴンだからゴンノスケか……。

 またも創造主であるうめるさんのよくわからないセンスが現われている。

 それはそれとして……。


「ねえ”ダゴン”って、あの『クトゥルフ神話』のダゴンなの?」

「まあ、原点をさかのぼればもっともっと古いけど、このイメージだとそうなんだろうな」

「あれって、結構なレベルの邪神だよね。この子はどっちかって言うと、その眷属けんぞくの半魚人っぽいんだけど……」

「どうせ、うめるさんが適当に考えたんだよ」

「でもさ、なんでこんな『ゆるキャラ』みたいなデザインなのよ」

「うーん。多分だけど比較的、新しい時代のモンスターだから、流行はやりモノに似せてみたんじゃないか?」


 なるほど。確かにちょっと前は日本全国、いたるところでゆるキャラが作られていたわね。いま、どうなってるのか知らないけど……。

 だからと言って、”ふな○しー”と同レベルで生み出されたこの子には思わず同情してしまう。


「権之助、それで今日はなんの用件があるんだ? 水棲すいせいのフレンドがここまでやって来るのは大変だろうに……」

「あ、ハイ! 地上を自由に動き回れるのが自分くらいなものなんで、代表してやって来ました。実は姐さんが、『ちょっと相談したいことがあるので、ぜひ泉の近くまで寄って欲しい』とのことッス」

「姐さん……。リヴァイアさんか?」

「ハイ! リヴァイア姐さん、このところ何か気になっているようです」


 ふたりのやり取りを聞いていると、どうやら”リヴァイアサン”というモンスターフレンドが泉の実力者として存在していることがわかる。

 その名前は結構、有名だから、わたしでも前から知っていた。

 政治哲学の泰斗たいと、ホッブスが書き残した古典的名著であり、海の怪物として聖書に現れる……。ごめんなさい、某有名国産RPGでしか知りません。


「ちょうどよかった。おれも少し気にかかっていたんだ。さっそく、出かけよう」

「では、姐さんのところまで自分が案内するッス」


 こうして、わたしたちは泉へと向かっていった。

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