#012 肉のワンダーランド

「ミ、ミノタさん?」

「ごめんね、トモミさん。その子はタロスくんと言って、ぼくが忙しいときに迷宮の警護を手伝ってもらっているんだ」

「オーダー確認。由乃朋美ヨシノトモミハ友好的人物。警戒ヲ解除。モウヒトリハ未確認。未確認ハ要警戒。警戒モードニ移行……。ピーーーーーーーーーッ!」


 言ったそばから定義のコンフリクトを起しているタロスくん。

 大丈夫なのかな、この子……。


「警戒、解除、警戒……。セーフモードヲ起動シマス」


 唐突にOSが再起動し、瞳の位置のランプがオレンジ色から緑に変わった。


「ドーモ、由乃ヨシノサン。GMMー001、タロスデス。中ヘドウゾ」


 いきなり口調のおかしくなったタロスくんが道を開けて、わたしたちを迷宮の入り口に誘導した。


「あ、ありがと……。じゃあ、いきましょうコッカちゃん」

「なんだか、いい匂いがしてきますね」

「本当だ。なんだろう、これ?」


 迷宮を道なりに進んでいくと、匂いはますます強くなる。

 かぐわしき、お肉の焼ける香り……。


「ミノタさん、何かしているの……?」


 角を曲がって、ひときわ明るい風景が視界に開けた。

 たくさんの陽が注ぐ、広い空間。

 その場所に見えた複数のフレンドの姿。


「あら、由乃よしの様。ご機嫌、うるわしゅう」

「こ、こんにちは、由乃さん」

「やあ、トモミさん。お迎えも出来なくて悪かったね」


 三者三様でわたしに挨拶をしてくれたのはミノタさんと、”泣き女”のバンシーちゃん。さらには”マミー”のフレンド、マミちゃんまでいた。

 三人はなぜか七輪を囲んで車座に腰を下ろしている。

 香りの正体は七輪に乗せられた金網。その上で炭火にあぶられている、おいしそうなお肉だった。


「こ、これは何をしているのかしら?」

「えっと……焼肉パーティーかな」


 サラリと言ってのけるミノタさんは、せわしない手つきでどんどんとお肉を焼いている。どうやら食べるのは、もともとが人間に近い残りのふたりのようだった。


「よかったら、トモミさんもどうかな?」

「え! あ、でも、お昼ごはん食べたばかりだし……」

「そうなんだ。まあ、でも一口くらいなら」

「えっと……。バンシーちゃん、お肉おいしい?」


 見ていると、焼ける端からお肉を口に放り込んでいるバンシーちゃんは、この世のものとは思えないほど幸せそうな表情を浮かべている。

 もはや、”泣き女”でもなんでもない。

 週末に手酌でお酒を飲みながら、ひたすら好きなものを食べている独身OLの姿がそこにあった。


「ひょひのひゃま。ひょのおにくはひょてもひゃわらひゃくて、おひゅちのひゃかで……」

「ごめんね、邪魔しちゃって。マミちゃんはどう?」

「とっても、美味しいですよ! 人間の価値基準で言うと、A10ランクくらいでしょうか?」

「すごく強そうで美味しそうなのはわかったわ……」


 こうなると、わたしも俄然、興味が湧いてくる。

 いや、女の子はお肉、大好きだから!

 

――美容と健康のためにお肉よりは野菜をたくさん食べる。


 なんて、一五〇〇%ウソだからね。

 差し出されたお箸を受け取って、熱々の焼肉をひと切れ頬張った。

 口に入れた瞬間、舌の上に広がる柔らかなお肉の食感と鼻を抜ける溶けた脂の香り。


「くううううう。最高!」


 一瞬で身も心を奪われる。

 口の中で踊る上質の赤身は歯で噛み切る必要もなく、舌で転がしているうち、まるで繊維がほぐれるように自然とバラバラに解けていく。


「ん? あ、あれ」


 なぜだろう。

 お肉を存分に味わっていると、不意にわたしがいま身に着けている衣類の糸が自然とほどけていくような錯覚を感じた。

 幻想の中で体を丸裸にされてしまうイメージ。


「な、なによ! いまのは?」

「どうかしたの、トモミさん」

「ん……。いや、どこかの料理漫画世界に迷い込んじゃって」

「はは、しっかりしてよ。そういえば、今日はマスターは?」

ためすくんは他で用事があるらしいから、今日はわたしと入れ代わりのシフトなの」


 ためすくんと言うのは、センターの最高責任者でこの童呼原どこはらの地を代々、守り続けた万条目家の現当主である。

 自称、天才であるが、わたしから見るとまだまだ子供っぽさが残る少年としか思えない。


「トモミさん、もうひとつ、どうぞ」

「あ、うん。ありがと」


 勧められると断れない。

 この一時間以内で摂取したカロリーを気にしつつ、さらにお肉を頬張る。

 んー。しあわせ!


「でも、こんなに上等なお肉。一体、どこから調達してきたの?」

「ああ、これはぼくが召喚した眷属だよ」

「ふぁ!」


 衝撃にお箸を落としかけた。


「魔物としてのぼくの栄養源は、女の人の嘆きの感情なんだ。ここでは、それに困ることがないからね……」

「バンシーちゃんがいつも近くいるから?」

「そういうことだね。でも、フレンドとしてはあまりエネルギーを溜め込むのは危険だから時々、こうして消費しているのさ。さすがに自分では食べられないから、他の子を呼んでごちそうしているわけ」

「し、しあわせ太りと言うやつかな……。大変だね、ミノタさんも」


 そして、ふと思いついた。

 ミノタさんも眷属を召喚するときは、コッカちゃんのように生き物として顕現けんげんするのだろうかと……。


「召喚って、まさか牛を一頭、まるまるなの?」

「いや、いつもは枝肉だね」


 まさかの加工済みであった。

 しかし、考えてみると高価な牛肉を惜しげもなくみなに提供し、宴をもよおすというのは、実に王の饗宴と呼ぶにふさわしいのではないだろうか?

 ひとり焚き火でニワトリをまるまるローストしていた自称、王様のフレンドに較べれば、その差は歴然である。


「あ。いや、ちょっと待って……」


 ふと、気がついた。

 かえりみて、人間である自分がもっとも質素な昼食メニューであったと……。

 でもほら、ひとり暮らしってお金かかるから。ね?


「それで、今日はどうしたの? 知らない子も一緒に連れてきているみたいだけど」

「いけない。すっかり忘れてた!」


 わたしのうしろで小さくなっているコッカちゃんを前に出す。


「お願いがあるの、ミノタさん。今夜、この子を庭園で預かってもらえないかな?」

「その子は……確か」

「コカトリスのコッカちゃん。実はわけあって、自分のナワバリが使えなくなっちゃたのよ」

「ふうん。それは大変だねえ……。別にぼくは構わないよ。庭園は広いし、細かく区切ることも可能だから、安心して休めるよ」

「本当? 助かるわ!」


 そのとき、カランと小さく音が鳴った。

 何かがレンガ造りの床を叩いた音だ。

 視線を向けると、手からお箸を落としたバンシーちゃんが茫然自失となっている。

 あ……。これはよくないパターンのやつだわ。


 ◇◇◇


 しばらくの間、泣き叫ぶバンシーちゃんをなだめすかし、ようやくコッカちゃんを迷宮庭園で預かることに同意してもらえた。

 それでも、バンシーちゃんの情緒不安定を見ると、あまり長くは無理だろう。

 なるべく早く問題を解決しないと、いずれセンターの安全を脅かすような大事件につながりかねない。

 わたしはコッカちゃんをミノタさんたちに託し、研究所へ戻るため庭園の出口に向かった。

 間もなく迷宮を抜けようとしていた時。


「トモミさーん!」

「ミノタさん。どうしたの?」


 わたしを追いかけきたミノタさんは、両手に布で包まれたおりを持っていた。


「これ、美味しそうなところを切り分けておいたから、あとで食べてよ」


 この子の男前さ加減はどこまですごいのだろうと感動した。

 こんなの、好きにならないほうがどうかしている。


 それから、わたしは午後の業務をこなしつつ、コッカちゃんとバジー様のナワバリ争いをどうするべきか模索した。

 でも、たかだか試くんの助手に過ぎないわたしでは、根本的な解決方法なんて見つけられない。

 なので、無理に善後策など求めずに、昼間の出来事と問題点を簡潔にまとめたレポートを試くんに残しておく。

 まあ、あとは自称、天才少年くんに任せておくとしましょう。


 夕方のバスで街へ戻るため、身支度を整える。

 手にはミノタさんからもらったお土産の牛肉をしっかりと抱えていた。


「さあ、今夜は焼肉祭りよ!」


 いまから待ちきれずに自然と足が早くなる。

 浮かれ気分に施設内を歩いていき、最終ゲートを抜けてバスの停車場に向かおうと一歩、足を踏み出した。


「あ、あれ……」


 結界を超えた瞬間、手にしたお肉の折が包みごと消失した。

 そして、わたしは千田河原せんだがわらさんが口にした、「ここでしか口に出来ない」という言葉を思い出す。


「あう……。フレンド同様に彼女たちが創り出した物質も、結界の中でしか維持できないのね……」


 こうして、わたしの『ひとり焼肉祭り』は夢と消えた。

 とは言え、センターの中でお肉を焼くというのもちょっと敷居が高い。


「しょうがないわね。街にもどってハンバーガーでも食べて帰ろう」


 悔やんでもしょうがない。

 ファーストフードだって、十分に美味しい外食なのだから。

 

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