#008 恋する包帯少女

「お前にフレンドの何がわかるって言うんだ!」


 訴えたためすくんの瞳には怒りの色が浮かんでいた。

 そう迫られてもしょうがない。

 なんたってわたしは、ついさっきここへやって来たばかりだ。

 これまで懸命に魔物たちの危機から童呼原どこはらの地を守り続けてきた万条目家の一族。

 その末裔まつえいたる試くんの苦労なんてこれっぽっちも知らない。


「フレンドに関しては正直、何もわからないわよ」

「だったら、余計なことはしないで黙ってろ」

「それは無理。さっきも言ったでしょう。いま、あの子を助けられるのはわたしだけだから」 

「どうしてだよ! おれが気づけない何かをお前が知っているとでも主張したいのか?」

「そうよ。わたしは知ってる。どうして、マミちゃんが苦しんでいるのかを。だから、いまは任せてよ」


 万条目試まんじょうめためすという男の子には何かが欠けている。

 それは多分、人の気持ちを声に出さずとも感じ取る『共感性』だ。

 どれほどフレンドに詳しくても、人の気持ちに鈍感だったら、女の子であるフレンドの相手をひとりでするのは無理に決まっている。

 その結果が、現在の状況なのだ。


「な、何を根拠に……」


 ほら、これだ。

 すべての事態に理由だの理論だのを理屈っぽく突き止めようとする。

 それで何かを理解したつもりになっているんだ。


「百のことわりを百通りの手段で解き明かし、たったひとつの真実を見抜く、だっけ? なんだか、どこかの少年探偵みたいな煽り文句ね」

「いや、それ違うから……」

「とにかく! 試くんがどれだけ優秀でも、まだ知らない一〇一番目の理論があったら、いつまで経っても真実にはたどり着けないの。だからさ、いまだけはお姉さんにすべてを任せておきなさい」

「なんだよ、それは……」

「ほら! 目を背けない。ちゃんとこっち向いて」

「くそっ……。信じていいんだな?」


 男の子の言葉に大きくうなづいてみせる。

 彼は黙って手にした注射器型のインジェクションキットをわたしに手渡した。


「それじゃあ、行ってくるね」


 試くんのすがるような視線を背中に感じながら、わたしは少しづつ十字架でまつられたお墓に近づいていく。


「あなたは誰? もしかして、うめるさん……」


 またか。

 ミノタさんにも同じようなことを訊かれた。こうなると、埋さんとわたしは結構、他人の空似なのかもしれない。


「残念だけど、違うわ。でも、わたしはあなたを助けに来たの。それは信じて」

「ダメ。わたしはもうおかしくなってる……だから、このまま」

「そうじゃない。あなたは何もおかしくなんてないのよ、マミちゃん」

「でも……」


 この子が何を言おうとしているのか、いまならばハッキリわかる。

 彼女は怖いのだ。

 自分が自分でなくなっていくような感覚。

 盲目的に高ぶる感情と、激しくなるばかりの鼓動。


「好きな人が近くにいるだけでそうなっちゃうよね」


 マミちゃんは恋をしている。

 それは生まれて初めての経験だろう。

 ピラミッドの建設には悲しい話がある。

 ファラオのお世話を死後の世界も続けるため、ともに埋葬された多くのミイラ。そこには、まだ初めての恋を迎える前の少女たちがたくさんいたという。

 

「それから、この場所で女の子として生まれ変わった……。初めて出会った男の子が試くんか」


 まあ、しょうがないかなという感じはする。


「見た目がちょっとアイドルっぽいからね。たとえ中身が子供でも」


 少しうしろを振り向いて、心配そうにこっちを見つめている彼の様子をうかがった。

 その視線には不安と期待の両方が込められているような気がした。


「魔物だろうとフレンドだろうと、恋をしちゃった女の子がいつもと違うのは、何もおかしいことじゃないわ。だから安心して」

「でも、本当におかしくなってる。マスターに声をかけられると、彼を自分のものにしたいとか、独り占めしたいとか考えてる……。これはわたしがきっと魔物だから」

「ううん、それは違う。女の子だったら、みんなそういう風に思ってしまうのは当たり前なの」

「あなたも?」

「え……」


 予想外の反問に思わず声が詰まった。


「あなたも好きな人を独占したい?」

「えっと……ね」

「わたしが、マスターを自分だけのものにしたいと感じたのが魔物の本性じゃなければ、人間のあなたも同じなの? やっぱり好きな人を独り占めしたい?」

「うん……と、ね」


 突きつけられると答えに窮する。

 わたしは、これまでの人生でそこまで激しい恋をしたことがなかったからだ。

 やっぱり、もとは魔物であるフレンドと人間では、他者に対する感じ方や観念が違うのだろうか……。


「わたしは嫌なの。マスターが自分以外の誰かと一緒にいたり、彼の視線が他の何かに向けられていると、何もかもを破壊してしまいたくなる。こんな気持ちになってしまうのは、きっとわたしが魔物だから……」


 その言葉を聞いて、なぜだか迷宮庭園で出会ったもうひとりのフレンドを思い出した。”泣き女”のフレンド。バンシーちゃんは揺れ動く激しい情緒でミノタさんを振り回していた。

 彼女をそうさせていたのは、『嫉妬しっと』だ。

 身を割くような、あふれてくる想いと相反する現実。

 ああ、そうか……。この子からすれば、わたしも試くんの側にいる”女の子”なんだわ。


「安心して。きっとわたしも、いつかはあなたと同じような思いをする日が来ると思う。でもいまは、誰にも恋はしていないわ」

「本当に?」

「うん」


 わたしの答えに、彼女は少しだけ安堵したような表情を浮かべた。

 ほんの小さなきっかけで心は大きく揺れる。

 あと少し、あともう少しでマミちゃんの気持ちも和らぐだろう。


「わたしにも自分だけではどうにもならないことがあったわ」

「な、なに?」

「自分が悪いことをしたわけでもないのに、理不尽な現実に夢を奪われた。でも、そんなときに自分を励ましてくれた誰かのおかげでもう一度、やりなおす勇気がもらえたの」


 これはただの自分語りだ。

 マミちゃんも唐突なわたしの経験談にとまどっている。

 でもいいの。重要なのは、誰かが自分を思ってくれているという現実を認めてもらうこと。


「わたしの言うことなんて信じてくれなくていい。でもね、あなたを追いかけてここまでやって来た、彼の気持ちは受け止めてあげて」

「マスター……」

「マミちゃんを最初に見つけたのは試くんだよ」

「あ……う……わ、わたし」


 彼女の瞳が潤んだ。

 その視線はわたしを通り越して、遠くにいるひとりの男の子に注がれているはず。

 きっといまも心配そうな表情でこちらを見守っているのだろう。


「マスターの悲しそうな顔はもう見たくない……」

「よかったわ。もうなんの心配もいらないよ」

「……ごめんなさい」

「いい子ね。本当に」


 少女のかたわらに近づいて、首元をのぞき込む。

 かけられたネックレスを確かめて、注入口のような小さい穴を見つけた。

 振り返って試くんの方を見ると、大きく首を縦に振っていた。

 どうやら間違いなさそう。


「お願い。これで元にもどって」


 注ぎ口に注射器の先端を当て、ピストンを押し込んだ。

 シリンダーの内容物がゆっくりとネックレスの本体に加えられていく。

 すべての中身を注ぎ込むと、包帯姿の少女に変化が現れた。


「な、なに?」


 驚いているわたしの目の前で突如、様子が変わり、姿かたちが無地のワンピースに包帯の切れ端を巻きつけたフレンドの状態に戻る。


「大丈夫? マミちゃん……」


 ひとこと声をかけると、人形のような少女は静かにうなづいた。


「……よかった」

「う、うう……」

「どうしたの?」

「うあああああああああああああ!」


 元の姿に戻り、緊張から解き放たれて安心したのか、少女は大きな声で泣き出した。わたしは両手で彼女の体を持ち上げ、強く抱きしめた。


「どうかしたのか、由乃よしの?」


 マミちゃんの泣き声を聞いた試くんが心配そうに訊いてきた。

 届いた声の大きさから、ひょっとすると彼はすぐ近くにまで来ているのかもしれない。


「何でもない。問題ないから、いまはまだこっちに来ないで!」

「え? どうしてだよ……」

「女の子は泣き顔を異性に見られたくないの。だから、この子が泣き止むまではそこで待っていてちょうだい」

「わ、わかったよ」


 こちらの剣幕に気圧されたのか、試くんはそのままマミちゃんが泣き止むまで、後方でじっと待っていた。

 わたしは瞳からあふれ出る涙を拭きもせず、ただ黙って腕の中の少女と一緒に泣き続けた。

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