#006 賢牛と泣き女

 ミノタウロスはギリシャ神話に登場する牛頭人体の怪物である。

 一節には生け贄に捧げられた少女のなげき声を聞きながら、クレタ島の迷宮で暮らしているとかなんとか……。


「彼女はミノタウロスのフレンドだ」


 眼の前の小さな女の子をためすくんに紹介され、記憶の中の知識を掘り起こした。

 それはさておき……。


「ちょっといいかな?」

「どうした……」

「ネーミング、安直すぎない?」


 マミーが『マミちゃん』の時点で半分、察していたが、適当にもほどある。

 実家の近所で飼われているシベリアンハスキーの方がもうちょっと凝った名前を付けられていたわよ。スターリンだったけどさ……。


「おれに言われてもな」

「試くんが付けているんじゃないの?」

「まさか! ここに就いた時点でほとんどのフレンドはうめるさんが創り出していたよ。悪いのは彼女だ」


 ああ、そう……。

 天才というのは、だれもかれも想像の斜め上ね。


「えっと、そっちのお姉さんは埋さんじゃないんだよね?」


 わたしの方を見ながら、ミノタさんが確認してくる。

 ああ、フレンドから見ると人間の女性の顔なんてどれも似たようなものなのね。


「この人は由乃よしの……………………さんだよ」


 おい、ちょっと待て。

 あなたはもう少し人間の女の子にキチンと興味を持ちなさい!


由乃朋美よしのともみって言います。どうぞ、よろしくお願いしますね、ミノタさん」

「へえ、トモミさんか。いい名前だね、ぼくはミノタウロスのフレンドだよ。よろしく」


 人ではないフレンドの方がはるかに紳士的というのはどういうことなの?


「それで、ひとつ訊きたいことがあるんだ、ミノタさん」

「なに、普通にスルーして話を進めようとしているの、”万条目まんじょうめ”くん」

「時間がないんだよ……本当に」


 まあしょうがないわね。

 今回はおとなしく引き下がるとしましょう。

 しかし、この子の他者への興味のなさは、なんだか根本的な原因がありそうだわ。


「どうかしたの、マスター?」

「フレンドのひとりがゲートをすり抜けて、こっちのゾーンに逃げ込んだのさ。かなりイマジン化が進行しているんだ。早くしないと、手遅れになる」

「おっと、それは大変だねえ」

「地下大迷宮へ逃げ込もうとして、この庭園に来ていないかなと思ったんだけど、どうかな?」

「うーん……」


 試くんの話を聞いて、ミノタさんは目をつむり、ひとしきり何かを探るようにカチューシャの角をピクピクと動かした。

 あ、それってただのファッショングッズじゃなかったのね……。


「どうかな。何かわかった?」

「君たちをのぞいて、庭園内に反応はひとつ。でも、これは……」


 目を開けたミノタさんが感じ取った気配を推測する。

 そうすると。


「ミノタさああああああああああああんん!」


 生け垣の間から突然、何者かが現われて一目散にこちらへ駆け寄ってくる。

 大きな頭に小さな手足。フレンドだわ。

 その子は頭に黒いレース模様の布を巻いて、その下には同じように真っ黒な長い髪が伸びていた。

 体を包んでいるのは、頭と同じような黒いドレス。

 ここまでなら憂いを帯びた淑女という感じだが、なぜだかそのフレンドは片手で身の丈と同じくらいの大きな一升瓶を抱えていた。

 瓶には『ばくだん』というラベルが貼り付けられている。

 有名な銘柄なのかしら?


「急にいなくなっちゃうから、わたしぃ! わたしぃ、さみしかったああああ!」


 そのフレンドはわたしたちに目もくれず、ものすごい勢いでミノタさんに抱きついていった。

 その衝撃を微動だにもせず、しっかりと受け止めてみせるミノタさん。

 この子、どれだけ男前なのよ……。


「ごめんよ、バンシーさん。迷宮が侵入者に反応したから、取りあえず確認をしておきたかったんだ」

「侵入者?」

「うん。ほら、そこにいるでしょ?」


 ミノタさんの腕がこちらを示す。

 バンシーと呼ばれた少女の視線が、初めてわたしたちに向けられた。

 唐突にその表情が曇り、瞳が涙の膜でうるんだ。


「だれなのよおおお! あの、おんなああああ! ひどいひどいひどい! ミノタさんがわたしに内緒で別の女にあってるううううう!」


 わたしを見るなり、ミノタさんの体に取りすがってひときわ激しく訴えた。

 フレンドにも結構、情緒不安定な子はいるのね……。


「お、落ち着いて、バンシーさん。あの人はマスターのお手伝いをしている人だよ」

「ミノタさんに会いに来たんじゃないの?」

「会いに来たのはマスターだね……」

「ミノタさんがあああ! ミノタさんがあ、わたしよりもマスターと会う方を優先したああああ!」


 正直、面倒くさい……。


「彼女は”泣き女”のフレンドだよ」

「泣き女……。それで『バンシー』なのね」


 バンシーというのは確か、西欧の魔物だったと思う。

 彼女の泣き声が聞こえると、その家の主が命を落とす予兆となる死の預言者の象徴だったかしら?

 たしか、バレエの『ジゼル』にも似たようなウィリーウィリーという魔物がいたと記憶している。

 ただね……。


「でもさ、あれってどう見ても『喪女』だよね」

「なんだよ、モジョって?」

「えっと……。良縁になかなか巡り会えなくて、自嘲気味にみずからを『もてない女』って言っちゃう女の子だったかな」

「まあ、フレンドの形態や性格は創造主の記憶や知性なんかで結構、左右されるからな。あれも埋さんの本性の一部なんだろ」


 まだ話だけでしか知らない埋さんだけど、なんだかいろいろ抱えていそうで少し心配になった。

 それによく見れば、ミノタさんが手にしている武器は東洋の妖怪、牛頭ごずが持っていたものだと思う。

 わたしの中で埋さんがどんどん『片付けられない女』に思えてきたわ……。


「ということで、いまのところ庭園内部にいるフレンドは、ぼくとバンシーさんだけでほかには感じられないね」

「ここにはそれ以外のフレンドは来ていないというわけか……」


 ミノタさんの答えに、試くんが歯噛みしたような表情で結論を下した。

 これで捜索は振り出し。

 手がかりは何もなしということになる。


「あら、どうかいたしましたの?」


 ふたりのやり取りを聞いていたバンシーちゃんが不思議そうに問いかけた。

 そういえば、この子は迷宮をものともせずにミノタさんのところにやって来ていたわね。

 なんだろう? 愛の力かしら……。


「実はね、フレンドがひとり逃げ出しちゃったらしいんだよ。マスターはそれを追いかけてきたって言うわけ」

「フレンド……。どなたですの?」

「あれ? ぼくもまだ知らないや。一体、誰なの。マスター」

「ああ、まだ言ってなかったのか。逃げ出したのは、『マミー』のフレンドだよ。全身を包帯でぐるぐる巻きにしている子だ」


 試くんの答えに何やら思い当たるふしでもあるのか、じっと黙り込むバンシーちゃん。その手が不意に動いた。


「ウィリーウィリー。わたしの元へ」


 彼女が命じると、蝶々のような羽を持った小さな妖精がバンシーちゃんの周りにたくさん現れた。

 ウィリーウィリーはまぶしい光輝を体中から放ち、羽からこぼれる鱗粉が美しい光跡となって幻想的な風景を迷宮庭園に描き出す。


「どなたか、それらしいフレンドをどこかで見かけませんでしたか?」


 彼女がやさしく語りかけると、妖精たちがその周りをぐるぐると飛び回った。

 やがて、一匹のウィリーウィリーがバンシーちゃんの目の間で羽ばたきながら、その場にとどまる。


墓場セメタリーの方に走っていくフレンドがいたらしいですわ」

墓場セメタリーだって? なぜだ……。マミーと言えば、いつもは石造りの迷宮の中ですごしているはずなのに」

「でも、ほかには見当たらないと、この子たちが言っていますわ」

「そうか……」

「ねえ、試くん。墓場なんて、このセンターにあるの?」

「死と不幸の象徴である墓標をナワバリとするフレンドは意外に多いんだ。一応、ここにもセンター開設時に不幸な事故で命を落とした人たちをまつる慰霊碑と、その周辺にさまざまな教義に基づいた墓石を建ててあるよ。もちろん、すべてダミーだけど……」


 わたしの疑問に答えた試くんは、まだ半信半疑の様子で新たな情報を吟味していた。

 何よりも残された時間の少なさから、これ以上は判断を誤ることが許されないという現状が彼の行動の足かせとなっている。


「マスター。バンシーさんの手がかりはきっと本当だよ」


 思考の迷い道でもがく男の子に、迷宮をつかさどるフレンドが力強く助言を与えた。

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