#002 白衣と少年

 フェンスの内側には広大な敷地が広がっていた。

 見える限りの原野に緑豊かな草原。

 遠くには清涼な湧水わきみずをたたえた泉も見えている。


「すごいわね。これほどの自然が手付かずのまま残されているなんて」


 同じ田舎と言っても、管理されているものとそうでないものには大きな違いがある。

 それは人工物があるかどうかだ。

 田舎の代名詞としてよく挙げられる田園風景など、実際のところ人工造成物の代表である。ここにはそうした人の手が及んだものが一切、排されていた。


「由乃様、こちらへどうぞ」


 前を行く男性に誘導されながら、わたしは敷地の中程へと進んでいった。

 案内をしてくれているのは最初にインターホンで会話をした人物だ。

 この方はセンターの警備主任で髪の毛には白いものがたくさん混じっていた。

 やがて、視界の中に一棟の大きな建物が見えてくる。

 低階層のいかにも研究施設と言った感じの白い建物。

 あれが目的の場所なのかな?


「あちらで当センターの主任研究員『万条目試まんじょうめためす』が対応させていただきます。詳しいお話はためす様よりお聞きください」


 歩みは止めないままに首だけを微妙に傾けて、案内係のおじさまが説明をしてくれた。

 まるで映画にでも出てくるような相手の名前に少しとまどいを覚える。


「あの……。その方はどういった人物なのですか?」


 失礼かとも思ったが、事前になんの情報もないまま顔を見合わせるよりはマシだろう。なので、率直にひととなりをうかがう。


「年齢は由乃よしの様より……三つほど下でございます。こちらへおいでいただくまでは、海外の研究機関で特別なプロジェクトに長年、参加されておられました」


 やっぱり訊いておいてよかった。

 というか、若い! センターの所長なんて言われたから結構、ご年配の人を想像していたのに自分よりも三つ下ってどういうことよ?

 えっと……高校生なの!

 それで公立の研究機関の上級研究員フェローってどんだけエリートなのよ。


「な、なんだか、すごい方なんですね?」


 自分とは過ごしてきた経歴や何もかもが別次元の存在である。

 いささか及び腰に感想を伝えると、向こうはあらたまったように返事を口にした。


「いえ、だからと言うわけではございませんが、わたくしから見ると、いささか日本の同じような年ごろの男性と比べて、どうにも社交性に乏しいような雰囲気も致します……」

 

 おやおや?

 この人は上役がどこか世間ずれしているのを気にかけているみたい。

 まあ、十代半ばで世の中とかけ離れた世界に身を置いていれば、別に不思議とは思えない。

 ここはひとつ、安心させてあげましょう。


「いえ、わたしもずっと田舎暮らしが長いので、世間一般の常識をあまりわかっていません。むしろ、堅苦しいのが苦手なくらいで……。あっ! ごめんなさい」


 つい言いすぎた。

 自分はこれからここで雇ってもらう立場なのである。

 立場をわきまえない言動は心証を悪くしてしまう。

 そんなふうに思っていると……。


「いいえ。むしろ安心いたしました。由乃様のような、ほがらかな人柄の方であれば、きっと試様のお役に立てると存じます。どうぞ、そのままの感じでいてくださいますよう、わたしからもお願いします」


 意外なことに好印象。

 さらに、この後もフランクなまま接した方がよいとのアドバイスまでもらった。

 あれかな。思春期の男の子には気さくなお姉さんっぽい態度を見せた方がいいのかしら?

 あれやこれやと頭の中で考えていると、間もなく建物の玄関がすぐ近くにまで迫ってきた。

 案内係のおじさまは扉の横に設けられている小型の個人認証機を操作している。

 さすがは高度研究機関。

 外部からの侵入には、かなり厳しいセキュリティがかけられている模様。

 しばし、ぼんやりと周囲に目を配る。


「ん?」


 その光景をわたしはきっと生涯、忘れないだろう。

 視界の端にこちらの様子をそっとうかがう、奇妙なまなざしを感じた。

 なんだろうかと顔の角度を合わせると、見えたのは施設の横に置かれていた備品保管用の物置。

 その陰から自分を観察している、ふたつのまなこに出くわした。

 

「な、なに、あの子……」


 驚いたのは相手の容姿。

 背丈は幼稚園児くらいだろうか。まるで人形のような低い等身。

 大きな頭に小さな体。身に着けていた服は簡素な白いワンピース。

 背中まで伸びた淡い栗色の髪と大きな黒い瞳が印象的な女の子だった。

 でも、最も女の子を特徴づけていたのは全身に巻かれた白い包帯。

 ところどころ切れ端が羽衣はごろものようにひらひらと風に揺れ、頭にゆるく巻かれた包帯がずれて顔にかかっている。


「お待たせいたしました。由乃様。どうぞ、こちらに……」


 セキュリティ解除を終えたらしい、おじさまの声が聞こえてきた。

 驚いて視線を戻す。


「どうかされましたか?」


 わたしの表情を一目見て、異変を察してくれたみたいだ。

 心配そうに問いかけてくる。


「あの……。いま、そこに女の子が」


 探るように視線をふたたび物置へと移す。

 でもそこには誰の姿も認められない。


「あ、あれ?」


 やっぱり見間違いなのだろうか。

 不思議な感覚に包まれていると、今度は建物の方から別の声が聞こえてきた。


「マミちゃああああああああんっ! どこだあああああああっ!」


 耳に響く男の子の叫び声。

 少しハイトーンなのは声の主が多分、若いからかな?

 聴こえてきたのは開きかけた扉のすき間からだった。 

 そんな風に思っていると、案内係のおじさまが手慣れた様子で大きくドアを開け、脇に避ける。


「あ、あの……」

「しばらく、お待ち下さい。まもなく当センターの最高責任者である万条目試様がおいでになります」


 そう言われて立っていると、建物の奥から勢い込んでひとりの男性が飛び出してきた。


千田河原せんだがわら、大変だ! フレンドがひとり逃げ出したぞ!」


 姿を現したのは、すごく元気が良さそうな男の子だった。

 自分より年下だとは聞いていたけれど、想像していたよりもさらに幼い印象を受ける。

 理由は自分と大して変わらない身長と、ひょろっとした体つきのせいだろう。

 成長が遅いと言うより、まだ成長期にも入っていないという印象だった。

 清潔だけど飾り気のない髪型と幼さを残す顔つき。

 カジュアルなスニーカーにデニムジーンズと綿のシャツ。上には白衣をまとっていた。

 服装自体は年相応に無理なくまとまっているが、白衣だけは着せられている感がぬぐえない。


「君、本当に高校生なの……?」


 つい口走ってしまった。


「あん? 千田河原、誰だこいつは」


 わたしの暴言を受けて、男の子は案内係のおじさまに正体を問いかける。

 ああ、この人が”千田河原さん”なのね……。憶えておこう。


「試様、こちらは本日、面会ご予定の”由乃朋美よしのともみ”様でございます」

「ああ……。そういえば、そんな約束もしていたな。まあいい、いまはそれよりも重要な問題がある。まずはこちらを優先するぞ」


 え? いやいや、ちょっと待ってよ。

 こっちは、この日のために慣れないスーツを着込んできたのに……。


「いまさら、うちで新しいスタッフがやっていけるわけがないだろ。時間の無駄だ」


 なんだ、このガキ……。

 意識せずに表情が険しくなっているのがわかった。


「試様。いくらあなたが天才であっても、ご自身でやれることは人ひとり分の仕事量が限界です。現にいまも……」


 千田河原さんが言い聞かせるようにためすと呼んだ男の子に食い下がる。

 どうもふたりのやり取りを聞いていると、ただの上司と部下という間柄には見えない。

 付き合いは相当に長そうだった。


「ああ、もうわかった! だったら、この女にも手伝ってもらう。その結果を見て、採用するかどうか決める。これなら問題ないだろ」

「それは……」

 

 少年の提案に千田河原さんは困ったような表情でわたしを見た。

 板挟み、なんでしょうね。この反応は……。

 これまでのやり取りを見ていれば、千田河原さんは人手が欲しいが、試という子は知らない人間が増えるのは嫌だという構図が見えてくる。


「そもそも、何も知らない一般人にフレンドの管理を任せるなど、初めから無理に決まっている。どうせ、この女もイマジンの姿を見れば逃げ出すに決まっているさ」


 試くんが急に意味不明な言動を口にした。

 フレンド? イマジン? なんだそれ……。

 ここでわたしのよくない癖が頭をもたげてくる。

 知らないことについては『知りたい』という欲求だ。

 さらには、ついさっき見た不思議な姿の女の子。

 こうして、わたしはさらなる深みへと沈み込んでいく。

 まるで、この童呼原どこはらという場所に誘われ、みずから迷い込むわらしのように。

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