塩釜市営汽船13分の死角

@stdnt

第1話

(本作品の時刻表は平成28年9月現在に実在のものを利用している。)


 宮城県の南、塩釜市には、県警察、塩釜署がある。平成28年、9月20日、その日塩釜署に入った最初の連絡は、遭難届けであった。

 連絡は海上保安庁からであった。塩釜市営汽船からの連絡で、乗客が船から落ち、遭難の可能性があるというものだ。連絡を受けた警官は、遭難者を特定し、身内に連絡、すぐに遭難者には同行者がいたことが判明した。


 塩釜市営汽船は、塩釜市の浦戸諸島を回遊する定期航路である。夏には海水浴客も乗せ、繁忙期となっているが、シーズンオフとなった9月には、島民と少数の観光客を乗せるだけである。今回の遭難者の特定も難しいものではなかった。乗務員が遭難に気が付いてからわずか1時間と10分、浦戸諸島のひとつ、桂島に投宿していた同行者、沢村を宿の電話口で確認することとなったのである。


 塩釜署の捜査二課では、ひとりの刑事が出前のそばをすすりつつ愚痴をこぼしていた。9月になっても、今年の残暑はなかなかのものである。加えての温かいそば。彼の額、というか頭頂部にかけて・・・は、汗の玉がふきでていた。

「なんだってこんなことになるかなあ。そっとしといてほしいもんだよ。」

彼の口癖である。定年を間近に控え、彼の愚痴を聞くものはいなかった。彼の名は友村。捜査二課に配属されたのはまだ彼が若く、希望に満ちていたころのことだ。しかし、年をとり、定年までカウントダウンが始まったいま、彼にはこれ以上の事件は起きてほしいものではなかったのだ。

 友村にいつもの愚痴をはき出させた原因は例の遭難事件である。発生当初、遭難であったはずのこの事件、2日後に発見された遺体には争った痕跡があったのだった。


 ただ、友村が愚痴をこぼしたのは、事件が難しかったからではない。遭難者の同行者、沢村は遭難者の甥であり、彼には遭難者の莫大な遺産が相続されることになっていたのだ。容疑者としてこれ以上確実な人間はいなかった。友村が嫌ったのは、とおりいっぺんの捜査と事情聴取、裏付けの作業であった。友村にはもう気力がなかったのだ。しかし、この事件、そうは甘くなかった。定年間近の老刑事の肺を刺激し、太ももをひきつらせ、そして何より、彼の気力と知力を再びよみがえらせることになろうとは、神ならぬ当の本人、知る由もなかったのである。


 塩釜署を訪れた沢村は、40代手前、なかなか精悍な顔つきをした人物であった。さわやかなポロシャツに身をつつみ、受け答えも快活である。個人商店の経営を行っていた。年上の妻と二人暮らしとのことであった。

「で、当日、あなたは叔父さんと塩釜港から汽船に乗ったわけですね。時間は1300発の。」

よれよれのネクタイを緩め、うちわを仰ぎながら友村が聞いた。

「ええ、そうです。叔父とは、商店のことでいくらかの融資をいただいたこともあり、よくさせてもらっていました。今回のことも、感謝のつもりで企画したのですが、あまりに唐突の事故で、本当に残念です。」

長い脚を組み換え、眉にしわを寄せて沢村が答える。まだ自分に容疑がかかっているとは気が付いていないようだ。

「叔父は、せっかく来たのだから、終着点の朴島まで遊覧したいといっていました。朴島からは同じ船で往復すれば、宿のある桂島までもどることができます。私の方は先に投宿していろいろ準備したり、折り畳み自転車でサイクリングしたかったので、先に桂島に下船したというわけなんです。」

と沢村は続けた。折り畳み自転車でのサイクリングは彼の趣味であり、どこに行くにも、かついで持っていくのだそうである。

「なるほど、では、桂島に下船し、サイクリングをして投宿したところ、警察から宿に電話がかかってきて事件を知ったということなんですね。」

とおりいっぺんすぎてめまいがしそうだった。いくら友村といえども、この詰将棋は簡単すぎるように見えた。

「ええ、あまりに急のことで、何もいえませんでした。」

沢村は余裕の表情である。

「さて、では確認をしましょうか。叔父さんはあなたが下船してから一人となり、遊覧を楽しんだようです。桂島の次は野々島です。各島と島の間では、乗務員による客数チェックが必ずありますから、桂島と野々島の間でも、当然行われました。この時、異常はなかったそうです。」

浦戸諸島の地図と市営汽船の時刻表をかわるがわるみながら友村は話を続ける。そうして、この詰将棋が結構面倒くさいことに気が付き始めていた。しかし、この時点で、難しいものではなく、あくまで、面倒くさいものだと感じていただけであった。

「野々島を出ると、次は石浜。石浜の次は寒風沢ですね。寒風沢の次が終着点の朴島です。客数チェックは野々島と石浜、石浜と寒風沢では異常なし、寒風沢と朴島で初めて、一人足りないということでした。つまり、叔父さんが遭難したのは、石浜と寒風沢の間ということになります。」

「はあ、そうなりますね。」

沢村の受け答えの様子に変わりはない。

「そのころ、つまり1336から1346くらいでしょうか。あなたは桂島にいたと。こういうわけですよね。」

「ええ、そうです。」

「しかし、遺体には争った痕跡があった。そして、遊覧船の手すりは間違って越えられるような高さではない。」

「事故ではなかったのですか?一体、だれが、そんなことを!」

ここにきて沢村はようやく状況が呑み込めたといったふうであった。やっと舞台が整った。決して面白くない詰将棋を始める時である。友村は切り出した。

「現在、わかっているのは、シーズンオフの今、船に乗っていたのは島民数名のみであり、部外者は同行者であるあなたと、石浜から寒風沢の間に観光客が一人いただけという事実なんです。」

沢村の顔をじっと見ながら続ける。

「この観光客を我々は第一の容疑者と考えています。事実、その人間の特定がまだできていません。サングラスをしていたこと、塩釜発ではない場合、チケットを正式に買わなくても、100円をわたせば乗船できることなど、特定は困難を極めています。また、その行動も非常に不可解です。寒風沢に下船後、すぐに1408発の船に乗り引き換えし、1418に石浜で下船しています。その後の彼の消息は不明となっています。」

「怪しいですね。」

沢村も刑事のように眉をしかめている。


友村は一息おき、コップの麦茶を飲み下してから、次の手を打ち下ろした。

「一方でですね。我々は全ての人間を疑ってかからねばなりません。島民を除くとすると、沢村さん、あなたのことなんですよ。」

相変わらず沢村の顔を見続けながら話をしたのだが、沢村は動じることはなかった。

「でも、どう考えても、私には無理ではないですか?手前の桂島で下船してしまっているのですから。」

自身たっぷりである。そこが逆に鼻についた。友村は慎重に話を続ける。

「例えばですね。あなたは桂島では下船しなかった。野々島で下船し、野々島を縦断すれば、市営汽船ではない無料の渡し船が野々島から寒風沢まで出ているのです。途中の石浜は素通りしてです。そして、この野々島と寒風沢の距離が渡し船にしてわずか3分です。渡し船に乗らずとも、なんらかの方法で市営汽船に近づき、叔父さんを船から引きずり落とすことはできないでしょうか。野々島下船は1331ですから、折り畳み自転車をつかえば、島の縦断にはそれほどかからないはず。そうすれば、叔父さんが船からおちた時刻にはぎりぎりまにあいそうです。」

友村にしては、上出来であった。市営汽船の時刻表にはない、渡し船の存在に気が付いたのである。叔父を引きずり落とした後は、野々島に戻り、1423野々島発の逆の経路をたどって1431には桂島にもどれることになるのだ。面倒くさい詰将棋は終わった。あとは面倒くさい裏付けと自白が待っているはずである。


翌日、友村はいつもの愚痴をはいていた。沢村が全否定したこと、さらに、汽船の船長いわく、航行中の汽船に近づくものがあれば、気が付かないはずがないということであった。さらなる決定打は、沢村が桂島で下船したというのを見た目撃者がいたということだ。沢村は折り畳み自転車を持っていたため、よく覚えていたとのことであった。

友村からは今まで以上に気力がなくなっていた。高笑いする沢村の幻影が友村の頭頂部を浦戸諸島の木々のようにいっそうさみしくさせるのだった。

 

友村が浦戸諸島を赴くことにしたのは、決して敗北感を埋めるためや、気力のためではない。むしろその気力のなさが幸いしたものであった。せっかく知ることとなった観光名所を一度はめぐってみようと考えたのである。

 友村が乗ったのは奇しくも、沢村の乗った1300の便であった。塩釜港では缶ビールを一杯やり、いい気分である。もう少し飲みたい気持ちもあったが、乗船した。

 船上は気持ちのよい風に吹かれている。この残暑も、海上の風に吹かれていると、なんともない。酔いも手伝い、ゆれも手伝い、最高の休日をむかえつつあるのであった。


 船は塩釜港を出、1323、桂島に着いた。沢村が下船した島である。次の野々島着は1331であった。野々島を出ると、次は石浜を目指す。船は石浜をめざし、回頭を始めた。

と、ここで、友村の平衡感覚には違和感が生じた。酔いなのか、船のゆれなのか、いや違う、これは、定年まであと少し、いい意味ではなく一直線にゴールを目指す友村にしか感じれない違和感だったのだ。「回頭?」友村は首をかしげた。船はユーターンしているのである。


船はもと来た航路を戻り、桂島をぐるっと裏手に回った。そこにも漁港がある。漁港には、さび付いた看板がかかっていた。「ようこそ、桂島・石浜へ」


 ここにきて、友村の酔いは急激にさめてしまった。代わりに、もうなくなっていたはずの気力がむくむくと頭をもたげてきているのを感じていた。捜査のやり直しだ。石浜は、桂島の一部だったのだ。


 帰宅すると、友村は風呂に入ることもせず、すぐに市営汽船の時刻表を広げた。指で時刻を追っていく

1300塩釜→1323桂島(沢村下船)→1331野々島→1336石浜→(叔父殺害)→1346寒風沢


1323に桂島で下船した沢村は折り畳み自転車で島を縦断し、1336の石浜発の同じ船に再び乗船したのではなかろうか。しかし、桂島寄港から野々島を経て石浜寄港まではわずか13分である。無理だろうか。実証が必要になりそうだ。

やってやろうじゃないか。友村は若き日の自分を思い出した。頭頂部が汗で光っている。


 翌々日、友村は再び塩釜港にいた。今回は缶ビールなしだ。代わりにスポーツドリンクと折りたたみ自転車、そして変装用のサングラスだ。サングラスは石浜―寒風沢間で使うことになろう。


 1300ちょうど、船は塩釜港を出港。数名の島民と数名の観光客、そして、リベンジに燃える一つの頭頂部を乗せていた。

 1323、時間通りに桂島着。急いで下船する。船はすぐに港を離れ、次の野々島に向けて向きをかえつつある。腕時計をみる。すでに1分ほどたっていた。あと12分しかない。

 急いで折り畳み自転車を組み立てる。なれない作業で5分を要した。本当にまにあうのだろうか。頭頂部から分身の術のように光る玉が次々と生まれてきている。

 1329、やっと自転車をこぎ出す。あと7分。絶望的な気がしてきた。

 はじめは急なのぼりである。久方ぶりに戻りかけた気力が再び力を失いかけていた。やっぱ、殺すの、やめようかな。いまならまだ引き返せるな。友村は今、殺人者なのだ。

 のぼりは以外にあっけなく終わった。のぼりを終えると、一機にくだり坂である。一瞬にして島の中心の海水浴場までたどりついた。時間は1332、あと4分だ。

 「なんだってこんなことになるかなあ。そっとしといてほしいもんだよ。」いつもの愚痴である。ここにきて二回目ののぼりである。愚痴というよりも老体を鼓舞しているようなセリフとなった。がんばれ、俺の肺、太もも、がんばれ。

 あと1分。間に合わなければビールのんじゃおうと邪念が舞い込み始めたその時、のぼりがおわり、島の反対側、つまり石浜の港が見えてきた。あとは下るだけである。海には先ほどまで乗っていた船がもう迫っている。間に合うのか、友村。

 下りきったところで自転車を乗り捨てる。当初は隠す予定だったが、余裕がなかった。変装はせねば。サングラスをかけ、シャツを別のものにした。とどめはかつらだ。桂島だけにというわけではない。普段、頭頂部の少ないことに神経をすり減らしていた友村であったが、変装に関しては大助かりだ。かぶるだけで別人になれるからだ。沢村にはできない芸当であろう。あいつはどういう変装をしたのだろう。

 息せき切って再び乗船、心地よい風が汗を飛ばしていく。別のものも。頭の変装を早くも後悔し始めた友村であった。

 

 別人となった殺人者、友村は、石浜出航後の客数チェックの後、叔父を船から引きずり落とした。もちろん、想像でである。繁忙期でないこの時期、船尾で行えば、誰にも目撃されないことが確認できた。

 あとは、例の観光客の足取りのままである。何食わぬ顔をして寒風沢に下船、直後1408発の船で1418には石浜に戻り、再び乗り捨ててあった自転車で桂島の旅館に投宿したということである。警察からの電話1500には十分に間に合う結果となった。


 「なんだってこんなことになるかなあ。そっとしといてほしいもんだよ。」

今日も塩釜署の捜査二課にはいつもの愚痴が響いていた。でも、今日の愚痴は照れ隠しであった。友村の実証は検証され、沢村が自白したのだ。友村には植毛のご褒美が与えられることになった。もう、桂島なんて、言わせない。


 友村の推理はおおむね間違いがなく、沢村の犯行は白日の下にさらされることとなった。彼には叔父への借金があり、また、個人商店もうまくいっていなかったようだ。叔父には、宿が終着点の朴島にあると偽り、彼自身は忘れ物の買い足しを桂島でして、後の便で追いつくと嘘をついて下船したとのことであった。自白の際には、罪を認め、刑に服す意志を示し、友村からの諭にも感謝をしていたとのことである。

 

 友村のその後は、大きな事件もなく、平和に定年をむかえたそうである。

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