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011. 祝
どうしてお祝いできないの、何が気に入らないの、と人生で何度か言われてきた。
どうしてもくそもねえよ、と思うが、言ってもどうにもならないということも学習した。
人のおめでたいことを祝えないなんてへそまがり、性悪、嫉妬深い、いろんなことを言われたけれど、一番いやだったのはあれだ。あのクソ女の。
――本当なら祝ってあげたいんだし、そうすべきなんだけど。
――
そもそもどうして私に祝ってもらえると思ったんですか?と聞き返してなんか怒鳴り返されたのを最後に口を利いていない。
電話、メール、SNS、全て着拒かブロックされたらしい。その情報防御壁の向こうから私のことをあれこれ陰口叩いているのが、もちろん伝わってくる。人の世というものは陰口をその対象に届けずにはいられない性質を元々持っているのだ。
プレゼントやカード、ぽち袋、祝儀袋、ケーキ、お花、そうしたあらゆるお祝いアイテムを私は贈られたことがない。言葉ひとつでさえも。
しかし彼女は私にそれを要求する。
すごい。片務的だ。面の皮の厚さがメートル単位では計測できない。
一番最初は彼女の誕生日だった。
その次は彼女の妊娠。
それから結婚。
出産。
子供のハーフバースデイと、そのあと毎年の誕生日。
子供の入園。卒園。入学。卒業。受験の合格とまた入学と卒業、を2セット。
彼女の仕事での何らかの受賞。
彼女自身の誕生日。
結婚記念日。
母の日。
彼女は毎度、「一緒にお祝いしてね!」と言う。私は毎回何もしない。何ならその祝いの場に同席せずフケる。妹が泣き父が怒り彼女が悲しむふりをする。
これを繰り返す。
本当に祝ってほしくて祝ってもらえないことに傷ついたのなら毎回毎回同じことを繰り返しはしないはずだ。毎回にこにこして「一緒にお祝いしてね!」と言わないはずだ。毎回同じことをするのは、同じものが見たいからだ。
父をはじめとする周囲の人間に、冷たいとか性根が歪んでいるとか思われて責められる私を、被害者側のポジションに立って見たいからだ。
それについて私はいま、妹に真意を問われて、真意もくそもねえんだが?という話をしようとしているところだ。
なんでも、私があまりにも彼女に敵意を向けるのが悲しく、二十年以上も頑張ったけれどついに心折れて連絡を拒否してしまった、分かってもらえないのがつらい、頑張ってきたのにつらい、と彼女が嘆いたのだそうだ。あまりにすごいので、私は妹に、うわっすごいね、と素直に言ってしまった。
因みに、家では妹に近寄るなと彼女に言われていたので、妹と話すことは殆どなく、これが多分人生で30回目くらいではないだろうか。20年近く同じ家に住んでいた時期があってなお、そのくらいだと思う。
まあ何しろすごい。ほんとうにすごい、継続する力がすごい。
私がそう繰り返すと、妹は凍りついたような表情のまま、なんなのよ、と言った。
なんなのよ、って言われてもなあ。
「まあお察しの通り私はあの女が世界で一番嫌いだから祝ってやったりしたくないんだけど、あの女はそれを私の性格が異常なせいだと言っているわけでしょ? 私の性格がひん曲がっているから妹にも優しくしないんだとか言うわけでしょ? 理由が私にあるというご主張なんだよね。
それでこんな、30にもなる女のところに、24にもなる妹が、お母さんに優しくできないのはなぜなんだ、と来るわけでしょ。何もかもすごいよね」
パフェのクリームがうまい。この店はチョコレートソースもたっぷりかけてくれるから好きだ。それを知ったのは小学生の時だが、実際に食べたのは高校生になってからが初めてだ。だってあの女が私の分はいつも注文させなかったからね。
あいつはいつもそうだった。妹には与え、私には与えない。それを同じテーブルでやる。
当時はやられっぱなしだった。私は声が出せなかったからだ。
「朋ちゃんは最初からそうだった、ってママは言ってた。朋ちゃんと会って最初のママの誕生日、パパが一緒にお祝いしようと言ったのにお料理をママにぶつけてヒステリーを起こしたって」
「うん、史実通りだよ」
「ママはそれは仕方なかったって言ってるの。朋ちゃんはまだ小さかったけど本当のおかあさんのこと忘れてなかったはずだし、急に私が現れても訳が分からなかっただろうって。でも少しずつ仲良くなれると信じてたって。それなのに朋ちゃん、あたしを妊娠してるママのお腹を電話帳で殴ったんだって?」
「殴ったところは史実通りだね」
「朋ちゃんとは色々あったけど、あたしそれは初めて聞いた。すごくショックだった」
私はクリームとバナナを一緒に口に運びながら妹の顔を見た。
目に涙をためている。ダマの一切ないマスカラで滑らかに肥った睫毛。なんとかショコラとか名前がついてそうなパレットで塗ったっぽいアイシャドウ。愛されほっぺの血色チーク。マットかわいいニュアンスグロス。リボンモチーフのピアスとミルクティ色のゆるふわヘア。
かーわいい。
よその子だったらそう思うかも知れねえな。
でもなあ妹。おまえの母親はほんとクズなんだよ。可哀想だけどそのとばっちりで私はおまえのことが大嫌いなんだよな。おまえもあの女の薫陶を受けてまあまあのバカだし。
「ママの誕生日も、妊娠も、あたしが生まれた時も、母の日も、あたしの誕生日も、朋ちゃんは絶対にお祝いしてくれなかった。なんでなの。何でそんなにママやあたしが嫌いなの?」
「その理由を、あんたがいつか誰かから聞いて知って傷付くといいな、って長いこと思ってたんだよね。何せほれ、私は高校生になるまで声が出せなかったし、あんたには近寄るなってあの女には言われてたしで、説明する術はなかったから」
えっ、と妹は小さな声を漏らした。
「声出ない? え? 喋りたくないじゃなくて?」
「出ない。出なかった」
「な、なんで」
「知らないよ。なんかストレスとかじゃないの。病院に連れてってくれる人もいなかったから実際何だったのかは私も分からん。事実としては、初めてあの女に会ったその、私が料理ぶちまけた誕生日のあたりから、高校入ったくらいまで、家では声が出せなかった。
知らなかったんでしょ。よく知らないでいられたね。あんたの誕生日にハッピーバースデーの歌を歌えってあの女に強要されて私が暴れたの、確かあんた7歳くらいだったと思うけど」
あの子はあたしたちに口を利きたくないんでしょう、あんな強情な子見たことない、とあの女は言っていた。そういう解釈で妹も父も、もしかするとあの女自身も、私が本当に声を出せないのだということを気付かずにいた。
あの女が私に熱湯をかけた時や、私が家の中で転ばされて骨を折った時にも私が声を出さなかったことで勘のいい奴なら気が付きそうなものだが、あの女も父親も基本的に頭が悪かったし妹は子供なので気が付かなかったらしい。
「それは、本当に知らなかった。ごめん……でも、もし声が出せたら理由を教えてくれてたの? 理由はなんなの?」
すごいなあ、と思う。
これを今の今まで知らずに生きて来られたんだなあ、と。
あと、ここのパフェ、チョコアイスがまじでうまい。
「あのさぁ。あの女が見たくないっつったから家に仏壇ないし、そもそも位牌もないし、うちはあの女が来て以来墓参り行かなくなったから知らないんだろうけどさ。
私が料理ぶちまけたその、最初の誕生日ね。あの女の。その時って、私の母親まだ生きてたんだよね。病院で。本当のおかあさんのこと忘れてなかったとかじゃなくて生きててもちろん離婚もしてなくて、私にしてみりゃ病院にお母さんいるのに知らない女が家にいて父親といちゃいちゃしてて、朋ちゃんこれからよろしくね今日は一緒にお祝いしてね、とか言われるの意味が分からないよね。あと私の母親とあの女、何の因果か知らんけど誕生日同じでさ」
「え」
「何つって聞いてた? 奥さんなくした子持ちの男と出会って結婚したってあの女言ってるんじゃないの? あのねー、奥さん生きてました。自殺未遂でかえって苦しむみたいなやつで入院して、生きてて、生きてるうちにあの女、うちに上がり込んできて、お誕生日なの一緒にお祝いしてね、とこうだから。私5歳。5歳なりに殺そうと思ったよね実際」
だってその日は病室でお母さんの誕生日パーティーしようねって約束してたからさあ、と言うと、妹は口を半分開いてこっちを見ていた。
「そんで、私の母親がまだ生きてる間にあの女、あんたを妊娠したわけ。それはもう殺そうと思ったよ。
あのさあ、その状況で、どうしてお祝いしてくれないの、朋ちゃんの弟か妹なのよ、って泣かれてもそれはあんた、このクソ女のせいで私はお母さんに会えないから殺そうと思うじゃん? そもそも自殺未遂の原因からしてあの女に夫とられたせいだから」
妹は半開きの口を動かさない。動かせないのか。
ここのパフェは気合いが入ってるので中盤以降を全てフレークや刻みスポンジでかさ上げするみたいな軟派なことはしない。底の底までアイスクリームとソースで層をつけてある。最高。
「まあさそれであの父親的なゴミがあの女にばっか目ぇ向けて碌にお見舞いにも行かないうちに私の母親は死んだわけ。そんなだから誰も看取れなかったけど看護師さん曰く最後の言葉は『くやしい』だってさ。因みに葬式一切なし。
そんでなんか割とすぐあの女が一緒に住むとかいって引っ越しになってさ、やべぇ声出せねぇと思ってるうちにあんたが生まれたわけね。でまた、一緒にお祝いしてね、を言われるんだけどさ、正直父親は気持ち悪いわあの女はうぜぇわ赤んぼは発生するわでこっちもそれどころじゃないんだよね。
そいでもう家庭?とかいうなんか茶番のようなあれ?はあんた中心に回るじゃん、赤んぼだし、あんたの方が二人の子供だし。
それで私に、あんたの誕生日とか、あの女の誕生日とか、母の日とか、祝ってね!って言い続けるの完全に悪意でしかないしこっちもお祝い演じる気もなけりゃ余力もないわけよ。ご存知の通り私のお祝いは何ひとつ一切絶対されなかったから義理も無えと思ってたしね」
長いスプーンがグラスの底に当たった。
私は最後のチョコレートソースを口に運びながらテーブル備え付けの呼び出しチャイムをノールックで押した。チョコパフェもうひとつ食べたい。
ぴいーんぽおーん、と間の抜けた電子音が鳴り響き、妹の手元のカフェオレは全然減っていない。
「で、こないだあのバカ女は私が婚約したんだと思って私のマンションに押し掛けてきたの」
「えっ、してないの」
「しないしない。ここまでの流れで私が結婚とかに希望持つと思ってんの? ただ誤解した低脳があの女にご注進したんだね。ほれ、あの女の弟子気取りのがいるでしょ、あれだわ多分」
「えっだって、じゃあなんで男の人と同居」
「女の人とも同居してるよ。うち4人住んでて女2の男2。ルームシェア。早とちりもいいとこ。あ、チョコレートパフェひとつ追加お願いします。
それでさああんたの母親さあ、ずかずか入ってくるなり、
『あなたみたいな難しい子と結婚なんて、よっぽど変わったひとなんでしょうね。本当なら祝ってあげたいんだし、そうすべきなんだけど、朋ちゃんは私が一番祝ってほしいときに、祝ってくれなかったから。私、素直におめでとうとは言えないし、お祝いの席も遠慮させてもらうね』
と、こうですよ。
結婚は誤解なんだけど素朴に疑問に思ったから聞いたのね、
『そもそもどうして私に祝ってもらえると思ったんですか?』
って。
そしたらあの女、初めてキレてなんか怒鳴り散らして勝手に帰ったわ。出てって3分くらいで、メールも何もかもブロックします、以降連絡しません、ってメッセージだけ来た。別に何の痛手でもないんだけど何を一人で盛り上がってんだろうって感じ。
以上。質問は?」
妹は本当に当惑しているようだった。バカなので本当にびっくりしているのだろう。
どのくらいバカかというと、この妹、私が家庭内ではっきり差別されていることは確実に知っていたしそれを利用してあの女の機嫌を取ることすらしていたのに、何でそんなにママやあたしが嫌いなの?みたいなことを平気なツラで言うくらいのバカだ。
私は悪くない、と思うために、私は悪くないということにできるしそれをセルフで信じられるタイプのコミュニケーション妖怪といえる。
私は妹に対して最初で最後の親切をしてやろうと思い、このクソみたいな話にボーナスをつけた。
「関係ないけど私、あんたの彼氏の奥さん知ってるよ。その人が仮に、私の母親みたいに旦那寝取られたら辛くて自殺するみたいなメンタリティならあんたもあのクソ女みたいにうまくやれるかもね。まあお勧めはしないけど」
「……あたしの人間関係調べたの?」
「そんなもん知りたくもないわ。職場でバレバレの浮気してるアホ男眺めてたら完全に相手があんただっただけだよ。デートの場所も選べないんだからアホ男もあんたもいまいち頭がよくないね」
「彼は奥さんに精神的DV受けてるの。被害者。何とか離婚するって言ってるし、もう奥さんに心はないんだから浮気じゃない」
「すごい。まあがんばれ。むりだけど。奥さん妊娠したし」
めちゃくちゃ棒読みでそう言うと、私はコーヒー取ってくると言って一旦席を立った。
ボタンを押してドリンクバーのコーヒーを注いでいる間にちょっと振り返ると、妹と背中合わせのテーブルに座っている姿勢のいい女性とスーツ姿の男性、それに年配の男女が見えた。
妹はスマホにかじりついて何か連打している。やがてスマホを持ち上げて耳に当てた。通話だ。バカだねえ。
コーヒーを持って席に戻ろうとゆっくり歩いていくと、妹の話し声が聞こえた。
「奥さん妊娠したってほんとなの? 嘘でしょ、もう3年も何にもないって言ってたじゃん! 離婚は?」
ねえ今すぐ来て、とか言ってる。最高にバカだねえ。
私が席に戻る時には通話は切れていて、妹は割と荒んだ表情をしていて。
おまえの背中越しに座っているのは、当の奥さんと弁護士と、不倫男の両親なんだよなあ。私と奥さんは元同僚でそこそこ仲がいいから、こういう事になったからには、と協力して一席設けたわけよ。
まあこのまま罠に掛かんなさいよ。自業自得ってもんだ。
それにねえ、あの男、他にも女いるよ。
コーヒーをふたくち飲んだところで私のチョコレートパフェが運ばれてきて、感じのいい店員が空になった方の食器を下げていく。私の家族とかいうやつは最低オブ最低だけどここのパフェはうまいぞ、えらいぞ、とその背中に念を送った。
完成形のパフェのどこからスプーンを入れるかはいつも悩みどころだ。今回も生クリームから行っちゃうかも。ああ、チョコレートソースたっぷり。大正義。
落ち着かない顔の妹は私の手元と私の顔を交互に見ている。こいつ、私が何で義母を嫌いかとかもう吹っ飛んでるんだな。男のことで頭がいっぱい。何という愚かさ。さすが私のあのゴミみたいな父が選んだクソ女の育てた娘。
なお私は生クリームのてっぺんのミントも食う派。鼻に抜けるミントの香りが好きだ。
そうしていると、妹が恨めしそうに、何でそんなに食べられるのよ、と言った。
「何って。お祝い」
「お祝い。何の」
「私があんたやあんたの母親を絶対お祝いできなかった理由を、溜めて溜めてやっとお知らせできたお祝い。あと、これからあんたたち困るんだろうなぁって思うとすっげー愉快だからそのお祝い」
「困る?」
「だって多分あんたの不倫がばれてそれなりの制裁受けるじゃん? 慰謝料とか。慰謝料誰が出してくれんの? あの父のようなものは死んだわけだし遺産は碌になかったしあんたの母親はそんなに稼ぎないじゃん? あんたも蓄えがあるようには見えないしさ。
長年私を苦しめてきたものが苦しむ姿を見られるかと思うと、チョコパフェの2つや3つはペロリよ」
「苦しめたりしてない! あたしそんなつもりなかったし、」
「苦しんだかどうかは、苦しんだ本人の私が決めるの。あんたのご意見は要らない」
「い、慰謝料なんて、あたしは悪いことしてないもん」
「それを決めんのもあんたじゃなくて法律なんだよね。あんたが決められることなんかそんなにないんだよ。私のお母さんも死ななかったら慰謝料いっぱい取れたんだろうなあ、旦那からも愛人からも」
ぴいーんぽおーん。
私の後ろで、入店のベルが鳴る。
誰か歩いてくる。
私が振り返ると課長は横っ面をピコピコハンマーでぶん殴られたような間抜けな顔をした。
残念、
そしてあんたの奥さんと両親もいるけど。
地獄までカウントダウンあと5秒。
チョコパフェがこんなに美味いシチュエーションがあるだろうか、いやない。反語。
最低で最高ですな。
やがて醜い罵り合いが続く中、私は3つめのチョコレートパフェを追加注文した。
ほんと、お祝いのパフェ、最高だよ。
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