010. 歪

 お前達のような顔に産んだつもりはない、と何度言われたか知れない。

 母は、私達の顔に不満を持っていた。美貌の自分が、顔で選んだ男との間に産んだ子なのに、なぜ母にも父にも劣る造作ぞうさくで生まれてきたか、と不満を持っていた。


 父は確かに美形であった。残念ながら演技力が無いので役者こそやらなかったが、モデルとして静止画には耐えるどころか類い稀な整った、いわゆる日本人離れした顔立ちで、彫りは深く目は大きく鼻筋が通って口元は詩的に整い、頭身も高く、母曰く「手に入れられる中では最高に美しい男」とのことだった。

 母はもちろん美しかった。多分、父より遥かに。自分で言うだけのことはある。たまたますれ違った人がふと視線が合ったというだけで腰を抜かしたこともあるくらい美しかった。父と違って母の方は芝居に天賦の才を示し、殆ど人間ではないくらい神々しい神仙の姫のような役どころを、腐ったような襤褸ぼろを着て泥だらけになってでも演れる、一種異能の人だった。

 母の父母、つまり私達の祖父母も、写真で見る限りは相当の美男美女。母は子供を作るに当たって私達の父の両親についても顔を確認し、どちらも整った顔立ちで、どちらも整形していないことまで確認してから妊娠した。


 それで生まれてきた私達の顔が、母には不満であった。

 理由は複数ある。

 よくない場所にほくろがある。

 まぶたが二重ではなく一重である。

 目頭に蒙古ひだがある。

 鼻の頭が少し上向いている。

 子供なのに唇の縦皺が深い。

 色白とは言いがたい。


 しかし、何よりも母を失望させたのは、私達それぞれの顔の作りが左右対称でないことだった。


 美人の条件は顔が左右対称になっていることだ、というのが母の言い分で、それはまあ確かに一つの要因としてはそうなのだが、左右対称でなくとも魅力的で美しい顔の人はいくらでもいるじゃないかと今では思う。

 しかし母は、我が子の顔が左右対称でないことを決して納得しなかった。「私も旦那も左右対称顔の美形なのに、生まれる予定の子供が生まれずに、不良品が出てきた」と私達は何度も言われたものだ。

 十歳以上年下の父とは、双方の仕事に絡んだ生活のすれ違いから離婚したと世間には発表したようだが、本当のところ母は理想の子供さえ手に入れば夫など捨てても構わないと最初から考えていた節があるし、実際に不仲になった原因は私達子供の顔についての意見の相違だった。それほど母は私達の顔が気に入らなかったのだ。


 父は、二十歳そこそこの若さ、というより幼さで、母にほぼ騙されて結婚し父親にさせられたようなものだった割には、生まれた私達のことは気にかけてくれた。周りの友達がまだまだ遊んでいる年代で、自分も生活が滅茶苦茶なところはあったが、家にいる時は本当によく面倒を見てくれたそうだし、私達との約束も守ってくれた。そして、ある時からは急に、まめに家に帰ってくるようになった。

 まだ幼かった私達の顔に母が不満を持ち、不細工だ、醜い、こんな子供が生まれるはずがない、と私達に言い続けていることを知ったからだと後から言われた。幼稚園の子に毎日毎日言うことではないし、その歳の子を骨格矯正のエステに通わせているのも気違い沙汰だと思った、と。


 生まれてきた子のありのままをなぜ愛せないんだ、この子達はこのままで最高に可愛い、と父は主張した。

 私の子として見劣りしないくらい最高に美しい子供を生むために最良の夫を選び抜いたのに、本来生まれてくるべきレベルの子が生まれなかったのだからおかしいでしょう、おかしいことをおかしいと言って何が悪いの、不良品を見てここが悪いと言うことに何か問題あるの、要求レベルを満たさないものが可愛いわけないでしょ、だからもう一回産む、というのが母の主張だった。

 最終的に父が離婚を決意したのは、母がそのような話を私達の目前で滔々とうとうと話したからだった。


 様々の録音があり、私達のつたない日記や言動があり、骨格矯正エステの利用記録があった。

 親権は父に渡った。


 けれども、その時にはもう、遅かった。

 私の妹はアクセルもブレーキも壊れていた。

 父のお金を盗み、ウリをやり、ゆすりたかりや恐喝にも手を染め、まとまったお金を作っては、顔を直した。

 ほくろを消し、二重瞼を作り、蒙古ひだを消し、鼻のかたちを変え、唇のふくらみを変え、骨を削り、異常なまでに美白にこだわった。

 整形費用ほしさに何度も法に触れることをしては度々警察のお世話になり、有名モデルの娘の非行としてゴシップが書き立てられ、父はモデルの仕事をだんだんやらなくなっていった。


 そして決定的な事態が起きた。

 妹は整形を繰り返し、ある時これで母の求めた顔ができたと思ったらしい。私に言わせればその時すでに妹の精神状態は後戻りできないところまで来ていた。率直に言って、安価で繰り返し少しずついじった妹の顔は悪夢のような崩れ方をしていたのだ。妹にはもう正常な判断力がなかったと思う。

 妹は母の仕事帰りを待ち伏せて離婚以来初めて顔を合わせ、「ママ、これならいいでしょ」と迫ったらしい。

 それに対して母は、「化け物」と言った、らしい。


 妹はその足で整形手術を執刀した医者のところへ押し掛けて殺し、そのまま父を殺すために帰宅した。

 自分の顔を不良品にした人間を全部殺そうというつもりらしかった。

 医者が殺されたことで迅速に動いた警察は妹より早く父の家に待ち受けており、妹はそこで逮捕された。

 警察から連絡を受けて、「じゃあ次に父を殺そうとするんじゃないかと思います」と言ったのは私だった。狂っていても妹の考えそうなことは分かる。


 間もなく、妹は留置場で自殺した。



 半年ほどしたある日、今度は私が母の仕事帰りを待ち伏せて、離婚以来で顔を合わせた。

 あからさまに迷惑そうにする母に、私は簡潔に伝えた。


 あなたの来なかった葬儀に、あなたからは聞いたことのないあなたの姉が参列してくれた。

 彼女は、父母にあまりにも似ない平凡な顔立ちだったために疎まれ、親戚の養子に出された。決して関わってくるなと言っていた実の父母が最近相次いで亡くなったのでようやく妹と連絡を取ろうとしたが事務所は取り合ってくれなかった。そのあと新聞で事件を知り、何とか調べて斎場に来た。

 この初対面の伯母と私達父娘は色々なことを話し、その中で重要な事実を知った。それをあなたに伝えたい。


 母は迷惑そうな顔を崩さず、私の顔も見なかったが、私は構わなかった。


「ママはおじいちゃんとおばあちゃんの子じゃなく、養子だったの。ずいぶん探して、特別可愛い子を貰ったんだって。どういうことか分かる?」


 今なら私は分かる、ママはすごくバカだったんだってことが。

 いいところだけが何でも望み通りに産みの親に似るなら、どの親子でも、美人の子は美人に、秀才の子は秀才に、画家の子は絵の才能を持って、スポーツ選手の子は運動神経よく生まれるはずだ。でも実際はそうじゃない。

 秀でていない部分だって似るし、親に似ないで子供が独自の性質や見た目を持つことだって多い。

 それなのに、自分が望んだから必ず望んだ通りの美しい子が生まれなければおかしいと考えるママがおかしい。

 望み通りでないのなら現実の方が間違っていると考えるママがおかしいのだ。


 そうして妹は、まりあは気が狂った。


 ママは少しずつ青ざめているようだった。


「つまり、おじいちゃんとおばあちゃんの美形は実の子に遺伝しなかった。ママのレベルの美形が私達に受け継がれなかったのと同じだね。

 おじいちゃんとおばあちゃんは実の子を捨てて顔の綺麗な子を娘にした。私は、ママもそうすればよかったのにと思ってるよ。早くそうしていれば、こんなことにならなかったかもね。

 顔のことについちゃママは頭がおかしいと私は思うけど、それはまりあに受け継がれた。どう考えても、そうでしょ?

 そして、おじいちゃんとおばあちゃんも、顔が美しいかどうかでしか子供を見られないくらい頭がおかしい人達で、それは、血の繋がらないママに受け継がれてるよね」


 青白い顔で何も言えずにいるママを見ても、本気なのか演技なのか分からない。ここで演技するメリットも思い当たらないから本気なのだろうか。とにかくこんな時でも、信じられないくらい美しい人ではあった。


「ママ。私は、ママがまりあを殺したと思ってる。ママとパパが離婚する頃にはもう、まりあは殺されてたと思ってる。ママの美人病に取り憑かれて」


 ありす、とママは、殆ど唇しか動かさずに言った。


「ねえ、ありす、あんたはまあまあ成功してるじゃないの。まりあよりは」


 握り拳で産みの母をぶん殴った。

 日本で、東アジアで一番美しいと言われている女を殴った。

 殴り慣れない拳はびっくりするくらい痛くなった。

 でも、もう何も元通りにはならない。

 まりあも、私も、あの伯母も。



 後日、面会に来た父から聞いた話によると、私の起こした傷害事件によって私たち姉妹や母と伯母の姉妹のことが報道され、母は仕事をキャンセルして姿を隠しているという。私が暴力を振るい慣れていないものだから、母は打撲で顔を腫らしただけで、骨折も何もなかった。

 目玉か鼻を狙うんだったわ、と私は言い、もう何もしなくていい、と父は言った。

 父は泣いていた。私とまりあに済まないと言って泣いていた。鼻水を見せて泣いても、歳をとっておじさんになっても、やはりきれいな人だと私は思った。


「パパ、私はもう大体気が済んだの。もう何にもしないから、もし許してくれるならパパの家に帰りたいんだけど、いい?」


 いいよ、勿論だよ、と答えが帰って来て、私は脱力し椅子の背もたれに身体を預けた。


 卵焼きが食べたいなあ、と思った。

 パパの作った卵焼き。

 まりあの好きだった卵焼き。


 ちょっと歪んだり焦げたりしてる、あの卵焼きだよ。


 ねえ、まりあ。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます