008. 魔性

 事故の多い人生である。


 随分不注意な人間なのかと思われそうだが、それは誤解だ。おれは結構几帳面かつ慎重な方だしドジは少ない方だと思う。だから転んだり道路に飛び出したりはしない。怪我も滅多にない。

 事故は、おれの近くで起きるだけで、おれはいつも目撃者なのだ。


 幼稚園では、アスレチック遊具のてっぺんから、隣のクラスの園児が落ちて大怪我をした。

 小学校2年生、学校そばの道路を横断していたクラスメイトが車に撥ねられるのを見た。

 小学校5年生、夏休みのプール開放で上級生が突然垂直に沈んだまま浮いてこなかった現場も見た。

 家族旅行に行けば、泊まっていた大型温泉旅館の庭園で、若い女性が踏み石で足を滑らせ、別の庭石に頭を打ち付け病院に運ばれた。

 中学校では、ターゲットをリンチしていたグループの一人が屋上から誤って転落。

 高校入試の日には、たまたま同じ教室になった他校の生徒が、試験中に大声の独り言をはじめ立ち上がって椅子に乗り何か喚き出すなどの乱行に及び、止めようとした試験官を振り切って教室を飛び出し全速力で階段に突っ込み転げ落ちて救急車沙汰に。

 高1、学校祭準備中にちょっとどうかしてしまったらしい男子がアンプを振り回し教師が負傷。

 高2始業式の帰り、塾で顔馴染みの他校生が向かいのホームから通過電車の前に飛び込む。

 高2夏休み、新しく来たマンションの管理人がゴミ収集車のゴミを突っ込むところに飛び込む。

 高2クリスマス前、バイト先の客が連れにウオッカをぶっかけライターで火をつけた。

 高2大晦日、深夜に友達と初詣に出掛けた神社で売店の売り子が突如陳列品をひっくり返し奇声を上げながら同僚を殴打。


 お分かりだろうか。

 なんとなく、間隔が近くなってきているのだ。


 そして、そのことについておれは今、知らない女に聴取を受けている。


 かいつまんで言うと、おれが原因だ、という話であった。

 キミを見ると理性の箍が外れちゃう人が一定の確率で存在するのよう、と女は言った。


 余談になるが、おれは女が苦手だ。温泉旅館ですっ転んで頭からなかなかの出血をした例の女が、ダブル不倫のお忍び旅行中で、女の旦那と女の愛人と女の愛人の妻が旅館内でコンタクトしてしまい、改めて救急車と警察を呼ぶ騒ぎに発展した一部始終を見てしまったあの時からだ。

 後年、ニュースでその女の顔写真に再会した。愛人男もだ。ふたりは、詐欺グループとして検挙されたとのことだった。

 その直前、おれの家庭では、父親の愛人が突然やってきて母親を嘲笑うというイベントがあり、連結イベントとして母親は女を平手でぶっ飛ばし(元実業団バレー部だ)、一年にわたり密かに蓄積してあった数々の証拠で父親を精神的社会的にぶん殴った。

 おれは女には近寄りたくない。


「とにかくキミは人間を減らす方向に作用する因子なの。キミを見た他人の意識をこう、アレな感じにさせちゃうことによって」


「人間増えて困ってんじゃないすか、減ればいいでしょそしたら」


「人には天命とか寿命とかいうものがあんの。キミみたいなのはそれを乱すノイズ要因なんだよぉー。困るんだよねぇ、予定の生き死にの裏にはあたしたちの綿密な段取りがあるんだからさぁ。計画外のところで急に死なれても割り込み厳しいんだよ、こっちも慢性的な人手不足なんだから」


 ちょっと待ってくんねえかとおれは言った。


「これまで色々事故見てきたけど死んだやついないはずなんすよね」


「みんな死んだんだよぉ? それをねぇ、見付け次第あたしたちが、特別逆行で死ななかったことにしてさぁ」


「えっ、そうなの」


 じゃああの詐欺女も、マンションの管理人も、死んだのかよ。

 まあ管理人に関しては確かに、完全にゴミ収集車に全身喰われたのを見たのに全治6ヶ月くらいで復帰してきたのは驚いたが。


「正直ねぇ、もうしんどい。ほんとしんどいんだよぉ、全力で駆けつけて逆行して修正。力業よ。それにさぁ気付いてんでしょ、最近頻度高くなってんでしょ」


 まあそれは、そうなのだ。

 ちょっと落ち着かないな、気味が悪いな、とは思っていた。


「修正もそんなに安全ではないわけ。修正当てるとその人間の性分っつーの? 何ちゅーか人間がね、ちょっと変わっちゃったりとかするから、やっぱ後に影響はあんのよ。もうこんなイレギュラー続けるわけにもいかなくなってさぁ」


 あれっ、とようやく思った。

 これあれでしょ。

 おれがノイズならおれを消す流れじゃないの。


 背筋が気持ち悪い細かさで震えだしたような気がした。

 眉間の奥で血がギュンギュン巡り出したような切迫した落ち着かなさ。

 焦燥感。


 女は刈り上げた側頭部のタトゥーを撫でながら言葉を続ける。


「……だからキミにはこっちの要員に入ってもらうことになったからぁー」


「は?」


 は、の形に開いた口から緊張がどぼっと出ていくような気分がした。


「こっちの人間になれば、ノイズキャンセリング少しはできるんだよねぇ。大体は死んだ人からスカウトするんだけどさぁ、たまにキミみたいなインフルエンサー見付けると生前スカウトすんのー。就職おめでとお。あ、拒否権ないからねぇ」


 ……待てよ、おれは高卒で就職する予定ではなかった。法医学やりたさに医学部を目指していたのだが。

 すると、見透かしたように女は、いいんだよぉ、と言った。


「ふつーに進学とか就職とかして大丈夫だよお、ただ、『仲間』のいるとこに行くことになるけどねぇ」


 刈り上げ女は、偏光パールみたいなへんな空色の唇で微笑んで、じゃあ魔性君、今日からよろしくねぇ、と言った。


 魔性って。

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