第3話 後悔先に立たず
六畳ほどの部屋に勉強をするための机とパイプでできたベッド、水色の布団、棚には多くの漫画がおいてある。
ベッドには一人の少年が寝ている。
花柄のカーテンの隙間から朝日がこぼれる。
━ジリリリリリリ━
アラームの音が静かな部屋に響く。
「ふぁ~、朝かぁ~」
眠い目を擦りジャージ姿の少年はベッドから起き上がる。
今日も学校へいくのは面倒だと思ったが、お腹が空いたと立ち上がる。
部屋が二階にあるため階段を降り、たどたどしい足でリビングへ行く。
キッチンでは母親がフライパンを振っているからであろうか、油の臭いが充満している。
「おはよう、こうた!今日はちゃんと学校へいくのよ。」
起きるのが遅かったからであろうか。
母はいつもよりもすこしきつい言い方だった。
「母さん、なんで学校なんか行かないといけないの?勉強なんかできなくても生きていけるよ。」
寝起きでイライラしながらもいつものリビングに入ってすぐのところに座る。
「それは大人になったら分かるのよ。大人になってあのときあーだったらとかいっても遅いのよ。」
「でも…」
「でもじゃないの。後悔先に立たず。ご飯食べて着替えて歯磨いたら学校へ行きなさい!」
「はーい」
これ以上ないくらいに気持ちのない返事であった。
(学校にいってもなにもできないのに…行きたくないなぁ…)
学校についた。
門の前で立ち止まる。
すこしいったら玄関があり、教員たちが生徒に挨拶をしている。
非常に憂鬱である。
憂鬱である原因は、例えば挨拶がしたくないであったり、友達がいない、授業がつまらない、などという理由ではない。
そして、決していじめなどでもない。
学校に行きたくない理由は、シンプルだ。
なにもできないのである。
勉強も運動も、友達もいないからである。
逆に学校へ行くことが不思議なくらいなにも学校でしていない。
(引き返してコンビニで立ち読みでもしようかなぁ…)
悩んでいると学校の玄関の前で挨拶をしている一人の大人が走ってやって来た。
「よう!こうた!おはよう!今日も元気ないな!!」
バカみたいに大きな声で挨拶をしてくるのは保健室の先生である加藤理沙かとうりさである。
「お、おはようございます…」
そういうと玄関へと歩きだした。
(今日も先生かわいいな…)
学校へ行く唯一にして最大の理由である。
「こうた!今日も来るか?」
もちろん、行くに決まっている。
授業なんて受けてもなにも分からないし、お昼ご飯なんてもっと地獄だ。
トイレで食べる人もいるという話を聞くことがあるがそれはごめんだ。
一人で黙々とご飯を食べるのに保健室はうってつけの場所である。
本音は先生を見られるからなのであるが。
「はい」
玄関へいきしゃがみこんで靴を履き替える。
加藤先生がまた走り寄って自分の目の前まで来て、目線の高さをこうたと合わせた。
「いい忘れてた!今日、私、昼いないから‼保健室だけあけておくから!」
目を見開いた。
これ以上ひらいたら目玉が飛び出るほど見開いた。
それは先生がお昼にいないからではない。
もちろん、それはショックであるのだが…しかし、今自分の目の前にあるものによってそんな感情はないに等しいものになっている。
目の前にはこの世のものとは思えないほど谷間がおおきく自分を飲み込もうとしている。
そう感じさせるほどであった。
唾をごくりとのみこむと落ち着いて静かに言った。
「わかりました。」
靴を履き教室へ向かう。
三年生であるために教室は三階である。階段の前で少し立ち止まる。
(めんどくさいなぁ、どうして三年生が一番下の階じゃないんだよ…)
一瞬そう思ったが他の生徒に変な目で見られている気がして下を向き、誰もいない階段を駆け上がった。
しかし、体力は一階から二階へ駆け上がるまでも持たない。
(このまま大人になって大丈夫なのかな…メタボとか…成人病とかになりそう…)
息を切らしながらゆっくりと歩いて階段を上る。
他の生徒は邪魔だとばかりに追い抜いて階段を駆け上がる。
ただ階段を上っているだけであるのに息が切れる。
(あれ…おかしいな…僕まだ若いのに……大人になる前に死ぬんじゃないのか。まぁ死んでもいっか。)
此の世に未練というものはあまりなかった。
若くあまり経験もないが、この先楽しいことはあまりないように思えた。
もちろん、世の中には楽しいことがあふれてはいるが、何もできない自分には縁のない話だと高校生ながら感じていた。
三階の教室の前につくころには息は完全に切れており、走破したマラソン選手のようにうなだれていた。
しかしそこに倒れ込むわけにはいかないため、寝起きの時のようにトボトボと歩く。
教室での自分の席は廊下から一番遠くの窓側、しかも一番後ろの席である。
この席は皆が関わらないようにしているのではないのかと思わせるほど、教室で誰とも関わることもない。
プリントを回すときくらいである。
授業で隣の人と採点し合うようなときは採点し合わず、自分で自分の採点をする。
かといって答えをなおして丸を付ける━━なんていうイカサマをすることはない。
これでも一応正義感くらいはある。
席に着くとすぐに机にうつぶせになる。
宿題をやっていないことを思い出し、どのように言い訳をしようか考えていると担任の先生が教室に入っていきた。
━キーンコーンカーンコーン━
(はぁ…今日も始まるのか…帰りたいなぁ)
憂鬱な気持ちを隠さず顔に出したが状況は変わるはずもなく、そのままSHRが始まった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
━キーンコーンカーンコーン━
(やっと終わったー‼)
小さな喜びをかみしめる。
これで今日の地獄は終わりである。しかも明日は土曜日、学校へ行く必要はない。
華金という言葉があるが、今の気持ちはそんな言葉では表せられない。
あえて表すなら、黄金とでもいえばいいだろうか。
ゴールデンフライデーである。
などと考えているうちに、学校の門まで出てきた。
(さて、行くか。)
少し早足で家の近くの本屋に来た。
自分の唯一の趣味は読書である。漫画を読書と言っていいものなのかはわからないが…。
とにかく漫画を読むことが短い人生の中でも平穏な時間を過ごしていると実感できる時なのである。
本屋に来てまずやることは、新作の漫画のチェックである。
これを行わなければ本屋に来た意味がない。
いまどきインターネットでも見ることはできるが、実際手に取ってみないと分からないものもある。
………買うのはインターネットでしか買わないのだが。
新作のチェックのために店内を練り歩いていると一つの漫画が目についた。
その漫画の絵には自分の興味を引く何かがあった。
手に取ってみる。
思ったよりも分厚く、しかしその厚さの割にはそれほど重みを感じない。
少し不思議な感覚を持った。
表紙の絵には鎧を着た兵士が何人の描かれており、他にも武器を持ったケンタウルスのような生物も描かれていた。
これから争いでもあるのだろうか、今にも様々な所で殺し合いが起きそうなほど臨場感あふれる絵であった。
(こういうのはあんまり趣味じゃないんだけどなぁ…。)
そう思いながらも自分の興味をつかんで離さないこの漫画を買うことにした。内容は家に帰ってご飯を食べてからのお楽しみである。
それがゴールデンフライデーのいつもの楽しみ方である。
「フーンフーンフーンフーフフーンフーフフーン」
ダースベーダ―のあの曲を鼻歌で歌いながら軽い足取りで帰り道を歩いていく。
ここまで興味をひかれる漫画は最近では出逢ったことがなかった。
趣味ではないジャンルではあるものの、かなりの期待感に満ち溢れていた。
(早く夜にならないかなぁ)
駆け足になる。
当然すぐに息はきれるがそんなことはどうだっていい。
はやく家に帰ってご飯を食べてしまえば、読める!その一心でひたすらに走った。
周りの目が少々気になるが、そんなことは関係ない。
家につく頃には息が切れるというより、死にかけといっていいほど、息をするのが苦しかった。
「た……ただ…い…ま…」
「おかえりなさい…どうしたの?そんなに息を切らして!汗まみれじゃない!はやくお風呂いってきなさい。」
自分では気がつかなかったが母親にいわれようやく気づいた。
とんでもなく汗をかいている。服はベタベタである。
(こんなに汗をかいたのいつぶりなんだろ…)
気持ち悪くてすぐに靴を脱ぎお風呂場へ向かった。
服を脱いでシャワーを浴びると冷たい水が出てきた。
しかし、不思議と冷たいと感じない。
(あぁ、そうか…体がめちゃくちゃ熱いのか…)
体を流し、お風呂に浸かる。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
恐ろしいまで長く息をついた。
こんなに気持ちのよいお風呂は何年ぶりかというほどである。
今日一日の出来事を振り返る。
振り返るといっても学校での授業のことはなにも振り返らない。
というよりも記憶にすらない。
今日一日の最大の出来事といったら先生のおっぱいのことである。
思い出して少し妄想する。
ふと我に帰る。
(僕は何をしてるんだ…いやぁ…でもすごかった…)
物思いにふけってしばらくお風呂に浸かっている。
そろそろのぼせるかなと思った頃に母の声が聞こえる。
「ご飯できたよー!」
(…ご飯!急いで食べよう!)
はやく漫画を読みたいとお風呂から上がろうとする。
しかし立てない。
足が固まってしまっている。
運動不足なのを今うらんだ。
(ちゃんと運動しよ…)
ゆっくりと立ち上がりなんとかお風呂から上がる。
ぎこちなく服を着てよろよろとご飯の下へ赴く。
いつもの場所に座るととんでもない光景が目の前に広がっていた。大好物のトンカツである。
しかもいつもが手のひらサイズであるなら今日は両手サイズである。
「こ…これ…」
驚きすぎて声にならない。
今日一日驚くことばかりだ。
大好物がこんなに目の前にある。
今日はなにか特別な日であるのか。
「今日、お肉が安かったの。こうた、とんかつ好きでしょ?」
コクンコクンと何度も頷くとゆっくりと目を閉じ両手を顔の前に合わせる。
「いただきます!」
ゆっくりと目を開きトンカツに手を伸ばす。はずだった。
「えっ…」
言葉を失った。
目の前にトンカツがなかったから、ではない。
テーブルも、母もいなかったから、ではない。
住み慣れた街では見たことのない世界が広がっていたから、である。
青い空、白い雲、光る太陽、そこまでは街でも見た景色である。
ただ、目の前には広大な緑いっぱいの草原が広がる。
「はぁ?」
(あれ…たしか…トンカツを食べようと…してた…よね?)
意味がわからなかった。
何が起きたのか、ここはどこなのか、記憶喪失になったかと疑うほど意味がわからない。
「…どこ?」
周りを見渡すと青々と生い茂る膝ほどの高さの雑草が生えているだけである。
しかし、不安はすぐに少しだけやわらいだ。
「だっ…誰だ!」
左の方から声が聞こえた。そちらの方にパッと振り返る。
(人の声だ!よかった!)
三十メートルほどであろうか、とんでもない数の人が見える。皆、鎧を来ている。
なにかのパーティーだろうか。日本も欧米かぶれが進んだものだと子供心ながら思いながらも、そちらへ近づこうとする。
「て…て…敵襲だぁ!」
驚いて目を丸くした。敵襲と言われたことに。
向けられた武器が本物だということに。
そして、四本足の生物がいるということに。
「敵襲だ!やれっ!」
威厳のある声で誰かがいう。
(逃げなければ…)
無理だ。足が動かない。
(あぁ、ちゃんと運動しておけばよかったなぁトンカツ食べたかったなぁ…)
後悔先に立たず、だ。兵士や謎の生物たちにもみくちゃにされた。
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