【ストレの憂鬱―其の三】
私の妻になる予定である(らしい)姫様が統治するこの法治国家アヴァロンには、法を定める実質的法治主義機関である『
これは、法が制定される前の草案から制定後の法の正当性の追及、法律体系が人権や慣習、社会道徳などに適っているかなど、細部までを一括で統制、管理している法の頂点に座する機関であり、一見するとまるで九賢人が国の法を牛耳っているように見える。
が、その一方で絶対君主制に等しいレベルで姫様がその一存で以て意思を決定する案件も数多く存在し、法治国家の体制として矛盾していると指摘を受けざるを得ない。
にも関わらず、この国では民は貧困に喘ぐことも、一切の差別を受けることも、奴隷制などによる強制労働を強いられることもない。
正しく
無論、最初からこの理想郷は在った訳ではなく、かつては血で血を洗う
では、何時王国は変わったのか。
血塗られ腐乱した死の国はどの様に変貌を遂げたのか。
理想郷は如何にその幻の姿を世に現し、今なお王国の民にその恩恵を
それは、現国王であらせられるトリスタン・ル・フェイ・アーサー・アヴァロンが時代の寵児としてこの世に生を受けたことから始まった。
暗殺、処刑、復讐、
王を陰になり日向になり支えたお妃様や現九賢人のトップに座する九人の臣下が王の助力となったことも重要な事実ではあったが、事の本質のみを語るとすれば、取り上げられるべきはやはりトリスタン王自身の恐るべき才であろう。
戦。
トリスタン王の他を寄せ付けない一騎当千の才は、暗黒時代にあった国の中ですら遺憾無く発揮され、荒れ果て魑魅魍魎の巣窟だった国を外から内から瞬く間に変えてしまった。
そして王の才が変革の力だけではなかったことが、国の発展、安寧に大きく影響することとなる。
一視同仁。つまり、トリスタン王は博愛の人でもあった。
差別を許さず、迫害を憂い、排他を絶した。
罪有る者を許し、罰する者を諭し、咎有る者を愛した。
「王国民に広く知られるエピソードの一つに、マイア様という女性の話が在りますーー」
マイア様はトリスタン王の幼馴染みであり、王と共に国の争乱を収めた臣下の一人でもありました。さらに王族と交流の深い伯爵家の令嬢という、特異な立場にありました。
トリスタン王には許嫁がいたものの、あまりに仲の良い二人を見て、周囲は者らはいずれマイア様はトリスタン王(まだその時トリスタン王は王位には就いておいでではありませんでしたが)の側室に迎えられると確信していました。
ですが、トリスタン王が国内の争乱を治め、いよいよ王位を継承しようという戴冠式の日、マイア様はトリスタン王を暗殺しようとしたのです。
マイア様の父上である伯爵公は、トリスタン王の弟君と秘密裏に結託し、さらに伯爵令嬢であるマイア様と婚姻を結ばせることで王家と血縁関係を持つことを
トリスタン王を亡き者とし、弟君を王位に据え王国を裏から掌握することこそ、伯爵公の目論見だったのです。
ですが、その目論見が成就することはありませんでした。
マイア様は幼少の頃から伯爵公の英才教育の元、一流の刺客としてトリスタン王に付け入るよう差し向けられていましたが、王はこの事に最初から気付いておいでだったのです。
戴冠式の日。マイア様はトリスタン王への
そしてその毒を王は飲んでしまわれます。
結果、王は戴冠式の最中お倒れになられ、王宮お抱えの医療術師によって蘇生を受けることになりました。
王は何とか一命を取り留めましたが、マイア様の犯行は露見することになってしまい、伯爵公の目論見も世に広まってしまいました。
一族郎党皆殺し。一人の漏れもなく断頭台送りは免れません。
そしてこの罪は余りに重く、これを許すことはあってはならないことです。王の幼馴染み、そして重用された臣下の一人とはいえ、もし許してしまえばその他の臣下の者や貴族に示しがつかないばかりか、王としての威厳を甚だ失ってしまいます。
折角平定した国を根底から転覆させてしまう程のことでした。
その時、トリスタン王が選んだ選択は、『伯爵家の者の罪を追及せず、誰一人罰を与えない』
さらに、『マイア様を王国の重要な官職に据える』というものでした。
当然、反対どころではありません。
どうして伯爵家の者を生かしておくのか。
未遂とはいえ弑逆を企てた者の命を救うなど、あってはならないことだ。殺せ。
殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ!
王は誤った選択をした。毒で心と頭を病んでしまわれた。王はもう、まともな治世は出来ない。
臣下の者は何をしていた。王に仕える者として恥ずかしくないのか。どうして王をお守りすることが出来なかったのか。臣下の者らこそ無能ではないのか。伯爵家の者を生かしておくな。殺せ。
殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ! 殺せ!!
伯爵家はあらゆる罵詈雑言を浴び、トリスタン王もその臣下も言及を免れませんでした。
あわや貴族、国民を捲き込み暴動に発展する直前、トリスタン王自ら矢面に立ち声明されました。
『伯爵家の一切の罪を許す』
『ーーそして、私は此処に宣言しよう。この国を、一から、いや、零から変えると。罪で人を裁くのではなく、愛で変えてみせよう。罰で贖罪とするのではなく、献身で以て王国の糧としてみせよう』
『命を奪うことは容易い。私はこれまで多くの命を奪ってきた。国を纏める為に、己の正義を掲げてきた。だが、その結果はどうだ。何が変わったのか。何も変わってはいないではないか』
『幼馴染みは私の命を狙い、貴族は簒奪を企み、民は罪と罰を求め理性を失う』
『この国は変わったのか。何も変わってはいないではないか。血塗られた歴史を引き摺り、またその旗を血に染め上げようとしている。私利私欲の為に旗の色を分け、相反する者を虐げ、己の欲望の為に詭弁で人を支配する』
『民は変わったのか。何も変わってはいないではないか。人は血を好む悪鬼を心に飼い、己の残虐な欲求を吐き出す機会を今か今かと待ち望んでいるではないか』
『私は此度の事件で生死の境を彷徨い、己の行いを、歩んで来た道を、手に掛けた命を振り返った。そして気付いたのだ。人は人によって支配されては為らない。人は、己の意志と、法という名の秩序によって己の進むべき道を探して行かねば為らないのだと』
『私は此処に宣言する。これよりこの国は新しい時代を迎え、新たな法とその法を束ねる機関が国民の民意を以てその意思を決定する。また、王族は法の元でのみその力を振るい、民の代弁者として、法とその法を管理する組織と対話を行い、その意思を決定し実行できるものとする』
『ーーこの国は二人の王で成り立つ新しい国と成ろう。一人は王族である私。もう一人は、そなたら民だ。二人の王が、同じ権利を持ち、言葉で正しい道を探す。二度と血を流す歴史を歩むことの無いよう、共に歩んで行こう』
この、荒唐無稽な国家の体制は国民に大きな不安を与えました。
二人の王が一つの国を治める? その一人が自分達国民? そんなことが出来るのか? それで国が成り立つのか?
それで、この国が変わるのか?
民と同様に、王宮内も大きな混乱に陥りました。
圧倒的なカリスマと能力を以て国の進むべき道を指し示し、その道の先頭を走ってきた王が、その権利の半分を国民に委ねると公言したのです。
ですが、これまでトリスタン王の意志に付き従ってきた者は王の言葉に直ぐに理解を示しました。それは半ば諦めや呆れに類するものだったのかもしれませんが、トリスタン王の言葉を疑う臣下が居なかったとも言えます。
そして、王は国を統治する法を管理する機関、『九賢人』を設置し、九賢人の機関長の一つ『モルゲン』という職に、マイア様を任命されました。
未だマイア様の登用。いえ、マイア様の命在ることに反対を示す者は少なくありませんでしたが、王は
さらに新しい国の始まりとして、トリスタン王はその頃の国の名を捨て、アヴァロンと国の名を改められました。
九賢人という新しい法を
何故なら、九賢人も王も不正を一切許さず、行わない。清廉で高尚な善政を敷いたからです。
特に王が勅命を下し、マイア様に指揮させた第一席機関は、基礎教育、政務関係者の育成、孤児院の監理等、人材を司る組織でしたので、身を粉にして政務を取り仕切るマイア様の姿を見て育った者が多く、その人柄を知りマイア様に付いて行く者は多かったのです。
同時にその者達は他の組織でも辣腕を発揮する先駆けとなりました。
こうして九賢人に身を置くマイア様の手腕と姿勢は国民に認められ、否定する者はいなくなっていました。
そして、いくら叩いても埃一つ出ない統治体制に、一部の強硬な貴族もとうとう膝を折り、次第にアヴァロンは二つの頭を持つ一枚岩と成っていきます。
一つ目の頭であるトリスタン王の確固とした意志。
二つ目の頭である九賢人の清廉潔白な統治。
他国が羨む程に練り上げられ、精錬された鋼の様に純度の高い国家はこうして誕生したのです。
そして、トリスタン王毒殺未遂の事件以来、約20年もの間、マイア様は九賢人の第一席で国の政を第一線から見守って居られます。
この国に籍を置く者で、マイア様を知らない者は一人も居ないと断言することが出来ますが、今の若者は、マイア様が断頭台に首を掛ける寸前まで歩を進めたことがあるなど、知らないことでしょう。そして、知らされてなお、とても信じることはできないでしょうね。
あの時、王が何故あのようなご決断を為さったのかは、未だに一部の臣下の者しか知らされていないそうですが、今さらその過去を掘り返そうとする者はいません。
あの時の王の決断があったからこそ、この国は
余談ですが、その
この時既に九賢人の機能は遺憾無く発揮されており、国は九賢人を主軸とし善政を敷いていました。
九賢人、引いては国民が過ちを犯すことなく歯車を回している最中で、姫様のご生誕後トリスタン王は次第に御変わりになっていきます。
ただ、それは悪政を敷くなど悪い方ではありませんでした。
子煩悩と呼ぶのが正しいのでしょうか。はたまた教育熱心と申しましょうか。トリスタン王は、ひたすら姫様の教育に付きっきりになられたのです。
本来それは乳母や家庭教師など、王族の教育係が担う役割。一国を統治し、政務の執行権の半分を担う者の行いとしては異様に思えました。いえ、異様そのものでした。
ですが、姫様が七つの生誕式典を御迎えに成った日。民への姫様の御披露目の舞台で、アヴァロンの全国民がトリスタン王の意図を知ることになったのです。
「ただ、その話はまた後日ということで」
(To be continued)
***
ウゴゴゴゴ……
制約①とはなんだったのか……
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