第3話 邂逅
彼女は、もともと聡明であり、理知的に物事を判断でき、その上、何事にも立ち向かう勇気をも持ち合わせていた。また、このような特異的な事柄が連続して起きているので、さすがに多少は戸惑ってはいるが、状況への対応能力にも優れており、人見知りせず気さくな性格でもある。彼女が見たところ彼は、とりあえずは、自分に対して危害を及ぼさないように思われたし、とにかく何らかの情報を持っていることが察せられたので、彼の話を聞いてみて、状況を整理するほかないと考えた。そう思い至ると、ずいぶんと気持ちも落ち着いてきた。
一花は、先程自分が飲もうと用意し、保温されていたコーヒーをカップに注ぎ、彼に勧めて言った。
「よかったら、どうぞ。ミルクとお砂糖は?」
「いや、大丈夫だ」
彼女は、自分のコーヒーには、ミルクとたっぷりの砂糖をコーヒーに入れた。
「そう。さて、何から聞いたものかしら・・・。とにかく話の輪郭が、全く見えてこないから、大まかな概要から整理してくださる?」
彼女は、コーヒーを一口啜って、殊更落ちついた様子で、少し意識して鷹揚に構えて彼に問うた。
「・・・そうだな・・・」
彼も、コーヒーを一口啜って、彼女の口調に対して、特に気にした風でもなく、落ち着いた様子で語り始めた。
まず、彼は天津神から聞いた情報を話し始めた。それは次のような内容だった。
この世は終末へ向かっており、このままではいずれ滅ぶ運命にあること。「神」という人間が作り出したと思われていた偶像は実在し、人間の中に、その力を行使できる「器」と呼ばれる者が存在するということ。日本には神々の世界「神域」との接点となる場所が多く点在し、一般には高天原と各地で呼ばれていたりしていて、そういった場所で、災厄が発生するだろうということ。その災厄には「ソロモン」と呼ばれる組織が関与していること。滅びの運命を覆すには、器の力を結集して神域を守護し、災厄、つまりソロモンと呼ばれる組織に立ち向かわなければならないということ。といったような内容で、結局のところ、彼も神から得た情報は非常に乏しく、ほとんど無いに等しいようだった。彼女が今までの経緯で見聞きしたのも、概ねそのような内容であったように思ったので、彼が言っていることは嘘ではないということは感じられたし、状況は何となく整理できたように思えた。
「でも、神様って、口数が少ないのね。もう少し具体的に説明してくれても良さそうなものだと思うけれど」
一花はそう感想を漏らした。
あとは彼が天津神から力を受ける、彼女で言うところの八咫鏡にあたる依り代なるものが、天狼星と呼ばれる卓球の球ぐらいの大きさの黒く丸い球体であるということぐらいで、その使い方を天津神と何度かやりとりして習得したらしいが、まあ今はそれについてはどうでもいいと、彼は多くを語らなかった。概ね、そのようなことを彼はゆっくりと語り、少し冷めてしまったコーヒーを啜った。
そして、これまでに彼が実際に経験したことと、独自に調べて得た情報というよりも推測の方は、もう少し具体的だった。
「古事記や日本書紀は知っているか?」
「ええ、でもどんな内容だったか具体的には覚えていないわ」
「どうやら、俺達が接触している神は古事記などに描かれているようだ。国之常立神は、その中でも最初の方に現れた神で、天地を創造する重要な役割がある。しかし、最初に登場するだけで、それ以降、古事記には記されていない」
「そして、国之常立神を含む神代七代十二柱の神々が、国造りに関わっている。つまり、おそらく器は十二人以上存在するのではないかと俺は思っている」
「だが、天津神はその十二柱には入ってない。だから確証は何もないのだが」
「八百万ってことはないわよね?」
「・・・。」
暫くの沈黙の後、諒は眼鏡を指で押し上げながら言った。
「一理あるが・・・。いや、そのように考えたことがなかったから、その可能性も検討すべきだった」
「・・・」
一花は自分の冗談に、彼が真剣な表情で顎に親指と人差し指を当てて、考え込むような素振りを見せたので、慌てて言った。
「ま、まあ、それは後で検討してみるとして、先を続けて」
彼も、今考えても仕方ないことと思ったのか素直に続けた。
「ああ、そうだな」
「世界の終末を招く災厄には、さきほど出くわしたアガレスと名乗る奴を含むソロモン七十二柱と呼ばれる組織が関与していて、奴らは世界の終末を意味する大災厄のことを大洗濯と称して暗躍している。奴らが何を最終目標にしているのかは、今のところ不明だが、人類にとって迷惑な話であることは間違いない」
「奴らは何度か、神域、いわゆるパワースポットとか、高天原と呼ばれている場所に出現している」
「あっ。そう言えばさっき静岡で地震があったって、それに、富士山の噴火兆候があるって前に新聞で読んだけど、関係あるのよね、やっぱり」
「そうだ。富士は重要な神域だ。アガレスは大地に働きかけ地震を起こす能力を持っている。何かしら儀式的な準備がいるようで、そんなに頻繁に起こすことはできないようだが」
「でも、こっちのほうは、全然揺れも感じなかったけれど」
「そのようだな。東京全域には強い結界が張られている。東京以外にも神域と呼ばれる場所には結界が張られていて、自然現象ではないそのような攻撃は防御されていた。しかし、このところその結界が弱まってきている。そして奴らは、ずいぶん以前から、神域の一つである富士を攻撃していて、すでに結界はほぼ失われている」
「ちょっと待って、じゃあ十年前、私たち家族が、富士五湖へ旅行に行ったときの地震もアガレスの仕業ってこと?」
気を使ったのか、諒は少し間をおいて答えた。
「・・・そうだ。奴らは、その頃から、いやそれ以前から着々と準備を進めてきている」
一花は何も言わなかったが、あの時の悲惨な出来事を思い出しているようで、彼女の眼の奥には、瞋恚の炎が静かに燃えているように、諒には感じられた。
そして、彼はこう言った。
「お前が恐らく最も重要な役割を担うのではないかと思う。なぜなら、さっきも言ったが国之常立神は国造りで最初に現れた神だからだ。俺は結局、他の器を見つけることはできなかった。お前に出会ったのも、ただの偶然かもしれない。あの時は奴、アガレスをつけていただけだったからな」
彼も彼女も、それぞれにしばらく考えを巡らすように押し黙り、静寂が彼らを包み込んだ。
一花は、これまでの経緯や、母の手紙、彼の話などを総合して冷静に分析していたが、やがて本来の明朗さを発揮して言った。
「今のところ、やっぱり情報が少なすぎて、よくわからないといったところだけれど、人類は滅亡の危機に瀕していて、アガレスっていうおじさんと、その仲間たちをやっつければいいってことね。そして悪の組織に立ち向かうヒーロー役は私たち」
彼は、あまり表情を顔には出さない性質であるようであったが、この時ばかりは少し目を丸くしたように見えた。それを見た彼女は悪戯心に火が付いたようで、続けて言ってのけた。
「どうして私が?こわい!とかって言うと思った?」
胸の前で手を揉み絞るような仕草をしながら言った後、両手を口元にやって、くくっと笑う彼女を見て、彼は目を逸らし「いや、別に・・・」と言いながら人差し指で眼鏡を上げ、すぐに彼女に向き直り、何事もなかったかのように半ば誤魔化すように話を続けた。
「さっきの闘いを見ていたが、お前はまだ覚醒したばかりで、まだ奴らと渡り合える状態ではない。力の十分の一も使えてはいないだろう。それと、力を発現するために詠唱していたように見えたが、慣れれば詠唱なしでも、あれぐらいの技なら使うことができるようになるはずだ」
「ふーん。そうなんだ」
そのことには、あまり興味を示さず、一花は、彼の目を見つめて思いついたように言った。
「そう言えば、私まだ名前を名乗ってなかったわ。それであなたは私のことをずっとお前って呼んでいたのね」
「・・・」
「私は一条一花。漢数字の一に花で『いちか』。りょうってどんな字?あなたのことは・・・、年上よね?天野さんって呼んだらいいかしら?私のことは一花って呼んでくださいな」
少しからかうように上目遣いで一花は言った。人を寄せ付けない雰囲気を持つ彼が、ただ少し不器用なだけなのかもしれないと感じ始めると、彼女は、年上であろう彼が、何となく可愛らしく思えてきた。彼女は決して意地の悪い性格ではなかったが、彼の反応を見ていると、どうやら彼女の中の悪い虫が疼くようだった。
彼は頬を赤らめこそしなかったが、やはり少し目を逸らして、眼鏡を触りながらぶっきらぼうに言った。
「じゃあ、一花と呼ぼう。俺のことは・・・、何でもいいが天野さんも面倒だから諒でいい。りょうは言偏に京だ」
「りょーかい」
一花は軍人がするように、右手を斜めに額に当てて、敬礼するような素振りを見せ、そして、誰もが愛でずにはいられなくなるような笑顔を見せた。彼女は、その容姿だけでさえファンクラブが出来ても不思議ではなかったけれども、絶対的な人気を誇る姫たる所以には、そのような小悪魔的な可愛らしさも大いに影響していた。しかも彼女は特に意識的にそうしている訳ではなく、ごく自然に相手の懐に飛び込んでしまうような人懐こさを生まれながらに持っていた。彼女は少々悪戯好きだが、誰ひとり悪意を感じたものはおらず、それどころか、彼女に悪戯されたものは、それを自慢の種にするぐらいだった。
彼はしかし、そのような彼女の対応に、それでも多少は慣れてきたようで、今度はむすっと口をへの字に曲げながらも、目は逸らさず、眼鏡を指で押し上げながら言った。
「ところで、その本と鏡は、何だ?」
「この本は日月ノ書、こっちの鏡は八咫鏡と言うらしくて、母がお祖母様から受け取ったものよ」
一花はテーブルの上に置いたそれらを指で示しながら言った。諒は興味深げに覗きこんだで呟いた。
「三種の神器の一つか」
「三種の神器って聞いたことあるわ。たしか、剣と勾玉と鏡だったような」
「そのとおりだ。それで、そっちの本は?」
「日月ノ書の方は、母が受け取った時には、何も書かれていなかったみたいで、これは母が書いたもの」
一花はちょっと待っててと言って、今朝見つけた母の手紙を持ってきた。諒は、いいのか?と確認してから、それを読んだ。読み終わったらしいのを確認して一花は言った。
「私、思ったのだけれど、この本は預言書みたいなものじゃないかしら。母が神様から受けた言葉を書き写したのだと思うの」
正確には国之常立神だが、一花は、いずれ舌を噛みそうに思ったので、神様と称することにしたらしい。一花は本を手に取り、諒に見えるようにパラパラとめくって見せ、彼に問うた。
「読める?」
諒は首を横に小さく振った。
「そう、この本に書いてあるのは記号のようで、そのままでは読むことはできないわ。でも、この本と鏡を重ねると、鏡に本に記された記号が浮かび上がって、私には、それを読むことができたの。図書館で言語学の本とかを引いてみようかと思ったのだけれど、たぶん無駄足よね。手紙に書いてあったとおり、お祖母さまは、これは未来を示すもので、神様のお告げを写すものって言っていたらしいわ」
「つまり、その日月ノ書は預言書で、八咫鏡は未来を写す鏡なのだとしたら、俺達がこれからどうすべきか示してくれて良さそうなものだが」
「でも、特に望んだことを写しているようではないし、そんな都合よくはいかないと思うけど・・・」
そう言って一花は、何となく手に取った日月ノ書と八咫鏡を重ねてみた。すると予想に反して、鏡は白銀の強い光を放ち始めた。一花は驚いて諒を見た。彼は眉間に皺を寄せ、口をへの字に曲げて非難するように一花の方を向いていた。それを見た一花は思わず口角を片方だけあげて、ひきつった笑いを見せた。本と鏡を離す間もなく、光はあっという間に二人を包み込み、すぐに視界は真っ白になって、目を開けていることもできなくなった。
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