第1話 『湊(minato)』-2-
『湊』基地への異動が決まった時、周囲の者は
栄転だと言う者もいれば、お気の毒にと言う者もいた。
ただ、懇意にしていた同僚達は口をそろえて彼の異動を羨ましがった。そして同時に、その身を案じた。
世界は今の所、平和を保っている。
隣国『黒』との関係はここ数年来よくなったり悪くなったりを繰り返しているが、今日の明日に戦争が始まるという状況ではない。
となると
『湊』基地はその前線に立っていた。
『湊』へ行けば平穏無事に日々を送る事はできないだろう……それは彼らにとって胸躍る事であったが、同時に危険だという事になる。
瑛己の突然の異動。出発間際、元同僚の1人が彼にこう言った。
「先に
瑛己はその時ただ苦笑して返した。
今回の異動に関して、瑛己自身はさほど嬉しいわけではなかった。
ただ、どうして自分なんだろうと思った。
『湊』が各地から優秀なパイロットを集めているという話は聞いた事があった。だが……自分がその〝優秀なパイロット〟の枠に入るとは思えない。さほど飛行技術に優れているわけでもないし、学校を主席で卒業したというわけでもない。
(『湊』か……)
――瑛己はノロノロと軍手をはめながら、目の前の飛空艇を見た。
『
それを見て、瑛己はふっと短く息を吐いた。
さすが前線基地と言われるだけある。
一目見てわかった。同じ『翼竜』でも昨日乗ってきた物とは違う。最新の『
「どこへ行くのか」
瑛己はポツリと呟いた。
そして小さく苦笑した。
そんなの、わかるわけがない。
◇ ◇ ◇
「ルールを説明する」
聖 瑛己と
「今回使用は、『翼竜/零―K型』。弾は、塗料弾で行う」
その言葉に途端飛が「ペイント弾だぁ!?」と露骨な声を上げた。
「そんなんぬるすぎます、磐木隊長ぉ」
磐木の代わりに、そばにいた長髪の男、風迫 ジン(kasako_zin)が口を開いた。
「実弾使ったら、お前、狙うだろ」
「何をっすかー?」
「撃墜記録」
「……」
飛は途端、バツ悪そうにそっぽを向いた。それに瑛己はとてつもなく嫌そうな顔をした。
「どの道、新型機を早々バラすわけにはいかんだろ。今回は我慢しとけ」
「チッ……ジンさんらしくない言葉やな」
「だが、副隊長らしい言葉だろ」
2人のやりとりを傍で見ていた瑛己は、溜め息を吐きたい気分を必死に抑えた。
「今回はあくまで、聖の実力がどれほどかを知る事が目的だ」
磐木が重々しく言うと、飛は口を尖らせ「チッ」と黙った。
「制限時間内にどちらが多く被弾したか。それで勝敗とする」
飛がもう一度、「ぬるっ」と言った。
◇
「ほな、行こか」
と自分の飛空艇へと向かいかけ、飛はクルリと振り返った。「の前に」
「よろしゅう」
と左手を出した。
瑛己は一度、飛を見た。にんまりと、大好きな
「お手柔らかに」
そう言って、瑛己は右手を出した。
それに飛が一瞬小さく目を見開いた。そしてカカカと笑った。
「よろしゅう」
飛は手を引っ込めると、左より慣れた感じで右手を出した。
そしてパンと軽く瑛己の手を叩くと、大きく笑って飛空艇に向かった。
それからはお互い振り返らず、操縦席に乗り込んだ。
ゴーグルをつけながら、瑛己は思った。
あ、心臓が鳴っている、と。
大きく深呼吸した。
◇
空は、昨日の天気が嘘のように、青々とした晴天だった。
ドッドッというエンジン音だけが、辺りの空気すべてを支配している。
隊員の一人が、バッと白い旗を振り下ろした。
それが合図になった。
瑛己と飛の乗った飛空艇が、滑走路をジワリと滑り出す。
磐木の説明では、海の上まで出てから始めろ、そういう事だった。
スロットルをフルまで上げて、やがて、ふっと機体が地面を離れる。
先に上がったのは、飛の方だった。
一歩遅れて瑛己の機体が離陸する。高度に気を付け、飛の機体を探すが。
(消えた)
次の瞬間。海に出るより先に、後ろからタタタタという音が響いた。
いくら、弾けて塗料が飛び出すだけだと言っても、銃弾に変わりはない。距離と場所によっては、危険度は生まれる。現実、かつてこれで練習機が一機、墜落した事もある。それは、塗料弾を操縦席に浴びたせいだった。
勝敗に大して興味はない、とは言っても、まともにハチの巣にされるのもシャクだ……瑛己は素早く左に避けた。
後ろか? バックミラーを確認する。飛の機体を見つける前に、また、銃撃が降った。
高度が足りない。ひねりながら上昇を試みるが、その度に嫌な角度から銃撃がくる。
翼を掠めた塗料弾が、弾けて、ピッピッと操縦席にも飛んだ。
(上か)
瑛己は微かに眉をしかめた。
「飛の奴、始めから飛ばすねぇ」
「あいつは、あれでもうちの切り込み隊長だからな……どこまで食い下がれるか」
「どっちに賭ける?」
その言葉に、クッとジンが笑った。
「賭けにならない賭けなんか、すんなよ」
小さな笑いが起こった。が、その中で、磐木と秀一はじっと空を眺めていた。
「チ」
銃撃を避けると同時、瑛己はエンジンを絞って操縦桿を手前に引いた。
ふわっとした感覚、素早く操縦桿を右に押し倒すと、エンジンを吹かした。
(振り切る)
斜めに8の字を描くように飛ぶと、そこから急下降を入れた。
ただでさえ、高度のない状態。
海が間近に迫ってくる。
一瞬、吸い込まれそうな錯覚に陥る。
(このまま、海の中へ)
まさか。まだそこには行けない。
スピードに引っ張られるように苦笑を浮べ、海面スレスレで右へ避ける。
バシュバシュと、海面突っ込んだ銃弾が渋きを上げる。
グルリと旋回を入れながら。
次に出たのは、飛の後ろだった。
「ほうっ?」
やるやないか、飛はヒュゥと口笛を吹いた。
急下降からの建て直しの早さ、そして上昇と切り返し。ひねり込みの上手さ。
その絶妙さに、飛は目を輝かせた。
「じゃぁ、こっちもマジで行きますか」
操縦桿を持つ手が、素早く動いた。
後ろを取った、しかし束の間、飛が視界から消えた。
(下か)
操縦席から覗き、瑛己はギョッとした。
逆さになって、飛んでいた。
そのままグルリと旋回させると、操縦席もろとも回転させながらこちらに向けて撃ってきた。
上に飛んで避ける、が、どこかに被弾したのだろう。ガクリと機体が揺らめいた。
(まずいな)
制限時間は、昼の時報であるサイレンが鳴るまで。
時計を見ている余裕などない。だが、瑛己はまだ一度も射撃していない。
だが自分の機体は、もう随分蛍光に光っているのだろう。
「……」
瑛己はスピードを最大まで上げると、海面スレスレまで下降した。
「相楽」
ふっと、ジンが振り返った。
「〝予言屋〟としては、どっちが勝つと思うんだ? 聞くまでないかもしれんが」
「……」
空をまっすぐ見つめていた秀一は、ゆっくりと顔を戻し、ジンを見た。
その目は
それにジンは少し言葉を失った。が、
「僕は、聖 瑛己さんに賭けます」
瞬間、その場にいた全員が彼を振り返った。
ジンは両の瞳をスッと細めると、ズボンのポケットから煙草を取り出した。
秀一は再び、空を見た。
「予言屋が、聖についた」
ジンが軽く笑ったが、他の者は誰一人、笑わなかった。
笑えなかった。
海面ギリギリを、フルスロットルで飛ぶ。
後ろに
時折、焦れたように塗料弾が海に弾けるが、瑛己は、絶対当たらないと確信を持って飛んでいた。
低い得物は狙いにくい。昔、教官に教えられた事だ。
問題は、どこで上がるか。
そのタイミングが、鍵となる。
陸地の沿岸が見える。その向こうには『湊』基地。左右に滑走路が伸びている。
(ちょっと無茶だが)
そのまま、瑛己はエンジンを落とさず走った。
沿岸で上昇すれば、恐らく飛の予想内だろう。
だが、まさかその先へ。
滑走路さえも抜け、基地の端っこにある格納庫の屋根をかすめるように上昇するとは。
ガタガタと、板張りの屋根の切れ端が疾風にはためいた。
そこから急速上昇をする。高く高く、上がる。
そして、間髪のひねり込みの正面に、少し遅れてついてくる飛の背中を捕らえる。
(撃て)
初めて、射撃ボタンに指を入れる。
ダタタタタ
慌てて飛は避けるが、避けきれない。青い機体の真ん中に、ドッと黄色い花が咲いた。
操縦席から、目を丸くした飛の顔が一瞬見えた。
余韻に浸るべくなく、飛の背中を追従する。
飛は塗料弾に揺らめく機体を建て直し、唾を飲み込んだ。
「あのヤロ……入った、チクショ」
呟いた自分の声に、苛々した。
「ええわ、ついてこれるもんなら、ついてきてみぃ!」
グワンと翼を傾けると、空を切るように斜めに滑り降りた。
「邪魔や」
そう言うと、ダダダダと基地の端に立てられた時計塔に銃発を浴びせる。
ザンとその横をくぐり抜けると、小さな時計は風をもろに受け、ガタガタと揺れた。
後を行く瑛己は、その上を抜けたが、
「……掃除当番、決定ですね」
秀一が苦笑しながら呟いた。
時計塔は見るも無残に、腕の悪いペンキ塗りのおかげで、その美観をぶち壊しにされていた。
「さて」
ジンが腕の時計を見た。「そろそろか」
正午の時報まで、残り3分。
「フィナーレは、どちらが取るか」
磐木の、細い瞳が一層深く細められた。
海に出た所で、飛の動きが早さを増した。
「クッ」
ついていくので手一杯だった。これだけ動きが激しくては、撃った所で海を汚すだけだ。
と、一瞬の隙に、視界から機体が消えた。
認識するより早く、操縦桿を押し倒した。カッカッカという笑い声にも似た銃声がして、光が空を飛んでいった。
空を見上げた。いつの間にか、飛の艇影は高く高く空の向こうにあった。
その時、基地の方からウォーンというサイレンの音が鳴り響いた。
それを合図にしたかのように、キラと、飛の機体が太陽に反射した。
途端だった。飛が急降下を始めた。
(くる)
瑛己は操縦桿を手前に引いた。
降下する飛と、上昇する瑛己。
――勝負や。
飛が呟いたのが、瑛己には聞こえた。
空に、二つの鳥が、交差する。
ダダダダダダ
カツンカツンと塗料弾がかすめる中、激突間際、お互いの機体がギリギリをかわして抜けた。
サイレンが、静かに音を緩め始めていた。
そしてそれが本当に聞こえなくなった時、二人同時に大きく深呼吸したのは……ここだけの話。
◇ ◇ ◇
離陸時は真っ青だった機体。着陸した時、それは別の物となっていた。
被弾した塗料弾によって、きれいに染め上げられた機体に、瑛己は苦笑し、飛はカカカと笑った。
そして、
まず、2人をぶっ飛ばした。
「……ッタタター!! な、何するんスか、磐木隊長!!」
情けない声を上げる飛を磐木は睨みつけ、そして瑛己を見据えた。
「誰が、基地の上を飛んでいいと言った」
「……」
瑛己はギクリと顔をしかめた。
「すいません……」
「せや! 海の上限定や言うとったのに! 俺は、お前が行くから仕方なく―――」
そんな事言う飛に、瑛己は嫌そうな顔をした。海に出てから始めろという命令を無視して、最初に撃ってきたのはどこのどいつだ。
「誰が、基地の設備に銃口を向けろと言った」
ギクリ。今度は飛が笑顔を引きつらせる番だった。
磐木がチラリと見た方向には、数年前、何かの記念で立てられたという時計塔が、物言わず訴えている……。
「せやかて」
「問答無用」
――結局。午後から二人は仲良く、施設の掃除、そして飛空艇を磨く作業にいそしむ事になった。
◇ ◇ ◇
「……はぁー、めっちゃ、疲れたわぁ」
運ばれてきた
歓迎会という名目で、瑛己は飛と秀一に誘われ、昨日の酒場に赴いたのだが……。
「お疲れ様」
それを見て、秀一はニコニコと笑ってそう言った。
「しゅぅー、お前、どんだけハードやったかわかっとんのか? ノンキそうな顔しやがって……なぁ、瑛己ぃ!」
瑛己はそ知らぬ顔で麦酒を飲んでいたが……ポリポリと頭を掻いて呟いた。「確かに少し、疲れた」
「少しぃ? はぁ、俺繊細やで。超・うるとら・すーぱーに疲れたわ」
それにハハハと笑う秀一を、飛は睨みつけ、またテーブルに突っ伏した。
「だけど本当に凄かったです、聖さん!」
瑛己はチラリと秀一を見、そして気のない様子で麦酒を飲んだ。
だが秀一のその言葉に、突然飛が息を吹き返した。「せやせや!」と跳ね起きると、瑛己に向かって乗り出した。
「お前、中々やるやないか。まぁ、まだまだ俺には及ばんが……素質はあるわ。うん。気に入ったで」
「そりゃどーも」
瑛己は軽く返事をした。……ひょっとしたら、会話するのも億劫なくらい疲れていたのかもしれない……。
だが自称・繊細な空戦マニアは、麦酒には目もくれず、声を響かせ言った。
「【海蛇】3機抜けたっていうのも、あながちや思った。まぁ、これからもっと厄介な連中の相手してかなアカンで。下手な奴がきて、足引っ張られたらたまらんと思っとったトコや」
その言葉に、ピクリと瑛己と秀一の動きが止まった。
「ん?」それに気づいた飛が、眉をしかめた。「何や、急に神妙な顔しおって」
「飛。その話だけども」
「何や?」
秀一はチラリと瑛己を見た。瑛己はやれやれと大きく溜め息を吐くと、昨日の事を、秀一に言ったのと同じ
「――何やて」
途端。瑛己の顔が変わった。
「
瑛己は答える代わりに麦酒を飲んだ。
「空(ku_u)……!!」
自分で呟くと、ダンとテーブルを叩いた。
「で!!??
「落ち着いて、飛」
「秀! これが落ち着いていられるか!! 瑛己、答ろ!! 空(ku_u)と戦ったんか!!?? あの傷は、そん時のもんか!!??」
「……違う。あれは、空賊にやられたものだ。さっきも言っただろ」
だが、瑛己の言葉など耳に入らなかったように、飛は「ぐあぁぁ!」とうめいた。
「チクショ、ええなぁ……!! 俺かて、ずーっと飛んでるのに……何で会えへんのやろ? クソ、お前、マジで運がええなぁ」
「……」
運。瑛己は聞きたくない単語に、そっぽを向いた。冗談じゃない。
移動の途中空賊に遭い、命からがら基地に着いたと思ったら、翌日さっそく模擬とはいえ空戦をさせられる……これのどこが、運がいいと言えるのか。
「飛は、空(ku_u)と戦うのが夢なんですよ」
ニコニコと秀一が言った。それに飛が「お前が言うと、緊迫感がない」と嘆いた。
「それに、戦うのが夢やない。倒したる。それだけや」
空に生きるもんなら、誰もが思う事やろ。そう言って、ようやく飛は麦酒を手に取った。
「強いもんと戦いたい。俺が飛ぶ、唯一無二の
味など関係ないようにグイと飲むと、案外静かにテーブルに置いた。
「それで散ったら、悔いはない。空で死ねたら、本望や」
「……」
その時。ふっと、店内の音楽が変わった。
その曲に、瑛己はドキリと顔を上げた。
「お前は何で、飛ぼう思ったんや? どうして空軍に入ったん?」
飛に聞かれ、瑛己は少し驚いたように目を開いた。
「……」
小さく、別に、特に理由はないがと呟いた。
だが。瑛己は心の中で呟いた。
――〝空の果て〟が見たいだけだ。と
苦笑した。
ジンは、夜空を見ながら煙草を吹かしていた。
「……で?」
その隣には、磐木がいる。磐木は腕を組んで、睨むように明後日を見ていた。
「どう見ました、あいつの腕」
「……」
「確かに被弾数は聖の方が多い……が、」ジンは星から目を背けると、バージニアスリムを軽く噛んだ。「うまい事、急所を避けている」
もしもあれが実弾だったら。そこで言葉を切って、ジンは磐木の見つめる明後日に目を向けた。
「聖は、それでもどうにか飛べたかもしれない……『
「……」
「だが飛は。弾によっては―――最初の被弾で、飛の飛空艇はぶっ飛んでた」
「……」
「偶然だったのか、単に運がよかっただけなのか……どちらにしても」
そう言って、ジンは磐木を見た。
「最後の『七ツ』、見つかったみたいですね」
「……」
磐木はの表情は、何一つ変わらなかった。
ジンは煙草を吹かした。
そして再び、夜空を見上げた。
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