第184話 依存と共生
「ふふっ」
ニコッと笑いながら俺にエターナルブレードを返してくるマキさん。
俺はエターナルブレードを受け取ると、照れ隠しにどうしようもないことを呟いた。
「久しぶりのエターナルブレードはどうでしたか?」
社交辞令にも程遠い俺の言葉にマキさんはまたしてもニコッと笑うと、全て分かったうえで反応してくれた。
「ええ。とても懐かしい気持ちになりました」
「そうですか。それはよかったです」
「少々重たく感じましたけどね」
「仕方ないですよ。これは特別に重たいですから」
俺はそう言ってエターナルブレードを掲げる。
恩恵が発動していてもやはり片手で掲げることは不可能だった。
改めてマキさんの見た目に反した力を実感する。
そんな俺を見てマキさんが優しい表情で掌を頬にあてた。
顔はなにやらにやけている。
「リュウカさん達もなにやらいいことがあったみたいですね」
「う……」
マキさんの言葉に俺はギクッといった声をあげた。
マキさんの視線に逃れるようにして横を向いた俺は、奇しくも同じタイミングで全く同じ反応をした雫とばっちり向き合うような形になる。それがまた恥ずかしくお互い顔を赤らめて咄嗟に逆を向いた。
どうしようか、そう思い横目でシャルロットやエンシェンを見たが、2人とも黙ったまま動かない。シャルロットなんてマキさんと同じ表情で笑っている。きっとエンシェンもそうなのだろう。刀だから表情という表情は分からないが、他の2人と同じような雰囲気が刀身からにじみ出ている。
俺は仕方ないと思い、恥ずかしながらも覚悟を決めてマキさんの方を見た。
「マキさんは強いですね」
「はい?」
俺の唐突な言葉にポカンといった表情のマキさん。
視えているんなら伝わるだろう。そう思って俺は構わず続けた。
「私……いえ、俺はきっとマキさんみたいにはなれません」
俺のその言葉にマキさんは少しだけ無言で俺の目を見た後、なにが言いたいのか分かったかのようにあぁっとだけ声を上げた。
「そういうことですか」
「はい」
「そうですね。確かに私はこの子に頼らなくてもよくなった」
この子というのは今俺の手にあるエターナルブレードのことだろう。
それを視線で伝えながらマキさんは続ける。
「リュウカさん達も知っている通りこの子はウィルが私のために用意してくれたもの。ただの周りに対する威圧のためのものだったけど、この子はそれ以上にいいことを私にもたらしてくれたのは確かよ。私の宝物でもあった」
「そんな大切なものを手放すなんて、やっぱり強いですよ」
「そう、なのかな? 私にはあまり分からないわ」
そう言ってマキさんは至極当たり前のように言う。
「私にとってエターナルブレードを手放すことは、それ自体が目的だったから」
「手放すことが目的?」
「ええ。手放せたということは、エターナルブレードに頼らなくてもよくなったってこと。普通の生活が難しかった私にとってはそこがゴールで目指す場所だったら」
「つまり初めからエターナルブレードは手放すことを前提にしていたと」
「まぁ、聞こえは悪いかもしれませんけど、その通りです。あまりこういうことは好きではないんですけど、どうしても物と人とでは気持ちは人からの一方通行になってしまうから。それは依存であって共生ではない。依存し続けるのはダメでしょ?」
「依存……」
俺は雫を見る。
雫の存在自体俺にとってはどこか精神安定剤のようなところがある。もちろんシャルロットも同じだ。居てくれるだけで心が落ち着く。
でもそれは裏を返せば、居ないと落ち着かないということ。
雫と離れたとき、二度と会えないと思ってもどうにかなったのはその穴をシャルロットやたくさんの人が埋めてくれたからだ。そうじゃなかったら、新しい世界に来て、ファンタジーだと驚くこともなくなり、それが当たり前の日常だと思った時、きっと俺は得もいわれない寂しさに苛まれていたことだろう。
自分で蒔いた記憶を消してくれという種も合わさって、どうしようもない虚無感に襲われたかもしれない。
でも今は隣にその雫がいる。当たり前のように感じているが、全ては雫が強い想いで栗生拓馬を離したくないと願ってくれたからだ。
自分で言うと恥ずかしくてどうにかなってしまいそうだが、それでもこの状況は雫が起こした奇跡であり、俺は何もしていない。
もしかしたら俺は雫という存在に、そしてシャルロットという存在に依存しているのではないのか。
そう思い至ったときだった。
タイミングよく対面にマキさんが口を開いた。
「もちろん物と人とでの話だけです。人と人は違いますよ。お互いがお互いのことを大切に想っているのならそれは依存ではなくちゃんとした共生です」
俺の間違った思考がその言葉だけで元の道に戻される。
マキさんの方を見るとふふっと笑っていた。
さすがになんでも視えてしまう人には敵わないな。
「私だってウィルがいなくなってしまうのは考えられませんし、考えたくありません。全てが全て自分でどうにかする。しようとするのは一見凄いことのように映りますが、はたしてどうでしょうか。私は正直好きではありません」
マキさんのはっきりとした発言に対して反応したのはシャルロットだった。
一歩前に踏み出して、少し開いていたマキさんとの距離を詰める。
「それはどういうことですか? 確かにすべて1人で背負うというのは辛く苦しくて寂しいというのは分かります。仲間の大切さも。でもマキさんの言い方だとまるで、自分の至らないところを自分でどうにかしようとするのがダメだと言っているように聞こえるんですけど」
言うシャルロットの声が少しだけ鋭い。
マキさんはそんなシャルロットを一目見てから、変わらない態度で答えた。
「間違っていませんよ。それら含めて全部自分でどうにかしようとするのは、私はおすすめできません」
「どうしてですか!? 自分がどうしようもないから、周りに迷惑がかかるからそこを治そうとするのは当たり前のことです! むしろ治さずいることの方がよっぽど失礼だと……思うんですけど」
あまりに感情が昂っていたのか最後の方はシャルロットの声が小さくなった。
彼女はいったいなにを思っているのか。今までシャルロットと関わってきて俺には彼女の気持ちは痛いほど分かってしまう。
彼女は必死にもがき苦しんでいる。己の身体に出てしまった悪魔憑きという特異なものに。
マキさんの言葉はそこに抗う自分を否定するような内容だった。
だからこそ、ここまで心優しい彼女が感情を露わにしたのだろう。
マキさんだってそのことは分かっているはず。それでも表情を変えることなく続けた。
「シャルロットさんの言っていることはもっともです。私だって治さず当たり前のように状況に甘えているのは感心しません。それは依存ですから」
「だったらなんで……」
「好きになれないというのは背負いすぎることにです」
「背負いすぎる……?」
「はい」
マキさんは自分の胸の前で両手を合わせた。
昔を思い出しているのかその目はここではないどこかを見ている。
「昔の私がそうだったんです。全てを背負い込もうとしていた。この目のことは誰にも分かってもらえない。だったら何物にも揺らがない強靭な精神をつけなきゃ。そうなって初めて私は人と関わることが出来ると」
「……分かる気がします」
シャルロットもまた自分の耳を触った。
「でも違ったんです。治さなくても支えてくれる人がいる。分かってくれている人がいる。それをウィルが私に教えてくれた」
そうしてマキさんはシャルロットだけじゃなく俺と雫も見る。
3人に語り掛けるように言葉の続きを発する。
「人は完璧じゃないでしょ。それぞれ性格があって出来ることと出来ないことがある。そんな穴を違う人が埋めてくれることで初めて人は強くなれると思うのよ」
「それがマキさんにはウィルさんだったってことですか?」
「ええ。1人だったらきっとどうにかなっていたわ。きっとここでこんなことをあなたたちに話すことも出来なかった。1人じゃないと分かって、1人で全部背負いこまなくてもいいと思ってすごく楽になったわ。肩の荷がスッと無くなったかのように楽になった。1人じゃ限界があるのよ」
なんとなく分かる気がする。
なによりも少し前の俺はどちらかといえば1人で背負う側だった。なにも言わず1人ですべて解決する。それがかっこいいと思っていたし、強い人間だと思っていた。
しかし、それは違うと雫やシャルロットに教わった。
1人じゃどうしても無理な部分が出てしまう。そうなったとき、1人ですべてできると思っていた人ほど脆い。それを俺はアンデット族の族長のときに思い知った。
だからこそ、マキさんの言葉がすとんと俺の中に納まったのを感じる。
「人やそれら意思のあるものはそこを埋め合う。私が出来なことをウィルやルクス、他の人たちが埋めてくれる代わりに、私はその人達のできないことをする。料理や家の掃除、この花畑だって、私にしか出来ないことだと思ってる。驕りかもしれないけど、ね」
てへっと笑うように茶化して話を終え、マキさんは俺たち2人を見る。
「リュウカさんと雫さんもそうでしょ。お互いがお互い、出来ないことを埋め合ってる。だから一緒にいたいと思うし、大切な存在。それを手放すなんて強いとは言わないわ」
「出来ないことを」
「埋め合ってるか……」
雫が俺を見る。
俺もまた雫をみて呟いた。
お互いの視線が交錯しながらも、今度は互いに目をそらすことなく見つめ合う。
自然と俺の口から言葉がもれた。
「そんな感じはしないんだけどなぁ」
雫はこれで結構精神的に強い。
俺とは違って頭もよく運動神経もある。容姿にも恵まれていて、あの神様にも無理やり会うような奴だ。
こんな雫のいったいなにを俺が埋めているんだろうか。
自信のない目で見ていたら、雫がそっと体重を俺に預けてきた。
寄りかかるようにして雫が呟く。
「……大丈夫よ。あんたはちゃんと埋めてくれてる」
「まじか」
「まじよ」
「そっか」
短い言葉のやり取りだけだったが、確実に安心感を持てる。きっと小さい頃から一緒だからだろうな。
幼馴染特有の会話にマキさんが微笑む。
「よかったですね」
「あはははは……はい」
「まぁ、あまり心配いりませんよ。依存関係になったら離れるだけですから」
「ここまで話してきて結構ドライですね」
「それぐらいがちょうどいいと思います。考えすぎるのもそれはそれでだめなので」
「はぁ……」
「ま、いいんじゃない。少なくとも私は離れるつもりはないから」
そういって雫は俺の手を掴んでくる。
なにやらスイッチでも入ったのか、そこに恥じらいはまるでない。
俺は恥ずかしいんだけどなぁ。
といっても、無理に離すことも出来ないので仕方なくそのままにしておいた。
すると、マキさんがシャルロットに視線を移す。
「シャルロットさんも、きっと本当の意味で悪魔憑きという性を一緒に背負ってくれる人が現れる。いいえ、人じゃなくても必ず」
「そんなこと、分かりません」
「ええ。今はそれでいいの。でもあなたの優しい性格は必ずどこかであなたに幸運をもたらしてくれるわ。その時はその人に頼ることも考えてみて。きっと、今よりずっと楽になって、自分というものに自信が持てるから」
どこか確信めいたマキさんの発言にシャルロットはどうしていいのか分からないというように言葉を継げないでいた。
すると、今までマキさんの肩に止まっていたルクスが飛び上がる。そのままシャルロットの方へと向かい、シャルロットのケモミミの間に座り込んだ。
シャルロットが自分の上を見る。
それだけでルクスが鳴いた。
「きゅる」
「ルクス君……」
「ルクスは私とウィルの手で育てられたから比較的人になれてるの。でもね、火竜である以上警戒心は人よりも数倍あるわよ」
マキさんの言葉に、さらに付け加えるように隣のエンシェンが声を上げる。
「火竜の特性から見ても、シャルロットさんへのルクス君の懐き具合は異常です。身体に乗るなどよほどの信頼関係がないとできません」
「私やウィルでもルクスが肩に乗ってくれるようになるまではそれなりに時間がかかったわ。でもシャルロットさんは今日初めてだったのにそこまで懐かれてる。もちろん他の理由はあるんだけど、それをとってもきっとシャルロットさんが自分に危害を加えないとルクスは本能で分かっているんだと思います。誰でもできることではありませんよ」
「それはシャルロットさんのれっきとした個性であり良いところです」
「エンシェン様……」
「だからね。必ずいいことがある。その性格を歪めてはダメよ」
マキさんのダメ押しという微笑みにシャルロットの表情が少しだけ柔らかくなった。
シャルロットがそっと自分の頭の上にいるルクスに手を伸ばす。それだけでルクスは嬉しそうに自分の身をシャルロットの手にゆだねた。
エンシェンやマキさんの言ったようにシャルロットに対するルクスの警戒心の無さは異常だ。
「私に、出来るでしょうか」
自信のない言葉に俺が一歩踏み出した。
同時に雫も前に来る。
「出来る。というか、歪ませない」
「そうよ。もしシャルロットさんが道を踏み外しそうになっても私たちが無理やりにでも直しちゃうから」
「リュウカさん……シズクさん……」
「だから、シャルロットはそのままでいいんだよ。そのままで優しいシャルロットでいれば、ね」
「……はい!」
「きゅる!」
シャルロットとルクスの声が重なった。
それがあまりにも面白くて自然と空気が軽くなる。
いい感じに話がまとまったところで俺は、片手にあるエターナルブレードに意識を向けた。
俺の視線を察してかマキさんもまたその分厚い刀身を見て話を戻すように呟いた。
「武器は意思がないですからね。こうやって人の様に分かり合うことは出来ません。自分では埋められない穴を無理やり埋めているようなもの。寄り添うのは不可能です」
「どう足掻いても依存になってしまうということですか」
「はい。それに武器は戦うためにありますから。もう戦わなくてもよくなった私には必要のないもの。だったら、エターナルブレードを存分に扱ってくれる方に渡すのが、せめてもの恩返しになると思うんです」
「それが俺だったと」
「きっと」
マキさんがまるで我が子を撫でるように、膝を折ると、俺の手におさまっているエターナルブレードの刀身に触れる。
「よかったら見せてくれませんか? リュウカさんとエターナルブレードの戦い方を。斬撃を飛ばすとか竜巻を起こすとか、私も知らないことを見てみたいんです」
純粋なお願いに俺も快く了承する。
「いいですよ」
「ありがとうございます」
そうして俺は前を向く。
眼前に広がるは、マキさんが丹精を込めて作ったおおきな花畑。色とりどり様々な花が並ぶ中、中央に咲く5輪の白薔薇が、風に揺れ独特の香りをここまで届けてくれる。
そんな光景を前にして俺はエターナルブレードを持ちながら―――固まっていた。
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