第178話 男という生き物

 思いの外重たい話にリビングの空気が暗くなる。

 そんな空気を感じ取ってか、今までずっとシャルロットとじゃれついていたルクスが甲高い声を上げたと思うと窓を開けて外に出ていってしまった。

 外の風が家の中に吹き込み、花の香りが辺りを包み込む。


「きゅるるるる!!」


 窓からどこか開放的な声が聞こえて来る。

 すると、対面に座るマキさんが椅子から立ち上がると、開け放たれた窓から顔をのぞかせて上を見つめた。


「こらー! 急に飛び出したらダメでしょー!」

「きゅるる! きゅる!!」

「え!? それはそうだけど……」

「きゅる。きゅるきゅるる」

「はぁ……まったくもう…仕方がないわね」


 マキさんは嘆息すると、開け放たれた窓から顔を戻し俺たちに苦笑いを見せた。


「ごめんなさい。ルクスったらどうやら話が長くて我慢できなかったみたいです」


 飛び出して行っちゃいました、と言って追いかけるように玄関から外に行こうとする。

 そんな様子に俺たちは全員椅子から立ち上がった。


「私たちも行きます」

「いいんですか?」

「まぁ、その、座ったままなのもあれですし」

「我慢できなかったのはルクス君だけじゃないってことです」


 言いながら雫が俺を見ているのは気のせいだろう。

 俺はちゃんと我慢できたからな。うん。

 そんな俺たちを見たマキさんはなにかを察したように一瞬間を開けると、


「分かりました」


 といって快く承諾してくれた。

 マキさんが玄関を開けたところでもう聞きなれてしまった甲高い声が届いてくる。


「きゅーるる!」


 がばっというようにルクスが空から体ごとマキさんの顔に引っ付いた。

 すぐに離れると笑うようにきゅるきゅると鳴く。


「ちょっとルクス。びっくりするじゃないの」

「きゅーるる」

「しーらないじゃないくてね。まったく、もう」


 呆れるマキさんにまたしてもルクスが覆いかぶさる。

 しかも今度は結構な助走をつけた後だ。

 マキさんの体が仰け反る。


「…………」

「きゅるるるるる♪」


 顔から離れたルクスはすごく楽しそうだ。

 対象的にマキさんは玄関の前に立ち止まって言葉を発しない。


「あ、あの、マキさん……?」


 そんなマキさんにシャルロットが気遣った声をかけるものの言葉は帰って来なかった。

 代わりに体がフルフル震えている。


「マ、マキさん落ち着いて。ちょっとしたいたずらですから」


 俺もなんとなくシャルロットに加勢するが、マキさんは変わらず無反応のままだ。

 これはまずいのでは……?

 そう思ったのもつかの間、ずっと黙ったままだったマキさんが動いた。

 空を飛ぶルクスを捕まえるように手を動かしながら叫ぶ。


「ルクス! いい加減にしなさい!」

「きゅる。きゅる。きゅーるる」


 そんなマキさんの手を空を泳ぐように軽くよけるルクスの態度にマキさんも意地になる。


「この……! この……!」

「きゅ、きゅ、きゅ! きゅるる♪」


 必死なマキさんとは対照的にここでもルクスはどこか楽しそうだ。

 きっと遊んでもらえていると勘違いしているんだろう。

 

「きゅーるるるるる~!!」


 遂にはルクスはマキさんから逃げるようにどこかへ飛んで行ってしまった。


「こらー! 待ちなさい!!」


 マキさんもマキさんでそれを追いかけ、俺たちは玄関前に取り残される形になる。


「……あー……どうしましょうか」


 シャルロットが困った声を上げた。

 雫もまた同じような顔をする。


「このまま放っておくことも出来ないしね」

「はい。だからって私たちがルクス君も追いかけるのもちょっと」

「確かにねー……」


 困っている2人にエンシェンは静かに雫の隣に立つ。


「なんでしたら私たちも飛びますか雫? 私の力を使えばルクス君と同じように自由に空を飛べます」

「しないわよ。そもそも飛んでどうするの」

「より確実にルクス君を捕まえられます」

「私たちには捕まえる理由がないわよ」

「それもそうですね」

「まぁ、放っておけばいいんじゃない?」


 雫とエンシェンの会話に俺は軽い調子で言った。


「お母さんに構ってほしいんでしょ。あれぐらいの男ではよくあることだよ」

「へぇ。ずいぶんと子供心に詳しい。あんた、子供苦手なくせに」

「そうなんですか?」

「いやまぁ、そうだけど……」

「なんだか意外です。リュウカさん面倒見よさそうなのに」

「騙されちゃだめよシャルロットさん。こいつが面倒見いいのはかわいい女の子だけなんだから」

「え……」


 シャルロットが雫の発言で固まる。

 俺はすぐさま否定した。


「違うわ! 語弊がある言い方するな!」

「だってそうじゃないの。近所の子供とか迷惑そうに見てたし、そのくせきれいな女性が通ればすぐ眼の色を変えてそっちに行くんだから」

「リュウカさん……」

「違う、違うからな。あれは、その……」


 あぁ、なんだかめんどくさくなってきたな。

 だいたい綺麗な女の人が通ったら誰だってそっちに目がいくだろう。俺だって男の子なんだもん。小さい子はどう接していいか分からないしさ……こ、怖いんだよ……。

 俺は無理やり話を戻した。


「とにかく……! ルクスに関しては人間じゃないから苦手もなにも無いんだよ。それに子供心はじゃなくて、私が分かるのが男心の方。自慢じゃないけど、これでも中身男だから」

「ほんと、自慢じゃないわね」

「雫は黙ってろ」


 茶化す雫にツッコミを入れたところで比較的冷静なエンシェンが俺に話しかけてくる。


「それで? なにが分かったのです?」

「だからな……」


 俺は頭をかきながら楽しそうに空中を浮遊するルクスとそれを追うマキさんを見つめた。


「ほら、俺たちに話してくれた内容って結構重たかっただろ。火竜とかいろいろ、難しい話ばかりで入り組んでた」

「はい」

「俺たちならまだしも人間でもない、ましてやまだ幼い火竜のルクスにはほとんど分からなかったはずだ」

「まぁ、でしょうね」


 茶化された影響で栗生拓馬としての口調になってしまったが、それでもシャルロットも雫も頷いている。


「ルクスにとっては場の雰囲気で判断するしかないだろ。重たい空気、沈んだ表情。たぶんそれらに我慢できなかったんじゃないのかって思う」

「だから飛び出したって?」

「きっとな」

「話が長かったからじゃないんだ」

「それもあるだろうが、それだけじゃないはずだ」

「それじゃあ、マキさんにちょっかいかけたのは一体」

「まぁ、あれだ。その……」

「なに恥ずかしがってんのよ」

「うるさいな……つまりだな、火竜だとしてもルクスが男なら嫌なはずだろ。お母さんの沈んだ表情をずっと見ているのはさ」


 ルクスはあれで気遣いのできる優しい火竜だ。沈んだ表情のマキさんやシャルロットを励ますように隣に寄り添ったり、顔を舐めたりするような子が、自身の育ての親でもあるマキさんの苦しそうな表情を黙って見ていられるわけがない。

 きっとあれでルクスはマキさんを元気づけようとしているんじゃないかと思う。

 理由は分からなくとも、母親の沈んだ表情は嫌だ。特に男ならばなおさら。


「へぇ~」


 雫のニヤニヤ顔が突き刺さる。

 シャルロットもこちらを見ると優しそうに微笑む。

 俺はそんな2人の視線に耐え切れず、苦し紛れに適当なことを言いながら2人から離れるように歩き出した。


「つまりだな。変に気にしなくても大丈夫ってことだ。それに、そもそも俺たちにルクスは何もしてない。だったら追いかける必要も」


 と言ったところでガンッと後頭部に衝撃がはしった。

 右から左に走る痛みにさすりながら、その方向を見る。


「きゅる」


 見ればマキさんに追われていたはずのルクスがこちらを見ていた。

 まさかと思い、なにかを言おうとしたところでルクスが踵を返すようにこちらに飛んできた。顔面めがけての迷いない飛翔に俺は咄嗟に上半身を傾ける。


「あぶ―――」

「きゅる」


 ルクスは避けられたことなど意にも返さないようにまたしても俺の方へと向かってくる。

 まさか繰り返すとは思わなかった俺は反応が遅れた。

 エターナルブレードも持たないただの女の子のリュウカには、火竜の飛ぶスピードは速すぎる。ましてや、一度よけられてムキになっているのかさっきよりもあきらかに加速していてはもう無理だ。

 すぐにビターンという音と共に俺の視界が真っ暗にある。


「きゅるるるるるん♪」


 開けた視界ではルスクが、楽しそうに空中で笑いながら止まっているのが見えた。

 俺は俺で自分のおでこに手をやりながら思わぬ衝撃に地面に膝を折る。


「…………」

「きゅるるるる♪」

「こらー!!! お客様になにしてるの!!!!」

 

 マキさんの怒号にも似た声に反応してルクスがまたしても空高く逃げるように飛んでいった。

 それを俯きながら聞いた俺は、未だに痛む自分のおでこを触りながらも、静かにその場に立ち上がる。


「リュ、リュウカさん……?」

「綺麗に当たったわね」


 心配したシャルロットと雫が近くに来た。

 雫が俺の顔をのぞき込んでくる。


「まったく油断してるから……ちょっとおでこ見せなさい。治してあげる」


 そう言い雫がエンシェンを近づけてくるが、俺はその言葉を無視して手を離すと、そのままゆっくり歩きだした。


「ちょっと動かないでよ。やりにくい」

「……いらない」

「は? あんたなに言ってんのよ」

「別に痛くないし、いい」

「強がんないの。結構な音してたわよ」

「そうですよ。それに火竜の鱗は見た目以上にとげとげしてますから。あれだけ思いっきり当たれば痛いはずです」

「いい。それに何より今は治癒よりやらなくちゃいけないことがあるから」


 心配そうなシャルロットの言葉を背に、俺はその場で膝を折り曲げると、クラウチングスタートばりに勢いよく地面を蹴った。

 早くなる視界の中、気持ちよさそうに空を飛ぶルクスをロックオン。

 勢いそのままにルクスめがけて飛び上がった。


「こんのクソガキがぁあああああ!!!!」

「きゅ? きゅるるるるるん!!」 


 ルクスが突如として参加してきた俺の手をひらりとかわすと、速度を上げて逃げ出す。


「よくもやってくれたなぁああ!!! お返しじゃああああ!!!!」


 こうして俺は痛むおでこをそのままにマキさんと同様、ルクス捕獲作戦に参加した。

 さっきまでの言葉は全部取り消させてもらう!

 全然優しくない、ただのクソガキだ。

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