第177話 正義感だけではどうにもならないこと

 嫌な事実の前にガタッいう音が隣から聞こえてきた。

 見ればシャルロットが椅子から勢いよく立ち上がっている。

 その目は少しだけ複雑そうに細められ、動揺しているのか瞳が揺れているのが見てとれる。

 マキさんを前にしてシャルロットは抗議にも似た声を上げた。


「ちょ、ちょっと待ってください! もしそれが本当だとしても、だとしてもですよ! 相手は火竜。ただの商人が簡単にでっち上げられるとは考えられません!」

「どうして?」

「だって、いくら依頼が誰でも出せるものだとしても、依頼の信憑性を確かめるために一度ギルド職員が状況の確認に行くはずです。行けなかったとしても魔法で見ることは出来るんですよ」


 確かにシャルロットの言っていることの方がもっともだ。

 ギルドメンバーになるとき、その人物がどんな人物なのか職員は魔法を使って確かめる。これは犯罪歴のある人などを見極めるためのものだとクオリアさんが言っていた。そういった輩を入れないため徹底して審査している会館が、依頼の審査をしないなど考えられない。

 たとえ嘘の依頼を出そうとしても職員に見つかって出すことすら不可能となる。

 俺たちよりもギルドメンバー歴が長いマキさんがそこに気づかないわけがない。

 シャルロットの言葉を受けて、マキさんが表情を歪ませる。


「そう。そうよ。だから、厄介なのよ」

「厄介って……」

「事の本質はここじゃない。これからなのよ」


 マキさんの声音が変わる。

 

「ただの商人じゃあ嘘の依頼は出せない。だとしたら誰かが介入したのが明白。ギルド会館やその職員を黙らせることが出来るのは、ルバゴでは―――いえ、この世界には1人しかいない」

「1人しかいない?」


 含みのある言い方に俺は疑問符を浮かべる。

 雫もまた思案顔だ。

 しかし、隣のシャルロットだけは何か気づいたように目を見開いた。


「……うそ……それって……」

「気づいたかしら」

「で、でも、そんなこと……」

「信じられないのも無理もないことでしょうね。でも、事実よ」

「え、誰……誰なんですか?」


 雫の質問に、マキさんはたっぷりとした間をあけて答えた。


「現ルバゴ王 ドリラー・ビズリーよ」

「王様……」


 思いもしなかった単語に俺たちは言葉を失う。

 すると、続けざまにマキさんがこう言った。


「火竜討伐には王族が関わっていたのよ」


 その事実は何も知らない俺たちでも、どれほど重大なことかを分からせるほどの衝撃を放っていた。

 金もうけのための嘘の依頼に王族が関わってるとなると、きな臭い様相はぬぐえない。今からその王族と会いに行こうとしている俺たちにとっては他人事ではなかった。


「でも、でもよ。それが本当だとしてなんで王様がただの商人に肩入れするの? 金儲けなんてあまり意味がないように思うけど」

「確かに。王様が貧乏なんて聞いたことがない。座ってるだけで稼げるような商売だろ」


 俺の雑な言い方に少しだけ雫が気にした顔をする。

 だが、何かを言う前にエンシェンの声が響いた。


「言葉はあれですが2人の言っていることはもっともです。王であるのならばお金はいくらでも入るでしょう。マジックストーンに手を出さなくてもいいはずなのに、なぜそのような」

「知らない? 今の王様ドリラーの評判」

「いえ、全く」

「私もですね。女神はそういったまつりごとには参加してはいけない決まりでしたから」

「そっか。シャルロットさんも?」

「はい……自分の事に手いっぱいで他のことは……すみません」

「謝らなくてもいいわよ。だいたいの人がそんなものだもの。てことはリュウカさんも全くですよね?」

「俺……私はそういうのに興味ないんで」


 今更ながら一人称をつい気にして変えてしまう。

 この場にいる全員、俺が元男なのは知っているのだが、こうしていないと正直落ち着かない。

 気を取り直して続きを言う。


「でも、少しだけクオリアさん……ええっと、私の担当をしてくれてるギルド職員の人が言っていました。王族は他の貴族と違って厳格に物事に対処するって」

「そう。なら話が早いわね」


 マキさんはそうして少しだけ下がった声音をあげると軽い調子で言った。


「ドリラーは良い意味でも悪い意味でも人優先。国民優先の王なのよ」


 その言葉は誇っているというよりもどこか嘲笑しているようにも聞こえた。


「極端な思考の持ち主でね。利用できるものはなんでも利用する。人間が栄えるのならば他種族はいらないとさえ言い切る人なの。火竜だろうと魔物だろうと、邪魔をするものは消すといった感じの人」

「うわ……絵にかいたような独裁者だ……」

「ほんとね。なんか嫌になるわ」

「……私もあんまり好きじゃありません」

「ふふ。分かるわよ。でもね、意外にも人気は高いのよね」

「なんで!?」

「だって、そういう人って言うのは味方である限りは絶対に守ってくれるという強さがあるでしょ。現に王がドリラーになってルバゴは著しく発展したわ。生活は豊かになって、人々には笑顔が増えた。その裏で犠牲があったって自分達に降りかからなければなんてことないもの」


 マキさんの何気なく言ったセリフにシャルロットが表情を落とす。


「犠牲って……」

「見えなければ知らないも同じよ。そうでしょ」

「それは……! それは、そうかもしれないけど、いけないことです。なにかを犠牲にして得たものなんてそんなの」

「本当にいけないこと? シャルロットさんの食べているもの、着ている服、それら全ては他の種族を犠牲にして得ていることでしょ。私たちはそんな中で生きているのよ」

「それは、そう、ですけど……」


 厳しいマキさんの言葉にシャルロットが言葉を失う。

 すると、そんなシャルロットの味方をするように刀のエンシェンが動いた。

 シャルロットをマキさんの視線から守るように2人の間に動き、マキさんに言葉をかける。


「マキ。少しばかり言葉が過ぎますよ。当時のことを思いだし感情が昂っているのは分かりますが、責めるべきはこの子ではありません」

「……そうね。ごめんなさい」

「いえ、私も、少し無責任でした」


 気まずい空気の中、マキさんの言葉が続いた。


「ドリラーは善意で、もっと人が発展できるようにマジックストーンを貴族だけではなく一般に流通させようとした。ルバゴにいてマジックストーンを得るのに火山地帯はかっこうの場所だった」

「つまり、そこに住む火竜がドリラー王にとっては邪魔だったと」

「ええ」

「だから、火竜を討伐しようと思っている商人に協力した。裏に下世話な思惑があるのを承知で」

「大体そんなところよ。その全てが私には視えたんだから」


 俺も雫も、この場の全員が顔を落とす。

 確かに分からなくはない。魔力が全てのこの世界においてマジックストーンの性質は誰もが欲しがるほどに優れている。それが一般化されれば人間文明は大きく発展することだろう。

 王として、人を代表する立場としてそれは素晴らしいことだ。

 手段はどうであれ、豊かになることは明白なんだから、それを何の迷いもなく出来る王というのは優秀に映るだろう。

 しかし……俺は火竜の幼生ルクスを見る。

 火竜は火竜だ。人と同じくこの世界に生きる生物。魔物は人を襲い、街を破壊しようとする。だから討伐するのは分かる。でも、この子の、ルクスの母親はただその場にいただけ。

 人の傲慢な考えで、勝手に居場所を荒らされ、殺された。

 それを良いことだとは頷けない。頷いてはいけない。

 何かを得るのに犠牲はつきものだとしても、勝手に他種族の居場所を奪うのはやり過ぎだ。

 自然と眉根にしわが寄る。

 そんな俺の様子を見ていたのか、対面に座るマキさんと目が合う。

 静かに笑っているその表情が印象的だった。


「商人の嘘の依頼は王の一言でギルド会館を通り、掲示板に張り出された。火竜の討伐をより確実にするために複数枚の依頼書を作りそれぞれの掲示板に張り出し、その1枚を私たちが手に取ったということよ」

「そうだったんですね……」


 すべてのことを知り、シャルロットがルクスを憂いの表情で見つめた。

 そんなシャルロットに対しルクスはなにを思ったのか飛び立つと、シャルロットの頬を舐める。慰めるようなルクスの行動にシャルロットの顔にも少しだけ明るさが戻ってきた。

 その様子を見ながら俺は呟く。


「じゃあマキさん達がルバゴを離れてここにいるのは、ルクスを守るためだったんですね」

「ええ。いつ何時この子が標的になるか分からない。全てを視えてしまった以上そのままになんてできないでしょ。だから、ウィルと一緒にすぐに街を出たのよ」

「よくそんな決心できましたね」

「この子のためですもん」

「でも魔物もいるのに」

「大丈夫よ。その時には火竜の本当の力も知っていたし、なによりも、真実を知ってルバゴにいるなんて私には無理だったから」


 窓の外、おそらくルバゴのある方向を見ているマキさん。

 頬杖を突いた彼女の口から不意に小さな呟きが聞こえてきた。


「まぁ、事実を知っても何もしていない私が、なにか言えた義理はないんだけどね」

「どうしてですか……」


 無責任だと分かっていながらついつい俺はそう言ってしまった。

 すると、自嘲気味な笑みでマキさんが俺の方を見てくる。


「無理なのよ。王様が関わってるとなればただの一般人の私には何もできない」

「そんな……」

「正義感だけじゃ無理なことはこの世の中にはいっぱいあるの。もし私がその件で怒って王様に何かしようものなら、私だけじゃない、ウィルもルクスもこの世界での居場所がなくなる。ドリラーというのはそれだけの権力を持った人で、簡単に他人の居場所を奪うことが出来る恐ろしい人なの」


 マキさんの言葉は俺たちの心に重くのしかかった。


「あなたたちもルバゴに行くのなら気をつけなさい。あそこはこの大陸のどの街よりも大きく、危険が潜んでいる場所なのよ。魔物だけじゃない。この世界にはそれ以外の問題も山積みなんだから」

「……はい」


 ただそう言うのが精一杯だった。

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