第175話 火竜の名

 頬と頬とをすり寄せるマキさんと火竜の幼生を見ながら、俺はあることが気になった。

 話によればマキさんとエンシェンは一時といえど昔の仲間だったという。

 なのに火竜の幼生が突然俺たちの前に現れたとき、エンシェンは俺たちと変わらない反応を見せていた。

 むしろ、火竜の性質を知っている分シャルロットにべったりな火竜の様子に驚いていたまである。

 昔の仲間だったらそれはおかしな話だ。

 ということはマキさんとこの火竜の幼生が知り合ったのは、エンシェンと別れルバゴへ戻った後ということになる。

 じゃあなぜ、マキさんはルバゴを離れているのか。

 目のことがあり、人が多い街を離れていると考えるのが普通だが、制御できているといったのはマキさん本人だ。

 そもそも治癒の女神でも治せなかった奇病が簡単に制御できるようになるのだろうか。マキさん自身が成長し、目をうまく扱えるようになった可能性もあるが、どうしても引っかかる。

 俺はマキさんに尋ねる前にエンシェンに聞いた。


「なぁエンシェン」

「はい?」

「どうして千里眼は治せなかったんだ?」


 俺の質問に同じような目で雫とシャルロットもエンシェンを見つめた。

 治癒の女神は下手をすれば死者も蘇らせることが出来る力を秘めた存在。神話上の女神でも治せないとなるとそれなりの理由があるはず。

 3人の視線を受け、エンシェンは比較的軽い口調で教えてくれた。


「それはマキにとって千里眼というのはマキ自身そのものであったから、だと思われます」

「思われます?」

「はい。これといった確証があった訳ではありません。ただ……治せなかったということはそうなのではと結論付けました」


 煮え切らない言葉に3人とも複雑な表情を浮かべる。

 シャルロットの口からぽつりと言葉が漏れた。


「……神様でも治せない。そんなもの存在していいんでしょうか」

「いい、とは言えないよね」

「確かにね」


 神は世界の頂点に立つような存在だ。

 絶対的な力を持っているものがいるからこそ、いざというときに世界というものが守られる。

 そんな神をも覆すようなものが存在してしまえば、いよいよもって何が最強なのか、何がこの世界において絶対的な存在なのかわからなくなる。

 だが……

 俺は雫を見つめた。雫もまた同じ結論にたどり着いたのかこちらを見ている。

 そしてエンシェンもまた、俺たち2人を見ていた。


「皆さんの言う通りです。神の力をも覆す存在は世界の理を崩しかねません。存在して言いわけがないのです。ですが……」


 エンシェンが言葉を切った。

 エンシェンは俺たちというよりも雫を見ている。自然と全員の目が雫に向かう。


「現にこの世界だけではなく、どこにでも神でも説明できない現象が存在するのはよくご存じのはずです。特に皆さんはその一例を体験されているのですから」

「まぁ、確かに」

「私自身がそうなんだもんね」


 エンシェンの言葉に俺と雫は互いの顔を見つめる。

 俺は神様に自分の記憶を消してくれと願った。普通は抗うことさえできない神の力神通力に、しかし、抗った者がいる。それがこの雫だ。

 雫は確固たる強い意思で神様の神通力を跳ね返し、栗生拓馬の記憶を保持し続けた。ただ会いたいという一心だけで世界までをも飛び越えてここに来たのだ。

 それを体験している手前、エンシェンの言葉を簡単には否定はできない。

 シャルロットも自分の獣耳を触ると、小さな声をもらした。


「確かにありますね。悪魔憑きもどうして生まれるのかいまだ分かっていません」

「そうなんだ」

「はい。なぜどのようにしてこんな耳を生やした人間が生まれるのか、まったくといっていいほど分かってないのです。エンシェン様のおかげでこの耳によくない魔力が宿っていることは分かりましたけど、それさえも初耳ですし、それ以上悪魔憑きに関して分かっていることは何もありません」


 シャルロットの呟きに、俺はマキさんとエンシェンを見る。

 2人とも静かに首を横に振る。エンシェンは刀全体を横に振ってだが、その意思はよく伝わってきた。


「大陸中渡り歩いてきたけど、悪魔憑きに関しては私も何もわからないかな」

「女神の私でもなぜ生まれるのかは分かりません。不甲斐ない限りです」

「いいんです。生まれてきてしまった以上、もうそこは関係ありませんから」


 シャルロットの諦め混じりの言葉にエンシェンは言葉を失い、マキさんは分かるといった風に目を向けている。

 体に宿して生まれてきてしまった以上、どうして生まれるのかそんな理由を知ったところで意味がない。どう対処していくかが問題だ。

 そこでマキさんは旅に出た。

 シャルロットもまた行動に移した。

 同じなのは両者、女神の力では治せないというもの。


「じゃあそもそもマキさんの千里眼は悪い物ではなかったってこと?」


 雫が話を総合して聞く。

 しかし、エンシェンの解答はまたしてもふわっとしたものだった。


「いえ、悪い物ではあります。しかし、剥がせないといった方がいいのかもしれません」

「どういうこと?」

「それは……」

「私のときと同じ、ですか?」


 シャルロットが言う。

 耳を触りながらもついさっきのことを思い出しながら呟いた。


「私の場合、運というのが不確定で、見方によって良くも悪くもなるから治せないって言ってましたよね」

「あぁ、そっか。人の全てを視えてしまうというのは、確かに嫌な部分も見ることになるけど、言い方を変えれば便利でもあるってことだよね。言葉は悪いけど、心が視えるんだから、その人が何をしようと不利にはならない」


 控えめに言っても使い方を誤らなければ最強の防衛術になりえる。

 これから騙そうって言う人が近づいてきても心の中が筒抜けだとなれば、騙される前に先手を打つことができる。

 考え方をぐるっと変えればよくもなる。

 俺が1人で納得した声を上げていると、隣の雫からは対照的な声が聞こえて来た。


「うーん……そうなのかな?」

「え? 違う?」

「いや、違わなくはないだろうけど、なんかしっくりこないっていうか……」

  

 腕を組みながら雫が自分の思ったことを吐露し始めた。


「確かに運って言うのはそれぞれの主観に左右されるから、良くも悪くもその人次第。でもそれって、悪魔憑きの効果が周りの人も巻き込んじゃうからでしょ。多くの人を巻き込むから、いいって思う人もいて悪いって思う人もいる。だから一概に悪い物だって言えなくてエンシェンでも治せない。そうでしょエンシェン?」

「はい」

「でも、千里眼っていうのは持っている人にはいろいろ、視たくないものまで視えちゃうってだけで、その人がこうだと言わなければ伝わらない。はっきり言ってしまえば、悪魔憑き以上に普通の人間と見た目が変わらないんだから隠し通すことは簡単だってこと。だったらさ」

「なるほどな」


 雫が何を言いたいのかよく分かった。

 俺と同じようにシャルロットも雫の言葉の意思が分かったようでハッとした顔をしている。


「さすがはエンシェンの契約者ってだけはあるのかな」

「はい。雫はなんだかんだでリュウカが関わらなければ冷静です」

「う……なんだか嫌味に聞こえるんだけど、気のせい?」

「いいえ。嫌味ですよ」

「ちょっとエンシェン……あなた、私の扱い結構雑よね」

「ごめんなさい。でも雫、私は長いこと女神をやってきましたが、好きな人のために家族も友人もなにもかも捨てて世界を飛び越える人は初めてです。そんなことをする人を冷静だとは言えませんよ」

「……否定できないから辛いのよね」

「あはははは……」


 こうもはっきりと好きな人と言われては、その好きな人である俺は愛想笑いを浮かべるしかない。

 シャルロットに助けを求めようにも、ニコニコの笑顔は助けてくれるような感じではない。むしろ今の会話を楽しんでいるようにも見える。

 すると、対面に座るマキさんが話を戻した。


「雫さんの言っていることはおおむね当たっているわ。悪魔憑きとは違って私の目は私にしか影響がない。そんな私が悪い物だと思っているんだから、それは紛れもなく悪いもの。女神の治す対象になるってことよ」

「だけど、治せなかったんですよね。どうして……」

「単純に私にとってはこの目はないといけないものってこと」

「えっと……それってどういう……」


 シャルロットが首をかしげる。

 俺も同じように分からないといった表情を浮かべていると、マキさんが悩みながらも説明してくれた。


「なんていうか難しいんだけどね。えっと、髪ってあるじゃない」

「髪ですか?」

「うん。私で言うなら茶色、シャルロットさんなら白、リュウカさんは黒。雫さんは……元々黒だけど、エンシェンの影響で今は緑かな。それぞれ地毛が違うでしょ」

「はい」

「人それぞれ性格が違うように、髪色も違う。似ているのはあるけど完全な同色は存在しない。そして生えてくる髪の色を変えることはできないのよ。どれだけ自分の髪の色が気に入らなくても根本的な部分は変わらないし変えられない」


 確かに、染めようとする人はいるが、地毛自体を変えようと思う人はそうそういない。ゼロではないかもしれないが一般的ではないだろう。

 そもそも遺伝子に組み込まれている以上変えようもない気がするが、どうやら魔法があるこの世界でもそこは同じの様だ。

 誰一人その観点に口をはさまない。


「遺伝子レベルで記憶されているものは、魔法だろうとどうだろうと変えられない。つまり、私のこの目はそういう場所に存在してるってこと。千里眼があって私はマキラニアなのよ。だから、エンシェンといえども治せなかった」

「それは……それはひどく辛いことじゃないんですか? 女神でも、エンシェン様でも治せないってことは、つまり」


 もうこの世に治せる方法は存在しない。

 シャルロットはその言葉をあえて口にはしなかった。それは優しさであると同時に、自分もまた同じようなものを持って生まれてきたからでもあるだろう。

 どうしても言葉にしてしまえば現実味を帯びてしまう。

 シャルロットもまた心のどこかで恐れてはいるのだ。悪魔憑きがそういう場所に位置していないだろうかと。

 マキさんはすべてを分かったうえで慈愛に満ちた笑みをシャルロットに向けた。


「そうよ。だから私は絶望し、塞ぎこんだ」


 マキさんの言葉に俺が反論した。


「でも、今マキさんはこうしてここにいる。ルバゴに戻ってギルドメンバーとしてウィルさんとまた一緒にやっていくって決めたのはどうしてですか? 絶望からの復活はそんな簡単なものじゃないってのは、なんとなく分かるんですけど」


 そう言いながらも俺は心の中でだけ自分の言葉を否定した。

 本当は分からない。俺は本当の意味で絶望したためしがないんだ。なにかを失った経験はあるものの、それを見なくてもいいような状況が続いた。この世界に来て、独りぼっちになることが少なかったのはひとえに、たくさんの人のおかげではある。アーシャさんにミルフィさん。シャルロットにリーズさん、クオリアさんだって俺の近くにいてくれた。

 そしてなによりも雫がここに来てくれた。俺を追いかけてくれたからこそ、俺はまた大事なものを手に入れることが出来たのだ。

 なんにでも視えてしまうマキさんにはこの胸中も視えてしまっているはず。

 それでもお構いなしに、俺は彼女の返答を待った。


「私もシャルロットさんと同じ。1人じゃなかったってことよ。エンシェンがいて、あの子がいて、そしてなによりも大好きなウィルがいた」


 マキさんはそうしてシャルロットではなく俺を見た。

 俺はそれで全てを悟る。やはり、マキさんにはなんでも視えているんだ。


「個性だって言ってくれたの。エンシェンから目の事実を聞いた私に、2人は私のこの目が個性だって。初めは受け入れられなかった。でも、たくさんいいところをあの2人が教えてくれた。魔物の動きが分かること、本当に信じていい人を見分けられること。たくさんのことをね。だから、ここまで立ち直ることが出来た」


 すると、ここでずっと静かにしていた火竜の幼生が小さな声で鳴いた。

 それに答えるようにマキさんまたふふっと笑う。


「そうだね。ごめんごめん。2人じゃなかった。3人だ」


 それはまさしく火竜の幼生のことを指しているのは見ていれば分かる。

 頬をすり寄せながらマキさんは呟く。


「今はこの目を病気だとは思ってないわ。良いところも悪いところも全部私。それになにより今はこの子がいるもの。もう大丈夫よ」


 意味深な発言は俺の思考を初めに感じた疑問へと帰らせる。

 病気じゃない、個性だとして受け入れているといっても、やはり全部が全部制御できているわけではない。制御できるならなによりも俺たちの正体を分かったとしても謝らないはずだ。マキさんには今でも見たくないものが視えてしまうことに変わりはない。だとしたら、制御できるようになったのは自分の力以外にもあるはず。

 昔と今で違うのは―――火竜の幼生の存在。

 シャルロットに言った言葉もそうだし、火竜にはなにかある。

 マキさんが詳しく説明する気がないのは重々承知で俺は聞いた。


「やっぱり、その子が」

「ふふ。どうかしらね」

「答えてもらえないことは分かっています。でも、もしなにかあるんだったら気になります。なによりもシャルロットに悪魔憑きのことを気にしなくていいと言ったのは、私としても簡単に流していいことではないんです」

「リュウカさん……」


 火竜になにかあればシャルロットの問題はもしかしたら解決するかもしれない。だったら、ここで簡単に引き下がっていいわけがない。千里眼のことを知らなかった少し前とは違って、俺の中ではその気持ちが強くなった。

 シャルロットが笑顔になるのなら、俺は何でもする。してあげたい。火竜になにかあるならそれこそ……。


「ダメよ」


 そんな折、マキさんの冷たい声がリビングに響いた。

 俺は咄嗟に顔をあげると、鋭い目のマキさんと対峙する。


「ダメ。いくらリュウカさんでもそれだけはダメ。自分達の利益のためになにかを利用するのは決してしてはいけないことよ。ましてや、シャルロットさんではなくあなたがそれをしては誰も幸せにはならないわ」

「……すみません」


 なんでも視えてしまうマキさんの前でこんなこと思うなんて我ながら最低だった。治っていない。結局、俺はまたしても自分の勝手な思い込みで行動を。

 俺はシャルロットに謝る。


「ごめんシャルロット」

「いえ、いいんです。リュウカさんがなにを思ってくれたのか、私にも分かりましたから」


 シャルロットは優しくそう言ってくれたが、リビングに流れる空気は少しだけ重たくなる。

 マキさんも自分の声に反省しているのか呟く声は弱弱しい。


「ごめんなさい。私の方こそ……」

「いいんです。これは私のエゴが原因」

「違うのよ。ここまでヒントを与えてしまった私にも非はある」


 そんな様子のマキさんにエンシェンが声をかけた。


「珍しいですね。あなたがここまで強く言うなんて」

「そう? こういう性格よ」

「いえ、あなたには全部視えているでしょ。リュウカという人物がどういう性格なのか。そこまで強く言わなくても分かってくれる子です」

「ええそうね。ごめんなさい」

「……なにか、あったのですか? その子に」

「そういうわけじゃないの。ただね、今は少し火竜という単語に敏感なだけ」


 そうしてマキさんは火竜の幼生を引き寄せた。

 俺たち3人に見えるようにして言う。


「この子の名前はルクス。世界に光を差す者として名付けたの。実際、この子のおかげで私の世界には光が灯ったから」

「ルクス……」

「きゅるん!」

「いい名前です」

「うん。かっこいい」


 しかし、紹介してくれるマキさんの顔は優れない。

 すぐにその理由が分かった。


「私とウィルがルバゴを離れここに住んでいるのはこの子がいるからなの」

「と、いうと?」

「えっとね、その……」

「まさか……!」

 

 ポカンとした俺たちとは対照的に、何かを察したのかエンシェンの鋭い声が響いた。

 マキさんはそれに頷くと言葉を繋げた。


「そう。今、ルバゴと火竜の関係は最悪なのよ。過去に類も見ないほどにね」


 今この場でマキさんの言葉を完全に理解できたのはエンシェンだけだったことだろう。別の世界から来た俺も雫も、事の重大さを理解できない。

 理解するには知識が足りなさすぎる。

 シャルロットもまたそこら辺には詳しくないようで首を傾けている。

 そんな3人の胸中が視えているマキさんがすぐに状況の説明をしてくれた。


 

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