第174話 マキラニアの過去

「あー……とりあえずどこから話そうか」


 比較的落ち着いたマキさんはポカンとしている俺たち3人を見て困った顔を浮かべた。

 なにからもなにも全てが予想外の出来事で理解が追い付いていない。エンシェンと知り合いだったこともそうだし、そもそも俺の存在を分かったというのが何よりも俺たちを驚かせている。

 千里眼とか何とか言っていたのも気になるし、もうなにがなんだか……。

 3人が3人ともどう言葉にしていいのか分かっていないと、マキさんの視線が動く。

 熟睡している火竜の幼生を見て微笑むと、そのまま隣のシャルロットへと移る。

 優しい笑顔をそのままに事もなげに告げた。


「そうだね。まず、シャルロットさん」

「は、はい」

「もうフードはとってもいいわよ。ずっと被り通しも大変だろうし、蒸れて嫌でしょ」

「い、いえ、これはその」

「大丈夫。分かってるから」


 そう言うマキさんの目は冗談でもなんでもなかった。

 シャルロットはその目を見つめると諦めたようにフードを外した。きれいな白髪が日の光を反射する。


「きれいね」

「あ、ありがとうございます」

「いいえ。私、白って好きなのよ。何物にも染まらない感じがとても好き」

「初めて言われました」

「そう? でもだからこそ、そんな綺麗な髪のあなたが悪魔憑きという性を背負ってしまったのは悲しい。本当にね」

「はい……」


 褒めているはずのマキさんの声は低い。本当にシャルロットの境遇を憂いているように同情の目を向けている。

 シャルロットが下を向いたままいつものように謝る。


「ごめんなさい。隠していて」

「謝る必要なんてないのよ。悪魔憑きはなるべくしてなったものじゃない。勝手になってしまったものなんだから。隠さないといけないようにしたこの世界の責任。あなたが引け目に感じることはないの」

「それでも、私はこの耳と一緒に生きていかないといけません。家に上がるときに言わなかったのは私の責任です」

「ううん。違うわ。エンシェンも言ったけど私は全部分かってた。視えていたの。それでもシャルロットさんを家に入れたのよ」

「それでもです。分かっていたからと言って私はそのことを知りませんでした。知らなくて言わなかったのは同じことです」

「そう。シャルロットさんはそういう人なのね」

「はい」

「強いのね」

「違います」


 即座にシャルロットは首を横に振った。

 そして隣の俺を見る。


「私は弱いです。きっとリュウカさんがいなければこんなふうに思えてなかったかもしれません。リュウカさんが私を受け入れてくれたから、しっかりとしようって思えたんです。生きないとって」

「そっか。1人じゃないから」

「はい。1人じゃありません。リュウカさんがいて、シズクさんもいて、たくさんの人が私を悪魔憑きと知っても近くにいてくれました。そんなの初めてで……。きっとこれはリュウカさんに出会わなければ知らなかったことです。そうじゃなければ今頃私は1人でどこかで死んでいたことでしょう」


 シャルロットの重い言葉に誰も何も言えない。

 否定したいのは山々だが、悪魔憑きの性質は悪魔的不運を呼び寄せるというもの。俺が初めて会った時のシャルロットは度重なる不運で死にかけていた。アイリスタも魔物に襲われたし、ステラさんのときも魔界にしかいない魔物が草原に出てきた。ましてや壊れないと言われていた退魔の宝玉が壊れている。ついこの前だってアンデット族がナイルーンに攻めてくるかもしれなかったのだ。

 なんとか襲撃前に事の鎮静はできたものの、できなかった場合はどうなっていたことか。俺は生きていただろうがそれ以外はどうなったのか分からない。

 俺がシャルロットと出会ってまだあまり経っていないというのにこの多さだ。

 それだけシャルロットは、いや、悪魔憑きは危険を伴う存在だということ。

 この家に入ったこと自体も後悔している可能性だってある。

 シャルロットの表情が優れないと、それを察したかのように今まで寝ていた火竜の幼生が目を覚ました。

 沈んだシャルロットの顔を見ると、優しくその頬を舐める。


「きゅるる」

「ありがと。もしかして励ましてくれてる?」

「きゅる!」


 火竜の幼生のおかげで少しだけシャルロットの雰囲気が軽くなる。

 そんな姿に全員の顔に笑みが戻った。

 マキさんの柔らかい声音が響く。


「シャルロットさん。ずっと悪魔憑きのことを気にしていたら疲れるでしょ。ここでは何も気にしなくていいから。あなたはあなたのままで過ごせばいい」

「え、でも」

「大丈夫よ。あなたには彼がついているから」

「彼……?」

「きゅる!!」

「まさかあなたが……」

「そうよ。だから大丈夫」


 なにがどう大丈夫なのか詳しい説明はしなかったものの、マキさんの言葉にはどこか説得力があり、それを裏付けるように火竜の幼生も自信に満ち溢れた顔を浮かべている。

 そんな顔をされては頷くしかない。

 シャルロットが頷いたことにより、信じてもらえたと喜ぶように火竜の幼生がシャルロットの周りを飛び回る。

 そんな無邪気な姿にどこかリビングも空気も明るくなり、怒涛の展開の数々でなくなっていた心の余裕も出てくる。

 比較的軽くなった口で俺はマキさんに聞いた。


「あの子に特別な力でもあるんですか?」

「いいえ。あの子はただの火竜の子供よ」

「またまた」

「あら、信じてないのね」

「まぁ、さすがにあんなこと言われたらね」


 俺は隣の雫に同意を求めた。

 雫も頷く。


「マキさんは私達のこと、その、分かっているんですよね」

「そうね。正確には視えている。かしら」

「じゃあその、リュウカのことも」

「ええ。しっかりと。もちろん雫さん。あなたもですよ」

「ですよね……」

「だからさ、そんななんでも見えちゃうすごい目を持ってる人が、何の確証もなく彼がついているなんて言うかなぁ?」

「ふふ。確かにそうですね」

「じゃあやっぱり」

「ですが、それは言えません」

「どうしてです?」

「そういう決まりなんです」


 マキさんはそれだけ言うと、楽しそうに飛び回る火竜の幼生を見ながら小さく呟いた。


「ただ私に言えるのはこれだけ。火竜は火竜。人でも魔物でもない、この大陸に必要不可欠な存在ということだけ」


 それだけを言い、ハーブティーをひと口飲むとコップをコトッと置いた。

 そんなマキさんの姿に俺と雫は顔を見合わせると、これ以上の追及は無駄だと結論づける。

 決まりと言われては仕方がない。頑とした態度は何度聞いても揺らがなさそうだ。

 代わりにと言っては何だがずっと残っている疑問の数々を聞いていく。

 目のこと、エンシェンのこと、マキラニアさんという人物がどういった人など、分からないことはまだまだある。


        **********


 それから俺たちの質問に答えてくれたマキさんのおかげで、彼女がどういった人物なのか知ることが出来た。

 マキラニア・イスベル。現在は結婚してマキラニア・クワンとなっているが、彼女はルバゴ出身の正真正銘この世界の人間だ。

 なんでも視えるという彼女の目は千里眼と呼ばれ、見るものすべての、隠したいことまで全部が視えてしまう奇病だという。またの名を千里癌ともいうらしい。しゃれになっていない。

 その目のせいで彼女は幼くして人間の黒い部分にあてられ人間不信となり、時折パニックを起こして生活に支障が出てしまうほどでもあったという。そんな彼女を支えたのが生まれてからずっと同じ、幼馴染のウィルフレッド・クワンだった。

 ウィルは誰よりも純粋な心の持ち主で、裏表がなく、発作を起こしてしまう彼女の世話を嫌な顔1つせずにしてくれたという。もちろん心にも一片の闇もなく、彼女を甲斐甲斐しくも世話をし、一緒に過ごし、暗い部分を持つ大人たちからの盾となってくれていた。

 そんな彼がマキさんの目を治すためにルバゴを出て旅しようと持ち掛けてきたというのだ。彼女もそれに悩みながらも最終的に了承して、2人は親元を離れ大陸ロンダニウスを渡る旅に出たという。

 旅の資金繰りも考えギルドメンバーになった2人は、旅の道すがら様々な経験をへて戦いの知識を学び、なんでも視える目が戦いに大いに役立つことを知る。それもあり暗かったマキさんの性格は徐々に明るくなっていったらしい。

 しかし完全になったわけではないらしく、発作は起こっていたという。

 それでもウィルがいるから不安はなにも無かったとして旅は続けたらしい。

 長い旅路の中で戦いにも慣れてきた頃、ウィルさんはある情報を拾ってきたという。それが治癒の女神エンシェンの存在だった。

 しかし、神話上でしか存在しない女神にどう会うのか分からなかったマキさんはウィルさんの言葉をすぐには受け入れられなかったという。もしかしたら本当にいないんじゃないかもしれない。そんな不安が脳裏をよぎる。

 目を治せれば確かにいい。しかし、可能性の低いものにすがってそれが達成できなかった時の喪失感を考えると、どうしても踏み出せなかったという。

 さらには存在の確証が得られていない相手。いつまで、どこまで旅をすればいいのか、マキさんは何よりもそれが不安だった。

 両者の意見が食い違って旅がいったんストップした時、とある場所で2人はある人物を助けたという。

 のちに2人の親友にもなるその人物が携えていた杖。まさにそれが今雫の刀となっているエンシェンだったらしい。


「あのときはびっくりしたわ。まさかって思った」


 治癒の女神エンシェンが存在していた。半信半疑のままウィルさんがマキさんの症状を話したという。

 するとエンシェンはマキさんやウィルの頼みを聞き、すぐに彼女に治癒の魔法をかけたという。


「これで問題ないと思ったのです。しかし、甘かった」

「甘かった?」


 エンシェンの言葉に雫が尋ねる。

 それにはマキさんが答えた。


「ええ。その後、私は気分よく街を散策したの。初めて何も気にしなくていいとおもって調子に乗ったのね。案の定、街の中で発作を起こしてしまった」

「それからが酷かったわね」

「私にとっては最後の望みでもあった。治癒の女神エンシェンに会えれば治る。そう思ってたから、治ってないと知ってパニックを起こしたの。絶望したといってもいいわね」


 危惧していた喪失感。

 それを発症してしまったマキさんは、明るくなっていた性格も変わり、前のように、前よりもひどく塞ぎこむようになり、度重なる発作で精神を消耗し、一時はウィルでもどうすることも出来ない状態までなってしまったという。

 精神が成長しないまま体だけ大人になってしまったかのように不安定に、今まで積み重なってきたものがここに来て全て雪崩のように崩れ去ってしまったのだ。

 そんな中でも今のようになれたのは、彼女を見捨てなかった幼馴染のウィルと、エンシェンの前の契約者だったらしい。


「あの2人はこんな私にずっと寄り添ってくれていた。面倒だと思っていいのに、そんなこと微塵も思ってなくて。心の底から私のそばを離れようとしなかったの」


 懐かしくも悲しい独白に隣の雫が口を開いた。


「分かる気がします。ウィルさんの気持ち」

「雫……」

「私もきっとそうですから。どうしても離れたくない人がいる。大好きだから離れない。たとえ相手がどんな姿になっていようとも、きっとその人がいない世界はあり得ないから。だから必死にしがみついて離さない」


 雫はそうして俺の服の袖をギュッと力強く握りしめた。

 もう2度と離さないように、指先に力を込めて。あまりの強さに手が震えている。

 俺はそっと雫の手に触れた。

 それだけで雫の手が安心したように力を緩める。しかし、離そうとしない。きっと思い出しているんだろう。俺がいなくなってからのことを。

 俺は何も言わず、ただただ身を任せた。


「それからマキさん達はどうしたんですか? エンシェン様でも治せないものをどうやって」


 シャルロットが続きを促す。

 回答はあまりにも簡素で、とても残酷なものだった。


「見つからなかったの」

「え……」

「どれだけ探しても見つからない。そもそも女神ですら治せないものをどうやって治すっていうのよってね」

 

 おちゃらけて言っているがその時はこんな軽い問題でもなかっただろうに。

 それでもマキさんは笑っていた。強がっているわけでもなく、それが事実だと受け入れている様子だ。

 奇しくも似ている。体質のせいでマキさんもシャルロットも生きるのが辛く苦しい。マキさんは人を信じられなくなり、シャルロットは自分を信じられなくなった。

 それでもこうして生きているのは支えてくれている人がいたからだ。

 マキさんにはウィルとエンシェン、そして親友というもう1人。

 シャルロットには、きっと俺だし、雫にエンシェン、クオリアさんもそうだ。ミルフィさんだって同じだろうし、リーズさんだって外せない。

 でもきっと一番はアーシャさんだろう。アーシャさんだけは妹のシャルロットをずっと心配している。シャルロットはそれを知らないからそうは思ってないだろうが、両者とも支えてくれる人がいるからハンデを背負ってでも立ち続けられている。


「結局私は目の治療も諦めて精神が落ち着くのを待ってルバゴに帰ることにしたの。旅のおかげで戦えるようになってたからギルドメンバーとしてウィルと一緒にやっていこうって決めて」

「じゃあエンシェンとはそこで?」

「ええ。とは言っても私が落ち着くまでそれなりに月日がかかったから、すぐにとはいかなかったけどね。でも、ルバゴへ戻るのを機に別れたの。契約者のあの子はあの子でやることがあったらしかったから」


 マキさんは刀になっているエンシェンを見つめた。

 その目はどこか懐かしいものを思い出しているかのように遠くを見ている。


「あの子は元気?」

「…………亡くなりました」

「そう……もう一度会いたかったな」

「すみません」

「いいの。それも分かってたから」

「ただ1つだけ、あの子はしっかりと役目を果たしました。悔いのない人生だったと言って旅立っていかれました」

「そっか。ならよかった」


 2人して優しい空気のまま、俺たちの知らないあの子へと思いをはせる。

 そんなマキさんの隣には火竜の幼生が優しく寄り添っていた。

 鳴くこともなく、一緒に感慨にふけるように。

 本当に優しい人想いの子のようだ。

 ただただ俺たちはその様子を見つめることしかできない。

 

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