第173話 女性の名前

 家に入った俺たちは玄関のすぐ近くにあるリビングに通された。

 キッチンを右手にして左側に大きなテーブルといすが置いてあり、壁には大きな窓が取り付けられていて、そこから花畑が一望できる。

 造りは木造で、木のいい香りが家を包み込んでいる。

 女性が手際よく並べられた椅子を動かすと、横に3つ並べた。


「さぁ、座ってください」


 言われるがまま俺たちは並べられた椅子に座る。

 窓側からシャルロット、俺、雫の順番だ。

 俺たちが座ったのを確認すると、女性はキッチンからやかんを取り出し、どこからともなく出したコップにそれぞれ中身を注ぐ。

 湯気のたつ様子を見ながら雫が鼻をうごかした。


「いい香り……」

「はい。これは、なんですかね?」

「これは乾燥させた花からとったハーブティーですよ。原料の花の香りがそのまま楽しめるんです」


 雫とシャルロットの言葉に、コップをこちらに持ってきた女性が呟く。

 俺と雫の前にハーブティーの淹れられたコップが並ぶ。

 シャルロットの前には、なんと火竜が器用に足を使って持ってきたコップが置かれる。


「きゅるる」

「ありがと」


 コップを置いたままちょこんとその場で座った火竜にシャルロットがお礼を言う。

 3人とも同時に口をつける。

 確かにほのかな花の甘い香りが口の中に広がった。


「おいし」

「はい。なんだか穏やかな気持ちになりますね」

「うん。なんかいいね。こういうの」


 日頃あんまり紅茶の類を飲まない俺でも普通に美味しいと感じた。

 そんな呟きを聞いて自分の分を淹れていた女性から嬉しそうな声が届く。


「ふふ。お口に合ったようでよかったです」


 女性はそのまま自分のコップを持ちながら対面の椅子に座った。

 ゆっくりと喉を潤わせるように女性もハーブティーを口にする。


「うん。うまく淹れれたわね」

「とってもいい香りです。こんなハーブティー、私初めて飲みました」

「でしょ。私も主人もこれが一番好きなんですよ」

「もしかしてこれ」

「ええ。花畑でとれた花を使っているんですよ」

「やっぱり。似たような香りだと思いました」

「それ、私も思った」

「シズクさんもですか」

「うん。なんとなくだけどね。外でほんのり感じた香りと似てるなって」


 うんうんと頷き合う女性陣3人に俺はいまいち置いてけぼりをくらう。

 そんな分かるもんだろうか。俺は確かめるようにもう一度コップに口をつけたが、いまいちピンと来ない。

 眉根を寄せていると対面の女性が笑った。


「ふふ。1名分からないって方がいますね」

「リュウカさん?」

「うーん……ちょっとよく分かんない。同じなのかなぁ」


 甘いという印象だけで区別がつかない。なんだったら、ステラさんの花畑でも同じような香りがしたようにも感じてしまう。

 雫やシャルロットみたいにここだと的中させるほど、はっきりと同じだという確証はもてないでいた。


「はぁ。まったくあんたは。こういうの全くダメなんだから」

「しょうがないじゃんか。香りの違いとかさっぱりなんだから」

「そうなんですか? 結構分かると思いますけど……」

「えぇ!? そうかなぁ……私の感覚がおかしいのかな」

 

 味方のいない状態で1人項垂れていると、意外にも女性の方が助け舟を出してくれた。


「五感で感じるものにも個人差がありますから。分かる人もいれば分からない人もいます」

「そうですよね! そうそう!」

「あっ。ダメですよリュウカにそんなこと言ったら。すぐ調子に乗るんですから」

「乗りませんー。調子になんて乗ってませんーだ」

「ほら。シャルロットさんもなんか言ってやって」

「あ、えっと、その……」

「こら雫。シャルロットを困らせないの」

「この……こいつは」

「まぁまぁ、落ち着いてください。元々五感というのは女性の方が発達してるものなんです。小さな違いを見分けられるのは女性の特権。のリュウカさんには難しいんでしょう」

「ほらほら! 本能的に違うんだよ。じゃあ仕方な―――え?」


 さらっと言った発言に気づくのが遅れたが、女性のその言葉に全員が体を固まらせた。


「今、なんて……」

「はい? あぁ、ごめんなさい。驚かせてしまいましたかね」

「元男ってあなた」

「いったい」

「あ、その、警戒しないでくださいね。ちょっとだけいろいろと分かる目を持ってるだけで、別に敵意があった訳ではないんですよ」


 女性の発言に二の句を告げなくなった俺たちに、女性もやっちゃったというようにバツが悪そうにしている。

 ただの主婦かと思っていたのにまさかの展開。誰も追いつけていない中、雫の腰の刀が動く。

 独りでに女性の前に行くと体を輝かせた。


「なるほど、やはりあなただったのですね。マキ」

「その声……もしかしてエンシェン!?」

「はい。お久しぶりです」

「うそ!? え! まさかまた会えるなんて!」

「はぁ、白々しいですね。あなたの目でなら私の存在は分かっていたでしょうに。その演技の癖、治ってないんですか」

「あはははは。ごめん」


 元男発言からのこの展開。もうなにがなんだか分からなくなってきた。

 今までずっと話さなかったエンシェンが急に出てきたと思ってら、目の前の女性と親し気に話し始めるんだぞ。置いてけぼりなんじゃない、もう脳が理解しようとしていない。諦めている。

 そんな3人の前で1人と一刀の会話が続く。


「へぇ、今はこんな形してるんだ」

「いろいろとありましてね」

「変なの。治癒の女神エンシェンが武器になってるなんて」

「そちらこそ。ずいぶんと大人になって。気づくのが遅れました」

「まぁ、あれから結構経つからね」

「目を疑いましたよ。あんなにも幼かったあなたがここまで成長するとは」

「幼いっていっても背丈は変わってないわよ」

「雰囲気ですよ。あの時のあなたはどちらかというと不安定で、精神が子供のまま大人になってしまったみたいな子でしたからね」

「それはまぁ、そうだけど……あぁ、だから全然話さなかったのね。私が本当にマキなのか確証が持てなかったから」

「はい」

「なんだ。私、てっきり見間違いかと思っちゃったからさ」

「見間違えなんてありえませんよ。あなたの目は相手の見せたくないものまで見えてしまう千里眼。女神だろうとなんだろうとあなたの前ではばれてしまうのですから」

「これでも結構マシになった方なんだから。あの時よりかは制御できてる」

「みたいですね。それを聞いて安心しました」

「ふふ。相変わらず優しいんだから」

「治癒の女神ですから」


 最後に誇らしげにエンシェンがそう言うと、2人の会話がいったん止まった。

 その隙に雫が入り込む。


「え、えっとエンシェン? これはいったい」

「あぁすみません雫。久しぶりの再開でつい」


 エンシェンは雫の言葉に状況を把握したのか、こちらにくるっと向くと後ろの女性の紹介をしてくれる。


「この人はマキラニア・イスベル。私の昔の―――」

「違うよエンシェン。今はもうイスベルじゃない。クワン。マキラニア・クワン」

「では、あなたの主人というのは」

「うんそう。ウィルフレッド・クワン。ウィルだよ」

「そうですか。おめでとうございます」

「ありがと」


 えへへへへっと言ってマキさんはエンシェンの言葉に頬を染めた。

 結局俺たちは置いてけぼりのままだ。

 リビングには照れるマキさんと、シャルロットの近くに座る火竜の気持ちいい寝息だけが響き渡っていた。

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