第172話 女性と火竜の幼生

「いた~!! もう急に飛び出すから驚いたじゃない」


 女性はそう言ってシャルロットの頭の上で眠っている火竜の幼生を抱き上げた。

 突然動かされた火竜が目を覚ます。

 女性の顔を確認すると、翼を広げて喜んでいるように声を上げた。


「きゅるるる!!」

「ほんとどうしたの? 珍しく飛び出したって思ったら」

「きゅるる!」

「へ? 人助け? どういう……」

「きゅーるる」


 女性のポカンとした顔に説明するかのように火竜の幼生はそのまま女性の手から離れると、さっきまで居たシャルロットの頭の上に陣取った。

 またしてもなことにシャルロットの戸惑いの声がもれる。


「あ、あの、これはいったい」

「ん~……」


 女性はシャルロットと火竜の幼生を見比べ、考えるように人差し指を自分の顎に当てる。

 自分の顔を見られ、シャルロットは慌てて顔を隠すようにフードを目深にかぶろうとした。フードが動いたことにより頭の上の火竜の幼生も声を上げる。


「きゅる」

「あ……ごめんなさい」


 火竜の幼生の声にシャルロットは少しだけ申し訳なさそうな声を出す。

 しかし、シャルロットは女性の視線から逃げるようにフードから手をどかさない。悪魔憑きとばれたくないのは明白だ。俺がそっと女性を止めようと動き出したところで、隣の雫に腕を掴まれた。

 振り向いて見た表情は焦ってはいない。


「雫?」

「大丈夫。あの人は大丈夫だってさ」

「知り合いなのか?」

「そうじゃないけど、エンシェンが安心していいって言ってる。だから、とりあえず様子見ってことで」

「でも……」

「分かってる。もしシャルロットさんが本当に困るようなことがあれば動いてもいいから。エンシェンもそれでいいって」

「分かった」


 俺は雫の言葉に一応納得して女性とシャルロットを見守ることにした。

 しかし、安心ならエンシェンは普通に声に出してくれればいいのに。どうして雫にだけ聞こえる声で話しているんだろうか。

 疑問を持ったまま2人のやり取りを静かに眺める。

 すると、ずっと顎に手を当てていた女性が、なにか分かったかのように「あ~そういうことね」と言って、笑顔を向けた。

 シャルロットの頭でくつろいでいる火竜の幼生の頭を器用に撫でる。


「いい子ね~。よしよし」

「きゅるるる♪」


 火竜の幼生の方も気持ちよさそうな声でなく。

 シャルロットだけがよく分からないというように女性を見ていた。


「あ、あの……」

「ん? あぁ! ごめんなさい! すぐ下ろしますからね」


 シャルロットの声に慌てたように女性が火竜の幼生をシャルロットの頭から下ろす。

 火竜の幼生は女性の両手に抱えられてシャルロットから離れると、女性の肩の上に乗った。

 頭の軽くなったシャルロットが女性に頭を下げた。


「ありがとうございます」

「お礼なんていりませんよ。むしろ謝らないといけないのは私の方ですから。驚かせてしまって申し訳ありません」

 

 そうして女性は頭を下げた後、自身の肩に乗る火竜の幼生にも意識をやる。


「ほーら。あなたも謝るの」

「きゅるる?」

「なんでじゃないの。驚かせちゃったんだから」

「きゅる! きゅるるる!」

「えぇ!! 確かにそうだけど……でも、びっくりさせちゃったんだから、ね?」

「きゅるる……」

「大丈夫。あなたのしたことはちゃんと分かってるから。あなたは間違ってない。ちょっと急いじゃっただけだもんね。だから、ね? 謝ろ?」

「きゅる」

「うん。いい子ね。じゃあ、いってらっしゃい」

「きゅる!」


 女性の言葉に頷くように火竜の幼生は頭を動かすと、肩から飛び立ちシャルロットの前まで来る。

 顔の位置まで来ると、申し訳さなそうな声で鳴いた。


「きゅるる……」

「ごめんなさいって」

「い、いえ、別にいいですよ。ちょっと私も驚いただけですから」

「きゅるる?」

「許してくれる?って聞いてる」

「はい。大丈夫ですよ」

「きゅ! きゅるるるる!!!!」

「あら、よかったわね」


 シャルロットに許してもらって火竜の幼生のテンションが上がったのか、シャルロットの顔をぺろぺろと舐め始めた。

 それに今度はシャルロットも慣れたように笑っている。

 その笑顔を見れただけで俺としては十分だった。

 微笑ましい光景を前に、女性は俺たちの方を見る。


「ごめんなさいね。この子が驚かせてしまいました。悪い子じゃないんですよ」


 頭を下げた女性に対して、雫が応対する。


「気にしないでください。私たちも勝手にあなたの家の前に居ましたから。お互い様です」

「あらそうなんですか?」

「はい。とてもきれいな花畑でつい見とれてしまって」

「あらあら。ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいですね」

「きっと、ずっと立ち止まっちゃってたから、あの子が警戒してしまったんだと思いますし。こちらこそごめんなさい」

「そんな。別にいいのに。それに元々これは見せるために作ったという部分が大きいですから」

「見せるってここ」


 雫が辺りを見渡す。

 草原にはなにも無い。見せるといってもここを通るのは馬車ぐらいだろうし、いったい何に。

 そう思った雫の顔の動きに女性がすぐに答えをくれる。

 

「その見せるっていうのは……主人に」

「え!? 旦那さんにですか!?」


 雫の声が大きくなる。

 なにやら目を輝かせて楽しげだ。

 そんな態度の変化にも女性は驚くことはなく、むしろどこか口元が嬉しそうに上がっている。


「はい。そうなんですよ。主人自身特別花好きというわけじゃないんですけど、なんというか。周りに何も無いからせめてと思って」

「はいはい!」

「各地でいろんな花を必死に集めました。取るのが難しいものは種を買って一から育てたりして。大変でしたけど出来上がったときの主人の顔を想像すれば、それすら楽しいと思えましたね」

「分かります分かります! それで、どうでした? 旦那さんの反応は?」

「もう本当に喜んでくれましたよ! それこそ私以上に喜んでくれて。もうもう、本当に幸せでした。あの時のことは一生忘れることが出来ません」

「あぁ。いいですねぇ。そういうの」

「うふふ。ごめんなさいね、こんなこと言ってしまって」

「いいですよ。むしろ聞けてこっちまで幸せっていうか。ありがとございます」

「あらあら」


 盛り上がる2人を見ながら俺は少し離れた場所で2人の会話を聞いていた。

 女性が恋バナで盛り上がるのはどこの世界でも同じ。だから別に惚気話に関しては大して何も思わないし、雫がここまでの良い反応を示すのはなんとなく想像できた。まぁ、お互い心の底から喜ばせたい相手がいるということだ。誰とは言わないがいる。

 ただ、それとは別に女性の話の内容で俺は少しだけ気になったことが出来た。

 ちょうど話も一段落したことだし聞けるとしたら今だろう。

 俺は一歩踏み出すと女性に声をかける。


「あの、少しいいですか?」

「はい?」

「あれなんですけど……」


 花畑に指をさす。

 指の先にあるのは白い五輪の薔薇だ。


「あの白薔薇もお姉さんが?」

「はい。そうですよ」

「どうしたの? リュウカ」

「いやちょっと」


 雫は白薔薇を知らない。

 まさかあれが魔物をも魅了する香りを放っているなんて思いもしないだろう。そんな美しくも危険な薔薇が街の外にある家の花畑に生えている。自然に生えてきたわけじゃない。あれはアイリスタ近郊にしか咲かない花のはずだ。

 だったら女性が自分から取ってきたか、育てたかしか考えられない。

 俺にはそれが疑問だった。

 わざわざ惚気話をするほど好きな旦那との生活に危険分子を入れるなんて到底想像もつかない。ステラさんのこともあるし、ついつい気になってしまう。

 女性の態度からして大丈夫そうなのは分かるが……。

 すると、火竜の幼生とじゃれついていたシャルロットも俺の声が聞こえたのか、こちらに合流してくる。


「あ、私もそれ気になりました」

「あら? あなたも? まぁ……普通はそう思うわよね」

「え? どういうことなの?」


 唯一白薔薇の特性を知らない雫だけが話について来れず疑問符を浮かべている。

 女性はどうしようかしらという風に頬に手を当てて少しだけ考えた後、いいことを思いついたというように表情を華やかせた。


「そうだわ! だったら一度家に寄っていきません?」

「え」

「いいんですか?」

「はい。この子が驚かせてしまったお詫びもしたいですし、立ち話というのもあれでしょうから。それにこの子も寄っていってほしいみたいですよ」

「きゅるる♪」


 火竜の幼生のかわいらしい声に俺たちは顔を見合わせる。


「どうする? 2人とも。私は別にいいけど」

「まぁ別に急ぎの様ってわけじゃないし、いいんじゃない?」

「はい。それにこのまま別れるのってなんだか寂しい気がします」


 シャルロットが火竜の幼生を気にしたように見つめる。

 どうやら火竜だけじゃなくシャルロットの方も火竜の幼生を気に入ったようで、女性の言葉に甘えるというよりも火竜の鳴き声にひきとめらているといった印象が強い。今も視線は火竜の注がれている。

 3人とも同じ意見。


「あとは……」


 俺は雫の腰にいるエンシェンに視線をやった。

 女性が現れてからエンシェンは一度も声を発していない。正確には雫にしか聞こえない声では話しているんだが、その意図はいまいち分からない。

 そして今回もそれは変わらないらしく、俺の声に反応したのは雫だった。

 エンシェンの言葉を代わりに伝える。


「大丈夫だってさ」


 雫の声はなぜか小声だった。

 つられて俺達も小声になる。


「そっか」

「でも、なんでエンシェン様、話さないんですかね」

「さぁ、分かんない。雫は?」

「ん? まぁ、あれよ、女神様にもいろいろあるみたい。とにかく決まったんなら行こ? 待たせてたら申し訳ないわよ」

「それもそうだね」


 俺はそうして女性に向かい合った。


「じゃあお言葉に甘えさせてもらって、いいですか?」

「はい。構いませんよ。さぁ、こちらへ」


 そうして俺たちはルバゴへの道すがら、突然現れた花畑が美しい一軒屋に招き入れられた。

 女性の後ろに俺と雫が。そして一番後ろには女性の肩から離れた火竜の幼生とシャルロットが続いて家へと入っていく。

 敷地内は花々のいい香りで満たされていた。

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