第149話 大切だからこそ
行っちゃった。
リュウカの背中が崖下に勢いよく消えていく様を見て、私は急激に1人ぼっちになった。
波音が静かに空気を揺らす。
私はどうしようもない気持ちをそのままに天を仰ぎ見る。
星空はどの世界に行っても変わらずきれいだ。
なのに、私と拓馬の関係は変わってしまった。
「振られた……のかな」
正直よく分からない。
拓馬にとって私は特別だった。拓馬ははっきりとそう言った。好きだし、抱きしめたいとも言っていた。
嬉しかった。拓馬がそう思ってくれていたこと。私と同じことを思っていてくれたことが何よりも嬉しくて、にやけそうになる顔を押さえるので必死だった。
でも、結果としては振られた。
もう拓馬は拓馬じゃない。リュウカなんだ。
そんなリュウカとしてあいつには守らなくちゃいけない人がいる。
私はそっと拓馬がリュウカとして買った家を見つめる。
シャルロットさん。リュウカの仲間で、今拓馬がなによりも大事にしたいと願う女の子。あいつは彼女の笑顔のためなら何でもすると言っていた。
守りたいとも言っていた。力がついたから。
私だって無知でこの世界に来たわけじゃない。拓馬の言った力がどんなものなのかも知っている。
この世界ではありえないほどに強い力。拓馬がそれを使ってでも守りたい女の子。
私は素直に羨ましいと思った。
それだけ今のあいつにとってシャルロットさんは大切だ。私ではもう行けない場所にシャルロットさんはいる。
でも、なんでかな。
不思議と羨ましいって思うだけで妬ましいとは思わない。
それはきっとこれまでシャルロットさんと会話してきたからだろう。
彼女はなんだかんだ言って周りが見えている。
私がリュウカと知り合いだということも分かっていた。それでいて、私とリュウカ、両方のことを考えて知らないふりをすると決めたのだ。
普通そんな決断、簡単に出来ない。どこかで関係なくないと思ってしまう部分は存在する。あそこまで優しい子だったら尚更。
でも、シャルロットさんはそれらをまったく態度に出さず、本当に知らないふりをしていた。
私がリュウカと話してくると伝えた時も、全て分かったうえで「はい」と笑顔で返事をしてくれたんだ。
あれだけ優しく、強い子にいったい何があるのか。
拓馬と話していたあの人間っぽくない女の人はなんなのか。
私にはさっぱり分からない。
分かることといえば、拓馬がその女の人の話を聞いて態度を変えたことだ。明らかに顔が変わった。守らなくちゃいけないものが出来たときのあいつの顔だ。
見た目が女になってもまるで変わっていない。
あいつはシャルロットさんのために行った。きっと危険を冒すのだろう。逃げろという忠告を無視してまで行ったんだからたぶんそうだ。
そんなあいつにシャルロットさんをお願いされた。守ってくれと言われた。
まったく仕方がない。
私は気持ちを切り替えると星空の下駆けだした。
リュウカの大切な人は私にも大切な人。
出てきた玄関を開けると、ちょうどお風呂上がりのシャルロットさんがリビングの椅子に座っていた。
私はそのまま駆け足で彼女に近寄ると、なにも言わずのその手を取る。
強引に立たせて家から連れ出した。
向かうはギルド会館。
なにが起こっているのか分からない私でも、そこに行けばクオリアさん達がいる。
この世界についてほとんど知らない私にできることといえばそれぐらいだ。
一心不乱に走る私にシャルロットさんが声を上げる。
「ちょ、ちょっとシズクさん? いったい、いったいどうして」
「いいから。今はいいから着いてきて」
「でも」
「お願い。これがリュウカの頼みだから」
そういえばシャルロットさんを納得させられる。
そう思っての言葉だったが、しかし、私の予想とは裏腹に、その言葉を聞いた途端シャルロットさんの足が止まった。
振り返った私が見たのはシャルロットさんの今までにないほどの真剣な表情だった。
「リュウカさん? そういえばリュウカさんは」
「そ、それは」
「シズクさんお話に行くって言ってましたよね。リュウカさんと。なのに、なんで今リュウカさんがいないんですか? いったいどこに」
私は言葉につまった。
どう言えばいい。事情も知らない私はあの会話のほとんどを理解できていない。でも、話さなければシャルロットさんは動かない。そのぐらいの強い意思が今の彼女の目には感じられた。
仕方なく、私は聞いた会話の断片をシャルロットさんに伝える。
「私にもよく分からないんだけど」
「はい」
「なんか、変な女の人が来て、それでアンデット族?っていうのがこの街に攻めてくるって。だから逃げろってリュウカに忠告しに来たって言ってた」
「忠告……その女の人っていったい」
「全身紫でなんだか人間ぽくないっていうか」
「紫……」
「シャルロットさんも知らない人?」
「知りません。でも、どうしてリュウカさんにだけ」
「それは、なんか、リュウカの近くに魔物を引き寄せる何かがあるって」
そこまで言ってシャルロットさんの目が見開かれた。
「……そっか……そういうこと……」
シャルロットさんの口から力ない声がもれる。
「シャルロットさんを私にお願いって。守ってって。あいつ行っちゃった。だから!」
だから止まってないで早く行こう。
そう言おうとしたのに、シャルロットさんはすでに私に背を向けていた。
まるで行けないかのように。それは逃げないといったあいつの背中と同じだった。
「ごめんなさいシズクさん。私、行けません」
シャルロットさんは私に背を向けたままそう答える。
言葉には強い意思が感じられた。
私とリュウカのことに納得したときとはまるで違う、大きな意思が彼女の足を止めている。
「どうして! 逃げないと! やばいんでしょ!!」
あの女の人はリュウカにも勝てないとはっきりと言っていた。あり得ないほどの力を持つ転生者にも勝てないと言わせるほどの存在だ。
シャルロットさんなんて下手をしたら。
「リュウカさんは行ったんですよね」
「え? うん。そうだけど」
「だったら私だけ逃げるなんて出来ません」
「な、なに言ってるの! あいつと違ってシャルロットさん、あなたは―――」
死んでしまう。
そう言おうとして私は咄嗟に口をつぐんだ。
言ってはいけない。転生者の存在は公には隠されている。
シャルロットさんは転生者を知らない。それは私にあの家を教えてくれたときクオリアさんに言われた言葉だ。
リュウカは中身を隠してシャルロットさんと接している。
実際関わってみてそれはなんとなく分かった。
私が言葉につまっているとシャルロットさんがおもむろにローブにあるフードを被った。真っ白な髪に真っ白なローブが月明かりに照らされる。
そして彼女の特徴的な―――獣のような耳もまたすっぽりを隠される。
「シズクさん。私、シズクさんに謝らないといけません」
「なにを」
「ずっと黙っていたことがあるんです」
シャルロットさんがこちらを向く。
フードの下の表情は諦めたように笑っていた。
「私、悪魔憑きなんです」
「あくまつき……?」
聞きなれない単語に?が浮かぶ。
それを聞きシャルロットさんが自嘲気味に目を細める。
「やっぱり知らなかったんですね」
「う、うん……」
「リュウカさんの知り合いだから、なんとなく分かっていました。だからずっとシズクさんの前ではフードを取っていたんですけど……本当はこうして隠していないといけない代物なんです」
そうして触ったのは頭頂部の耳だ。
獣のような耳を触り彼女はずっと自嘲的な笑みを浮かべている。
思えば、シャルロットさんと出会ったとき、彼女は当たり前のようにずっとフードを被っていた。店に入って食事をしたときもそう。
私はずっとリュウカを見ていたから全然気づけなかったけど、普通に考えれば外とはいえ店の中でまでフードを被るのはおかしい。
この時初めて私はシャルロットさんと向き合った気がした。
「その紫の女の人が言っていた魔物を引き寄せるなにか。それは私のことなんです」
私の中ですべてがつながった気がした。
拓馬が表情を変えたのも、逃げるわけにはいかないと言ったのも。そしてシャルロットさんをお願いと私に託してきたのも。
ただの点だったものが線へと変わる。
拓馬はただただ攻めてくるアンデット族からシャルロットさんを守ってほしいと私に言ったんじゃない。
自分が問題を解決するまで、シャルロットさんに気づかせないでと願ったんだ。
自分のせいでこうなっていることを。気づいてしまえば彼女は傷ついてしまうから。
ごめん拓馬……あんたの願い叶えられそうにない。
「リュウカさんはきっと私のために向かってくれています。勝てないと言われているアンデット族に戦いを挑んでくれています。全部は悪魔憑きの私を傷つけないように」
「…………」
「それはとても嬉しいことです。だけど、1人に背負わせていいものじゃない。これは本来であれば私が背負わないといけないものなんです」
シャルロットさんがそっと海の方を向く。
私はただその背中を見ていることしか出来なかった。
「シズクさんは言ってましたね。リュウカさんは誰にも気づかせないって。傷ついているのも、それに耐えているのも、気づかせないで終わった後に笑顔で告げてくるって」
「うん……」
「それはきっと今も変わらないんでしょう。シズクさんは私を知らずに守ってくれようとした。それはたぶん私にもシズクさんにもなにも背負わせないため。全部自分のせいにして背負ってしまえばいいというリュウカさんなりの気遣いなんですよ」
分かる。よく分かる。
私はシャルロットさんの言葉に頷くのが精一杯だ。
「でも、それって寂しいじゃないですか。知らないうちに終わっているのって後に知ってしまえばひどく辛いんです」
「シャルロットさん……」
「だからシズクさん。私は行きます。たとえどうなろうと、死のうと、私はちゃんと知らないといけない。自分がどんな存在なのか。それは私が悪魔憑きとして生まれてきた責任だし、誰にも押し付けちゃいけないものなんです」
シャルロットさんの横顔が見える。
そこにはもう自嘲的な笑みはなかった。
強くたくましい、死が間近にあるこの世界の住人の目だ。
「守られてばかりは嫌ですから。私も戦います。ギルドメンバーとして」
「……すごいね。リュウカもシャルロットさんも」
「すごくないですよ。私にはリュウカさんほどの力はありません」
「それでも行くんでしょ。強いよ」
「だって背中ばかり見るのは嫌じゃないですか。大切な人だからこそ、一緒に、隣に立って同じ景色を見たいんですよ」
「―――!」
なにかが私の中で突き刺さる。
シャルロットさんはそれを最後に海へと駆けだしていった。
振り向くことなんてない。
異世界の土地に1人だけ取り残された私は、どうしようもない自分に膝をつく。
「バカみたい……私……」
告白してそれでどうしろっていうんだ。
どっちにしろ私は転移者で拓馬は転生者。住む世界が違う。拓馬はリュウカとして歩んでいた。シャルロットさんという守るもののために力を振るっている。
私はどうだ。拓馬拓馬、拓馬しかない。
なにも考えてなんていなかった。
「同じ景色が見たいか……」
シャルロットさんの言葉が頭の中に残る。
今まで思ってもみなかった。私は守られるのが当然で、自分であいつを守ろうとなんて思っても来なかった。
でもそっか。そうだよね。大事だから。大切だから。だからこそ、見たい景色がある。
私の中でなにかが形になろうとしていた。
あとちょっと。あとちょっとで見えてくる。
しかし、途端私の視界が揺れる。
思考が止まり、体には嫌な気持ち悪さが込み上げてきた。
「な、に……」
頭を押さえながら前を向く。
海は変わりない。変なのは私の体の方だ。
まさかと思い目を見開くと私の頭の中に声がした。
『時間切れだ桐沢雫。もう戻ってこい』
「お、お稲荷さん。あなたなの……」
『ああ。もう夢の時間は終わりだ。自分の世界に帰ってもらうぞ』
「待って! まだ、まだなの。あとちょっとでなにか……」
『ダメだ。もうお前に残された時間はない』
「そんな……」
無情にも私の意識は私の意思とは関係なく薄れていく。
必死に走るシャルロットさんの白いローブだけが、米粒のように海に消えていくのを最後に私の視界は真っ暗になった。
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