第161話 ずっと待ち望んでいた距離
朝のまどろみの中目を覚ます。
寝ぼけ眼を擦りながら初めに見たのは長い緑の髪を1つに結びサイドに下ろしている女の人だった。
その人は俺と目が合うと穏やかな声で俺に微笑みかけてくる。
「やっと起きた。おはようリュウカ」
知らない女性の優しい笑みに俺はこれがまだ夢の中だと思った。
こんな夢のような体験が現実に起こるわけがない。きっとまだ俺は寝ているのか、もしくは駄目サキュバスの淫夢がついに成功したんだ。
そう思うが、思えば思うほどどこか女性の顔を見れなくなる。
なんというかそういった邪な想いをぶつけてはいけないという感じだ。大切に、大切にしないといけない。
不思議と俺の手が女性の顔に伸びていた。
頬を触り俺も優しい笑みを浮かべる。
「どうしたの? もしかして寝ぼけてる? まぁ別に悪い気はしないからいいけどね」
女性は俺の手から逃げることなく、目を細めて笑うと俺の手に体を寄せ付けてきた。
なぜだろうか。物凄く安心する。たったこれだけのことなのにすごく満たされた気分だ。ずっとずっと望んでいたことが叶ったみたい。離したくないと直感で思った。
「あったかい。不思議よね。あんたが男の頃はこんなことしてくれなかったのに、今は普通にしてる。女になったから? それとも寝ぼけてるからかな?」
「おとこ……」
瞬間、今までぼんやりとしていた周りの風景が鮮明になってくる。
窓から感じる風も波音もしっかりと耳に届く。
そして女性が本当に俺のベットのそばで俺の伸ばした手に顔を預けているのが目に入った。
「ゆめじゃ、ない」
「当たり前じゃない。なに言ってるの」
俺の方を見る整った顔。そして体を覆うのは見慣れた黒いゴシック調の制服。
まどろみの中で判断がつかなかったが、この声と顔、そして制服はまさしく雫のものだった。
あの長い黒髪だけが今はきれいな緑へと変わっている。
「雫?」
「うん。おはよ」
「おはよ…………じゃなくって、本当に雫?」
「まさか小さい頃から一緒にいる幼馴染の顔、忘れたなんて言わないわよね」
「い、いや、それはないけど……その髪はいったい」
「ああこれね」
そう言って雫は肩から下ろしている髪をなでながら、なんのことないように言う。
「なんかエンシェンとの契約の影響だって。彼女の強い魔力が私の体に浸透してこうなっちゃったってさ」
「そんな他人事みたいに。いいのかよ。せっかくの髪」
「まぁ、黒髪ロングじゃなくなったのはあれだけど……」
雫はそうして俺の右手を持ち上げる。
いとおしそうにさすると顔をあげてこう言った。
「ちゃんと大事な人がここにいる。それだけでもういいのよ」
包み隠すことのない好意に、ただただ俺は顔が熱くなる。
雫の顔を直視できなくなる。顔を逸らすと雫は面白そうに笑い、代わりに自分の髪を気にしながら聞いてくる。
「似合わない?」
少しだけ弱弱しい声音に俺は逸らしていた顔を戻すしかない。
じっと見つめて素直な感想を述べる。
「そんなことないよ。似合ってる」
少なくとも今の雫は前と変わらずにかわいい。
もしこれが地球だったら緑髪なんて浮きまくっていただろうが、ロンダニウスにいる以上髪の色なんて正直気にならない。なにがあってもここはファンタジーの世界。髪色なんてたくさんある。
雫は俺の返答に満足いったのか今まで以上に嬉しそうな笑みを浮かべた。
「あんたがそう言うならもう何の心配もないかな」
「……なんだそれ」
「言ったでしょ。私はあんたのために髪を伸ばしたって。黒髪ロングが好きだからそうしたってね。そんなあんたが今の私に似合ってるって言ってくれた。それ以上にこの髪型でいる理由はいらない」
雫はそうして俺に抱き着いてきた。
寂しそうに震えながら優しく俺を抱きしめる。
「よかった……ちゃんと守れた。ずっとずっと心配してたんだから」
「ごめん」
「このまま目を覚まさなかったらどうしようって思った」
「俺、そんなに寝てた?」
「丸2日ね」
「まじ?」
「そうよ。あの骨の巨人倒してからあんた倒れたんだからね」
「うそ……」
全然記憶がない。
だが確かに思い出してみると族長を倒してからどうやってここに戻ってきたのかさっぱり思い出せない。
どうやら本当にあの後すぐに眠ってしまったようだ。
「エンシェンは大丈夫って言ってたけど気が気じゃなかったんだから。よかった。ちゃんと目を覚ました」
「ごめん。本当に心配かけてばっかりで」
俺は震える雫の体をぎゅっと抱きしめた。
もう離さないようにしっかりと。
「もうダメだからね。勝手にいなくなっちゃ。1人で背負い込むことない。これからは私も一緒だから」
「雫……」
「告白の答え聞かせて。もう私もこっちの住人になっちゃったんだから。あんな理由は通用しないよ」
雫は体を離し俺の目を真剣に見てくる。
あの時と同じ目に俺もしっかりと返す。
栗生拓馬として、そしてリュウカとしても今度はしっかりと向き合う。
「雫」
「はい」
「俺も雫が好きだ。こんな体になっちゃったけどやっぱり俺は俺だよ。大好きだ。ずっとずっと前から大好きだった」
「……私も同じだよ。ずっとずっと好きでした」
「だから、だから、その」
付き合って下さい。そう言おうとして俺は言いよどんだ。
なんか違う気がする。付き合って下さいとかそんな感じじゃない。
俺が雫に求めるもの。してほしいと思うこと。それはただ1つ。
俺は覚悟を決めて雫の目を見る。
「だから、これからもずっと俺の隣にいてくれ。もう離れたりしない。決めつけたりしない。お互い思ったことはぶつけ合って、話し合って一生一緒に歩いてくれると……嬉しい、かな」
最後は恥ずかしくて声が小さくなってしまった。
情けない。ほんと、意気地なしにもほどがあるな。
「ふふっ。なにそれ。まるでプロポーズみたい」
「なっ」
「でも、なんかいいかも。うん。私もそうしたい」
雫が微笑む。
自然とお互いの距離が縮まる。
雫がなにかをするように目を閉じた。
俺も同じように目を閉じるとすぐに唇に柔らかい感触が来る。
「んっ……」
どちらかともなく甘い吐息が出る。
近くて遠かった幼馴染という距離。住む世界が変わったこともあった。2度と会えないと思った距離が、今この瞬間になくなる。
「…………」
「…………」
『……あはははは』
唇を離してお互い見つめ合いながら、俺たちは同時に笑い出す。
「変な感じ」
「確かに。まさかこんなことになるなんて」
「私なんて女の子とキスしてるんだよ」
「ああそっか。雫にはそう見えるもんね」
「声も女の子だし」
「嫌だった?」
「まさか。そんなことない」
「じゃあいっか。まぁ俺としてもこっちの方が緊張しないで済むからいいけどね」
「なにそれ。心は男のままでしょ」
「いやなんだろうね。不思議とこの体だとなんでもできる。こんなふうに」
雫を強く抱きしめる。
男としてではなく女として友達のように抱き着く。
「ちょ、ちょっと」
「あはははは。戸惑ってる」
「やめなさいって」
「よいではないかよいではないか」
悪ノリする俺に雫は戸惑いながらも笑っている。
あぁ、なんかやっと戻ったって感じ。まぁ、実際男の頃に雫にこんな密着したことなんてないけど、俺の中にずっと無かった何かがカチッとはまる感じがして気持ちがいい。
「……でもあれだね。ちょっと不便かも」
「なにが?」
「いやほら、胸が大きすぎて圧迫感が」
ふわっと頬に風が来る。
見れば雫が物凄い勢いで俺の片乳を鷲掴みにしていた。
「し、しずくさん……?」
「なんだろうね。別にかわいい女の子になったのはいいんだよ。拓馬は拓馬だってわかっているから」
「あ、あのちょっと……なんかだんだん力が強く……」
柔らかい胸がどんどん形を変えていく。
まるで徐々に万力で締めあげられているように痛い。
「でもこれだけはなんか不愉快なのよね。女として負けた気がして」
「痛い。痛いよしずくさん。ほんとまじで……やばいって」
「なんで元男のあんたがこんな巨乳なのよ! えぇ!?」
「し、知りませんよそんなこと! 神様にでも聞いて……ていうかマジで痛い!! やばいやばいやばい!!」
俺は痛みに快楽を求めるタイプじゃない。
Mでもなんでもない俺にこの痛みは苦痛でしかない。
「ちぎれちゃう! ちぎれちゃうからぁ!!!」
「こんなもんちぎれちゃえばいいのよ!! 元々ないものでしょ!!」
「嫌だ!!! せっかくの俺の巨乳がぁ!」
「うるさい!!!!」
何か変なスイッチの入ってしまった雫は鬼の形相で俺の胸を取ろうとしてくる。
さっきまでの甘い空気はいったいどこに。
「大丈夫ですか!? いったいなにが――――」
俺の声を聞いて駆けつけてきたシャルロットは、部屋のドアを開けて固まる。
助けを求めようにも痛すぎて動けない俺は目だけで訴えた。
しかし、なにを思ったのかシャルロットは状況を確認した後、なぜか俺ではなく雫に対してサムズアップのように手をあげた。
そしてそっとドアを閉めた。
「あ、ちょっと? シャルロットさーん!!??」
無情にも見捨てられた俺はしばらく雫の怒りが収まるまで胸を握りしめられた。
**********
その後、怒りのおさまった雫と一緒に1階におりて、シャルロットと合流し、アンデット族の族長を倒したことをクオリアさんに伝えるため、3人で家を出て、ギルド会館を目指した。
雫もいつも通りの表情に戻っている。そして俺を見捨てたシャルロットもまた、何事もなかったかのように雫の隣で笑っている。
俺はそんな2人の後ろを歩きながら、談笑中の2人の横顔を見る。
「女の子って怖い……」
さっきまでの修羅場が嘘だったかのように本当に楽しそうに笑っている。
2人ともこんなにも仲が良かっただろうか。そう思うが、きっと同じ女性として俺には分からない部分でなにかがあるのだろう。
2人が笑いあっている光景を前にして、本当にこれを守ることが出来てよかったと心から思う。
いろいろとあったが上手く収まったような気がする。
終わり良ければ総て良しだ。
きっと誰が欠けてもこの光景を見ることはできなかった。
運命のいたずらに、あとあの神様に感謝しつつ俺はそっと自分の胸を触る。
「……やっぱ痛いのは嫌だな。気持ちよくなんて感じない」
俺が痛みに目覚めることはなかった。
今後もきっとないことを信じながら、俺はナイルーンのギルド会館へと足を進める。
笑いあう2人の女の子を見ながら。
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