第160話 終わりは穏やかに

 神殿の中に風なんて吹くわけがない。

 ましてや今いるここは海の底に沈む海底神殿だ。風はおろか太陽の温かさえ届かない。

 なのに、今俺はまるで陽光温かい丘の上にでもいる気分だ。

 頬には柔らかな風が。不思議とこの風を受けているだけで、心穏やかになる。体中に感じていた痛みも初めから無かったかのように感じなくなった。

 この空間自体が俺を、この場にいる全員を包み込んでいるかのよう。


「エンシェント・フィールド……」


 俺の後ろから感嘆とした呟きが聞こえて来る。

 振り返ればシャルロットが目を見開き驚いたように翼の生えた雫を見ていた。


「エンシェント・フィールド……?」


 聞きなれない言葉に俺はオウム返しすることしか出来ない。

 俺の声を聞いてシャルロットは視線をそのままに頷く。


「はい」

「それって、ええっと……なにかな?」


 魔法であることに間違いはないだろうが、いかんせん転生者の俺にはさっぱり分からない。雫も叫んでいたその言葉。シャルロットは呆気にとられたまま、感情をどう込めていいのか分からない口調で教えてくれる。


「大陸ロンダニウスに伝わる最強ともいわれる治癒魔法です」

「治癒魔法?」

「はい。治癒の女神エンシェンに認められた人にだけ使える絶対的空間治癒魔法。エンシェント・フィールドの中では誰かを、何かを傷つけることはできない。全ての行動が癒す力へと変えられてしまう……と言われています」


 最後の方だけシャルロットの言葉が自信なさげに尻すぼみになる。

 眉を下げて俺へと視線を動かす。


「実際に見たことはないんです。使える人がいることも知りません。そもそもの話、この魔法は大昔の神話に出てくる魔法で、本当に実在するかどうかさえも分かっていないものなんです」

「そうなんだ」

「はい。女神がいること自体信じられていません。夢物語に出てくる魔法です」

「でも」


 実際に目の前で起こっている現象は本当だ。

 雫の背中には翼が生え、エンシェント・フィールドと叫んでいる。

 地球からきた雫がシャルロットの言った神話を知っているなんてありえないし、雫が適当に叫んでいるなんてのは考えるだけ無駄でしかない。

 第一、雫が族長の拳を翼で防いだとき、無駄ですと言った声は雫のものじゃなかった。

 雫の声はどちらかというと活発気味で高い。落ち着いていたとしてもあんな優しい包み込むような声は出せない。

 翼のこともある。少なくとも今この場には俺とシャルロット、雫の他に仲間としてもう1人いることは確かだ。

 女神が雫に力を貸している。

 その事実にごくりと生唾を飲み込んだ。

 

「神話上の女神か……ずいぶんとまたファンタジーっぽいな」

「はい? ふぁんたじー?」

「ああいや、なんでもない。こっちの話」

「はぁ」

「ごめんごめん。後で教えてあげるから」


 そう言っていったん仕切り直すと話を戻した。


「それで、エンシェント・フィールドが出たってことはもしかしてもう終わり?」

「普通はそうですね。言い伝えによればエンシェント・フィールドの中では死ぬことすらできないとされています。どんな傷も治し、死んだ人でさえ蘇るといわれていますから」

「ほほう。それはまた」


 蘇るとは。世界のバランスをも崩しかねない力だな。

 まぁ、今更という感じもする。人間を殺しそのまま違う世界に連れていけることも出来るんだ。人を蘇らせる神様もいたっておかしくはない。


「特にアンデット族には効果覿面だと思います。元々アンデット族にとって治癒魔法は攻撃魔法となりますから」

「負けることはなくなったか」

「はい。ですけど……」


 シャルロットは不意に視線を動かした。

 中央に立っている雫のさらに奥へと向かっていく。


「いやぁあああ!! なにこれ! なにこの風! 痛くない!! 癒される!!! やめてぇええええええ!!!!!!」


 族長の悲痛な叫び声が聞こえる。

 よほどエンシェント・フィールドが効いているのか頭をおさえ反撃もままならないままにその場でのたうち回っていた。部屋がガンガンと揺れる。

 しかし、靄となって消えるまではいかない。倒すまではいっていないのだ。


「神話上の魔法でも完全には倒せないのか」


 さすがは族長といったところだろう。

 こんなのを相手にしていたと思うとさすがに背中に冷や汗が流れる。


「攻撃する余裕はなくなったみたいですけど……すごい生命力ですね」

「アンデット族に生命力とか笑えないな」

 

 皮肉を言いながらも族長の苦しそうな様子を静かに見守る。

 敵だったとはいえずっと苦しみ続ける姿を見るのはすこしばかり罪悪感がこみ上げてくる。シャルロットも同じなのか若干眉を下げて直視できないように斜め下を向いてしまった。

 楽にしてあげたいのは山々だが神話上の魔法でも倒しきれないとなれば俺たちに出来ることはない。

 そう思っていたとき、ずっと静かだった雫がこっちを振り返ってきた。


「リュウカ。なにしてるの」

「なにって。別に何も」

「早くとどめをしてあげて。さすがにこれ以上苦しみ続けさせるわけにもいかないでしょ」

「だけどな。どうやって」

「それ。それでとどめを刺すのよ」


 雫は俺の左手に持たれているエターナルブレードを指さした。


「でもこれじゃあ」


 痛みを与えるだけで攻撃にはならない。

 そう言おうとした時、雫がふっと笑った。


「なに。シャルロットさんの言葉忘れたの?」

「は? シャルロットが何を」

「エンシェント・フィールドの中では全ての行動が癒す力へと変えられる。つまり、攻撃自体も治癒になるってこと」

「ああなるほど。そういうことか」


 女神だとか神話だとかいろいろとあってそこまで頭が回らなかった。

 しかし考えてみれば簡単なことだ。どんな行動も癒しの力へと変換される。攻撃自体治癒の効果になるってことだ。


「付け加えると、その攻撃が強ければ強い程治癒の能力も高まるの。あんたのその力だったらどうにだってできるわよ。そっちだって神様にもらった力なんだから」

「まぁそうだけど」


 チート級に強ければそれだけこの中ではチート級の治癒効果をもたらす。

 言うのは簡単だが。


「でもうまく動かせるか」

「なに言ってるのよ。あんな立ち回りしておいて」

「いやあれはなんというか」


 守らなければという想いだけで動いていた。

 アドレナリンが出ていたと言ってもいい。あの時は限定的な強さでだけで、心穏やかになった今エターナルブレードを扱えるかどうかいまいち分からない。

 そもそもがエターナルブレード自体恩恵を授かっても両手でしか使えなかったんだ。片腕だけでは持ち上げるのがやっとで振るなんてこと。

 そんな心配をしていたら雫がまたしても指をさしてくる。

 今度は俺の失った右腕の方だ。


「心配ないわよ。ちゃんと元通りになったから」


 雫に促されるようにして俺は自分の視線を右腕に落とす。すると、そこには何事もなかったのように右腕が付いていた。

 しかも破れたはずの服まで元通りだ。


「えぇ!?」

「エンシェント・フィールドの力ですね」


 後ろからシャルロットが冷静に答える。


「私の傷も治っています。一瞬の出来事すぎて気づきませんでしたけど」

「雫……」

「はぁ。お礼とかいいから。私はただ私のしたいことをしただけ。守りたいと思った人がいて、それを守っただけ。だから」


 雫が笑う。

 それはまさしく俺が一番見たかった表情だ。


「最後はあんたにあげる。かっこつけのあんたにはもってこいの役回りでしょ」


 そういって雫は視線を前に戻すと、任せたと言わんばかりに魔法にだけ意識を集中させた。

 俺はまったくというようにエターナルブレードを両手に握る。

 ほんと、雫には敵わないな。体に力が入る。

 足はしっかりと地面を感じ、温かい風が俺の背中を押すように吹く。

 だが、俺はそこで後ろに振り向いた。

 シャルロットがきょとんとした顔を見せるなかで、両手に持ったエターナルブレードを横にする。


「シャルロット。お願い。力を貸して」

「へ?」

「私は弱い。1人じゃ戦えない。だからお願い。シャルロットの力を貸して」

「…………」


 しばらく俺とシャルロットは見つめ合った。

 お互いの気持ちを確認するように。

 そうしてシャルロットが頷き自分の武器をエターナルブレードに触れさせた。

 

「雷よ。エターナルブレードに力を与えたまえ」


 シャルロットの厳かな声と共に杖の先端が光る。

 すぐにエターナルブレードの刀身にシャルロットの雷が宿る。


「ありがと」

「いえ。私にはこれぐらいしか」

「それでも助かってるよ。1人じゃないって思える」

「1人じゃありませんよ。私もいますしシズクさんもいます。なんだったら女神さまもいますよ」

「あははは。確かに。じゃあここには女神が2人いることになるね」

「2人?」

「そう。治癒の女神と幸運の女神」

「それって」

「悪いけどシャルロットがなんて言おうと私にとってシャルロットは幸運の女神だから。その女神を悲しませないためにここに来た。決着、つけてくるね」

「……はい。お願いします」


 俺は立ち上がると、雷の走るエターナルブレードを手に歩き出す。

 目標は苦しんでいる族長。

 途中雫の隣を通る。


「かっこつけすぎ。幸運の女神って何よ」

「聞いてたのか」

「聞こえてきたの」

「……正直言うとさすがにやりすぎたかなって思う」

「でしょうね。顔、若干赤いわよ」

「うっさい。後悔はないからいいんだよ」

「まったく相変わらずよね」

「いいだろ別に」


 素の言い合いになりかける。

 しかしすぐに俺たちの言い合いはおさまった。

 俺と雫とは別のふふっとした小さな笑い声が聞こえてきたからだ。


「いいじゃないですか。私は結構好きですよ。そういう男性」

「ちょっとエンシェン。そんなこと言うと拓馬が調子に乗る」

「とかいって雫。あなたも嫌いじゃないんでしょ。私にはよく分かっていますよ」

「なっ……もうやめてよね」


 エンシェンの問いに言葉を失う雫。横から見ていても顔が真っ赤になっているのがよく分かる。


「……なに?」

「いや、別に」

「いいから行ってきなさいよ!」

「はいはい。行ってきます」

「油断、するんじゃないわよ」

「分かってるって。もう大丈夫だから」


 俺はそうして地面を蹴った。

 雫ほどじゃないが恩恵により上がった身体能力で族長の頭の高さまで飛ぶと、そのままエターナルブレードを頭の上に掲げる。


「な、なにを」


 族長が苦しみながらも俺へと視線をやる。

 俺はそれに対して至極冷静な声を発した。


「これで終わりだ族長」

「や、やめなさい……」

「あんたは嫌だろうけどこれで痛みなくいける」

「痛みのないのなんて……」

「文字通り気持ちよくいってこい!!!!」


 雷を纏ったエターナルブレードが族長の体を真っ二つに切る。

 刀身の雷が切ったところから族長の体を駆け巡り、腕から足、あばらと全体を攻撃した。


「あ、あぁああああ……な、なに、いや。何も感じない。痛みも何も。優しく包む込まれる……こんなんじゃ満足できない。こんなのって……ありえないわよ……あぁああああ…………」


 族長の声が部屋全体に響き渡った。

 そして最後には音もなく靄となって消える。

 俺たち以外誰もいなくなった部屋はエンシェント・フィールドの効果によって元のきれいな部屋へと戻っていた。

 戦いの痕跡は跡形もない。

 海の底でひっそりと佇む、海底神殿が残っただけだ。

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