第158話 女神
「あなたが桐沢雫さんですね?」
「はい……」
「初めまして」
「は、初めまして……ていうか刀が喋って」
状況が飲み込めない私は知らずうちに動揺を声に出していた。
それを聞いていた刀は動かないがしかし、少しはっきりとした声を曇らせながら疑問の声をもらす。
「かたな……? それはいったい」
「オレの世界のある国に伝わる武器だ。剣と言った方が分かりやすいだろう」
刀の疑問に後ろの玉座で頬杖をついている神様が答えた。
その答えに刀は納得したように「ああなるほど」と呟くと私に向き合う。
「雫。あなたにとって私がそう見えるのでしたら、きっとそういうことでしょう」
「え、そういうことってどういう……」
「私には実態がありません。あるのは名前とどういった存在なのかという情報だけ。姿形は見る人によって変わります。ただ一応女神ということで性別は女なのでしょう。そこは安心してください。雫が聞いている声は確かに私のものです」
「は、はぁ」
「雫。あなたには力がありません。それは分かっていますね」
刀が詰め寄るようにして私に問うてくる。
私は気圧される形になりながらも頷いた。
「あなたは私がいる世界ロンダニウスで誰よりも弱い。魔法も使えない、戦闘経験もない。下手をすれば物心ついたばかりの幼子にも負けることでしょう」
刀の声には重々しい圧が込められていた。
それだけ真剣な話だということが嫌でも分かってしまう。
だから私は刀をしっかりと見つめてその事実を認めた。
「分かってる。いろいろとあってそれは思い知ったから」
街を歩くだけで剣や斧、見たこともないようなたくさんの武器が目に見えた。それら全てが魔物、そして人へと向けられることは私でも容易に想像できる。
歩いている人もまたみんなどこか雰囲気が違って、ただの主婦だと思っていても腰には短い剣が握られていたりと日本とは大違いのところばかりだった。
そしてなによりも私は実際その武器を自分に向けられている。市場で歩いていて絡まれたあの集団が頭に浮かぶ。今思い出してもあの時はもうダメだと思った。
日本じゃまずあんなことはあり得ない。あったとしても警察に逃げ込んだり、通りすがりの人が助けてくれたりする。でもロンダニウスでは規模が段違いだ。そして下手をすれば殺されることをまざまざと見せつけられた。
私は弱い。何の力もない。
「それでも、あの者達のところに行くというのですか?」
刀の問いに私は迷いなくまっすぐに見つめると頷いた。
「行く。もう悲しむのは嫌だから。あとでそうだったんだって気づくのもうたくさん。行って私はあいつの隣に立つ。それで言ってやる。ここにちゃんとあんたのことを大切に想っている人がいるってことを。あんたがいないとダメな人がいるってことを教えてやる。1人で背負い込むなんてかっこつけんなってね」
「……ふふ。いいでしょう。ならば私を握りなさい」
刀が柄の部分を私の方へと向けてくる。
私はまるで導かれるように刀へと手を伸ばした。
刀なんて生まれてこの方握ったことすらない。なのにすっと私の手になじむのはなんでだろう。まるで、ずっと使ってきたかのように感じられる。
柄に触れた途端、温かい何かが私の中に流れ込んできた。
不思議と穏やかな気持ちになる。
「いいですか雫。力のないあなたに私が武器として出てきたことには意味があります」
「意味?」
「そうです。実体のない私のような存在は、見るものに今一番必要なものを見せる。雫が見ているのは武器。つまりあなたは心の底から戦える力を求めている」
「……うん。確かにそう。私はあいつの隣に立ちたい。一緒に同じ景色を見たい。本気でそう思ってる」
それが私の答え。
私の望み。シャルロットさんに気づかされ、神様に無理やり引き出されて知った、私の心の底からの願い。
私は拓馬のいる世界で、拓馬の隣に立つ。そのために武器を握る。
目の前の刀が頷くのが分かった。
「それでいいのです。あとは武器となった私を雫が思うように振るいなさい。それだけで私はあなたの力になります」
「ありがと、ええっと」
「エンシェンです」
「……ありがと。エンシェン」
「構いませんよ。それに、本当にお礼を言った方がいいのは私ではなく、あの捻くれたあなたの世界の神です。あの神が私をわざわざここに呼んだのですから」
「…………ほんとに?」
「ええ。女神を呼ぶなどずいぶんなことをする神です」
私は信じられないような目で玉座に座る神様を見つめた。
表情を見てもさっぱり分からない。
しかし、私の目線に気づいたのか、はたまた会話の内容がだいたい分かっているのか、神様はこっちを向くと恨まし気に目を細めた。
「ああ? なにか文句でもあるのか」
ドスのきいた声に、私ではなく私の手におさまった刀のエンシェンが答える。
「文句ではありません。感謝をしなさいと教えていることです」
「けっ。そうかよ」
「ええ。まぁ、正直あなたのしたことは感謝されるようなことではありませんでしたけれどね。記憶を消そうとするなど、演技にしてもやり過ぎです」
エンシェンの言葉に今度は私が反応する。
小声で刀に尋ねてみた。
「演技?」
「そうですよ。あの捻くれ神は私をわざわざここに呼んでおいて雫を元の世界に返そうとした。普通に考えて無理やりに返すなら私を呼びません」
「それはそうだけど」
あれが全て演技って? さすがにすぐには信じられなかった。
神様の手は確かに私の頭から拓馬の記憶だけを取っていった。私が私の意思で止めたからよかったものの、あそこで止めなかったら確実に私は拓馬を忘れていたことだろう。
エンシェンの言葉を借りるわけじゃないが、それがもし本当に演技だとしたらやり過ぎだ。下手したらエンシェンを呼んだ意味が無くなってしまう。
「別に意味がなくなっても構わないさ。お前が記憶が無くなるのを受け入れればそれで終わりだった」
私の思考を読むように神様が口を開いた。
玉座に踏ん反り返って腕を組んでいる。
「そんな小声で話さなくでもいい。どうせ全部聞こえている。聞こえているから言うがあれは演技ではない」
「だったら私をここへ呼んだのは? 違う世界の神が違う世界の神を呼ぶなど簡単なことではありません。あなたには確かな確信があったのではないのですか?」
「あった。だが確信というものじゃない。可能性のことを考えただけだ」
そう言って神様は踏ん反り返った状態のまま私と目を合わせた。
「神通力をも効かない強い想いでここに来た雫が、このまますんなりと帰るとは思えない。だいたいがロンダニウスに戻ると言い出すことぐらい想像できたさ」
「じゃあやっぱり」
演技。私がそう続けようとしたところで神様の声が被さる。
「だが、同時にそれだけ強い想いを抱いた相手の望みでもある。自分の記憶を消せ。これは紛れもない栗生拓馬の望みだ。たとえ自分が納得していないことでも愛する人の望みを叶えようと思ったって別に不自然ではないさ。それもまた愛の形なんだろう」
神様が立ち上がる。
ゆっくりとした足取りでこちらに近づいてきた。
「だからこそ、オレは雫の記憶に手で直接触れ、消そうとした。消えることを望むのもまた悪いことじゃない。雫は悲しむことなく元の世界に戻る。栗生拓馬も危機を脱してリュウカとしてまた普通の生活に戻る」
「腕がないのに? シャルロットさんもいるのに? あんな状況でどうやって……」
「2人の人間を助けるぐらい神には容易なことだ」
「まさか、私の世界の住人にも力を使うというのですか」
「使うさ。神に世界の違いは関係ない。それになにより同じケモミミ白髪だからな。少しばかり親近感がわく」
「それだけで救うと?」
「ああ。いけないか?」
「……まったく、なんという神ですか。本当にそれだけの理由で私の世界の住人にまで力を使おうとしていたとは」
「これでも神だからな。救うことが信条だ」
そうして神様は私の前に来ると、握られている刀へと視線を落とす。
「まさか刀となって出てくるとは予想外だったがな」
「これが」
「ああ。女神エンシェン。大陸ロンダニウスに伝わる治癒の女神エンシェンだ」
「治癒……」
神様の言葉を受け私はもう一度刀を見る。
治癒にしては実態がおかしい。刀は武器。人を、ものを傷つけるための道具。
治すとは全く逆の代物だ。でもなんとなくエンシェンが治癒の女神だと聞いて納得している自分もいる。
エンシェンの声は不思議と聞いていると落ち着く。刀を握ったあの時も、流れ込んできた力は温かなものだった。
「安心してください雫。治癒の女神とはいえ武器として具現した今、しっかりと敵を切ることはできます」
「いや、まぁ、そうじゃないと困るけど……いいの? 治癒の女神的に相手を傷つけるのは」
「構いません。大切な人のために敵と戦うのもまた守るということです。あなたが不当な行いをしない限りは何の心配もありませんよ。そして雫がそんな輩ではないことはあの言葉で証明されています」
私ははっとして神様を見つめた。
神様はそれに得意げに口元をあげると、すぐに元の表情に戻した。
「戻ると言ってもあんな状況で戻るのは自殺行為に他ならない。今度は栗生拓馬ではなく桐沢雫が死ぬ。そうなっては意味がないだろう。そのためにオレは雫の力になりえるものを用意した」
「それが私だったということですね」
「ああ。雫の純粋な想いに一番相性がいいのは治癒の女神だと判断した。そうやってエンシェンを呼び後ろに控えさせ、お前の本音を聞かせるために無理やり外に出した。どうやら間違っていなかったみたいだな」
神様はそういうと私の肩をつかんで180度回転させる。
そして背中を押すと、こう告げてきた。
「リュウカへの道は常に開きっぱなしにしてある。あとはお前次第だ」
目の前の光がさらに増した。
まるで私の到達を待っているかのようにその光はずっと強さを失わずに輝き続けている。
背中側から声がする。
「ついでにあのヒーロー気取りの顔でもぶん殴ってくれればオレとしては最高なんだがな」
若干遠ざかりながら神様は悪態をつく。
変わらない態度に私は少しだけ頬を緩めながら、振り返ることはせずに口を動かした。
「ありがと。神様。実を言うと私、あんまりあなたのこと好きじゃなかった」
「ああ。知っている。最愛の人を殺したんだからな。仕方ない」
「うん。でも、今は違う。本当に感謝してる」
「そうか」
「どうしてここまでしてくれるの?」
「言っただろ。お前には神通力をも凌駕する強い想いがあった。ただそれだけだ」
「本当に? それだけで神様が動くなんて正直信じられないんだけど。性格的にありえないっていうか」
「ふん。ずいぶんなことを言う」
ドカッと座る音が聞こえて来る。
足を組んだのか腕を組んだのか、神様の方に背を向けている私にはそれを確認する術はないが、ただなんとなく踏ん反り返っていることだけは想像できた。
「忘れたのか。オレは恋愛成就の神だ。純粋に相手と結ばれたいという願いは叶えなければならない」
「だから私の願いも叶えてくれるっていうの」
「そうだ。元々この原因を作ったのはオレ自身だ。責任はとるさ」
「謝ったりはしないんだ」
「当たり前だ。栗生拓馬を殺したことに罪悪感はない。あるとすればずっと叶えてきたある女の願いをもう叶えられないことへの申し訳なさだけさ」
「っ! それって」
私はたまらず振り返る。
やっぱり神様は変わらず得意げな顔で椅子に踏ん反り返っていた。
「栗生拓馬の願いが叶わなかったのはあいつが欲まみれだったからだけじゃない。その次の日にある女がわざわざオレの社に訪れて願ったからだ。心の底から、純粋に、『栗生拓馬に彼女が出来ませんように』とな。オレはそれを叶えていただけに過ぎない。初めからオレは桐沢雫の願いを叶え続けていた。そして今回もそれは変わらない」
そうして早く行けというように手を振って私に先を急がせる。
「話は終わりだ。リュウカは死なないとしても早くしないと仲間のシャルロットとかいう女が死ぬぞ」
「……ありがと神様! ありがとお稲荷さん! ずっとずっとありがと!」
「いいから行け」
私は走り出す。
拓馬の元へ。ロンダニウスへ。地球を捨て、家族を、友達を置いて。大好きな人の元へ。
「……やはり素直ではない神ですね」
「うん。でも、あれで私の世界では人気の神様なんだよ」
「まぁ、分からなくはありません」
私の視界が光りに包まれた。
手には刀が。新たな力を手にして戻る。
ごめんねお父さん。お母さん。志保。でも、やっぱり私はあいつがいないと無理だから。だから行ってきます。
そうして視界が晴れたとき、私は刀の形をしたエンシェンであの骨の拳を止めていた。
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