第146話 栗生拓馬じゃないくリュウカとして大切なもの

 駄目サキュバスは俺たちの前に来ると、少し前に発した雫の声に反応するように雫をその目でとらえた。

 目に敵対意識はまるでない。しかし、雫は初めて見る人の形をした悪魔に、口を開けたまま固まってしまった。怯えているのか戸惑っているのかは分からない。

 だが、俺は直感でこのままはよくないと思い雫をかばうように前に出た。

 比較的低くなった声で駄目サキュバスに話しかける。


「なにしに来た。タイミングとしては最悪だぞ」


 決死の告白の現場。

 その答えを言うタイミングでこの駄目サキュバスはいったい何のようでここにいるのか。返答次第ではそのまま俺のエターナルブレードの餌食にさせてもらう。

 空気が少しだけぴりつく。

 駄目サキュバスはそんなのお構いなしのように雫から俺へと視線を移した。


「ずいぶんかわいい女の子と一緒じゃない。こんな夜中の人気のない場所でなにをしてたのかな」


 駄目サキュバスのニヤついた顔が今は無性に腹が立つ。

 俺の眉根がきつく寄る。声音にも硬さが増した。


「要件はなんだ。悪いが今はお前に付き合ってる暇はないぞ」

「相変わらずな態度ね。上級悪魔を前にしてるとは思えない。この際私の力で今のリュウカを下僕にしてやろうかしら」


 駄目サキュバスが目を細めて犬歯を見せる。

 こうしていれば確かに上級悪魔の威厳は保たれるのは確かだ。現に後ろの雫は駄目サキュバスに得も言えない恐怖を感じているのか、俺の服をつかんだまま動かない。その手が少しばかり震えている。

 それがさらに俺の心をイラつかせた。


「いいから要件を言え!」


 ついつい大きな声を出してしまった。

 駄目サキュバスは俺の声が聞こえても大して気にした様子もなく、むしろ面白そうにしている。

 駄目サキュバスの視線がまたしても後ろの雫に移った。

 俺が体を動かして雫の体を隠す。


「別にそんなに警戒しなくてもいいわよ。ちょっと確認したかっただけだから」


 そう言って駄目サキュバスは視線を雫から動かし、家の方に向ける。

 すると、口元をニヤリとあげた。


「なーるほどね」


 駄目サキュバスの呟きが俺の耳に届いてくる。


「なにがなるほどだ」

「リュウカ。今すぐナイルーンから逃げた方がいいわよ」

「なに?」


 突然のことに理解が遅れる。

 駄目サキュバスは視線を俺へと戻すと、海の方へと意識をやる。


「この海に人間族が作った神殿があるのは知ってる?」

「あ、ああ」

「そこにアンデット族やその族長がいることは?」

「知ってる」


 だから今ナイルーンには多くのギルドメンバーが滞在している。

 宿屋がほとんど埋まっているのもそのためだ。


「じゃあ話が早いね。つまり簡単な話、アンデット族が動き出したの。ここナイルーンに向けてね」


 駄目サキュバスの言葉に目を見開く。

 こいつは軽く言っているが、ことはそんな楽観的なことじゃない。

 死という概念が存在しないアンデット族がナイルーンに来る。

 街は無傷とはいかないだろう。

 ほとんど雫のことがあって忘れていたが、確かクオリアさんの説明ではアンデット族は神殿に来たもののそれ以上動く素振りが見えないと言っていた。

 だからといって見過ごすことも出来ないとして、会館側が全ての支部で貼り紙を掲示しギルドメンバーの協力を募った。

 成果はあがっていない。

 未だ多くのギルドメンバーがこの街に滞在している。

 誰として倒せていないアンデット族が、向こうからこちらに攻めてくるなんて、いくらギルドメンバーが多くいるとしてもまずいだろう。


「本当なのか? それにしては前ぶれもなにも無さすぎる」


 俺はそうして駄目サキュバスの言ったことを疑った。

 海は静かなものだ。いつもと変わらない。魔物が攻めてくるにしてはいつも通り過ぎる。アイリスタが攻められたときはものすごい音と共に魔物の大群が押し寄せてきていた。


「本当よ。魔界でも大ニュースなんだから。長が魔王様に進言したってね」


 駄目サキュバスの目は冗談を言っている感じではない。


「……分かった。お前の言っていることを信じるとして。なんで私に逃げろって言う? お前はあっち側だろ」


 アンデット族も魔物だ。同じ魔物同士なら仲間になる。

 敵に塩を送るような行為に、いくら駄目サキュバスといっても簡単に信用できるわけがない。まがりなりにも上級悪魔といっているのだから。

 それに忘れてはならないがこいつはアイリスタを滅ぼそうとした張本人だ。

 裏があったとしてもおかしくはない。


「うーん。まぁ、私がリュウカを気に入ってるから……かな」

「気に入ってる?」

「そ。だからここで終わってほしくない。いくらあんたが強くてもアンデット族には勝てないよ。死なないのは反則だもん」


 軽い調子で言う駄目サキュバス。上級悪魔に気に入られてるってのはいいことなのかどうかは分からないが、信じるには言葉が弱すぎる。

 駄目サキュバスもこれでは納得しないのが分かってるのか、冗談交じりの顔を真剣に変え、言葉を繋げる。

 視線はなぜだか俺の買った家の方に向いているのが気にかかる。


「もう1つはこのアンデット族の突然の申し出、たぶんリュウカが関係してるような気がする」

「私?」

「そう。正確にはリュウカの近くのなにかだけど」


 そして駄目サキュバスは雫を見た。


「後ろの子かなと思ったけど、後ろの子からは何も感じなかった」

「……どういうことだ」

「リュウカさ、近くになにか持ってない? なにか」


 言われて嫌な予感がする。

 ある。確かに存在する。魔物を呼ぶというようなものじゃない。もっと大きなものを呼び寄せてしまうものを持った人物が。

 そして今彼女は俺の、俺たちの家でお風呂に入っている。

 駄目サキュバスの視線はそこに集中していた。


「私がアイリスタを攻めたとき。元々攻めようと思ってたけど、タイミングは決めてなかったのよね。でも、あの時はなぜか今やろうって思った。まるで何かに引き寄せられるようにね」

「引き寄せられる……」


 その言葉にどうしようもない単語が頭をよぎる。

 悪魔的不運を呼び寄せるから、耳が魔物と同じだから、悪魔が憑いたんだとして悪魔憑きという名前になった。

 アイリスタが攻められたとき、俺はまだシャルロットと知り合ってなかったが、街には確かにシャルロットがいた。そこは変わらない。


「前にリュウカの家に入って同じ感じがして驚いた。きっと、今回のアンデット族のこともこれが影響してると思う。だから、早くそれを置いて逃げた方がいいわ」


 駄目サキュバスはシャルロットと面識がない。だからまさか悪魔憑きと呼ばれる少女の影響だとは思っていないようだ。とにかく俺の持ってるなにかが影響していると思っている。

 駄目サキュバスはシャルロットを置いていけと、攻められるナイルーンから逃げろと言っている。俺の身を案じて。

 これが俺にまったく関係ないんだったら俺もそうしただろう。

 でも、シャルロットが原因なら話は別だ。

 

「そっか。そういうことだったのか……」

「拓馬……?」


 俺の小さな呟きが後ろの雫には聞こえたのか、心配そうにこちらの顔を覗き込んできた。

 雫と一瞬目が合う。

 そしてそのまま俺は雫の掴んでいる手を振り払った。


「悪いけど逃げるわけにはいかない」


 俺の言葉に雫の目は驚いたように見開かれた。

 か細い声が聞こえて来る。


「どうして……逃げないの? 逃げろって言われてるんだよ。勝てないって。だったら」

「逃げるわけにはいかないよ。さすがにこれはね」


 俺は約束した。

 アーシャさんにシャルロットを任せてくれと。

 俺はシリアスが嫌いだ。雫の沈んだ表情が嫌いだったから。

 今はそれと同じぐらいシャルロットの沈んだ表情を見るのが嫌だ。

 もし逃げたとして、シャルロットはいずれ自分のせいだと気づく。本当のところは分からないが、少なくともシャルロットがナイルーンを訪れたこのタイミングだと、そう結論付けても仕方ないと思う。

 俺はシャルロットに傷ついてほしくない。あんなにもいい子の、かわいい子の歪んだ顔は嫌なんだ。

 俺は雫に向き合う。


「俺にとって雫は特別だった。笑っていてほしくて、沈んだ表情を見たくなくて」

「うん」

「嬉しいよ。好きだって言ってくれて。本当に嬉しくて抱きしめたくて。もう二度と会えないと思って。離したくない」

「私も同じ」

「でも」


 言葉につまる。

 だが言わなければならない。前に踏み出すためにも。問題を解決するためにも。

 俺の口がゆっくりと開く。


「ごめん。俺はもう栗生拓馬じゃない。リュウカなんだ」

「…………」

「リュウカとして俺は守らなくちゃいけないものができた。雫と同じぐらい大切な仲間ができたんだ。彼女の笑顔のためだったらなんでもする。恩恵のおかげで力がついたから。もう見守るだけじゃない。助けることが出来るんだ」


 ただの男子高校生栗生拓馬じゃない。転生者リュウカとして、守りたいものを自分の手で守る。

 笑顔でいるために。笑って過ごすために。俺は俺の力であの子を守る。

 雫は複雑な表情をしていた。泣いているのに笑っている。


「ばか……なんにも変わってない」

「悪いな。でもお前も知ってるだろ。俺はシリアスが嫌いなんだ。大切な人のためにならもう迷わない」


 俺は自然と雫の頭に手を置いた。

 男の頃にはできなかったのにリュウカとしてなら雫にはなんでもできる。


「だから、雫。シャルロットのことは頼むな。お前になら任せられる。大事な仲間を守ってくれ」

「……分かったわよ。拓馬のお願いだから仕方なく聞いてあげる」

「サンキュ」


 俺はそうして雫に背を向けた。

 後ろ指をさされても仕方がないことをしているのは分かっている。俺は雫の好意を利用した。断っておいて、雫が断れないのを分かってシャルロットを任せた。

 両想いなのに。俺も雫が好きなのに。気持ちを隠して、奇跡的な出会いを果たしたのに遠ざけた。

 追ってきてくれたのは本当に嬉しい。神通力も通用しないほどの強い想いを俺に抱いていてくれたことは本当に、泣きたくなるほどに嬉しい。

 だから、だからこそ、俺は俺を曲げない。もう後悔しないために。守らないといけない順番を間違えない。

 栗生拓馬として桐沢雫は一番だった。誰にも代えがたい存在だった。

 でもリュウカとしてはそうじゃない。少なくとも今の段階ではリュウカとしては仲間のシャルロットが一番だ。彼女の笑顔のために、不安材料は消す。転生者の俺にはそれが出来る。

 駄目サキュバスは大人しくしていた。

 俺はその駄目サキュバスに声をかける。


「なぁ。神殿に連れてってくれって言ったら、連れてってくれるか?」

「一応私、逃げろって言いに来たんだけど」

「分かってる。でも、それはできないんだ。で、どうだ? 連れてってくれるのか?」

「どうせ断っても連れてけって言うんでしょ」

「まぁ確かに」

「だったらわざわざ聞かないでくれる?」

「ふん。いいだろう」


 俺はそのまま駄目サキュバスの手を引いて崖近くまで来た。

 崖に打ち付けられる波が眼下に見える。


「神殿に連れてけ。じゃなかったら今度こそエターナルブレードの餌食にしてやる」

「怖いこと言わないでよ。まぁそれでも私は簡単に倒せないけどね」


 軽口を叩き合いながら、2人して広大な海を見つめた。


「いけるか?」

「私、これでも上級悪魔なのよ。そこら辺の人間と同じにしないで」


 駄目サキュバスが力を入れる。

 すると俺たちの周りに薄い膜が張った。

 さらには体に浮遊感も出てくる。

 さすがは上級悪魔。魔法もお手の物ってわけか。


「拓馬!!」


 後ろから雫の叫び声が聞こえてきた。

 振り返ると雫は笑いながら冗談交じりの声でこういった。


「ちゃんと帰ってくるんだよ! シャルロットさんのために!」

「分かってるって」

「死んだらダメだからね!」


 それは完全に死亡フラグな言葉なのだが、俺はその言葉に対して笑顔で答えた。


「大丈夫! 私、死なないから!」


 視界が上がる。

 駄目サキュバスに手を引かれるように俺は一度宙に浮かぶと、そのまま海に向かって急降下した。


「知ってる……」


 雫の姿が見えなくなる。

 小さな呟きは風に掻き消え、俺には届かない。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る