第144話 最後の願い
魚といってもずっと淡白な味が続くとさすがに飽きが来る。
骨の心配がないとはいえ黙々と食べ続けるには無理があるし、なによりも対面に座っている雫がずっと俺の食べているところを見ているので、正直食べにくくて仕方がない。
俺の箸の進みが遅くなる。
それを察してか雫が俺に話しかけてくる。
「醤油でもいりますか?」
「……あるの? ここ日本じゃないよ」
「ごめんなさい。嘘つきました」
そうして雫は静かな笑みを浮かべてまたもや俺を見つめる。
「……あ、あのさ」
「はい?」
「見られると食べずらいんだけど……」
俺は包み隠さずに言った。
すると、雫がハッとした様に顔を逸らす。
「ご、ごめんなさい」
「い、いや、いいんだけど……何かあった?」
「いえその……なんとなく今の状況いいなって思って」
「それはどういう」
しかし、それ以上聞くことは憚られた。
逸らした雫の顔は明らかに赤らんで照れていたのだ。そんな顔をされたら変なことは言えなくなる。
こっちまで照れているみたいで居心地が悪い。
俺は気を紛らわすように魚を食べ進めた。
淡白だと感じた味は今は少しだけ甘く感じる。これもこの変な空気のせいだろうか。俺はそのまま皿の上にある魚の身を食べ終えた。
「お皿と箸ください。洗いますね」
雫が手を差し出してくる。
悪いと思いながらも俺は言われるまま皿と箸を雫に渡した。雫は椅子から立つとシンクの前まで行く。
俺もついつい着いていって見守っていると、シンクに水が張られていた。蛇口もないのにどこからと思っていたら、シンクの周りが光っているのが見える。
どうやら魔力に反応して水が湧きだしているみたいだ。
証拠にシンクの周りと同じように雫の手も光っていた。
「魔法使えるんだ」
俺の口から素直な感想が出る。
雫はそれを聞いて皿と箸を洗いながら答えてくれる。
「どうやらこの世界に来るだけで魔力は宿るみたいですよ。教えてもらいました」
誰からとは聞かなかった。
なんとなく頭の中にあのキツネ耳のムカつく顔が浮かんだからだ。
雫はそのまま洗い物を続ける。隣で俺が見守っているにも関わらず雫はどこか楽しそうに鼻歌まで歌い始めた。
俺もつられて笑顔になる。
「私、今すごく幸せです」
「私も同じ。なんかいいよねこういうの」
「はい。でも私はリュウカさんじゃないとこんな気分にはなりません」
「え、あはははは……そんなこと言われたら照れちゃうよ」
朝の感じはなんだったのか。今は自然と雫と話が出来ている。なによりもこの空気感は栗生拓馬のときにでさえも味わえなかった温かいものがある。
家族にも似た距離感についつい心が安心してしまう。
だからか、雫の言葉に秘められた裏の言葉も受け取れない。
最後に雫がもう一度シンクに触る。
すると水がまるで蒸発したかのように一気に無くなり、今度は温風が出てきた。
「食器乾燥もできるんだ」
「本当に便利ですよね。これで電気もなにも使ってないんですよ」
「魔力だけだもんね」
時間が経てば回復する。異世界の便利さに俺たち地球人は感嘆の声しかもれない。
「しかも、このまましまえるって最高ですよね」
といって雫は渇いた皿と箸をそのままシンクの中へと収納した。
すべて同じところで出来る。なんでもありな異世界の技術に俺たちはしばらく無言のときを過ごした。
だけど、神様が言ったように雫には時間がない。
シンクから目をあげて隣の俺を見る。
「じゃあ、外に行きましょうか」
そう切り出すと玄関になっている扉まで歩きだす。
俺も覚悟を決めて雫の後を追う。
家を出ようとしてお風呂場が少し気になった。
「シャルロットにひと言言わなくてもいいかな」
「心配なら私が行ってきます」
「え、悪いし私が」
といったところで雫が俺の顔にずいっと自分の顔を近づけてきた。
目が睨んでいるのは気のせいですかね。
「わ・た・しが行きます。リュウカさんはここで待っていてください」
それなりの威圧感のある言い方で俺は頷くことしか出来ない。
俺の反応によろしいというように笑った雫が、お風呂場のドアを開けて中に入る。すぐに姿を現すと、問題ないかのように顔を綻ばせて俺の前に立った。
「これで大丈夫です。どこでお話ししましょうか」
雫の提案に俺は少しだけ考えた後、家の裏側、崖に面しているところに決めた。
「裏辺りでいいかな?」
「はい」
「ほんとはもっと遠くにするべきなんだろうけど」
雫の話が俺の思った通りなら、誰も来ないような場所にするのが一番良いんだが、シャルロットを1人にするわけにはいかない。
雫も大事だが今の俺はシャルロットも大事だ。クオリアさんに言われたように、守る順番はしっかりと守らないといけない。
俺にとって今はシャルロットが一番大事なのだ。
「……ごめんね。家から離れるわけにはいかなんだよ」
シャルロットのことは伏せながら俺は謝った。
雫は何でもないというように首を振ると、1人で歩き始める。
崖の淵まで来ると、月明かりに照らされた海を見つめながら呟いた。
「いいですよね。海って」
「うん」
「私の住んでいたところは海が遠かったから、こうして海を見ると自然と気分が上がるんですよ」
「分かるよ」
なんといっても家が隣通しなのだ。
海への憧れは同じぐらいにある。
「さざ波の音を聞いてると、穏やかな気持ちになります」
「そうだね」
俺が雫の後ろに来たタイミングで雫が振り向いた。
月明かりの逆行で表情はうかがい知れないが、顔が真剣であることは嫌でも伝わってくる。冗談などない。逃がさないように真剣に俺を見ている。
さざ波音で穏やかになった雫の、少しだけ落ち着いた声が届く。
「いろいろ考えました。この世界に来て本当によかったのかって」
「うん」
「迷惑なんじゃないかって。でも、私はどうしてもあのまま終わるなんて出来なかった」
リュウカと面している時の敬語は無くなっていた。
誰に迷惑なのか、なにが終わりなのか、今の俺には分かる。
「ずっと心残りを持ったまま、忘れることなんてできなくて。無我夢中で探してた」
「そっか」
雫の声が震える。
目に光るものがあるのを俺ははっきりと見た。
「会いたかった。会いたかったよ……拓馬!!」
雫がたまらず俺の名前を呼ぶ。
俺の目頭も雫と同じようにあつくなる。
「ずっとずっと探してた……! あんたのことずっと探してた……!」
「ああ……」
「勝手にいなくなんないでよ! バカ!!」
雫の悲痛な叫びが辺りに木霊する。
街から離れていてよかった。心の底からそう思える。
誰かに冷やかされることもない。俺と雫だけの時間が流れているんだ。
「ごめん……ごめん雫」
「いい……あんたのせいじゃないって知ってる。神様に教えてもらったから」
「神様ってお稲荷さん?」
「そうよ。全部教えてもらった。あんたを殺したのがあの人だってことも、その理由も、この世界にいることも、リュウカとして女になってるのも、全部知ってた」
「やっぱりか……」
俺は呟く。
雫は最初から全て分かったうえで俺と会話をしていた。
「じゃあ人探ししてるっていうのも」
「あんたのことだよ拓馬」
涙が込み上げてくる。
雫は泣いていた。会いたかった人に会えたから。嫌でも分かる。俺だって同じだ。ずっと会いたかった。会いたいと思っていた。忘れたことなんてなかった。
辛かったし、寂しかった。もう二度とこの顔を見れないのかと思うと、どうしようもないほどの虚無感に襲われた。
こんなに遠く離れたことなど初めてで、離れるのがこんなにも辛く苦しいものだとは知らなかった。
だから。だからこそ、この辛さは俺だけが持っていればいいとそう思って。そう思って。
「なんで覚えてるんだよ……!」
ついつい強い口調になる。
どうして、どうして覚えている。俺は無くしてほしいと言った。寂しく思うから。失ったものの悲しみなど雫には持ってほしくはなかった。
「どうして覚えてるんだよ! せっかく、せっかく神様に頼んで消してもらったのに!!」
こんなこと言いたいんじゃない。分かってるのに、雫の泣いている顔を見るとどうしても強くいってしまう。
違う。違うんだ。俺は笑っていてほしいだけなんだ。
だから、だから自分だけが背負えばそれでいいって思って。
「やっぱりそうだったんだ」
雫がこちらに近寄ってくる。
手が触れるほどの近さで俺の顔を覗き込んできた。
「神様は何でも教えてくれた。女になったこと。あんたの欲望満載の願いにイラついて殺したこと。まったくそのことを悪びれる様子もないこと。全部。でも、1つだけ頑として教えてくれなかったことがあるの」
「それは」
「あんたの、拓馬の最後の願いよ」
どきりとした。それは俺が一番叶えてほしかったこと。
最後に願った、シリアスが嫌いだからとわざと茶化して言ったこと。
隠していたのを雫が言葉にする。
「栗生拓馬の記憶を消したのは、消えることを望んだのは拓馬なんだね」
雫は目を伏せる。表情は分からない。
そう。俺は最後に神様にこう言ったのだ。
『栗生拓馬の記憶を消してくれ』と。
後悔なんてなかった。転生者になるということは文字通り一度死んだことになる。
俺の知っている物語では元の世界のことなんてまるでなかったかのように話が続く。でも生きていた以上元の世界の家族や友人は、そいつを失った未来を生きる。
俺はそれが嫌だった。
父ちゃんや母ちゃん、妹の千夜。学校の奴ら。そして幼馴染の雫。
そいつらみんなの泣く姿を想像したら俺はどうしても嫌で仕方がなかった。
特に雫には笑っていてほしい。
だから願った。最後の最後にお願いした。
記憶を消してくれと。存在を無かったことにしてくれと思った。
元々栗生拓馬なんていなかったんだ。いない人間がどうなろうと人の感情は動かない。
そうしてシリアスを回避していつもの日常へと帰っていく。
そう思って、真剣に願って、なのに、どうして、一番笑っていてほしい人が。一番忘れていてほしい人がここにいて俺の名前を呼んでいる。
パンッ―――!!!!!
静かな場所に甲高い音が響いた。
気づけば俺は雫に思い切り頬を叩かれていた。
訳が分からず呆けている俺に、雫の今まで見たこともない程の歪んだ顔が飛び込んできた。
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