第143話 動き出す雫

 神様のありがたいと言えるのか分からない呼び出しの後、目を覚ました俺が最初に気づいたのは部屋の変化からだ。窓から外を眺める。

 いつの間にやら外は暗くなっていた。朝食を食べたときから相当の時間が経ってしまったようだ。

 俺はベットから起き上がると、重たい体のままドアを開けて階段を下りる。

 さすがに雫は帰っただろう。

 そう思ってリビングに行くと、驚きの光景が広がっていた。

 机の上には焼いたのであろう魚が置いてあり、近くの椅子には白髪のシャルロットと対照的な、俺と同じ真っ黒な髪をしている雫が座っていたのだ。丁寧に身と骨をわけている姿はまるで小骨が苦手な子供の面倒を見る母親のようにも映る。手には箸のようなものが握られていた。


「あ、おはようございます」


 雫は俺の視線に気づいたのか、大して驚くことなく俺に挨拶してくる。


「お、おはよ」

「……具合は大丈夫ですか?」

「え……」

「ずっと寝ていたんですよね。シャルロットさんが心配して見に行った時は、うなされていたと言って心配していました」

「そうだったんだ。悪いことしちゃったね」


 俺はなんとか平静を装いながら恐る恐る雫の対面に座る。周りを見渡した。


「シャルロットは……」

「お風呂ですよ」

「そっか」


 雫は黙々と魚と格闘している。

 サンマに似た魚からは美味しそうな匂いが漂ってくる。


「少し待っていてくださいね。すぐに取りますから」

「別に気にしないで」

「いえ、気にしますよ。だって食べるとき小骨が残ってたら嫌でしょ」

「いやいやさすがにそんなに気にしないってば」


 嘘だ。本当はすごく気にする。

 だけど、あまりにも子供っぽすぎるのでついつい否定してしまう。

 雫は俺の言葉を受けてニコッと笑った。


「嘘言ったらいけませんよ。小骨が苦手って言った私の言葉に頷いていたじゃないですか」

「ま、まぁそうだけど……」

「だったら、ちゃんと取らないと」


 そういって雫は魚との格闘を再開した。

 本当に小さな骨まで見逃さないぐらい、真剣な表情をしている。

 なぜそこまでしてくれるのか、俺は不思議に思った。こいつはこんな性格だっただろうか。つくすタイプではないと思っていたのだが。

 ついつい口が勝手に動いてしまう。


「どうしてそこまでしてくれるの?」

「どうしてですか……こういったことが好きだからって言って、リュウカさんは信じてくれます?」


 俺は少し迷った挙句、首を横に振った。

 昨日が初対面で大して関わってもいないはずのリュウカとしては失礼極まりないだろう。だが、雫はそう返ってくるのが分かっていたかのように表情を変えなかった。


「正解です。正直こういったのは面倒でやりたくないですよ」

「じゃあなんで」

「リュウカさんだからです」


 雫が初めて俺の目を真っ正面から見てきた。

 その目には冗談など込められていない。


「リュウカさんは私を助けてくれました。だから、これぐらいしても別に苦にはなりませんし、してあげたいとすら思います。愛おしいというんでしょうか。放っておけないんですよ」


 雫は俺の中身まで見透かすように見つめてくる。

 愛おしい。はたして雫はこの言葉を誰に言っているのだろうか。

 リュウカだろうか、それとも……。


「女同士なのにおかしいですかね……はい。終わりましたよ」


 すると、雫が声音を上げて俺の前に小骨を取った身だけの皿を差し出してきた。


「どうぞ」

「ありがと」

「たぶん骨は全部取りましたから、遠慮なく食べられますよ。お腹の方もそろそろ限界ですよね?」


 言われて俺は自分のお腹をさする。

 確かに空腹感があった。早くしないと昨日のようにお腹の虫が鳴きだしてしまう。

 お言葉に甘えて俺は手を合わせる。


「いただきます」

「どうぞ。お召し上がりください」


 そういってはたと気づいた。食べるにも机の上にはなにも無い。手で食べるのはさすがに。

 俺が困っていると対面から短い笑い声が聞こえてきた。


「ふふっ」

「へ?」

「ああ……ごめんなさい。なんだかつい見ていて面白くって」


 雫はそう言って笑顔を浮かべると自分の持っていた箸らしきものをこちらに手渡してきた。


「レストランのときも思ったんですけど、リュウカさんナイフとフォーク苦手ですよね。よかったらこれ使って下さい。私のですけど」

「あ、ありがとう」


 俺は手渡された箸らしきものを手に取り、左手に持ち変える。

 しっくりくるな。


「左利きですか?」

「ううん。右だよ。でも箸だけは左なんだよね」

「ふーん。そうですか。やっぱりって分かるんですね」


 やばっと思って俺は雫を見つめる。


「別に今更隠さなくてもいいですよ。分かってましたから。同じ日本から来た、転生者ですよね」

「ま、まぁね。そっちも?」


 俺は答えの分かっている質問をぶつける。

 もちろん雫は否定した。


「私は違いますよ。事情が異なりますから」


 やはりか。雫は転生者じゃない。自らの意思でこっちに来た転移者。そう言ったのはあの神様だ。時間がないとも言っていたことを思い出す。

 

「そ、そっか」

「驚かないんですね」

「そうかな。転生者がいるんだったら転移者も」

「いて当然……なんて思いませんよね。実際私ギルド職員の方に身元を調べれらた時驚かれましたから。こんな人初めてですって。それにそもそも、私、事情が異なるとは言いましたけど、転移者なんて単語一言も言ってないですよ。どうして分かったんですか?」

「あ……」

「ふふっ」


 しまったという顔の俺に雫は少しだけ微笑むとすぐに表情を引き締めた。

 落とした声音が真剣さを伝えてくる。


「食べ終わったら話があります。時間よろしいですか?」

「いいけど……シャルロットは」

「聞かれてもいいのなら構いませんよ。でも、シャルロットさんには転生者であること隠しているんですよね。だったらやめておいた方がいいでしょう」

 

 雫ははっきりとそう言った。

 逃げられないな。

 俺は諦めたように箸で魚の身を取りながら頷く。


「分かった。食べ終わったら外に行こう。あまりこの家から離れることはできないけど、ここで話すよりかは聞かれる心配はない」

「ありがとうございます」

「……だから、あんまり睨まないでくれないか。逃げないよ。もう」

「……それを聞いて安心しました」


 雫はそれきりいつもの表情に戻った。

 神様が言った通り雫は動き始めた。もう逃げることは叶わない。

 俺は覚悟を決めて夕食を食べる。

 雫のとってくれた身には魚が本来持つ甘みの他に、違う甘みも感じられた。


 

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