第142話 これでも恋愛成就の神様ですから

 目を開けたら別の世界でしたなんてことがあるが、今まさにその体験を俺はしていた。

 変な被害妄想を繰り広げ、雫やシャルロットから逃げるようにベットに沈み込んだ俺が初めに感じたのは、体に感じる違和感だった。

 ベット以上に背中がふわふわしている。

 重たい瞼を開けてみた光景は、見慣れた家の天井ではなかった。 

 辺り一面雲のような何かで覆われている。まぶしくもないが暗くもない。だが、まったく知らない場所としては、頭の中に引っかかるものがある。

 記憶を探りながら体をあげて、立ち上がったところで、正面に金色の豪華な椅子があることに気づいた。

 嫌な予感が俺の脳裏をよぎる。

 すると、俺が起きるのを待っていたかのようなタイミングで、椅子の前の空間が揺らいだ。唐突に人が現れる。


「よお。久しぶりだなリュウカ」


 馴れ馴れしくもこちらをバカにしたような態度は間違うはずもない。

 あのキツネ耳のイケメン神様だ。無駄に整った顔で俺を見る風体は、始めて会った時と全く変わらない。


「お稲荷さん……」


 俺は未だはっきりしない頭で目の前の人物を呼んだ。

 お稲荷さんと呼ばれた神様は一度頷くと、豪華な椅子に踏ん反り返るように座る。


「ずいぶんとリュウカとしての生活を楽しんでいるようで安心したよ。死んでよかったな」


 元々全ての元凶だというのに全く悪びれる様子のない神様に、俺も大して何も思うことはなかった。

 この神様はこういう奴だ。

 なにを思っても自分が悪いという認識にはならない。

 いい意味でも悪い意味でもいい性格をしている。


「ここは……天界か」

「そうだ。オレがお前を呼んだ」

「どうして」

「どうしてだと? お前も分かっているんじゃないか? オレがお前にプレゼントを送ってやったのを、お前はその目で見ているだろ?」


 神様は口元をニヤリとあげて椅子に片肘をつく。

 プレゼントだと……?

 突然の神様のセリフに俺は困惑しながらも思考をめぐらせた。

 すぐに答えに行きつく。


「雫か」

「ご名答。桐沢雫だよ」


 神様ははっきりと雫の名前を口にした。

 途端忘れていた感情が蘇ってくる。俺は自分でも恐ろしいぐらい感情にまかせて地面を蹴った。

 全神経を神様と自分の右こぶしに向ける。

 そのまま神様に殴りかかる。


「おっと。危ない危ない。そうかっかするな」


 神様は余裕の笑みで肘をついていない方の手を掲げた。

 それだけで俺の体がピタッと空中に止められ、抗えない力が俺の体をしばりつける。

 神通力か何かを使ったようだ。


「てめぇ……!」

「どうした。そんなに牙を向いて。せっかく作ってやったかわいい顔が台無しだぞ」

「一発ぶん殴らねぇと気がすまねぇんだよ」


 俺は自分でも驚くほど頭に血がのぼっていた。

 敵わないと分かりつつも神通力に抵抗しようと腕に力を込め続ける。

 だが、武器も何も持ってない、恩恵もないただの非力な女の子のリュウカには、神様の神通力を破ることなんて不可能だった。

 体がきしむのが分かる。


「落ちつけよ」

「これが落ち着いていられるか! 雫があっちの世界にいるってことは、雫も俺と同じように―――」


 殺したのか。

 そう言おうとして口が勝手に閉じた。

 見れば神様が掲げた片手を動かしている。

 まるでチャックで締められたかのように俺の口は、上唇と下唇が完全にくっつき微動だにしない。

 どれだけ力を込めても開くことはなく、目の前の神様は余裕そうに笑う。


「少しは話を聞け。誰も殺してなんていない。そんな簡単に人を殺すような神にオレは見えるか?」


 見えるという意思を目だけで伝える。

 神様は心外だというように頭をおさえた。


「オレはそんな節操のないことはしない。桐沢雫に関していえばむしろ逆だよ。彼女が望んだことだ。あの世界に自分を向かわせてくれとな」


 俺は驚き目を見開く。

 雫が自分の意思でこっちに来ただと。

 信じられるか。


「信じられないと思っているな」


 俺は頷く。


「だろうな。オレだって信じられない。だが、事実だ。彼女は自分の意思でオレに接触してきた。これが何を意味するのか、人間のお前には分からないだろう」

 

 そういって神様は説明を始めた。


「人間にはときに神をも凌駕する、純粋で強い想いを持ったものが生まれることがある。それは愛情だったり、友情だったり、逆に悪意だったり様々だ。神通力というのは神に通じる力と言うだけあって、人間は抗うことが出来ない。今のお前みたいにな」


 神様は言いながら空中で止まっている俺を見てニヤリと笑った。

 しかしすぐに表情を真剣なものに戻すと、続きを話し始めた。


「だが、混じりっけのない想いというのは、神の力をもはねのけてしまうこともある。中でも愛情というのは、友情や悪意なんかよりもどうしようもないぐらい強力だ。生命にとって愛というのは尊いものだ。そしてなによりも強い。恋愛成就の神様をしていて、何度も愛というものの強さを見てきたオレが言うんだから相当だ」


 といって神様は手を振る。

 俺の口が開いた。


「はぁ…はぁ…はぁ……」


 鼻呼吸だけでは補えなかった空気を俺は吸う。

 クリアになった頭で神様の言葉に反応した。


「雫がその愛を持っていたっていうのか?」

「そうだ。勘違いしないように言っておくが、オレはお前の望む全ての願いを叶えた。例外なくだ。この意味、分かるな」


 分かる。俺は迷いなく頷いた。


「それを踏まえて考えればすぐに分かるだろ。彼女がなぜロンダニウスにいるのか。なぜお前の前に現れたのか。そして彼女がお前に対してなにを想っているのか。ずっとひた隠しにしてきた大切な想いがあるんだよ」

「想い……」


 雫は変わった。中学とは比べ物にならないぐらいかわいくなった。

 モテて、注目を集めて、幼馴染としては鼻高々でもあった。

 でも同時に、もう手が届かないと思ってしまった。諦めてしまった。雫は遠くに行く。変わらない俺とは対照的に、大人になってずっと先を歩くんだと思った。

 なんで急に変わろうなんて思ったのか。俺には何にも教えてくれない。雫はなにを思って変わったのか。分からない。分からないけど、神様の言葉がその答えを口にしているように感じてしまう。

 変わってモテて、なのに絶対に告白を断る雫。

 違和感はずっとあった。あれだけ変わったということは誰かに好いてほしいという感情があったはずで。なのに、誰とも付き合う気がない。

 ましてや離れていこうとした面汚しもいいところの俺に、雫から近づいてきた。あまつさえ避けられるのが辛いと。前のように一緒に帰ってほしいと願った。

 なぜなのか。考えるまでもないことに、だがやはり俺は素直に頷けない。

 神様の言葉はまるで雫が俺を追ってロンダニウスに来たように感じる。現に神様はそう言っている。

 だが、口だけのヘタレチキン野郎の俺はそれを純粋に喜ぶことができない。

 

「認めるも認めないもお前の、栗生拓馬の自由だ」


 神様が俺の葛藤を分かっているかのように呟く。


「だが、彼女は強い想いでオレに接触し、ロンダニウスに行くと願った。これは事実だ。転生者じゃない。転移者としてロンダニウスに渡った彼女には、お前と違って時間がないんだよ。あと少しでこちらに戻される。きっとその前にお前に接触してくるだろう」

「…………」

「その時どうするかはお前が決めればいい。どちらが最善か。どうするのがいいか。よく考えることだな。少なくとも逃げることだけはするなよ」


 そうして神様は俺の拘束を解いた。

 すでに怒りは収まったあと。立ち上がる気も起きずに俺はただただ思ったことを口にする。


「性格悪い神様じゃなかったのかよ……」

「忘れたのか。オレは地球でもっとも有名な恋愛成就の神様『お稲荷さん』だぞ」

「だからなんだってんだ」

「恋をするものの味方だ」


 神様が立ち上がる。

 俺を神通力で立たせ、向かい合わせる。

 嫌でもその整った顔立ちが目に飛び込んでくる。


「オレはお前が嫌いだ。殺すほどにな。だが、彼女は違う。彼女は純粋な想いでオレの神通力を、お前の願いをはねのけた。オレはな、彼女の味方をしているだけなんだよ」


 そして神様はそのまま俺を神通力で吹き飛ばした。

 

「しっかりやれよ。いつでもどこでもオレはお前を見ているからな」


 遠ざかる視界の中で神様が笑った。

 ムカつくがその顔が、整った顔立ちと合い清々しいぐらいイケメンだった。

 俺はそのまま真っ暗な空間に飛ばされ、来たときと同じように無意識のうちに意識を失う。

 次に目を開けたのはナイルーンの自室のベットの上だった。

 ベットに沈み込んだ時に感じていたモヤモヤは笑えるぐらいになくなっていた。

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