第141話 雫とシャルロットの間で交わされる秘密の会話

 リュウカさんがすごい勢いで階段をのぼっていってしまった。

 昨日から様子がおかしかったリュウカさんは、今日に来て初めて逃げるようにこの場から去りました。いつも笑っているリュウカさんとは比べ物にならないぐらい、その横顔は辛そうでした。

 私は気になって隣に座るシズクさんの顔を伺います。

 シズクさんは不思議とリュウカさんの去っていった場所を、憂いの目で見つめていました。


「あ、あの」


 恐る恐る私はシズクさんに声をかけます。

 すると、すぐにシズクさんはいつもの表情に戻して私と向き合いました。


「ん? どうかした?」


 その聞き方がなんともリュウカさんと似ていて、変な感覚にとらわれます。


「いえその……リュウカさん。大丈夫ですかね」

「そっか。そりゃあ心配になるよね。急にどっか行っちゃったもんね」


 シズクさんは少しだけくだけた声音で私との会話を進めます。

 机に肘をつきながらリュウカさんがさっきまで座っていた椅子を眺めています。それがなんとも言えないぐらい優しい笑みで、ついつい見入ってしまいました。


「大丈夫だと思うよ。たぶんね」

「そう、ですか」


 私はそれだけしか言えません。

 たぶん、私の想像が正しかったらこのシズクさんは前にリュウカさんが会いたいと願った人に違いないはず。リュウカさんがなにも言わないから、私も聞いちゃいけないのかと思って聞かなかったけど、食べ物や飲み物の好みを把握していたり、急な態度の変化に動揺しなかったりと、シズクさんの態度はリュウカさんのことをなんでも知っているといった感じだ。それが私やお姉ちゃんを見るお母さんの様で、やっぱりこの2人は昔からの知り合いなんだなと思い知らされます。

 私が気づくってことはリュウカさんは気づいて当たり前。シズクさんも言葉の端々でそれをリュウカさんに伝えている。なのに、どうしてリュウカさんはそれを頑なに流しているんだろう。

 私はそれとなくシズクさんに聞いてみることにしました。


「あの、シズクさんの探している人って実はもう見つかってたり……」

「シャルロットさんはどう思う?」


 そう聞くシズクさんの顔は少しだけ笑っていました。

 すぐに私の言った言葉が正解だと分かります。

 シズクさんはリュウカさんのいた席に視線を移すと、まっすぐに見つめてからゆっくりと口を開きます。


「見つかってる」


 やっぱり。


「じゃあなんでそれを」

「たぶん、リュウカは、あっちはそれを望んでないんだよね」


 シズクさんの自嘲気味の言い方に私はたまらず首を横に振ります。


「望んでいないなんてことあり得ません」

「結構はっきりと言うね。シャルロットさんって意外と強情?」

「違います。強情とかじゃなくて事実なんです」

「そっか。でもじゃあなおさらかな」

「ど、どうしてですか」

「うーん。たぶんね。あいつは全部1人で背負っちゃってるの。そういう性格なんだよね」

「……ごめんなさい。よく分かりません」


 リュウカさんは背負うとかそんなタイプには思えない。

 どちらかというと冗談で背負っている荷物を下ろすような。そんなタイプに思えます。

 けど……どうなんだろう。よく考えると私はあまりリュウカさんのことを知らない。なにを思って笑っているのか。ただ表面だけの笑みを見て騙されていたんじゃないんだろうか。魚が苦手なのも、甘いものを好むのも私は知らなかった。

 ナイルーンに来てからリュウカさんの様子が少しだけおかしかったときはある。

 1人で涙を流していたのを見たときは正直目を見開いて驚きました。


「シャルロットさんは優しいね」


 私の頭をシズクさんが撫でます。

 それが酷くリュウカさんと似ている。まるで同じ時を生きてきたかのように、2人は所々似ている部分が存在します。


「だからだろうね。シャルロットさんはあいつの好みのタイプだよ。守ってあげたくなる子。きっと、シャルロットさんの悲しむことをあいつはしない」

「それは……知ってます。私は何度もリュウカさんの明るさに助けられてきました」

「分かるよ。なんとなくね。でも、だからこそ、危ない部分があるんだよ」


 シズクさんは天井を見上げます。

 先にはリュウカさんがいることは考えなくても分かりました。


「だーれにも気づかせないの。自分が傷ついてるのも、それに耐えてるのも。気づかせなくて、終わった後に実はこうでしたって笑顔で告げてくるんだよ」

「……優しい、ですね」

「本当にそう思う?」

「ごめんなさい。嘘言いました」


 私はそう言って下を向いていた視線を上げます。

 うっすらとこちらを見ていたシズクさんの表情と私の表情は同じでした。


「今だったら分かります。それってひどく寂しいですよね。こっちのことは一緒に背負ってくれるのに、自分の荷物は背負わせてくれないのって」

「そう。寂しいの。でも、隠すのが上手いから気づかせてくれない。だから私とも会いたくないんだよ。どれだけ私に会えたとしても素直に喜べない理由があいつにはあるの」


 なにを言っているのか詳しいことは私には分からない。

 ただ、2人がお互いを想って近づけていないことだけは理解できました。

 私にはなにが出来るだろうか。見守ること? それとも……。

 どうしたものかと悩んでいるうちにシズクさんの表情が華やぎます。

 大丈夫だと言わんばかりに視線はリュウカさんじゃなくて完全に私に向いていました。


「安心して。あいつはこんなことでシャルロットさんを心配させるようなことはしない。きっと次に会う時はいつもの調子に戻ってるから」

「私は、どうしたらいいんでしょうか」

「簡単よ。気づいていないふりをすればいいの。シャルロットさんには関係のない話なんだから。変に気負わず、素直でいて」

「もう、関係なくはないですよ」

「あ、あはははは、そっか。そうだよね」


 シズクさんはバツ悪そうに頬をかきました。

 もう関係なくはない。ここまで聞いてしまったのだから、関係ないなと気持ちよく割り切れるほど私は人として出来ていない。

 でも、だけど。

 フード越しの耳に触る。

 私は悪魔憑き。本当にこの2人のことを思うなら関わらない方がいい。感情を消して見守る方が絶対にいい。

 私はさっき言った言葉を撤回するように明るい声を出しました。


「でも、シズクさんが言うなら関係ないことにします。だから頑張ってください」

「……ありがと。大丈夫。すぐに終わらせるから」


 シズクさんはそのまま胸に手を当てます。


「私にも時間がないからね」


 小さく呟いた言葉の意味を理解することは叶いませんでした。

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