第140話 リュウカの動揺
だが、すぐに口内に広がる味に顔をあげる。
対面に座る雫を見つめた。
「こ、これ」
「はい?……もしかしてお口に合いませんでしたか!?」
「あ、いや、そうじゃなくて!」
そうじゃなくて、口に合いすぎている。
高校生にもなって恥ずかしい限りだが、俺は苦いのが苦手だ。むろん、コーヒーのブラックなんて飲めたものじゃない。だからいつも、朝に作るコーヒーはミルクと砂糖で苦みを極限にまで消している。外で買うのもコーヒーではなくカフェオレ(ミルクと砂糖多め)と徹底的に酸味や苦みから遠ざかるものしか買わないようにしているのだ。
だからかブラックを飲める同年代の奴らには時々バカにされる。それだけ俺はコーヒーに限って言えば甘いものを好む。
雫の持ってきたコーヒーはまさにその味と同じだった。
ミルクと砂糖でコーヒーの味が薄い。
はっきり言って美味しかった。
「ちょ、ちょっとごめん」
驚いた俺は気が動転して対面の雫のコップを手に取った。
「あ、私のは」
雫の声など無視して俺はひと口だけ口に入れる。
途端苦みが口の中に広がり、顔が歪む。
「ブラックなんですよ。リュウカさんには無理ですよね」
雫は表情を変えずに、さも当たり前かのようにそれだけ言うと俺の手から自分のコップを取る。
それを美味しそうに飲む姿が俺は信じられない。
よくそんなもの飲めるな。
「ちなみにシャルロットさんのは私よりも甘いですよ」
「飲みますか?」
雫の言葉に続いてシャルロットは俺に自分のコップを差し出してくる。
そのままというわけにもいかずに俺はシャルロットの手からコップを受け取ると、ひと口飲む。
確かに甘かった。だが、俺のほどではなくしっかりとコーヒーの苦みと酸味を感じられる。
俺はそれだけ確認するとシャルロットにコップを返した。
「もしかして全部違う味を用意したの?」
「はい。シャルロットさんには好みを聞いて、リュウカさんはなんとなく」
「なんとなく? なんとなくでこの味に?」
「はい。ダメでしたか?」
「ダメじゃないけど……」
どうしてこんな味にした。
これだけ甘いコーヒーを好む奴はそんなにいない。
相手が子供っぽい舌を持っていたり、苦いのが苦手だと知っていないと出来ないことだ。
俺はまさかと思って雫と見つめる。
雫は意味深な笑みを浮かべていた。
それが俺の心の平穏を揺さぶる。
「やっぱり口に合いませんでした?」
雫が口元を少し上げて聞いてくる。
この顔には見覚えがある。雫が答えを知っていながら聞いてくるときの顔だ。
俺は気まずげに顔を俯かせて答える。
「いや、おいしい、よ」
「よかったです」
「すごいですよねシズクさん。リュウカさんの好みを当てちゃうなんて。やっぱり……」
俺の返事に満足そうに笑う雫に、シャルロットは軽くそう言って俺たち2人をみて微笑んだ。
続きを言わないのは優しさか、それとも……。
雫によって失われた心の余裕が、シャルロットの言葉に対しても変なベールをかける。
俺はこれ以上この場にいるのは精神衛生上よくないと思い、パンとコーヒーの朝食を急いで食べ終え、席を立つ。
皿をシンクに持っていくと、洗い物をしようとしてどこから水を出せばいいのか分からず止まる。
今までどうして気づけなかったのか。
シンクに蛇口のようなものがどこにもない。
「ああ。リュウカさん。お皿はそのまま置いておいてください」
「え、どうして……?」
「私とシズクさんが洗っておきますから」
そうやって微笑むシャルロットの顔を、俺は素直に見れなかった。
ダメだ。動揺している。
シャルロットはただの厚意で言ってくれている。なのに、今の言葉がリュウカさんはできないから私たちに任せろと言われているようで、どこか冷たく映る。
被害妄想だとは分かっている。
でもなぜか、微笑むシャルロットと雫を見ていると、自分だけ変に意識してしまっているようで、どうしようもなく落ち着かない。
どうしてしまったのだろう。ダメだ。こんなんじゃ。
俺は逃げるように2階にある自室に戻った。
ベットに体を投げ、顔を埋める。
「くそ。なんだ。どうなってる。どうしてそんなにネガティブなんだよ」
まるでスイッチでも入ってしまったかのように、俺の頭は被害妄想を拡大させる。
雫がいるのもシャルロットが笑っているのもいいことだろ。
あの2人が少なくとも上手くやっているのは素直に喜ぶべきだ。
なのにどうして。どうしてあんなにもシャルロットの笑顔が冷たく映った? 何もかも知られているように感じた? 分からない。
ずっと会いたいと思っていた雫が目の前にいるのに、なぜこんなにも胸が苦しい。素直に喜べない。
分からない。分からないんだ。
今俺は何を思っている。自分はどうしたい。
「なんでいるんだよ……なんであんな意味深な笑みを浮かべるんだよ……やめてくれ。せっかく消したのに。せっかくわざわざ神様に頼んだのに。これじゃあ」
また望んでしまう。彼女に近くにいてほしいと。また隣を歩いてほしいと。望んだらいけないのに。
彼女と俺はもう住んでいる世界が違う。
交わっちゃいけない運命なんだ。
気づけば、俺は意識を失っていた。辛く苦しい現実から目を背けるように眠ってしまったのだ。
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