第139話 シャルロットの優しさと雫の訪問

 市場から帰ってきた俺たちは昨日と変わらないなにも無い家で、ただただ2人でののんびりとした時間を過ごしていた。

 シャルロットとパーティーを組んで以来初めて、これだけ長い時間2人で一緒にいるような気がする。

 アイリスタを出て馬車に揺られながら、ナイルーンに向かっていたときも2人みたいなもんだったが、あの時は魔物に襲われたり、長旅の疲れか寝てたりして時間はいつの間にか過ぎていた印象が強い。

 それになによりもあの時は馬車の運転手がいた。

 本当に2人でこれだけの時間を過ごすのは初めて。

 だからといって、会話に困ることもなく、普通にお互いに他愛もない会話をしながら、シャルロットの作った夕食を食べて今日という1日は終わりを迎えた。

 今までその耳の影響で誰かと一緒になることも出来ず、1人でいろいろしてきたシャルロットは、料理の腕もよかった。一流ホテルのシェフとまではいかないが、レンジでチンやお湯で3分なんて料理をしている俺とは比較にならないぐらい、しっかりとした包丁さばきをしていた。

 なにも手伝えない俺は不甲斐なくも、見守ることしか出来なかったが、皿ぐらいは出そうと思いシンク兼ストレージに手を入れて取り出した食器2人分を机に並べておいた。

 そのちょっとした手伝いもシャルロットは嬉しそうに微笑んでくれたのだ。

 俺はこれぐらいしか出来ないと謙遜を浮かべたが、


「これぐらいじゃありませんよ。私が用意するとだいたい食器がダメになっちゃうんで」


 と言うシャルロットの言葉に何も言えなくなった。

 シャルロットは見た目とは裏腹に強い。そして優しい。

 市場での雰囲気を見れば、誰だって俺が雫に対してなにかを思っているのは分かるはずだ。事実シャルロットとクオリアさんはなにか気づいている。会計のときのあの意味深な笑顔はまさにそうだ。

 驚くことはない。クオリアさんはともかくシャルロットには、雫という名前を一度出している。

 なのに、なのに彼女は、市場から家に帰ってきて、夕食をすませ、寝ようと寝室の前で別れた今でもなにも言ってこない。

 寝るために部屋に入っていく彼女の表情はいつもの笑顔だ。

 それがなんというか嬉しくもあり申し訳なくもあった。

 俺はベットに寝ころびながら一人物思いにふける。

 なぜ雫がこの世界にいるのか。どうしてなのか。

 雫はこの世界で何をしている。人を探していると言っていたが、まさか……とも思うがそれはあり得ないと俺は自分の期待を打ち消した。

 期待しても意味がない。その期待は俺が一番最初に消したんだ。

 バカバカしい。きっとあの雫はすごく似ている同姓同名の桐沢雫で、この世界に生まれ、この世界で育った桐沢雫に違いない。

 店にいる時と同じことを考えながら、俺は自分の視界を遮るように布団をかぶる。

 ……でも、だったら、あの制服はどう説明する。あの黒を基調としたゴシック調の制服はどう足掻いても俺が栗生拓馬だった時に通っていた高校の女子の制服だ。それにストレージをポケットから出す仕草。あんなの、スマホを使い慣れている地球人の象徴じゃないか。俺はそれを見て親近感を抱いた。と同時にあの雫が俺の知っている雫だと判断した。

 分からない。考えても考えても俺の思考はぐちゃぐちゃになって、整理することが出来ない。

 こんなときは寝てしまおう。もしかしたら夢オチなんてこともあり得る。これはきっと夢なんだ。目を覚ましたら今日の朝に戻る。で、くだらない夢を見たとシャルロットに言いながら、訪ねてきたクオリアさんと一緒に3人で市場に向かうんだ。

 そう思って、思い込んで、俺は眠りについた。


        **********


 なのに、どうして。

 朝目が覚めて1階におりたら、楽しそうに朝食の準備をしているシャルロットの隣に見慣れた背中が見えた。

 俺と似通うほどのきれいな黒髪に、黒を基調としたゴシック調の制服。

 昨日出会った桐沢雫が我が家のキッチンに立っていたのだ。


「あ、おはようございますリュウカさん」


 階段を下りる音で気づいたシャルロットが俺に微笑みかけてくる。


「う、うん。おはよ」


 俺は戸惑い気味に朝の挨拶を返すと、隣へと目をやった。

 雫とばっちり目が合う。


「おはようございますリュウカさん」


 朝日を受けて雫が仰々しくも頭を下げながらこちらに笑みを向けてくる。

 変な感覚が頭の隅を駆け抜けた。

 あの雫が俺に対して敬語を使っている。こんな挨拶をする雫は知らない。雫はいつも適当に手をあげて「おはよ~」と間延びした声で、登校する俺の隣に並ぶ。

 なのに今は敬語で頭を下げるぐらいの丁寧ぶり。

 それがなんというかやはり俺が栗生拓馬ではなくなってしまったとひどく意識させられて、胸が締め付けられる。

 俺と雫は近くて遠い。だったら、遠いままの方がよかった。

 俺は雫に何も返すことが出来ずに、近くにある椅子に座った。すぐに雫が歩いてくる。


「ごめんなさい。驚かせてしまいましたね」

「い、いや、まぁ、びっくりした」

「ですよね。すみません」

「いいよ、別に」

「私も驚きましたよ。朝早く玄関が叩かれたので誰かと思って開けたら、まさかシズクさんがいるなんて」

「急だったのは本当にごめんなさい。実を言うとあの後お2人がこの家に住んでいるってクオリアさんから聞いて。つい来ちゃいました」


 聞いてってプライバシーはないんだろうか。

 しかし、そんなこと今思っても仕方がない。雫が来ている事実は変わらないんだから。

 俺は笑顔を見せる雫を横目に捉え、恐る恐る口を開く。


「な、なんでまた」

「うーん。あのまま別れるのはなんというか気まずいって思いまして」

「き、気まずいって、なにが」

「リュウカさんとです。最後の方なんか変な空気のなったじゃないですか。それが心残りだったので」

「でも人探しは」

「いいんです。どうせ見つかるかどうかも分からない人なんですから。探すのに1日費やすのはもったいないですよ」


 はたして本当にそうだろうか。人を探しているのならもっと必死になってもいいはずだ。1日費やすのも勿体なくない。

 もしかしてもう見つけているんじゃ……聞こうと思ったがなんとなく憚られた。なによりもこちらを見る雫の顔は質問に素直に答えてくれる気がしない。

 そのまま少しの間会話が途切れる。

 またしても気まずい流れになるかと思ったが、コトンという軽い音が気まずくなりそうな空気をかき消した。

 シャルロットが俺の前に朝食を置く。

 その皿を見て俺はびっくりしたようにシャルロットを見る。


「朝から魚を捌くのはさすがに。ですので軽いものを作りました」


 皿に乗っていたのはパンだった。こんがりと焼けており、表面にはバターのようなものが塗られている。


「こ、これ」

「パンですよ。もしかしてリュウカさん知りませんか?」

「い、いや」


 むしろよく知っている。地球にいたときに何度も食べていた。うちの朝食は母親が面倒だといってパンしか出てこない。だからよく知っているのだが、まさか異世界にもあるとは思わなかった。


「私が持ってきたんですよ」


 俺の対面に座りながら、同じ朝食が置かれた皿を見つめる雫が答える。


「急な訪問で手ぶらってわけにはいきませんでしたから。だから朝のうちに市場によって買ってきたんです」

「そ、そうなんだ。でもどうして」

「似てるんです。私のせか―――いえ、故郷にあった食材に」


 世界と言いかけて咄嗟に雫は故郷と言い変えた。

 幸いシャルロットは自分の分の朝食を持ってきていて話しに耳を傾けていない。

 雫は俺を見ながらてへっと言うように笑う。

 うっかりって感じでわざとってわけじゃないんだろうな。

 気持ちは分かる。

 うんうんと俺が静かに頷いていると、雫は突然なにかを思い出したかのように椅子から立ち上がった。

 シンク兼ストレージに手を入れると、3人分のコップを取り出す。

 驚いたのはコップから湯気が出ていることだ。

 シンク兼ストレージに入れれるのはなにも無機物ばかりではないらしい。

 雫は取り出したコップを、中身がこぼれないように慎重に一人一人の前においていく。

 中身を見てこれまた俺は驚きを隠せない。


「これ……」

「豆を焙煎した飲み物です。ミルクとブレンドしてパンとの相性はばっちりですよ」


 雫が俺の声に反応するように説明をした。

 だがしかし、その説明はどうやらシャルロットに向けられていたらしく、俺には耳打ちで囁いてくる。


「この世界にもコーヒーってあるんですね。びっくりしました」


 雫の声が耳元でする。こんな声、栗生拓馬のときでも聞いたことがない。

 この雫の距離も同性だからだろうか。

 しかし、これで雫が少なくとも俺を、リュウカを、この世界じゃない別の世界からきた人間だと理解しているということになる。

 必然的に俺のことが理解できる桐沢雫もまた同じく別の世界から来た人間だと証明された。

 俺が思い込んだ事実はあっさりと覆されてしまった。

 同姓同名のこの世界の住人ではない。やはりというか当たり前に、目の前にいる彼女は俺の知っている桐沢雫本人だ。


「そ、そうだね。私も知らなかった」


 俺は当たり障りない答えを雫に返す。

 雫はそれを聞いて満足そうに微笑むと、すぐに自分の席に戻っていった。


「それじゃあ冷めないうちに食べましょう」

「はい!」


 雫の隣でシャルロットが笑顔を浮かべて手を合わせると、パンにかじりついた。

 俺も手を合わせた後、コーヒーへと口をつける。


「お口に合いますか?」


 雫を呟きを耳で聞きながら俺は軽い気持ちでコーヒーに口をつけた。

 

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