第137話 日本人だけが持つ常識
というわけで、今現在、俺たちは雫の提案で昼食を取るため、クオリアさんの案内のもと市場からほど近い店に来ていた。
人の行き来が激しい市場の近くだというのに、ちょっとだけ横道にそれているからか、外から見える店内はそれなりに落ち着いている。
すると、さきを歩いていたクオリアさんが店の扉を開けた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
雫が一番先に店に入り、俺とシャルロットがクオリアさんに頭を下げながら後に続く。
店内には落ち着いた音楽と共に、どこか密やかな雰囲気が漂っていた。
「いらっしゃいませ~」
間延びした声で店員さんが俺たちの方にかけてくる。
店の制服だろうか、フリフリなどなくすらっとした簡素なエプロンをつけた女性がこちらに来る。その女性が店の雰囲気と合っていて、どこかシックさを漂わせているのがまたいい。外壁の白さと黒を基調とした内装のギャップがなんともいえないおしゃれさを演出している。
店員さんは俺たち全員を見ると、人数を確認して席へと案内してくれた。
通された席は日当たり良好。窓に面した一番奥の席だった。
少し大きめの机に、長椅子が2つずつ向かい合うように並べられている。
誰も座ろうとしない空気に雫が一番初めに動いた。窓側の椅子に腰かける。それをみて俺は即座にシャルロットを雫の対面に座るように誘導した。
「シャルロット、先に座って」
「え、いいですけど……」
少しだけ怪訝そうなシャルロットの背中を押す。
シャルロットはそのまま雫の対面に座った。
後ろで見守っていたクオリアさんが俺のすぐ後ろにまで来て囁く。
「どうしたのですか。らしくない」
「はい? なにが……」
「シズクさんのようにかわいらしい子を前にしたら、リュウカさんのことですからてっきり対面に座るのかと。そしてあわよくば同じ女性というのをいいことに、その体をいやらしい目つきで」
「あはははは……そんなことしませんよ」
俺はなんとか苦笑いでごまかした。
まさか、雫と俺が前の世界で知り合いで、すごく仲が良かったとは言えない。そんな雫に対しいつものクオリアさんに対するテンションでいくなんて、想像しただけでも寒気がする。
「まさか、対面じゃなく隣を狙っていますか。私たちの見えない机の死角を利用して、シズクさんの太ももを」
「やめてください! いいですから、クオリアさんも座って!」
俺はからかうクオリアさんを雫の隣に座らせた。
クオリアさんはなすがまま椅子に座ると、信じられないような目で俺を見つめてくる。
……らしくないのは俺が一番分かってますよ。これが雫じゃなかったら対面でも隣でも意気揚々と座ったでしょうね。それこそ同性なのをいいことに。
だけど、雫にだけはそれができないんです。彼女に思春期真っ盛りの妄想を垂れ流すことはできても、彼女自身で何かを想像するのは、なんというか、すっごくはばかられるんです。
まぁ、クオリアさんにこんなこと言っても意味ないけど。
俺は心の声を飲み込むと唯一空いているシャルロットの隣に座った。
すぐさま店員さんがコップを持ってくる。中には水が入れられ、さらには氷水の入った大きな水差しも机の上に置いた。
「ご注文がお決まりになりましたらそちらのベルを押してください」
「はい」
「それと、お水は無料となっています。もし水差しでも足りないようでしたら、何なりとお申し付けください」
「分かりました。ありがとうございます」
店員さんがお辞儀をして去っていった。
ついつい一番近い俺が対応してしまったが、よかったのだろうか。
そう思い全員の顔を見たが、クオリアさんも雫もなにも言わない。唯一シャルロットが驚いたように、俺ではなく水差しとベルを見ていた。
「お、驚きました」
「へ? なにが?」
素っ頓狂な声を上げたのは俺だ。
シャルロットはいったいなにに驚いたというのか。別に変ったところは……と思ったが1つだけ思い当たるふしがある。
嬉しそうにピョンピョン跳ねているケモミミを見て、まさかと思い聞いてみた。
「もしかして、何事もなく店に入れたこと?」
「ああいえそうじゃなくて……でも確かにそれもありますね。なんだかリュウカさんといるとついつい忘れてしまいます」
えへへと笑うシャルロットの表情ははっきりしない。良いことなのか悪いことなのか判断がつかないようだ。
まぁ、悪魔憑きのことを一時的に忘れられるのなら、それに越したことはないだろう。
だが今回はそのことではないらしい。
俺は話を戻す。
「そうじゃないってことは、なにに驚いたの?」
「水とベルです」
「水とベル……これがいったい……」
「リュウカさんは驚かなかったんですか?」
「え? ええっと……」
シャルロットさんの言ってることが分かりません。
なにがどう驚くんだろうか。いやしかし、この感じ、何回も味わってきたこのなんとなく感じる嫌な予感は……。
俺は助けを求めるようにクオリアさんに視線を投げかけた。
クオリアさんは仕方ないですねと言わんばかりの目で、ため息を漏らすと、説明を始める。
「このお店はロンダニウスでも唯一の技術とサービスを誇っているお店として、まぁ、それなりに有名です」
「というわりには賑わっていないというか」
「店主があまり目立ちたくないという思考の持ち主なので仕方ありません。雑誌などの取材も全て断っているとかで。隠れ家的お店なのです」
「はぁ……それでその技術とサービスって」
「それがこの無料で提供される水と店員を呼ぶためのベルです」
クオリアさんが眼鏡を指先でクイッとあげる。
反対に俺は首をかしげた。
「ええっと、よく分からないというか……そんなに珍しいものですかね?」
「珍しいというかありませんよこんな店!」
するとシャルロットが興奮したように大きな声を上げる。
耳をぴくぴく動かし、本当にテンションが上がっているよう。少し子供っぽくてかわいい。
「シャルロットさんのおっしゃる通り、ここロンダニウスでこういった趣向のお店は存在しません。まず店員を呼ぶベルですが、これ自体はよく出来ているなと思いますが、必要かどうかと問われれば必要ではありません」
「なんで?」
「魔法がありますから。お店で声を上げるのが恥ずかしいという方は思考系の魔法を使って店員に直接伝えます。その方が音もなく静かで楽ですし、周りの迷惑にもなりません」
なるほど確かに。
俺は納得するように頷いた。
「さらに、いくらここナイルーンが水の都と呼ばれていても、飲み水は有限です。それを無料で、しかも飲み放題にするなど考えられないこと。普通のお店であれば大赤字となりすぐにつぶれてしまいます」
「そうなんですか」
俺はそう答えてふと思い立つ。
俺が宿屋で暮らしている時、あの時は別にどれだけ水を飲んでもリーズさんにお金を請求されたことはない。
不思議に思いクオリアさんにそのことを聞いてみると、淡々とした答えが返ってきた。
「それはリーズさんだからです」
「はい?」
「リーズさんだからです。それ以上の説明が要りますか?」
……いりませんね。
リーズさんは人想いで優しい人だ。疲れて帰ってきた人に飲み物を提供してあまつさえお金を取るなど、できないのだろう。
ほんとリーズさんって優しい。もう聖母のような人だ。心の中でだけ聖母リーズと呼ぼう。ありがとう聖母リーズ。あなたのスクランブルエッグ、また食べたいです。
だけどそう楽観的に言ってられないのも事実。クオリアさんの説明通りならリーズさんの宿屋は大赤字だ。大丈夫だろうか。
「ふふっ」
すると対面のクオリアさんが不意に笑い出した。
俺の顔を見ると、俺がなにを思っているのか分かっているような表情でこう言う。
「もともと宿屋リーズは客入りが少ないところですので、これまで目立った赤字にはなっていません。それに今はもう赤字にはならないでしょう」
「ええっとそれは」
「どこかの誰かさんがうっかりチェックアウト手続きをすませなかったおかげで、ですけどね」
あー、やっぱり気づいてますよねー。
俺はクオリアさんに苦笑いを浮かべながらも、ばれてないと思っていた善行がばれて恥ずかしい思いで頬をかく。
この世界は転生者に優しい。それはあまたある世界からこの世界を選んでもらったという感謝の気持ちからだ。だから、毎日5万ルペが入るし、宿屋の一室が無料で提供される。
そしてそんな転生者を泊めている宿屋にも、感謝のしるしとしてロンダニウス側からそれなりのお金が届く。詳しい金額は知らないが、部屋一つ貸すよりも破格の額であることは確かだ。
資金で言えば宿屋リーズは前より確実に潤っている。俺という転生者を泊め続けているのだから当たり前だ。これからも俺が手続きをすませない限りは、宿屋リーズには資金が入ってくることだろう。
いやー恥ずかしい。せっかく本当の理由を隠し、うっかり手続きし忘れたお間抜けとして通していきたかったのに、この人には隠し通せないようだ。
俺はクオリアさんから視線を外した。
しかしその先で雫とばっちり目が合ってしまった。
気まずい間が訪れる。
クオリアさんとの会話でごまかしていたが、雫はさっきからずっと俺のことを見ていた。まるでなにかを確認するように真剣は表情で。
すると、雫がニコッと笑顔を浮かべる。
無表情だと少しだけ威圧感のある整った顔立ちが、笑顔により輝く。
「へぇ、私も驚いたなぁ。珍しいんだね。こういうの」
といって見ているのはもちろん水差しとベル。
それに反応するように対面のシャルロットが口を開く。
「はい。びっくりしました」
「シャルロットさん。本当にこういった店ってここ以外にはないの?」
「ありませんよ。聞いたこともありません」
「じゃあ、常識じゃないってことか」
「は、はいそうですね。わたしもまだまだ知らないことがたくさんあるみたいです」
「そっか、そうなんだ」
それだけ言うと雫は俺を見てなにやら嫌な笑顔を向けてくる。
俺はごくりとつばを飲み込む。
やばい。やばいやばいやばい。なにがやばいって、ロンダニウスではありえないことに、俺が、リュウカが驚かなかったことだ。
ばれる。俺がこの世界の住人じゃないことに……いや、この際それはいい。雫だって元々この世界の住人じゃないんだから。
一番いけないのは別のことだ。今思い出したが、この無料の水とベル、日本じゃ普通だけど海外じゃあり得ないってことを代表する例じゃないか。
日本人であるともばれてしまう。
俺が動揺していると、隣のシャルロットがいつもの声音で雫に声をかけた。
「そういえばシズクさんもあまり驚いてませんね」
「私? ま、まぁね。うん」
「珍しくないんですか?」
シャルロットの純粋な眼差しに、雫は焦ったようにあわあわとしていた。先ほどの俺に対する視線とはまた別だ。
本当に困っているようで、隣のクオリアさんに助けを求めるように体をゆらしていた。
そうか。雫だって別の世界の住人だ。この世界に同じような人達がいることは知っているはず。そしてその存在が公にされてないこともまた知っているに違いない。
この動揺っぷりがそうだ。だったら、先ほどの視線は俺が日本人かということを疑う視線じゃなく、転生者だと思っての視線だったということか。
なんというか、少し安心した。
雫の目線があまりにもまっすぐで、まるでリュウカの奥に眠る俺の本当の姿を見ようとしているのかと、変な勘違いしてしまっていた。
違う。そんなわけない。きっとなにか特別な、俺が知らない理由があってこの世界にいるってことも考えれられる。もしかしたらめちゃくちゃ似てる同姓同名の人かもしれない。ほら、世界には自分とそっくりな人が3人いるっていうじゃん。きっとそうなんだよ。そういうことだ。
ある可能性を見ないように、気づかないようにして、無理やりな思考で俺は自分を納得させた。
「はぁ、仕方ありませんね」
クオリアさんのため息で俺は思考を現実に戻した。
クオリアさんは俺が困ったときと同じように、上手いこと言葉を並べてシャルロットを納得させていた。ギルド会館の職員の制服がクオリアさんの言葉に信用さを与えている。
結局シャルロットはなし崩し的に頷き、話はなにを食べるかに移行したようだ。
クオリアさんが机に置いてある真っ黒な板を手に取り、慣れたように魔力を注ぐ。板はそれだけで色鮮やかな様々は料理を映し出した。
メニュー表もストレージの様に魔力に反応するもので出来ている。レジだってストレージ系だ。
全部魔力ありきで動いている。そのことにここが日本ではなく、憧れたファンタジーの世界であることを再確認した。
……ちなみにこれは余談だが、この店の経営者は転生者らしい。だからギルド職員のクオリアさんは、隠れ家的この店の存在を知っていたというわけである。
無料の水やベルからしてそいつはたぶん日本から来た転生者だろう。
つまりその経営者も毎日5万ルペを受け取っている。さらにはお店の利益もあるから……そりゃあ赤字にもなる水の無料提供ができるわけだ。目立ちたくない理由もそこに付随するのだろう。あとは、目立ち過ぎて資金繰りに違和感を持たれないためでもあるかもしれない。
注文した料理が目の前に並ぶ。
これでようやく、朝から不満たらたらで鳴りやまなかったお腹の虫を満足させられそうだ。
よかったよかった。
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